6.出会い-3
エイプリルフール要素はないです……。
森を抜けて20分くらい。何もなかった平原に、高い壁が現れた。
あれがアーケスの街か。
凄い大きい。東京の高層タワー群には及ばない高さだけれども、迫力が違う。見るものを圧倒するような何かがある。胸にずんっとくるような圧迫感のようなもの。
「あれがアーケスだ」
「すごいですね。あんなに大きな壁、初めて見ました」
「ベスティアは確か城壁を作らないんだったな。嬢ちゃんにとっては初めて見る城壁ってことか」
「……ええ、まあ」
僕のお仲間らしいベスティアの常識なんて知らない。だから、それとなく肯定しておこう。
「中に入るには審査が必要だが、まあ右手を見せるだけだ。そこまで気にすることじゃない」
アーケスへの門は大きく開かれていて、大量の人々を吐き出している。徒歩の者に馬車、中には見たこともないような動物に乗っている人もいる。
まさに異世界。
「俺達の番もすぐに来るさ」
「わかりました」
人の列に並んだ。本当にすぐに検査は済むみたいでサクサクと進んでいく。
あっという間に僕達の番だ。
僕達の相手をするのは1人の男だった。筋肉馬鹿と同じような革の鎧に短めの槍。剣の鞘が腰のあたりで揺れている。見たところ、街の出入りを管理する門番さんみたいだ。
「おお、傭兵騎士じゃないか」
「お勤めご苦労さん」
「あんたなら検査すら必要ないんだが、これも規則だ。右手を出してくれ」
「おう」
アルは右手を差し出した。
「よし、確認した。進んでいいぞ」
「ありがとう」
「後ろにいるのは連れか?」
「ああ、そうだ。ウェアシュに囚われていたところを助けた」
「なるほど……」
門番の人は憐れむように僕に視線を送った。
如何にも怪しげな僕にも同情してくれるとは。僕はなんとも言えない気持ちになった。嬉しいんだけど、それでいいのか。普通は疑うべきところなんだけど。
アルの人徳の高さなのか門番の性格なのか。微妙なところだ。
「すまない、右手を差し出してくれるかい? ソレイユ様の印を確認させてくれ」
門番の人はわざわざ屈んで僕に目線を合わせてくれた。優しげに微笑んで、まるで子供を相手にしているみたいだ。
いや、僕の身長が子供みたいだから本当に子供だと勘違いしているのかもしれない。
「これでいいですか?」
「……大丈夫だ、ありがとう」
彼は僕の右手に刻まれた印を目視するとひとつ頷いた。
「ようこそアーケスの街へ。歓迎するよ」
門番の人は別れ際に手を振ってくれた。僕もお返しに振り返す。優しい人だ。
アルは微笑ましそうに僕を眺めていた。完全に子供扱いだ。不満げに見上げるけど、彼は意に介さない。
「さあ、いくぞ嬢ちゃん。ひとまず俺の家に向かおう。そこで事情を聞いてやる」
「わかりました」
美少女とむさ苦しい筋肉ゴリラ。現代ならばいかがわしい光景で通報間違いなしだ。僕にはこの筋肉馬鹿のアルを信じる道しか残されていないのが嘆かわしい
アーケスの大きな門をくぐった。こんなに巨大な門なんて、人生で1度も見たことがなかったから何度もきょろきょろとしてしまう。
両開きの金属製の扉。日本だとまず見ない。ヨーロッパの古城巡りでもしている気分になる。したことないけど。
「そんなに珍しいのか? 嬢ちゃん」
「はい、見たことない大きさだったので」
「そうか。初めて見る街だ。ゆっくり観光しながら歩けばいいさ」
「……ありがとうございます」
アルは気を利かせて、歩を緩めてくれた。
門をくぐると、そこにはレンガ造りの家々が待ち構えていた。白い壁に赤い屋根。地面は石畳。
異世界というよりもヨーロッパだ。テレビでよくみる古き良きヨーロッパの街並みというやつ。
「おお、すごい」
ついつい声が出てしまう。
声を張り上げて客引きする者。食べ物を吟味する女の人。物々しい雰囲気を漂わせる武装した人。
どれもこれもが新鮮で、あちこち目移りしてしまう。
「田舎者丸出しだぞ、嬢ちゃん」
笑いながらそう言う筋肉馬鹿。
むかつく。
「いいじゃないですか。初めて見る物ばかりなんですから」
「はは、まあ好きなだけ見るといい。アーケスはこの辺りだと一番大きい街で人が集まるからな」
人の数が多いから僕はアルの傍を離れることができなかった。彼と離れたら本当に右も左もわからない状態になるから、気になる場所を見つけても行くことができない。
特にお菓子を売っている場所。あれは後で行かなければ。
「おっ、着いたな」
「ここが?」
「そうだ、俺の家だ」
気づいたらアルの家に着いていたみたいだ。
周りと同じくような見た目だ。白のレンガに真っ赤な屋根。1人で住むには大きい家だ。
「ようこそ我が家へ」
