105話
恵は月姫がいなくなったことで急激に崩れ、木の塊になった場所を飽きずに眺める。何をするでもなくただそこを見て、月姫に話しかけてみる。
最後には優しい夢を見れましたか?
と。それに返る言葉はないけれど、恵はそう問わずにはいられない。最後まで人ならざるものが、よっぽど自分よりも人としての感情、恋や愛に振り回され、人に操られていた生き方に、恵は感嘆し敬愛を持っている。そんな感情を持つこと自体を大方否定されるだろうけれども、他人に危害を加えたことは間違いないのだから。それでも、恵は月姫の生き方に魅せられたのだから、仕方ない。
「もっと早く出会って、もっとたくさん話をしたかったです。」
恵はしゃがみ込んで木の塊の前で月姫に言う。それを聞いたら彼女はきっと初対面の時のように返すのだろう。
『ブサイクと?』
と。
そんな風に笑って言う彼女の様子が目に見えるようで恵は笑ってしまう。
「恵さん、もうそろそろ出ませんか?」
少し離れた場所にいた瑛斗に声をかけられて恵は頷いて立ち上がり、最後にもう一度だけ月姫に別れを言ってから瑛斗たちの方に向かう。
瑛斗は電話をしていたようで、スマホを手に持っている。
「例の教授はとらえました。今まではうまく行っていたようですが、運が尽きて自爆したみたいですよ。」
「どういうことですか?」
「かの実習の中に偶然西寺環さんも入っていたようです。彼は友人のついでだったようですが。」
「ああ、なるほど。」
恵は今にも大笑いしそうなのをこらえながらも報告する瑛斗の言葉に納得する。環がいたということは、つまり、彼に憑りついている浮遊霊も一緒なのだ。そして、彼は環に害をなすものには一切の容赦はない。
「つまり、あの教授にあった能力は弱かったということですね。」
「いえ、というより、羽衣狐が消滅したことで彼にあった力も一緒になくなったということでしょう。彼はどれだけ力を借りていたかは知りませんが、襲い掛かろうとした瞬間、急に顔を青くした教授はそのまま床に倒れ込んだと。」
「そういうこともあるんですね。結構リスクが大きいんですね。」
恵は言いながら自分の周囲を見渡す。
そこには、肩に乗っている幼稚クモと浮遊霊がいるのだ。彼らから力は借りるまいと彼女は強く誓う。
「それと、佐久良家から人が来ました。もう一晩こっちに泊まってから帰宅します。」
「わかりました。」
「そういうわけで、お二人はお帰りください。まだ夕方なので終電前の電車で東京に戻れますから。」
瑛斗は笑顔で近くに立っていた秋元教師とレイドリックに言う。笑顔なのに黒く感じるのは彼が放つオーラだろう。それに、言葉も”早く帰れ”という副音声が聞こえる。さすがに、そんな瑛斗の対応に慣れている2人は一歩も引かずに、こちらも良い笑顔で対応する。
「いいえ、僕は教師で今回は生徒の見守りだからね。生徒を置いては帰れない。おそらく、入院した生徒たちの容体なんかも確認して彼らの家族にも連絡しないといけないからね。」
「そうだよ。僕だって帰れないからな。それに、僕は君らとクラスメイトで親交を深めたいからね。ここに残るよ。それに、僕がいて役立つことがあるかもしれないだろう?」
「それでしたら、秋元先生は病院に行ってください。私と恵さんは行かなければならない場所がありますし、そこは関係者以外は入れない場所です。あなた方2人は今回何の役にも立たずに、恵さんが1人で片づけたようなものでしょう?オールウィンは秋元先生と行動を共にした方がいいです。」
面白がるように言う2人に瑛斗は棘がある言い方をする。その言葉が事実なので2人は言葉に詰まり肩をすくめておとなしく引いたことで別行動となる。
