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旅の終わり

 女海賊グラーニャのガレー船はアイルランドの西海を彷徨っていた。

 伝説の島ハイブラシルはアイルランドの人間にとっても幻の島だったのである。


 ウォーレンとレオスリックは客分であったが、決して楽な旅ではなかった。

 グラーニャの船には奴隷を載せていない。つまり自由民である戦士たちが櫂を漕ぐのである。

 それを知ったウォーレンとレオスリックは進んで漕ぎ手に志願し、海賊たちと肩を並べて波と格闘した。

 身分は違えど同じ船にいる以上仲間である。仲間である以上彼らだけに働かせ惰眠を貪るなど、二人にはできなかったのだ。


 だがその労働たるや大変なものであった。

 ウォーレンとレオスリックも海の民として船には慣れ親しんでいたが、通常二人一組で漕ぐ櫂を、グラーニャの配下は一人で漕ぐのである。

 砂時計で時間を測り交代しながら、来る日も来る日も拍子を合わせ櫂と格闘する。

 幼少より剣を握り稽古を重ね、ついに妙諦の域に達した二人でさえも、一週間と経たず手の平ががまめだらけになったほどだった。


 伝説を頼りに、あるかどうかも分からぬ島を目指して航海する――常であればそれは不安や無力感を誘う精神的な負担にもなろうが、ウォーレンとレオスリックにとってそれはなかった。

 ここまで来るだけで数々の不思議を目にした二人は、ハイブラシルは実在すると確信していたのである。

 その活力は最初は半信半疑であった海賊たちにさえ伝染し、船を漕ぎだして一週間経つ頃には、みなハイブラシルが現れるのを今か今かと待ち受けるようになった。


「もしもハイブラシルを見つけたなら、最初に土を踏むのは私だ。文句はねえな?」

 グラーニャが真顔で言いうと、手下の中でも最古参の海賊たちは「もちろんだ“禿げ頭”船長」などと言って笑う。

 レオスリックは不思議に思い、なぜグラーニャが“禿げ頭”なのか訊ねた。


(おれ)たちが最初にグラーニャのもとを訪ねる時も、“禿げ頭”という言葉を聞いた。なぜグラーニャが“禿げ頭”なのだ?」

 すっかり仲良くなった古参の男が答えた。

「それはな、船長(おかしら)が若い時分、船に乗るために男のふりをして頭を丸めたからさ!」

「余計なことを言うな!」

 グラーニャはぴしゃりといってその部下を叱る。

 幼少のみぎり海に憧れた女は、いままこと堂々とした海賊となっていた。



 アイルランド西部(コノート)からアイルランド南部(マンスター)の港を転々としながらハイブラシルを探して二週間ほどが過ぎたある日のこと。

 突如として海風が凪、海上に一寸先も見えぬほどの深い霧が立ち込めた。

 甲板に上がった部下の一人が不安げに訊ねる。

「どうします? 船長(おかしら)

「進め」とグラーニャは言った。

「半分は嫌な予感がする。けどな、並の人間と同じことをしてたらいつまで経っても伝説には辿りつけねえよ。そう思わねえか、ヒューペルボリアのお二人さん?」

(おれ)はグラーニャに賛成だ」

 連れがそう言うとウォーレンも頷く。

「ここの海のことは我らより船長の方が詳しい。その申すままにだ」


 櫂が再び動き出し、ガレー船は霧の中を進む。

 その時である。

 次の瞬間起こったことはあまりに突然で、誰もが度肝を抜かれた。

 何か不思議な印が宙に輝き、凄まじい突風を起こすと、粘つくような霧を吹き飛ばしたのである。

 混乱の中、ウォーレンはその印がブリテン島のエルドンが死の間際に描いた印であることに気が付いた。


「あれを見よ、レオスリックよ! エルドンの印だ!」

「うむ、ようやく辿り着いたわ、ハイブラシルへ!」


 霧が去り宙に浮かんだ印が消えると、眼前に美しい島が現れていた。

 入り江の波は穏やかで旅人を呼んでいるかのような白砂の浜。その背後に見える木々の葉は力強く生命力に満ち、緑の化粧で島を覆っていた。

 グラーニャは迷わずガレー船を島に寄せるよう指示を出したが、いざ上陸する段になって海賊たちの一部が尻込みした。

 ハイブラシルを見た者は死ぬという伝説、またその他にもアイルランドには常春の島という伝説があり、やはり上陸した者が死に至るという話が広く伝わっているせいである。


 苛立ったグラーニャがいつものように部下を叱りつけようとしていると、なんと島の方から小舟がやって来るではないか。

 驚いた一行は一斉に甲板に上がりやってきた舟を眺めた。

 その舟には一組の男女が乗っており、男の方は逞しく女の方は稀に見る美しさを持っていった。

 小舟がガレー船に横付けされると、乗っていた男は声を張り上げてこう言った。

「ハイブラシルへようこそ、アーレリウムとゼファードの勇者、ウォーレン、そしてレオスリックよ、待っていたぞ! お前たちがエルドンと戦った次第を語った美しき(うた)は、海鳥たちによってこの地にも届いておる!」