アルは振り返ると、仰々しく礼をしてきた。様になっているのが無性に腹立つ。今この瞬間なら騎士と言われても不思議じゃない。
「歓迎します、小さな姫君」
「お世辞を言っても何も出ませんよ」
「知っているさ」
僅か数秒で彼の演技は剥がれた。
騎士から傭兵に戻ったんだ。
「まあひとまず上がってくれ」
「お邪魔します」
アルの手招きに応じて、家に上がる。
「とりあえず適当なところに掛けてくれ」
「お言葉に甘えて」
近くにあった椅子に座った。
「ひとまず俺が知りたいのは嬢ちゃんのことだ。アーケスはベスティアが来るには遠すぎるし、嬢ちゃんは旅をしているような格好には見えない。何が目的か教えてくれ。答え次第で俺は手を貸すし、嬢ちゃんに剣を向けなきゃならない」
「僕は……」
僕は何のためにいるのか。筋肉馬鹿は真剣な表情で僕を問い詰めるけど、答えはたったひとつだ。
「人を探しているんです。僕の、とても大切な人」
「……なるほどな。それは嬢ちゃんにとってどんな存在なんだ?」
「どんな存在、ですか」
如月さんは僕にとっての憧れで、目標だ。彼女に認められたい一心で努力をしてきたのだから。現実逃避で始めたSNSでまさかの出会いをするとは思わなかったけど。
「彼女は、僕にとっての目標なんです。憧れで、超えるべき人、そんな人間です」
アルは僕の答えに満足したのか笑顔で頷いた。
「わかった。嬢ちゃんの想い、理解したぜ」
「こんなことでわかるんですか?」
「ああ、こう見えても俺は嘘を見抜くのが得意なんだ。前いたところは嘘つきばっかでな、気づいたらこうなってたさ」
彼は遠い目でそう語った。
「まあそういうことなら手を貸すさ。嬢ちゃんを見ていると、妹を思い出してな」
意外だ。この筋肉馬鹿のゴリラにも妹なんていう、可愛らしい存在がいたのか。
「顔にはっきりと出てるぞ」
「べ、別に疑ってなんていませんよ!?」
「そういうところも、妹に似ているな。まあいい。人探しなら王都にでも向かうといい。アーケスからはそこそこ遠いし危険だが、俺と一緒に向かえば問題ないさ」
「……どうしてそこまでしてくれるんですか? 僕はアルに払える対価なんてありませんよ」
完全な善意の申し出を、僕はどこか信じることができなかった。
アルが悪い奴じゃないというのはわかる。けれどそれとこれは別問題だ。僕の矜持というべきか、タダで貰い物をするのが嫌なだけだ。
「そうだな、如何にも怪しいベスティアがアーケスに現れた。俺はそいつの監視のために近くにいることにした。つまりこれはお前を見張るためだ」
「確かに、それならここまでするのも、仕方ないかもしれないですね」
「そういうことだ。この話はこれで終わりだ」
アルは手をひらひらと振った。もうこの話はするつもりがないらしい。
「常識知らずな嬢ちゃんを着の身着のまま1人で送り出すなんて、俺の目覚めが悪くなるからな」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
話は一段落ついた。
ふぅ、と息を吐き出す。
「それに、嬢ちゃんは聞きたいことがあるんだろ?」
聞きたいこと。聞きたいことは山ほどある。いま必要なのは、手にある印のこととどうやって如月さんを探し出すかについてだ。
「この、ソレイユ様の印のことと、どうやったら僕の探し人を見つけることができるか聞きたいです」
「まずはソレイユ様の祝福についてだな」
アルは僕の質問を嫌な顔せず答えてくれた。
「俺達人間、学者なんかはロームなんて呼んだりするな。それに嬢ちゃんみたいなベスティア、人間の友人のドワウ、森に引き篭ってるエルヴンの奴らはソレイユ様から祝福を受けているんだ」
それがこれだ、とアルは右手の甲を見せつけてきた。僕よりも濃くはっきりとした白い印がある。
「俺はソレイユ様の祝福で武具防具をどこからでも取り出せるし収納できる。それに剣で斬られても傷がつかない。まあ限度はあるがな」
ソレイユ様の祝福とやらは攻撃の肩代わりをしてくれるらしい。まるでゲームみたいだ。
「左手にあるのはセレネ様の加護だ」
今度は左手の甲を見せてくれた。
そこには小さな黒い丸があるだけで、僕みたいな六芒星は見当たらなかった。
「これは魔術の才能を示しているんだ。俺なんかはほとんど使うことができないが、見たところ嬢ちゃんは凄まじい才能を持ってそうだな」
アルは僕の左手を一瞥するとそう言った。
セレネ、というといい思い出はない。けれども使えるものは使っていかないと、僕みたいな弱者はあっという間に冥府に送られそうだ。恐るべし異世界。
「まあ説明はこんなもんだ。俺は学者様じゃないから詳しい説明はできない。聞きたかったら学者の下へ行くといいさ。魔術も俺の専門外だ。悪いが何も教えられん」