恵は瑛斗と向かうのは京都の中心街だ。もう日が沈みかけ暗さが目立っているが、人の多さは相変わらずだ。スーツ姿の人が目立つためにちょうど帰宅ラッシュにぶつかったようだが、恵は瑛斗に手を引かれてそれらを回避する。
ホテルには戻らずに着いたのは大きな屋敷だ。武家屋敷のような佇まいの日本家屋は京都らしい建物だ。
「あの、ここに何が?」
恵が尋ねると、瑛斗は顔をしかめる。
「本当はあなたをこんな家に連れてくる気はなかったんですが、ここで待ち合わせをしているので仕方がありません。」
「待ち合わせ?」
恵が再度尋ねるもそれに口を塞いだ瑛斗の代わりに、日本家屋の門が開く。
両側に控えるのは着物を着た女性が2人とスーツ姿の男性2人だ。どちらも若い年代で恵と10も違わないだろう。
「ようこそ、三条家へいらっしゃいました。遠いところをお越しくださりありがとうございます。当主の間にご案内します。」
スーツの男性の1人がそう言って恵と瑛斗を案内する。
ここは京都の三条家。
恵の母親の実家にあたる家だ。
恵は目新しい光景に目をあちこちに動かし、感嘆の声を上げる。ただし、小声で首までは動かさない。あえてさりげなくしていた自分を褒めたいぐらいだ。
奥に行けば行くほど大きくなる威圧感だが、恵は佐久良家の当主の間まで行ったことがあるので慣れている。ただ、京都というべきか、お香のような香りがスッと鼻につく。
「当主、客人をお連れいたしました。」
「通しなさい。」
重厚な扉の向こうから聞こえるのは壮年ぐらいの男性の声だが、少ししゃがれている。恵の疑問は扉が開かれてすぐに解決する。最初に目に入ったのは寝巻だろう着流しを身に着けて白い布団の上に座る男性だ。彼は恵に視線をよこしたかと思うと座りながらではあるが、少しだけ頭を下げる。
「初めまして。私は三条家の当主を務めている三条篤春です。」
彼は名乗り、恵はピンとくる。
この人、私の親戚だ。
その心を察したように、男性、篤春はニコリと笑うのだ。
「恵様、あなたの母の兄、つまり伯父にあたります。」
やっぱり
恵の中で彼の返答に納得する。それと同時に恵は疑問符を頭に浮かべる。
「なぜ、様で呼ぶんですか?」
「お嫌いですか?」
「はい。あと、あなたの方が年上で伯父にあたるなら普通に話してください。あなたのような人に丁寧に話しかけられると困ります。別に桜井さんのように癖ならいいんですけど。」
「そう、か。わかった。口調は変えよう。だが、今回はあなたのおかげで我らは救われ、多くを助けられた。だから、私はお礼をする立場でもあるし、君のことを姪とは思えない。恵さん、と呼ばせてもらってもいいだろうか?」
「はい。あと、別にそんなお礼とか良いですよ。私は勉強になりましたし。ただ、修学旅行だったら、その方が何も得られずに京都のホテルの一室と大阪のホテルの一室で引きこもっていただけになります。」
「なんの勉強かな?」
恵の言葉に篤春は引っ掛かりを覚えて尋ねてくる。
「《《恋愛》》ですね。」
恵は笑ってしまう。それは恥ずかしさからだとわかっている。もう17歳になるんだから、この年でその言葉が恥ずかしいのは一般的におかしいかもしれないが、恵はいまだにそういう体験がないのだから仕方がないだろう。以前も、とある女教師で亡くなった恋人に対する執着を見たが、今回はそれよりもどこか深く思えるのだ。
恵の言葉が予想外だったのか、寝込んでいる病気の篤春の体には衝撃だったようでむせているが、彼女は気にしない。
「ところで、私はなんで呼ばれたんですか?」
そして、彼女はマイペースなのだ。その話の切り替えしに彼はあっけにとられ、瑛斗は苦笑する。その部屋にも他に数人恵の見知った顔がいるのだが、それらは彼女の目には映らない。なぜなら、彼らは影を薄くするために沈黙を貫いているからだ。おかしな空気になってしまった室内でいつも通りに過ごしているのは恵と瑛斗のみだ。




