佐々木優真は進んでいく
「あ。お兄ちゃん。おかえり」
「おう。ただいま」
家に帰宅し、優真は玄関で迎えてくれた明奈に軽く挨拶をすると、足早に自分の部屋へと進む。
ドアを開き、部屋の奥にあるベッドに身を投げ、優真はうつ伏せになった。
「……はっずかしいな」
初めて……向き合った。
榊原への思いに。
高校生活で1度として向き合った事などなかった、この「恋」の感情に。
そのせいか……随分と疲れているようで。
いつもならぴょんと跳ね上がり、制服を脱いで部屋着に着替えるのだが、そんな気力すら起こらず、無気力に横たわる。
優真は……榊原が好きだ。
心の底から愛している。
生半可な気持ちなんかではない。
ひたすら……ずっと、榊原と居たい。
そう思えるくらいに、優真は榊原が好きだ。
自分の書いた小説を初めて読んでくれて、笑ってくれて、驚いてくれて、感動してくれて。
仲良く話してくれて、接してくれて。
そんな彼女が発する言葉も見せる表情も。
どれもずっと見ていたくて。
全部自分のものにしてみたくて。
ボールに穴が開けば、空気の流れは止まらない。
そんなふうに、佐々木優真が榊原恵に感じている感情が、ひたすら優真の心に溢れ出す。
これまで、優真が榊原に告白しなかった……しかり恋に向き合わなかったのには、理由がある。
それは、「物語を完結させるくらいの力を持って、彼女を幸せにしたい」。という事。
これまで佐々木優真は物語を完結させたことはなく、それと同等に決めたことを最後までやりきることも出来ていなかった。
テスト勉強も、予定を立てても出来ず。
勉強で言えば夏休みの宿題もそんな感じ。
他にも趣味で「これをしよう!」と思っても、結局飽きてしまう。
そんな自分が、榊原を幸せに出来るのだろうか。
彼女の笑顔を見るためには、自己満じゃだめだから。
彼女と一緒にいるためには、彼女にも幸せになって欲しい。
だからせめて……1度くらい。
なにか目標を達成出来たら。
それだったら……自分も、榊原恵と居ていいのでないかと、認められる気がする。
そんな思いが、恋心をせき止めていた訳だが……。
それの倒壊は思ったよりもあっさりとした物。
自らではなく他人により壊された。
ただ、それでも、優真がやる事は変わらない。
物語を完結させる。
たったそれだけだ。
かつて、木浪やちよが言っていたように。
目標に向かって、走っていくしかない。
もし目標が達成できなかったとしたら?
もし……榊原にフラれてしまったら?
そんなの考える必要も無い。
やりたいと思うことをやればいい。
今の自分は、そういうことが出来る年齢だ。
大人とか言うやつになれば、自分がやりたかった事も、出来なくなるんだから。
ならせめて。
高校生の立場を使って。
やりたいと思うことを、必死に……ひたすらにやるだけだ。
と、突然ドアがノックされた。
だらーんとベッドの上で寝転んでいた優真は、一瞬ビクッと身体を震わせる。
創作物のホラーはいける口だが、現実だと怖い。そんな優真だ。
すると、そのドアの奥から、こんな声が聞こえてきた。
「お兄ちゃんー?いるー?」
その声は……妹の佐々木明奈だ。
「いるぞー」
軽くそう返すと、ドアがガチャりと開き、部屋着に着替えた明奈が部屋に入ってくる。
ピンクのパジャマに猫のスリッパ……。
自らの妹と分かっていても、ときめいてしまう組み合わせである。
「はい。お兄ちゃんプリン好きでしょ?」
ひょいと差し出したのは……プリン。
この大きさ的に、多分3つでひとつのやつ。
「おっ。明奈。分かってるな。今はあのデカいのの気分じゃないんだ」
「まぁそんな事だろうと思ってたよ」
ふふんと勝気にドヤ顔を決める明奈に、優真は微笑みながら、若干驚く。
「なんだお前……。テレパシー使えるのか?」
「うーん……。相変わらずお兄ちゃんは馬鹿だね……」
文芸部メンバーに限らず妹にまで馬鹿と言われ、「お兄ちゃん。ショックです」と言わんばかりに肩を落とす。
