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4.出会い

こんにちは美少女の僕

 犬のような獣の遠吠え。がさがさと何かが草むらを揺らす音。日本にいた頃は聞いたこともない動物の鳴き声すら響いている。

 知らない場所。知らない音。独り(たたず)む僕はまるで世界に1人取り残された人間みたいだ。まあ実際、違う世界に来ているのだから間違いじゃないのかもしれない。


「怖いな……」


 思わず(こぼ)した声は、鈴を転がすような声だった。

 声変わりした男の野太い声じゃない。声優のように聞き取りやすく耳触りのいい女の子の声。

 そうだ。僕は姿が変わったんだ。

 どこにでもいる男子高校生から、まるで御伽話(おとぎばなし)に出てくるお姫様のような存在へ。誰もが見惚れる美少女へと。

 比較対象がいないから断言はできないけど、背も小さくなった気がする。あくまで体感でしかないけど。


「小さい手だな」


 両手はぷにぷにと柔らかくて、驚くほど白い。まるで雪みたいだ。


「なんだこれ?」


 今になって気がついた。

両手の甲に不思議な印がある。(あざ)のような、刺青(いれずみ)のような模様。

 右手の模様はどこかで見たことがある気がする。工場の地図記号だったか。白い丸に棘が生えたような記号。

 左手の模様は、黒い正三角形を2つずらして重ねたような形。これは六芒星だろうか。

 かなり気になるけど、今これを確認する術はない。

 自分の顔を見ることもまだできなかったけど、如月玲の絵の通りならそれはもう言葉にできないほどの可愛さだろう。

 自分の可愛さを褒め称えたい気持ちだったけど、今はそれどころじゃない。

 おどろおどろしい森に僕は迷い込んでいるのだ。

 ひとまずはここから出て、コミュニケーションを取れる存在に会わないといけない。

 僕は学んだのだ。独りでは生きていけないと。それに1人だとこの体の良さを持て余してしまう。誰にも褒められない美少女に意味ないのだ。

 森で遭難した時には川を下っていけばいいと聞く。

 川を下っていけばいずれ海に辿り着く。そこからなら人里なりなんなりを探し出せるだろう、ということらしい。

 だけどここは異世界だ。何が危ないのか、僕はわからない。

 動かなければ変化は訪れない。けれども動くことにはかなりの危険を伴う。

 2つを天秤にかけて、僕は結局動くことにした。

 行動しないことには何も始まらない。

 為せば成る、というやつだ。

 ひとまず川を探そう。話はそれからだ。

 辺りを眺める。

 倒木。苔の生えた石。足首まである雑草。

 360度似たような光景。

 川の流れる音なんて一切しない。匂いも、森特有の草木のそれ。カブトムシを飼うために手に入れた腐葉土みたいな独特の臭みだ。


「これは、無理だ」


 悟ってしまう。

 これは無理だ。どこに行くかは勘で決めるしかない。僕の運を信じる。けどここに来た時点で運なんて底をついているぞ。


「……あっ」


 心の中で何度も文句を言っていたら、背後で枝が折れる音がした。

 ぱきり、というあまりにも軽い音。

 落ち着け、僕。

 ここは異世界。異世界のお約束のようなイベントはたいてい決まりきっていると如月さんがドヤ顔で語っていたはずだ。

 異世界最初の出来事。それは戦いだと。それも大抵は雑魚との争い。ゲームでいうチュートリアルだって言っていた気がする。


「きもちわる……」


 それは灰色の化け物だった。

 顔はヤスリで削られたみたいに平べったくて、僕を見つめる薄赤色をした目がある。

 大きく尖った耳にまるでパグみたいな潰れた鼻。

 ぎりぎりと、歯軋(はぎし)りをさせながらこっちを見ている。

