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出雲神話  作者: いつる
序章
3/5


 水の都と喩えられるように、ここ島根県松江市は町中に川が張り巡らされている。開府から400余年、この城下町には美しい夕日を望む宍道湖の穏やかな水面が語るように、交通事故も珍しいほど平和な時が流れている。


 田舎特有の井戸端ネットワークは未だ現代のSNSに勝る伝達能力を誇っており、例えば先日イズモの祖母──ばあちゃんの家で起きた空き巣事件も翌日にはあっという間に叔母様たちの茶菓子の間で広まっていた。


 別に誰かが怪我をしたり、死んだりという訳でもない。ばあちゃんは股関節の手術を受けてから定期検診で病院に通っているが、検診で留守にしていた自宅へ何者かが侵入したのだ。


 ばあちゃんの家の周りにはお金の香りが漏れ漂う家がいくつもあるのに、「どうしてうちのぼろ家が狙われたのか分からない」とはばあちゃん談。実際、彼女の言う通りで、確かに豪邸からは程遠いのがばあちゃんの家だ。そんな家に入ってきた”犯人”は、罰当たりなことに”祭壇”を荒らして行ったようなのだ。仏教ではなく神道である建速家では、祭壇は仏壇に代わるものである。


 ばあちゃんが定期検診から帰宅すると、玄関の引き戸が半分ほど空いていたという。首筋が凍る様な思いで慌てて家に上がると、祭壇の引き出しが全て引っこ抜かれていたのだ。とはいえ、引き出しには古い手紙や数珠などが収められており、金目のものは入れていなかったと言う。しかし、その中にひとつだけばあちゃんも開けたことのない”開けずの”引き出しがあった。


 先祖代々引き継いできた祭壇だけに、この引き出しに何がどのくらい入っていたのかは誰も知らない。中身は古い髪留めと漆塗りの黒い櫛がひとつ、桐箱に入っているだけであった。他には何を盗まれたのか、はたまた盗まれていないのかもわからないのだ。


 兎にも角にも、貴重な寿命が縮まる思いで警察に連絡をしたばあちゃんであったが、その後不気味なことが判明するのである。それが、畳の上に残っていた数滴の血痕だ。


 犯人は何かの拍子に怪我をしている可能性が高い。鑑定結果はまだ出ていないが、このような罰当たりなことをする犯人だ、ろくでもない奴だろう。怪我をしたのなら天罰だ、ざまあみろ、といったところだ。


 まあ、この広い空に向かってそんなことを言ったところで事件の真相が解明されるわけでもない。イズモは田舎の、それもごく普通の家庭に起きたこの事件を独自に追っていた。警察よりも先に真相を暴き、父親の同僚であった”ガハハ”をぎゃふんと言わせるのだ。


 ガハハと建速家は長い付き合いで、親戚の叔父のような存在である。とにかく声も体も大きく、笑い方が独特なのでイズモは「ガハハ」と呼んでいる。本名は国島という。ガハハは大の大人のくせに妙に意地っぱりなところがあり、何より好戦的だ。この事件の後、ガハハは「お前が先に犯人突き止めたらSPをつけてやるよ」とわざわざ電話してきた。SPはいらないが、ガハハに物をたかるチャンスである。俄然やる気になり、授業も放り出してネットの波に飛び込んでいた矢先、”大切な電卓”を没収されてしまったのであった。


「ただいま」


 ちょうど帰宅した頃、ぽつりぽつりと雨粒が鼻先を打ち始めた。がらんと薄暗いリビングの電気をつける。暖色の明かりに照らされ、深い色をした木目の家具たちが姿を浮かび上がらせた。


 建速家は3人暮らしだ。イズモの母は美容室を経営しており、今は出張のため日曜日まで都会の方へ出向いている。年が二つ下の弟であるヤクモは、今日から部活で剣道の合宿に出向いたため日曜日までいない。こうして迎えた週末は、はじめて誰もいない家で伸び伸びとした時間が送れるのだ。スマホさえ取り上げられていなければと気後れはするが、終わったことは水に流そう。


 イズモがモケットグリーンのソファに腰を下ろしテレビをつけると、シャカシャカと誰かが階段を降りてくる音がした。


「よう、ただいま」


 降りてきたのは白い犬だ。とはいえ、随分大型の犬だ。精悍な顔つきはどちらかというと狼である。


 この犬は事件のあった翌日、イズモの家の前で座り込んでいた迷い犬だ。追い払おうとしたが、頑なに離れようとしないので仕方なく飼い主が見つかるまで預かっている。


 犬種は恐らくハスキーやホワイトシェパードあたりだろう。ただ、流れるような目尻には朱色の模様が入っている。そして、うぐいす色の着物の様な衣装を身に纏っている。この真っ白で綺麗な毛並みから察するに、きっと裕福な家の犬には違いないだろう。ちなみに、性別は雄だ。初日にその豊かな尻尾を持ち上げて確認した。彼は人間の様に怒って吠えてきたが。


 イズモが彼の頭を撫でようとすると、さっと交わしてテレビの方を向き、隣に座り込んだ。変におとなしいので可愛げはあまりないが、自分の飼い犬でもないし、情が湧いても面倒なので、イズモは特に気には留めていない。


「お前、お腹空いてないか?」


 イズモが話しかけると、彼は首を横に振った。


「なんだよ、やっぱ言葉が分かるのか?」


 この数日観察していたが、彼は犬らしからぬ、どこか人間のような仕草をすることがある。例えば尻尾を持ち上げた時もそうだったが、風呂に入れてやろうと衣装を脱がそうとした時は大騒ぎだった──結局入浴は断念した──今まで犬を飼ったことはないが、そこらへんの犬に比べると表情も豊かな気がするのだ。その証拠に、今の問いかけにはそのグリーンの瞳を丸くし、口元をきゅっと結んでそっぽを向いている。


「変なやつ」


 イズモはソファに寝転んでテレビのチャンネルを変えた。犬は物哀しげに鼻をスンスンと鳴らしながら、リビングと襖で隔てている和室の方へと消えていった。


 テレビではどのチャンネルも夕方のニュースがだらだらと流れている。イズモはぼーっと画面を眺めながら例の事件のことを考えていた。犯人の目的は一体なんだったのだろうか。金目の物を探していたのなら、なぜ祖母の家を狙ったのだろう。怪我をしてまでリスクを冒す必要はあったのだろうか。父さんが生きていれば、今頃──


 イズモはふと体を起こした。まだ帰ってきてから、父の祭壇に手を合わせていなかったことを思い出したのだ。


 建速家の祭壇は和室に置いてある。イズモが半開きの襖を開けると、少し湿った畳の香りが広がる。薄暗い和室では犬が祭壇の前の座布団に座っていた。イズモは電気を点けた。


「もう二年前だよ、父さんが死んだのは」


 イズモは隣に座って手を合わせた。犬は父の遺影をすっと見据えていた。


「うちは神道だからさ、死んだら神様になるんだ。人間の魂は神様の分霊だから、神様の元に戻るんだとさ」


 犬は哀しそうにスンスンと鼻を鳴らした。


「別にもう悲しくないよ。ただ、たまにちょっと羨ましい。家族が揃ってる家がさ」


 イズモは遺影を見つめ、独り言のように呟いた。犬はそんなイズモを気遣ってか、頬に額を擦り寄せてきた。


「なんだなんだ、お前ほんと変わったやつだな」


 そういって犬の首を両手で撫でると、彼は家に来てから初めて嬉しそうに尻尾を振った。


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