とはいえ。
「んでお前……俺の部屋の滞在時間長くない?プリンは俺後でちゃんと食べるんだか……」
「んいや。だーめ。ここで食べる」
「はぁ……」
ペラリと蓋を剥がすと、甘ったるい香りが優真の鼻に届く。
スプーンを使い、カラメルと一緒にプリンを食べると、優真は満足そうに頷いた。
「これこれ。この庶民の味が良いんだよなぁ」
「おっきいのも良いけど、結局ここにたどり着いちゃうよねー……」
すると明奈もうんうんと頷く。
それに3個入りだとお得感がある。
コンビニとかで売ってるスフレプリンとかデカいプッチンプリンもいいけど、結局はスーパーに売ってる3個入りプリンがジャスティス。
それが優真しかり佐々木家のプリンに対する思考である。
「なぁ明奈。どっかで見たんだがこの3個入りプリンってプリンじゃないらしいぞ」
「何言ってるの……」
突然意味不明な言葉を発した優真に、明奈はジト目になった。
「どうやらこれ、プリンじゃなくて卵ゼリーらしい」
「……なんか卵ゼリーって聞くと食べる気なくなるね」
明奈の言う通りで、本当に食べる気がなくなってしまう……。
これが本当なのかどうなのか……ぜひ自分で調べてみては。
「つーかさ、こうやって2人でプリン食べるのも久々じゃないか?」
明奈にそう聞くと、明奈はプリンを口に入れていたらしく、「ほん!ほうかも!(うん!そうかも!)」と、フガフガ言った。
ゴクリとプリンを流し込み、明奈はこう続ける。
「お兄ちゃん帰ってきて冷蔵庫覗いてプリンあったら間違いなくすぐ食べるからさー。一緒に食べれないんだよ」
「確かにな」
怒っているのか、頬をふくらませてそう言った明奈に、優真は苦笑いする。
そんな優真を見て、また笑いだした明奈に、優真もつられて笑い出す。
わははーと、随分と子供らしい笑い声が、家に響く。
と、明奈が何かを思い出したように、笑いをピタリと止めた。
「あ。笑ってる場合じゃないや。お兄ちゃん、何があったの?」
「ん?何が?」
「いやほら……。いつもと明らかに違う顔してたからさ」
「あー……」
榊原の事を妹に言うべきか少し悩んだあとに、ふと、「よく考えたら明奈は榊原のこと知らないのか」と思い出す。
そこで、
「そのな。好きな人が出来たんだよ」
そんな事を、優真は尚も笑いながら言った。
「……そう」
明奈は少し驚いたあと、こう問うた。
「それって……お兄ちゃんと同じ学年の人?」
優真は、「そうだって言ったら文芸部ってバレるよな……それ以外友達いないのは知ってるし」と少し考え……
「それは……言えねぇよ」
と、告げる。
すると明奈は、どこか釈然としなそうな顔をうかべるが、直ぐに笑顔になる。
「そっかー!お兄ちゃんにも好きな人ねー!」
「昔にもいたぞ好きな人くらい!」
「はいはい。んじゃ高校で初めてできた好きな人?」
「……まぁそうなるな」
「そっかそっか!」
すると、明奈のポケットに入っていたスマホから着信音が響く。
画面には優真は知らない人の名前が。
「あ……。ごめん。来夢からだ。また後でね!」
すぐに部屋を出た明奈を「おう」と見送る優真。
「ぐでぐでしてらんないよな、俺も」
そう言って、制服から部屋着へ着替え、勉強机に向かい合う。
もちろん勉強のためではなく、小説の為に。
その時、優真のスマホから、メールの通知音が鳴った。
時計を見ると……既に時刻は8時を超えている。
───────────────
「あ!榊原ちゃん!久しぶり〜!」
「えぇ。お久しぶり」
FA文庫に、その姿はあった。
榊原恵。
あの木浪が家に来た日から1週間。
木浪が与えた期間は終了し、もちろん榊原の気持ちの整理もついた。
「本当に、申し訳ないわ。朝比奈さんには……本当に迷惑をかけてしまった。申し訳……ございません」
「ちょっ!?やめてよ!私そういうの好きじゃないよ!顔。上げて〜?」
深々と頭を下げ、謝罪する榊原に、朝比奈はそう声をかける。
