106話
三条家にやってきた恵は連れてこられた理由を伯父の篤春に尋ねると、彼は固まっていたがすぐに自分を取り戻してわざとらしい咳払いをする。
「本当にお礼を言おうと思ったんだ。」
「それならもう用件はないですよね?体調も悪そうですし。」
恵は言いながら布団の上で座っている楽な格好をする彼を見る。その視線に気づいた彼は、ああ、と言って苦笑する。
「これは私の失態が招いたことで、もう1か月ほど前のことで少しだけ寝込んでいた時があったんだ。それでも、もう回復しているからこうして布団の上に居なくてもいいんだが、周囲は心配性でね。」
「そうですか。それは大変ですね。私も今住んでいる家や隣の人が以前住んでいた場所に来た時はどこへでもついて来て困っていました。その過保護っぷりは一緒ですね。私も何年一人暮らしをしていたか知らないのに。」
周囲からの行き過ぎた過保護に対して困った様子の篤春に便乗して恵も今までの経験に対して不満を口にする。しかし、それで苦笑していた篤春が急に眉を八の字にして困ったような顔をするので恵は不思議に思う。
「何か要らないことを言いました?」
「恵さんは一人暮らしの方が良いかな?寂しくなかった?」
「いいえ、特にそんな風には思いませんでした。楽しい思い出もあるんですよ。それに、一人暮らしと言っても小学校の高学年までは一緒に暮らしていた女性が連れ込んでいた男性から賭け事を習ったりできましたし。あとは、年に1度だけ訪問してくれる人もいました。寂しいなんて思ったことがありません。」
「・・・・そうか。」
篤春は間をあけて恵の話に相槌をうつ。
その時、恵はやっと周囲に人がいることを知る。
「あれ?どうして、奏たちがいるんですか?」
恵は一番最初に目に映った人物に問いかける。
彼、腹違いの弟である奏、は苦笑いしか出ない。
「やっと気づいたんだね、姉さん。僕は今までいたんだけど。」
「やっと気づきましたよ。」
「そうなんだ。来た理由は姉さんがここに残ったからだよ。」
「さっきの桜井さんが言っていた人って奏のことですか?」
「そうだね。おじい様もいるんだけど。」
奏に目配せで案内された恵はそこでやっと祖父を見つける。
「本当ですね。当主様って移動するんですね。」
と、恵は感心する。全く悪気があって言ったわけではないのだが、祖父である敏明は目に見えて落ち込んだ。
「当主は誰よりも動かなければならないからな。」
「なるほど。そうなんですね。とても勉強になります。」
恵が納得すると彼は安堵の息をこぼす。
そして、部屋の中を改めて恵が見渡すと、そこに最近会った見知った青年、環が少しばかり緊張した様子で立っている。
「環さん、こんばんは。環さんも呼ばれたんですか?」
「まあ。ほら、あの教授を捕まえたのがこいつだったから。」
嫌そうな顔で彼は隣にいる浮遊霊を指さして言う。それに笑いが出てしまった恵は浮遊霊、ライに睨まれたので口をすぐに押える。
『そんなこと言うなや、環。わしのおかげでごちそうを食べられるし、英雄のように扱われて学校の人気者になったやないか。』
ライは睨みをすぐに引っ込めてため息をして不服を隠さない隣の主に縋りつく。それを鬱陶しそうにしながらも、環は洋服を掴む彼の手を放そうとはしない。案外、仲がいいらしい。
「わかったから、騒ぐな。というか、あのおっさんがあんな風になったのがお前のせいだったとか聞いてないぞ。まったく、一体何をやっているんだ。お前は。」
『それは不可抗力やって。ホンマに。わしはただこっちに術を放ってきたからそれを返してやっただけや。術が暴発したから、わしはすぐに煙にまいたんやぞ。けが人出すなってお前が言うから。』
「わかった、わかった。何度も聞いた。そのけが人が出てんじゃないか。」
『うう、すまんて。ホンマに。許して―な、環。』