 男の声にウォーレンが返答した。 

「幻の島にて我らを待っていた貴殿は何者か? ハイブラシルに住むという魔術師か?」


「いや。我が名はコンラ。百戦無敗の王、コンの息子。そしてこちらは我が妻シイだ」

 男がそう名乗ると、グラーニャ以下の海賊たちがざわついた。

 コン王の息子コンラとは、遥か昔のアイルランドの年代記に名を残している人物だったからである。

 ウォーレンの耳元でグラーニャがそっと囁く。

「あれが本物のコンラだとしたら、軽く千歳を超えているぞ」

 疑うまでもない。本物だ、とウォーレンは思った。


「コンラ殿、我らがハイブラシルに立ち寄ったのは難病を癒す術を求めてのこと。決して略奪が目的ではない。どうか貴殿の島に上陸することを許して欲しいのだが、如何だろうか?」

「分かっておる、分かっておる」とコンラは言った。


「しかしだ、ハイブラシルの土を踏むのはやめた方がよい。なんとなれば、この島は古き魔法に満ち、時が凍っているからだ。生きた人間も入ることはできるが、出ることは叶わぬ。この我も元はアイルランド(エリン)の人間だが、今ではすっかりここの住人になってしまった」


「だが、手ぶらでは帰れぬのだ!」

 レオスリックが悲痛な声を上げた。

 戦場において無双の戦士が懇願するように叫ぶ。

(おれ)の妻はこうしている間も苦しんでいる。ここにいる魔術師ならばそれを救えると聞いてやって来た! どうかその魔術師を呼んで欲しい!」

「嘆くな、ゼファードのウォーレンよ。そんな姿はお前のような戦士には似合わぬ。おぬしの言う魔術師とはシイの父のことだろう。彼は全てを知っている。お前の妻のことも、今日お前たちが来ることもな」


 そう言ったコンラは傍らのシイに一冊の書を持たせ、グラーニャのガレー船に乗るように指示した。

「我が妻シイはハイブラシルの生まれゆえ、私と違って自由にここを出て行ける。つまりお前たちの船にも乗れるのだ。縄梯子を出してシイを船に上げて欲しい」

「上げてどうする?」

「シイには一冊の書を持たせた。その書にはあらゆる病に対する治療法が書かれている。正しく治療すればお前の妻の病はほどなく治るであろう」

「まことか! 恩に着るぞ、百戦無敗のコン王の息子、コンラよ!」

「構わぬ。遠い昔の戦士から現代(いま)の戦士へのはなむけだ!」


 抱えた書の大きさに苦戦しながらガレー船に上がったシイは、その巨大な書をレオスリックに手渡した。

 その書はおよそ縦十五インチ、横十二インチ、手に取るとずっしりと重く、装丁は信じられないほど美しく精妙なケルト文様で覆われていた。

「中身はラテン語です。あなたの奥さんのお役に立ちますように」

 そうシイは微笑むと、ガレー船を下りて夫とともに島へと戻っていった。


「ふん!」

 摩訶不思議な出会いのあと、レオスリックは感極まって体の震えを抑えきれずにいたが、グラーニャは面白くなさそうに鼻を鳴らした。 

「上がるなだと! せっかくここまで来て、目の前に島があるのに上がるなだと! それもこの私に向かって!」

「船長、船長!」

 グラーニャの怒りが沸騰する前に、素早くウォーレンが声をかけた。

「このようなことになったのは残念だが、ゼファードとアーレリウムにはいつでも宴の用意があるし、また船長に渡す謝礼もたっぷりとある。このまま急ぎ我らの故郷に向かうというのはどうかな?」

「クソッ言われるまでもない! 野郎ども、櫂を握れ! もうこんな島見たくもないわ! ゼファードに向かって全速前進だクソッ!」


 こうして一行はハイブラシルに上陸することなく、アーレリウムとゼファードがある北風の故郷(ヒューペルボリア)へと針路を向けたのである。




 