「許して……くれるのかしら」
「当たり前だよ〜!」
朝比奈には珍しく、頼りがいのある言葉である。
どん。と薄い胸を叩き、自信満々にそう言った朝比奈に、榊原は、
「……ありがとう」
笑顔でそう言った。
その後、遅れた分の会議がスタートする。
朝比奈の今後のスケジュール、榊原のスケジュールも、後にやって来た木浪が告げる。
着々と。そして淡々と。
アニメ化へ向けた会議が進んでいく。
既に数名に絞られていた声優決め、さらに榊原が昨日書き上げたドラマCDなど、やる事の基盤が揃っていたこともあり、かなりスムーズにアニメ化に行けそうである。
というか榊原の仕事は3分の2以上終わっており、残る仕事は朝比奈のイラストがほとんど。
頭を抱え、「責任重大じゃん……」と呟く朝比奈をよそに会議は進み、そして終了した。
始まった時間は午前10時。
終わった時間は午後6時。
長いと思うかもしれないが、実際ならこれを1ヶ月ほど続けるのが普通。
そのため、異例のスピードである。
「終わったわね。というわけで朝比奈さん。頑張ってちょうだい」
「う〜……。なんで私だけ取り残されてるの〜……」
「言い訳はいいから早く書いてくださいよ。まぁあなたの担当では無いので厳しくは言えませんが……」
「よそはよそ。うちはうちってやつね……」
「このままだと私、担当に見張られて死んでしまうよぉ〜!」
「よ……よそはよそ。うちはうちよ……ね?」
「……?何故こちらを見るんですか?」
何故か小刻みに震え出す榊原である。
───────────────
「んで榊原先生。もう1週間ですが?」
「わ……分かっているわ」
帰り道。
スマホの時間を見ると……8時丁度。
正直言って、この時間から告白など……。
「時間が遅いからって告白しないはダメですからね」
「お見通しなのね……」
お見通しである。
編集者と言うのは時に、親よりも作家の心の奥を覗いてくる。
恐ろしいもんやでぇ……ほんま。
キャラに合わないエセ関西弁を心の中で呟く榊原。
すると。
「えーと……。っていうか榊原先生男の人1人しか登録してないんですね〜……。佐々木優真っと」
「勝手にスマホ取らないでくれないかしら!?」
さりげなく、榊原のカバンからスマホを取る木浪。
その手つき。1級品。
アワアワと慌て出す榊原を目に入れず、木浪はトントンとキーボードを押し、メールの文字を打ち込んでいく。
「な……何を!私のよそれ!」
「あ。出来た。送信しときました」
「えぇ!?ちょ……返しなさい!」
そこにあった文字列は……
『夜遅くに申し訳ないわ。夜8時半までに仙台駅前のアニメイトに集合してちょうだい』
「い……意外と普通……」
「どうです?なりきりですよ。チャットでも良くやってましたから」
「……?」
なりチャ。ってやつだ。
簡単に言えばアニメのキャラクターになりきり、チャットするグループ。
「まぁとりあえず榊原先生。告白。してきてくださいね」
「……分かってるわ」
さっき言ったのと全く同じ言葉を繰り返した榊原に、木浪は小さいため息をついて、
「まぁ……頑張ってください」
「まかせて……まかせて……」
緊張で震える榊原である。
「それじゃ。私はイケメン編集者とお酒飲みに行ってくるので!」
「は……はぁ」
───────────────
「よ……呼び出し食らっちゃったんだけどお……?」
榊原からのメールに、優真は思わず困惑する。
異性からどころか友達からも呼び出された事がない優真は、キョドりながらも、薄々、呼び出された意味を察していた。
これ……告白では……?
「ラブコメの先輩方みたいに鈍感じゃなくて申し訳ないけど……。これは……な」
もし仮に。
もし仮に告白だとして。
佐々木優真は……それに答えられるか?
前なら……恐らくNO。
告白の意味を理解出来ず、曖昧に終わらせてしまうはず。
だが。
今の佐々木優真はどうか?
