第十六話 【不釣り合い】
わたしには一つ懸念があった──セバスチャンの外出時の服装である。寝る時以外、家にいる時には常にあの燕尾服姿。屋外に買い物に出るのに、まさかあの服で出ることはないだろうと……思いたい。あれじゃあ目立って仕方がない。
「さあ、参りましょうか」
そんなわたしの心配をよそに、セバスチャンの服装は燕尾服よりかはまともであった。ジャケットを脱ぎ、ネクタイにベスト姿。長い三つ編みは解いて一纏めにし、頭の低い位置でお団子にしていた。
(うーん……)
「ほたるさん?」
「ちょっと待ってください、着替えます」
今のわたしは胸の下に切り返しの入った、パールホワイトのチュニックに、ネイビーのショートパンツ姿だ。セバスチャンのこの服装に対しては不釣り合いである、という自己判断を下し、クローゼットの戸を横に引いた。
「どうなさったのですか?」
そんなわたしの背に、心配そうに声をかけるセバスチャン。クローゼットの中からわたしが一着のワンピースを取り出し後ろを見やると、彼はサッ、と後ろを向いた。
「これでいいです。さ、行きましょう」
淡いベージュのフェミニンなショートワンピースだ。これならば彼の隣を歩いても大丈夫だろう。
結論から言えば、大丈夫ではなかった。
わたしの愛車、アルファロメオ ジュリエッタちゃんに乗り込み(運転はわたしがしたが、セバスチャンはまさかの外車に驚いていた)、スーパーへと向かった。
日曜日のお昼前のスーパーはそれほど混んでいなかったが、買い物カートを押し建物内に入り並んで足を進めた直後。
「え……?」
すれ違う買い物客が、次々に振り向いたのだ。何事なのか、顔に何かついているのかと、わたしが振り向く人々に視線を投げると、皆一様にセバスチャンを見つめていた。
(セバスさんの顔に、何かついているのか?)
じっ、と彼の顔を見るも、それらしいものは何もついていない。
(おかしいなあ、何だろう……?)
化粧の少し濃い、50代くらいの御婦人が正面からカートを押してくる。すれ違いざまに頬を真っ赤に染めると御婦人は「まあ、なんてイケメン……」と惚けた声で言い、立ち止まった。そしてセバスチャンの隣にいるわたしの顔を見ると、あからさまに不機嫌そうな顔になり、舌を打ったのだ。
「なんであんな子が」
攻撃的な御婦人の発言に、わたしは身を縮めてしまう。その後何度か同じ目に合った。わたしを見て鼻で笑う人もいたが、悪態を吐いたのはその御婦人一人だけだった。
「ほたるさん、どうかされましたか?」
スーパーからドラッグストアへ移動する車の中で、セバスチャンが不思議そうに問うてきた。
「いえ、大丈夫……です。何でもありません」
「そうですか? 顔色が悪いですよ?」
「大丈夫です。少しお腹が空いてきただけです」
「それならば何処かで食事をとりますか?」
「いえ、大丈夫です……」
スーパー内を並んでいただけであんな仕打ちを受けたのだ。カフェやレストランに入りでもしたら、人の視線で死んでしまいそうだった。
そうこうしているうちに、車は近くのドラッグストアへと到着する。ここでは消臭スプレーを買うという、重大な任務があるのだ。
セバスチャンの目を盗んで、そっとその横から離れる。トイレ用品コーナーを徘徊し、何の香りのスプレーにしようか選び決める。
手に取った、次の瞬間だった。
「ほたるさん」
「セ……セバスさん!?」
肩を叩かれ振り返る。心配そうに少し眉を下げたセバスチャンが、そこにいた。
「駄目じゃないですか、一人で何処かに行っては」
「わたしは子供ですか!? 大丈夫ですよ、ドラッグストアで迷子になんてなりませんよ」
「迷子というのは、自覚もなくなるものなのですよ」
そう言って彼は何故か──わたしの左手を握った。
「……セバスさん、これは?」
握られた手を睨みながらわたしは訝しげに言った。思っていたよりも大きく、硬い手だった。小さなわたしの手を包み込む、長くて骨ばった指。
「迷子を防ぐためには、これが一番です」
「……この状態で買い物をしろと?」
「はい」
セバスチャンはずんずんと足を進める。レジの前まで到達すると、唐突にわたしの方を向いた。
「買い忘れはございませんか?」
「ええっと……」
腕を組み思案する。そういえば化粧水の予備がなかったような気がする。幸い今日はポイント二倍デーだ。家に予備があったとしても、買って損はないだろう。
「化粧水を買いたいです」
「聞いて良かったです。では参りましょう」
結論から言えば、良くはなかった。
化粧品コーナーには20代そこそこの可愛らしい女子が二人、並んでネイルを物色していた。この色が可愛いだの、あの色が流行りだの、周りのお客に構うこと無く大きな声を出している。近付いてきたわたしたちに気が付くと、ロングヘアーの巻き髪の女子がセバスチャンを見て驚いた声を上げた。
「うわ……超イケメン……! カナコ、見て見て! 超イケメンがいる!」
「はあ? こんな田舎にそんなイケメン………………マジで! 超イケメンじゃん!」
彼女達は、キャッキャと声を上げながらセバスチャンの姿に見入っている。が、カナコと呼ばれたストレートヘアーの女子が、わたしの存在に気がつくや否や、「はあっ?」と不満げな声を出した。
「なに、あの隣の。あれが彼女?」
「ないわー。あたしのほうがまだマシだわ、意味わかんねー」
「手ぇ繋いでるんだけど! 子供かよ!」
あからさまに、こちらに聞こえるようにわざと声を張り上げたようだった。わたしが自分の容姿に自信があって、「そんなことない!」と胸を張れるのであれば、無礼な若者達を叱責していただろう。
しかしわたしは、張る胸はそれなりにあっても、肝心の自信が全く無いのである。
「セバスさん……?」
繋ぐわたしの手に力を込め、セバスチャンはその手を彼女達に向けて突き出した。彼のまさかの行動にギョッとした二人組は、一瞬たじろいで後退する。
「なんだよ、イケメン……」
「これは、迷子防止のために繋いでるのです」
「は、はあ? 迷子?」
「なんてね、嘘です。つまらない理由をこじつけて、私がただ彼女と手を繋ぎたかっただけなのです」
「なんだそれ、惚気かよ」
「その通りです。あなた達にも、こうやって手を繋いでくれる殿方が見つかりますように」
そう言ってにっこりと微笑んだセバスチャンは、わたしの手を引き颯爽とレジへと向かったのだった。
ああ、そうそう。結局、化粧水は買い忘れたんだけどね。