「いいえ、すごく助かります。それで、あの、人を探すにはどうしたらいいと思いますか?」
これが問題だ。ソレイユの加護だの祝福だのは、二の次だ。大事なのは如月さんのことについてだ。如月玲という存在がこのカノンに来ているのは間違いない。けれどもどこにいるのか。どんな見た目をしているのかはわからない。
「その探し人についての情報はあるのか?」
「それは……名前だけなら」
「それじゃあ見つけようにも見つからんぞ。嬢ちゃんのことを知っているのか?」
「はい、僕のことは確実にわかると思います」
「なるほどな……」
アルは顎に手を当てて暫く考え込んだ。
うんうん、と唸っていたけど何かを閃いたみたいだ。手をひとつ叩くとにかっと笑った。
「なら話は簡単だ。嬢ちゃんが有名になればいい?」
「な、なるほど?」
「身寄りのない嬢ちゃんが手っ取り早く名を上げるには、そうだな。俺と同じ傭兵になればいい。力を示せば自ずと名誉も付いてくるもんさ」
「それは、つまり」
「ああ、そうだ。嬢ちゃんがこのエレオス王国でも1位2位を争う強者になればいいのさ」
なんたる脳筋。力こそが全てと言わんばかりだ。
けれども、たぶんこれが正解だと思う。
今の僕は何にも持っていないし知らない異邦人なんだ。それが、手がかりもなしに如月さんを探し出すなんて砂漠に落としたダイヤモンドを見つけるようなものだろう。
だから、逆に僕が有名になって如月さんのほうから見つけれるようにすればいい。
「俺が推薦すれば嬢ちゃんでも傭兵になれるさ。嬢ちゃんが傭兵見習いを卒業するまでは面倒を見てやる。俺の朝の目覚めの良さのためにな」
アルは、右手を差し出してきた。
「嬢ちゃんがそれでいいって言うなら、俺の手を取ってくれ。無理強いはしない」
アルは僕をまっすぐ見ていた。青い瞳に映る僕は、硬い表情のまま迷っている。
この手を取るべきか取らざるべきか。
ひ弱なこの身体は傭兵なんていう物騒な職に向いているのか。
うだうだと悩む僕を見て、アルは真面目な顔をした。
「確かに傭兵は危険だ。毎年多くの若者が死んでいく。だが見返りは大きい。嬢ちゃんが強くなって名が広まれば王国中の人間が嬢ちゃんを知るだろう」
「でも……」
「大切なものなんだろ? 嬢ちゃんがそこまでするほどの大切なものがこの世にあるんだろ? なら、何を迷う!」
それは、ズルい。そんなこと言われたら、断れじゃないか。こんなの強制と同じだ。
けれども不思議と悪い気はしなかった。
「うん。そうだね、そうですね」
「……すまん。脅しみたいになったな。昔を思い出してつい声を荒げちまった。明日になったら答えをもう一度聞こう。もう少し考える時間が必要だろ」
アルは大きく溜め息を吐いて頭をガシガシと掻いた。
昔のことを思い出したと言ってたな。アルの過去に何があったのか、気にはなるけど今聞くべきではないと思った。
それを訊くにはお互いのことを知らなさすぎる。会って1日の関係の僕が踏み込むべきじゃない。
「はい……そうします」
「とりあえず、嬢ちゃんの部屋を用意しておく。妹が使っていた部屋だ。掃除もしてあるから安心していいぞ」
「ありがとうございます」
「どうも。こっちだ」
アルは手招きした。
どうやら2階にあるらしい。外から見た時は中もレンガ造りだと思っていたけど、どうやら違うみたいだ。
ギシギシと軋む音を立てる木の階段を上がった。
「ここだ。この部屋を使ってくれ」
アルは扉を開けてくれた。
「狭いが我慢してくれ」
必要最低限の家具が備え付けられた部屋だ。定期的に掃除してるみたいで埃1つない。ただ恐ろしく生活感がない。誰も住んでいない空き部屋と言われた方が納得がいくな、これは。
「しばらくはこの部屋を使ってくれ。明日になったら嬢ちゃんの答えを聞くさ。飯は食うか? 昼というには遅いが、夜というには早い微妙な時間だがな」
「大丈夫です、お腹減ったら降りますよ」
「そうしてくれ。俺は下にいるから何かあったら呼んでくれ」
「何から何まで、ありがとうございます」
「気にすんな」
アルは手をふらふらと振るとドアを閉めた。
部屋にぽつんと僕ひとり。
ふぅと息を吐いた。ようやくひとりの時間が取れた。
未だに夢のようだ。
ベッドに勢いよく飛び込む。
「このまま、寝たら元に戻るのかな」
横になったら疲れがどっと襲ってきた。森の中を逃げ回って、化物に襲われて、森を抜けて。日本にいた頃とは比べ物にならないほど動いたんだ、仕方がないよね。
考えるのも億劫になってきた。
枕に顔を埋める。
答えなんて、明日決めればいいや。今は、ゆっくり休もう。
どちらにしろ、僕がやるべき事は決まっているんだ。