 口の比率が大きい。大きく弧を描く口にびっしりと生えた歯。あれに噛まれたら一溜りもなさそうだ。

 酷悪な化け物にしか見えない。

 髪の毛は無い。上半身は無毛の灰色の肌そのまんまで、股間は一応布のようなもので覆われている。

 気持ちが悪い。生理的に受け付けないレベルで苦手な見た目をしている。

 そいつは木を荒く削った棍棒片手に静止している。

 直視。沈黙。硬直。

 お互いに相手の出方を伺う。

 僕と同じ目線。でも身体は痩身じゃない。引き締められた筋肉が、まるで(ひょう)を思わせる。

 これは、勝てそうにない。今の僕はひ弱な女の子なんだ。こんな奴らと真っ正面から戦ったとしても負ける未来しか見えない。

 残された道は1つしかない。こいつに気取られないように逃げる。それだけだ。

 日本だと、熊相手には背を見せない方がいいと聞く。背中を見せるということはそのまんま、自分が弱いと示しているみたいなものだからだ。

 ゆっくりと後ずさる。

 前を向いて、相手を刺激しないように、静かに、静かに。

 相手は動かない。

 しめた。

 このままここを去る。それから一目散にダッシュして逃げるしかない。

 僕は無言で下がり続けた。振り返ることはできない。あいつに背を向けることになるから。

 あいつは微動だにしない。

 実をいうと大人しい生物だったのかな。

 僕がそう考えた時、こつんと何かにぶつかった。

 木の硬い感触じゃない。(ほの)かに暖かい体温に、柔らかい皮の感覚。

 これは、まずいかもしれない。

 ぎりぎりと、背後から音がする。間違いない。歯軋りの音だ。それもさっき聞いたばっかのやつ。

 どっと冷や汗が溢れた。

 鳥肌が立つ。

 もう四の五の言っている場合じゃない。

 僕は駆けた。


「やばいやばいやばいやばい!」


 ぎゃっぎゃっ、と聞くに耐えない声がして僕は叫んだ。


「冗談じゃないぞ!」


 普通、飛ばすとしてももっとまともな場所にするだろ。どこの阿呆だ。せめて意思疎通取れる存在の近くに飛ばしてくれよ!

 それにこれがチュートリアルっていうならそのゲームは欠陥だ。間違いなくクーリングオフしてやる。異世界最初の戦闘がチュートリアルなんて抜かす奴はこの僕が直々に蹴り飛ばしてやる!

 現実逃避気味に走っていたけど後ろからの足音が消えない。

 あいつらが追いかけてくる。

 虚をついて走った僕だけど、そのアドバンテージなんて一瞬で埋まるものだった。

 男の時の体ならまだしも、これは鍛えてもいないだろう少女のもの。体力面で大きく劣ることになるのは当然だった。

 声の位置がかなり近い。もうすぐ後ろだ。


「ぐえっ」


 蛙が潰れるような声が漏れた。

 あいつらが飛びかかってきたみたいだ。それほど重くないはずなのに、今の僕だと簡単に組み敷かれてしまう。

 抗う力もない。

 背中にのしかかられるだけで僕は拘束されてしまう。


「はな、せ、ばけもの!」


 もがいてみるけど、まるで意味がない。

 化物の1匹が僕を抑えて、もう1匹が僕の両腕を縄のようなもので縛った。僕は簡単に持ち上げられて、足をばたつかせてせめてもの抵抗してみるけど、こいつらに通じない。


「ひっ……」


 煩わしく思ったのか、1匹が懐から錆まみれの短刀を取り出した。赤茶色になった刀身は、本来の役目を果たせそうに見えない。

 僕はそのナイフを見た瞬間に小さな悲鳴をあげてしまった。息が苦しくなる。全身から力が抜けて、震えることしかできない。 

 奴らはそれで満足したのか、武器をしまった。

 怖い。ナイフを一目見るだけで身体が拒絶してしまう。思い出してしまう。如何にして自分がセレネに苦しめられたのか、嬲られたのか。黒のナイフが両手足を貫く感触を。あの痛みを、絶望を。