「それなら、今後手伝うんだろうな。」
『まあ、お前が講義中は暇やからな。ええで。』
環の許しが出たことでライはコロッと表情を変える。よく変わる表情豊かなライに恵は感心する。
―――人ならざるものの方がよっぽど人らしい
恵はいつしかそんな風に思う。
「ところで、ごちそうが出るんですか?いいですね。」
恵は2人の会話に食いつく。
環は、そこか、と言ったような表情をしており言葉が出ないようで、隣のライが代わりに言う。
『そうや。今回はわしらとお姫さんらの大金星やからな。』
「私も?」
『もちろんや。京都の料亭で舞妓さんと遊べるんやで。』
「やったー。賭け事は大好きです。」
『賭けはせんよ。先払いやから。』
「それもそうですね。」
恵はライと最後にハイタッチをして盛り上がる。
傍から見れば、実に奇妙な光景で往来でこれをしていたら、ただの一人芝居だったに違いない。一人芝居だったら相手役も必要なので、芝居ではなく不審者に間違われていただろう。
「恵、賭け事はあまり良くない。」
そこで水を差したのは隣で呆けていた環だ。彼は気づけばしかめっ面になっていて、恵は驚く。
「ごめんなさい。」
と恵は軽く謝る。昔から一緒だったような兄妹のように見える。
――――こんな風に誰かに言われると懐かしいような気がする
恵自身も何か引っかかりを覚えるのだが、それよりも初めての料亭体験に胸が高鳴る。篤春が着替えるまで待ち、彼の準備ができ次第、恵を含めて15人ほどで向かったのは時代劇の中のようなお店だ。
個人に運ばれる料理や飲み物はそれぞれの小さなテーブルに乗って出され、それぞれが職人の手によって生み出された宝石たち。恵は一番下座に座り、隣の環と話しながら食べる。本当は奏の隣の席を勧められたのだが、一番最初に部屋に入った恵はそのまま現在の場所に腰を下ろしてその場から動こうとしない。落ち着いて食事することもあれほど人が寄っていては無理だったことを改めて感じて、恵はよかったと安堵する。
恵は三味線や歌を披露する舞妓の姿を見ながら飲み物を飲んでいたのだが、少しして顔が熱くなり部屋からそっと抜け出す。もちろん、隣にいる環に一言言ってから出る。
「ああ、熱い。」
恵がそう言って廊下を歩いていると、店の玄関まで出てしまう。
「あれ、ここどこ?」
恵は首をかしげてあたりを見渡していると、誰かと肩がぶつかりふらついていたのか自分が倒れそうになる。しかし、衝撃はなくすぐに自分の両肩に手が添えられているとわかるほどに肩に伝わってくるのは冷たさだ。
「うう?」
恵は目を開けるとぶつかった人は
「大丈夫?」
と、尋ねてくる。それに恵は何度も頷いて見せると、その人はフッと笑って手を放す。
「じゃあ、私はこれで。」
と、その人は目深に帽子を手で再度直しながら言い、恵の横を通り抜ける。その際に香ってきた香に恵は驚いて「あの!」と振り向いたときにはすでに誰もいない。恵は慌てて周囲を見回ったがどこにもおらず、結局、廊下ですれ違った人に聞いて部屋に戻る。
「ああ、やっと戻ってきましたね。」
一番最初に気づいた瑛斗に声をかけられて恵は曖昧に頷く。
「ごめんなさい。ちょっと、熱気に当てられたみたいで外に出ていました。」
「いいえ、それより、恵さんがお待ちかねの遊びですよ。」
瑛斗に言われてみると、舞妓さんが恵の前に座って一礼する。
「今晩お相手をさせていただきます。八重と言います。どうぞよろしゅう。」
「ああ、はい。西寺恵です。よろしくお願いします。」
丁寧にあいさつをされたので恵は慌てて対応する。
そうして、まだ恵とそれほど違わない年の女性とした勝負はどれも新鮮だったが、恵は全ての勝負に勝ってしまった。それはそれで楽しかったのだが、恵の中にはあの時すれ違った人のことが心残りになる。
京都でのドタバタはこれで片付き、恵は翌日の朝に京都を発つ。