 見慣れぬ海賊船がゼファードの港に現れた際の驚きを想像できるだろうか。

 戦士たちは船に乗り込むと剣と槍と弓矢を手に、巨大なガレー船を迎え撃とうとした。

「待て、(おれ)だ! レオスリックだ! 強き獅子が帰って来たぞ! 道を開けてくれ、我が戦士たちよ!」

 すると 一拍子おいて歓声が上がり、人々はレオスリックとウォーレンの名を叫ぶ。

 その反応でレオスリックは少し安堵した。

 人々の声にまだ希望の火が灯っていたからである。もし既にシルヴィアの命がなければこのような反応ではあるまい。

 妻はまだ生きている。

「どうやら、間におうたようだな」

「ああ。とはいえまだ油断はできぬ」


 二人はくれぐれも狼藉を働かぬようグラーニャたちに念押しして、急ぎ城へと向かった。

「今帰ったぞ! エヴァ、エヴァ! どこにおる!?」

「お帰りなさいませ、お兄さま、ウォーレンさま、エヴァンジェリンはここに」

 吼えるようなレオスリックの声が城中に轟くと、すぐにエヴァンジェリンが現れて二人を出迎えた。

 その顔は二人が旅立つ前よりもやつれ、疲労の色が濃く出ているように見える。

 しかし獅子の妹は疲れなど見せぬようあくまで気丈に振舞っていた。


「ハイブラシルへは辿り着けましたか」

「積もる話は山ほどあるが、結論から言えば、行って来たぞ、ハイブラシルへ。そしてこれがその成果だ」

 レオスリックはハイブラシルのコンラから渡された書を妹へと手渡した。

「医術の書ですね」とエヴァンジェリンは壮麗な書をペラペラとめくり、義姉の病について書かれている(ページ)を探した。

「いけそうか?」

「お待ちください、お兄さま――あっ」


 短く声を上げたエヴァンジェリンはそのまま押し黙って熱心にその(ページ)を読み込み始める。

「うん、うん、うん。」

「どうだ?」

「薬剤の作り方、処方などが書かれています。これならば、何とかなるかも知れません」

「それらについて、(おれ)は専門外だ。何一つ役立てぬ。何が書いてあるのかも(おれ)には読めぬ。お前に任せてもよいか、エヴァンジェリン?」

「はい。エヴァに任せて下さいまし」

 

 レオスリックは己の無力さに耐えるよう目を閉じて天井を仰いだ。

「我らをここまで運んでくれた者たちへの礼品を見繕ってくる。では頼んだぞエヴァンジェリン」

 そう言った後で彼は小さく言った。

「今日はサックヴェルグも泣いておるわ」


 

 そしてレオスリックは王の許可を得た後、ゼファード国の金銀財宝の一部を馬車に載せ、グラーニャの待つ海賊船に運び込んだ。

「本来であれば我が城に招待し、王直々にこれらの品を下賜するのだが」と歯切れ悪くレオスリックが言うとグラーニャは破顔した。

「はっ。そんなことは気にするなよ。私らはあんまり評判がよくねえことは知ってるし、だいたいお宝が手に入れば何でもいいんだ。七面倒くせえ面会なんかない方がいい」

「そう申してもらえば心が楽になる。しかし、お前はいつかどこぞの王と会うような予感がする」

「馬鹿を言うな、レオスリック。なぜ私が王と面会するんだ? それよりもお前とウォーレンこそ王より海賊が似合うんじゃねえか? 王宮に飽きたらいつでも歓迎するぜ」

 そう軽口を叩きながら、グラーニャと海賊たちはアイルランドへと帰って行った。


 不思議なことにウォーレンとレオスリックが海賊船に乗り込んでいた間、彼女らは一度も略奪を働かなかった。

 二人の心根に宿る光が幾分グラーニャの闇を和らげたのかもしれない。



 そして、一年の月日が流れた。



 広々とした平野にて、勇壮な二つの軍団が対峙していた。両軍はそれぞれ陣形を作り、将の指示でそれらは有機的に形を変えていく。

 それは戦の(かたち)であっても剣は抜かれず、鬨の声は上がっても怒りの声は上がらない。

 代わりに丘の上に陣取った見物人たちが行進を続ける戦士たちに声援を送っていた。

 ゼファード軍を率いるレオスリックが咆哮した。

「どうだ、ウォーレンよ! (おれ)の鍛えたゼファードの戦士たちは!」


 ウォーレンもまた叫び返した。

「なんのまだまだ! 戦士たちよ! 相手が王の息子とて遠慮する必要はないぞ! いざ突撃!」

 ウォーレン率いるアーレリウム軍は縦隊を組んでゼファード軍へと斬りこんだ。といっても本当に突撃したわけではない。

 ただ規則正しい速さで行進していくだけである。

「防げ防げ! 戦列に穴をあけるな!」


 両軍による演習は白熱した。

 将として指揮を執る夫を見つける婦人も思わず声を上げる。

「ウォーレンさま、頑張ってくださいまし!」

 そう言ったのはエヴァンジェリンである。そして婦人は一人ではなかった。


「レオスリックさま! 負けないで!」

 ゼファードの真珠、シルヴィアは上気したように頬を赤く染めながら黄色い声援を送った。

 その姿に一年前あれほど苦しんだ病の影はない。

「おうよ、シルヴィア! よおく見ておけ! お前の夫がアーレリウムのウォーレンを倒す姿を!」

「ははは! ぬかせ、レオスリックよ! 剣ならいざ知らず、用兵の術ならば私が一枚上手だ!」


 災いは去り、全てが元に戻っていた。

 こうして不思議な冒険を終え、見事にシルヴィアを救った両名の勇者は、やがて王位につくとそれぞれの国を大いに栄えさせた。

 めでたしめでたし。

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