榊原との気持ちに向き合い、そしてその気持ちを爆発させた。
必死に……彼女といたいと。
ひたすらそう願っているのだ。
ならば……答えはただ1つ。
「あなたに……忠誠を誓おう……」
どこぞの内海みたいなセリフを吐く優真だが。
その顔は……冷や汗を浮かべながらも、笑顔だ。
優真は、こう思う。
榊原から、愛を受け取りたいわけじゃない。
榊原に、自分が愛を渡したい。と。
そんな傲慢で自分勝手な思いを。
それでも達成したいと思ってしまう。
それなら……やるしかないのだ。
だとすれば……、まず衛藤に。
「もしもし」
『なんだ。今何時だと思ってる』
「俺さ、告白する」
『今ジョブ〇ューン見てんだけ……は?』
スマホの奥で、素っ頓狂な声を上げる衛藤に、優真はなおも続ける。
「さっきさ、メール来たんだ。榊原さんから」
『ちょ……ちょっと待て。それは……もしかしてお呼び出し?』
「そのまさかだ」
「うぉ」と驚く衛藤。
「だから……俺が言う」
『榊原じゃなくてか?榊原の告白、じゃなくてか?』
「あぁ。俺が言うんだ。だから……一応衛藤にも言っとく」
『あっそ……』
少し間を置いて、衛藤は、
『言ってこい優真。お前のラブコメを……スタートさせてやれ』
その言葉を聞いて、優真は電話を切る。
すぐに制服に……まぁ他に着るものがなかったため制服に着替え、バッグにスマホ、財布……そして原稿用紙を突っ込む。
ドタドタと階段から下りると、その先には明奈が。
「お……お兄ちゃん?どっか行くの?」
「おう。お母さんにも、伝えといてくれ」
明奈は一瞬困惑するが、すぐに何かを感じ取る。
兄は……大きななにかに向かおうとしている。
すぐに察し、うん!と頷く。
「頼んだ!」
「頼まれた!お兄ちゃん!頑張れ!」
玄関に立った優真を、明奈はそう送り出す。
その声でさらに加速が着いたのか、すぐに玄関から飛び出ると、何故か隣の家の2階から。
「あ!優真さん!頑張ってくださいね!」
「あ……あの幼女何故俺の名を……?」
本気で不思議に思いながら、ひたすら走る。
蒸し蒸しとした暑さが、気分を悪くする。
前から歩いてくる人にぶつかりそうになるが、間一髪で避け、スピードを落とすことなく、ひたすら。
彼女の元へ。
その時。
「あれ?!優真じゃん!?」
赤信号により止まっていた後ろから、朝比奈の声が。
振り返ると、車に乗った朝比奈と、その運転席には絹江さんが乗っていた。
「朝比奈!?何故ここに!?」
「いやほら!ちょっと用事が!」
「よ……用事?まぁ頑張れ!!」
すると横の絹江さんはサムズアップ。
信号が青になると同時に、走り出す。
車にも負けぬスピード……ではないが。
ぐんぐんと速さを上げていく。
既に息は音を上げ、ハァハァと呼吸が激しくなる。
通りかかった居酒屋から、「いややちよさんの方が凄いですよ!」と聞き覚えのある名前が聞こえる。若い声で。
ただそれも目にくれず。
走る走る走る。
と。
「ゆ……優真!?」
「……先輩?なんかよく人に会うな……」
藤宮が、目の前に。
「な……なんだ!?随分と疲れているようだが……」
「いや……急いでるんで」
「そうか……」
息を切らす優真を心配する藤宮。
「んじゃあ、行きます」
「そうだな。あ。これを持っていけ」
ひょいと差し出されたのは……ココア缶。
「ココア?しかも冷たいの?」
「頑張っているみたいだからな。差し入れだ」
ありがとうございますと一言例を言って、そのココア缶をバッグに詰める。
これを飲むのは……あの人に思いを伝えてからだ。
何に背中を押されているのか……。
優真は、走った。
走れ、優真。
メロスもセリヌンティウスもびっくりの走りを、佐々木優真は続ける。
駅前ヨドバシを過ぎると、その目には仙台駅がバッチリ映り込む。
いつもならエスカレーターで登っていくが、優真は階段を上る。
バスプールを下目に見ながら、仙台駅の中央を走り抜ける。
中央を抜け、右を見ると、アニメイトが。
そして、目に飛び込んでくる。
かなり、距離は離れているはずなのに。
それでも……見えてしまう。
もう……足が動かない。
そんな風に思っても、体が動いてしまう。
歩け……届けと。
彼女へ手を伸ばして。
もうとっくに枯れきったガソリンに。
もう一度だけと、火をつける。
最後の。走り。
彼女へ、向かう。
仙台駅の時計で、時刻は8時29分。
ギリギリでも。
俺はたどり着く。
彼女の──榊原恵の元へ。




