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第三話 【素敵な御名前】

 わたしは自分の名前が嫌いだ。


 ほたるという名前のせいで、小学生の頃よく「虫女(むしおんな)」とからかわれた。それは中学生になっても続き、時には暴力も振るわれた。いい加減嫌気が差したわたしは、自衛の為に動画サイトで空手を見覚えた。独学なので「何段」などという格好いい肩書きはないが、上手い具合に身に付いたそれのお陰で、喧嘩では負けなしだった。


 高校に進学すると「格闘虫女」などというあだ名がつき、他校の男子生徒に喧嘩を売られることもしばしば。言っておくが自分からはただの一度も売ったことはない。ただ、売られたものを買わないのは失礼だろうからと、毎回買っていただけにすぎない。


 そんな名前のせいで苦労を重ねてきたわたしは、心底自分の名前が嫌いなのである。






 それなのに──



「ほたるさん、着替えなくて平気ですか?」


「ほたるさん、お味はいかがですか?」



 温泉卵を作っている間、それにお味噌汁の湯が沸く間に手早く部屋を片付け、なんと料理をしながら粗方部屋を片付けてしまったセバスチャン。


 しかし、だ。


 この人は……ほたるさん、ほたるさん、とわたしの名前を連呼しすぎてはいないだろうか。


「あの……セバスさん」

「セバスチャンです」

「いやあの、セバスチャンさんだと長いので、セバスさんで」


 ていうかセバスチャンってなんだ? 筋肉質で背も高いが、この人はどこからどう見ても日本人だ。瞳の蒼は恐らくカラーコンタクトだろう。


「御好きに呼んで下さい。それで、何でしょう?」


 うどんの盛り付けが済んだのか、お味噌汁をよそいながらセバスチャンが首だけで振り返る。


「あまりほたるさん、と連呼しないでほしいです……」

「ん、しかし御嬢様と呼ばれるのが嫌だからと言って、御名前を教えて下さったのはほたるさん、あなたですよ」


 全ての盛り付けが済んだのか、セバスチャンは木製の四角い盆に乗せられた食事をたんたんと運ぶ。

 さっきからわたしが気になっているのは、肘まで捲ったシャツの下から顔を出している彼の腕だ。盆を持っているので手首から肘にかけての筋肉が働いているようで、なんかこう、とても目の保養になって……良い。

 

「……?」


 リビングの白い楕円のセンターテーブルに並べられたのは二人分の食事だった。


「セバスさんも食べるんですか?」

「はい、空腹ですので」


 何か問題でも? と首を傾げるセバスチャン。畜生、何回見てもこの仕草は本当に可愛い。


 執事とは主と同じタイミングで食事を摂ることのとない生き物なのだろうとわたしは思っていたので、彼の発言に少し驚く。


「早く食べましょう。空腹です……」


 エプロン姿のまましょんぼりと項垂れるセバスチャン。


 ……この人は本当に執事なのだろうか。


「はい、すみません、頂きます!」

「はい、頂きます」


 ベッドにスマートフォンを起き、席につく。手を合わせて「頂きます」なんてしたのはいつぶりだっただろうか。箸を持ち黒光する浅いどんぶり状の器──こんな器うちにあったっけ? ──のうどんの真ん中に落とされた温泉卵に箸を入れる。とろりと黄身が溢れだし、それを囲っていた叩いた梅肉、おくら、茹でささ身、金糸卵、それに多めの鰹節を侵食していく。非常に美味しそうだ。

 

 混ぜつつ控えめに、つるつると啜る。うん、美味しい。うどんにはめんつゆがかかっていたようだ。


「ところで、何故自分の御名前が嫌いなのですか?」


 啜る手を止め、顔を上げるセバスチャン。食べる速度早いな……彼の器の中には、半分ほどしか麺が残っていない。


「それは……その、」


 本当のことを話そうか、迷う。ひょっとしてこの人なら「虫女」なんて言わないかもしれない。でも今までも同じような期待を寄せた元彼は皆、その期待を裏切ってきた。


 いや、皆っていうほど人数いないんだけど。


「……ほたるさん?」


 しつこいなあ。


 仕方ない、意を決してわたしは言葉を紡ぐ。


「む、虫の名前じゃないですか。子供の頃からよくからかわれました……虫女って」


「……」


 ほら、何も言わない。フォローのしようのない事実だから仕方ないのは分かっていたけれど、黙るなんてあんまりじゃないか。


「"ほたる"なんて可愛らしい名前ですのに。蛍は夏の()の闇を可憐に舞い照す、天使のような存在ですよ」

「言ってて恥ずかしくないんですか、それ」

「全く」


 言うことは言った、という顔になったセバスチャンは、かぼちゃとしめじの味噌汁を啜る。


「そういえば御味はいかがですか?」

「急に話そらしますね!」

「だってもう解決したでしょう? 素敵な御名前です、以上」


 ゆっくり召し上がって下さい、と言った彼の器の中身すっからかん。全て胃におさまってしまったようだ。食べるの早いな、本当に。


「ビール飲まれますよね? 軽く御つまみも準備していますので、用意しますね」


 この人には敵わないな、本当に。

 ため息を着きつつ、わたしはキッチンに向かう彼の背中を見送った。




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