 大人しくなった僕を抱えて奴らは迷うことなく森を進んでいく。

 とうとう景色が変わった。森の中に集落がある。獣の骨や皮、木材で建てられた家々が、50は超えそうな程の灰色の化物達がここに存在している。

 もしかしなくてもこいつらの住処だ。

 僕は未だに情けなく怯えている。体がいうことを聞かない。

 灰色の怪物は、休むことなく歩いていたくせに息1つ乱していない。僕という重荷を持っていたのに。

 僕を持っていた1匹は集落の真ん中まで進むと乱暴に僕を投げ捨てた。


「痛っ」


 受け身すら取れずに地面に投げ出される。

 痛む体を無視して、僕は周囲を(うかが)った。

 目の前にはここの家の中でも一際大きなものがある。他の家よりもひと回りも大きい。垂れ幕がドアの役割を果たしているみたいだ。

 たぶん、ここで一番偉い人の家だ。

 中からは人間のものとは思えない酷い臭いがする。養豚場のように獣臭い感じが。

 奴らは僕を待たせなかった。

 動かない僕の背を蹴る。

 また地面に転がる。

 言われなくてもわかる。早く行けと言っているんだ。

 抵抗はしない。また刃物でも見せられたものなら、僕は恐怖でへたり込んでしまう。

 まだ手は紐で縛られている。転ばないように、不興を買わないように歩いて行く。

 垂れ幕を通り中に入る。


「でかい……」


 中にいたのは大きな灰色の化物。

 あいつらとは見上げるほどに違う巨体。他の奴らとは違う。ハッキリと赤色とわかる瞳。

 相変わらず毛1つ生えていない頭。潰れた鼻も、尖った耳もぎっしりと並んだ歯も何1つ外の奴らと変わらない。

 ただ大きい。僕をここに連れてきた奴らがまるで子供だ。盛り上がった筋肉が、この巨人がただ肥えただけではないと主張している。

 そいつはぎょろりと僕を見下ろすと、口を歪めた。

 笑っている。

 ぞっとした。

 2m近くはあるそいつは、にやにやとしながら僕に近寄ってきた。

 全身が泡立つ。

 生理的嫌悪感が、迫る恐怖が僕の膝を震わせる。

 動かない。動けない。


「やだ」


 嫌だ。こんなところでくたばるなんて嫌だ。僕は如月玲を追いかけてここまで来たんだ。それを、再開する前に死んでしまったら意味がない。

 両手は後ろで縛られている。足は震えて言うことを聞かない。前には笑う巨人。建物の外にはここまで連れてきた奴らが。


「いやだ」


 僕は、こんなところで死ぬわけにはいかない。まだやることがあるんだ。こんな奴らにくれてやるものなんて何1つない。


「僕に、近づくな!」


 怯えを払うように、僕は叫んだ。

 左手が熱い。


「あ、(あつ)!」


 幻覚でもなんでもなく本当に熱い。ライターで炙られているような痛みと熱。本当に燃えそうだ。

 何が起こっているんだ。

 理解する前に次の現象が起こる。

 炎だ。炎の玉が僕の周りを飛び交っている。拳ほどの大きさのそれは、僕を守るようにぐるぐると動き回っている。

 目の前にいた巨人も手をこまねいているみたいだ。僕だってこんな不気味なことが起こったら様子を見る。

 今がチャンスだ。相手が怯んでいる隙に次の行動を起こせ。

 けれども何をすればいいかわからない。

 誰がこの火球を出したのか。どうやって出したのか。何1つわからない。

 お互いに相手の動きを待つ。

 にやにやしていた顔は真剣なものに。あいつからはもう油断というものを感じられない。

 僕を縛っていた紐は何故か(ほど)けていた。

 ここがチャンスだ。こいつに一矢報いる最後の機会。そしてここから脱出する好機でもある。

 武器はない。けれども宙に浮く火の玉がある。たぶんこれは僕が出したものだ。左手の異変とともに現れたのだからきっとそうだ。そうでなくては困る。

 だからこれに望みをかける。

 頼むぞ、ソレイユ様。こんなところに送り込んだんだから、これくらいなんとかしてくれ。


「燃えろ! 化物!」


 僕は左手を灰色の化物に向けた。


「やった!」


 周りにあった火球が全てあいつに向かって突っ込んでいく。

 やったぞ。高温の炎だ。タダで済むはずがない。


「今のうちに」


 背を向けて逃げよう。

 僕は振り返ろうとしたけど、後ろから思わず耳を覆うほどの轟音が響いた。

 これは、雄叫びだ。腹を揺さぶるほどの音量のそれは、僕を(すく)ませるには充分だった。


「なっ、なんでまだ生きてるんだよ!?」


 僕に突き刺さる視線。憤怒。殺気。

 怖い。

 思わず尻餅をついてしまった。

 這う這うの体で逃げるけど、あいつは僕を見逃すほど優しくはなかった。

 燃えるような瞳が僕を睨んでいるようだった。

 あいつの太い腕が僕に伸びる。

 来るな。こっちに来るな。


「こっちに来るな!」


 僕の悲鳴に答えるように大地が揺れた。

 次から次へとなんなんだ。

 右の壁が凄い音を立てて崩れる。壁がまるでサッカーボールみたいに吹き飛んだ。どんな馬鹿力で壊しているんだ。


「おお! こいつはデカいな!」


 鉄の塊が建物の中に入り込んだ。

 いや、違う。巨大な盾とランスで中の人が見えないだけだった。

 1人の男の人間だ。焦げ茶の髪を揺らしながら部屋を見回している。

 彼は僕に気づいたみたいだ。僕の頭と両手を一瞥すると声をかけてきた。


「んん? 嬢ちゃん、これはお前の獲物か?」

「ち、違います!」


 僕は勢いよく首を振った。

 彼は頷くと怪物に向き合う。


「わかった! ならこれは俺の仕事だな。嬢ちゃん、そこで座って待ってな」


 彼はそれだけ言うと、武器を構えた。

 世界史の教科書で見るような槍。あれは、ヨーロッパの騎士達が使うような馬上槍(ランス)に見える。

 左手には大きな盾。ゲームでしか見たことがないような、足から首近くまでカバーできるほどの金属盾。

 この二つを軽そうに取り回しているのだから、どんな筋肉をしているんだこの人間は。

 身につけているのは革の鎧みたいだ。さすがに全身が金属の鎧で覆われていたらドン引きを隠せない。それはもう人間じゃなくてゴリラの類だ。


「すぐに終わる。話はその後だ」


 灰色の怪物は男をかなり警戒しているみたいだ。確かに、見るからに重い装備を軽々しく扱うような人間がいたら僕だって目を離さない。

 男は突進した。

 それはもう見事なものだった。僕の目は一瞬で距離を詰めた男の姿と、それに押されて壁を破って外に飛び出る灰色の怪物しか映らなかった。


「すごい筋肉馬鹿だ……」


 あれほど恐ろしかった怪物はもういない。呆気なさすぎる。それほどまでに男が強かったのかもしれないけど。

 ひとまず僕は男を追いかけに、壁に開いた巨大な穴を通った。

 願わくば、話の通じる人でありますように。そう祈る。

実際に森で遭難した時は無理に川沿いを歩かない方がいいらしいですね。最終的には運だよりらしいですけど。

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