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第1話「心を鬼にする」

 ——俺の人生。いいことなんて無かった。


 少年は足元で喘ぎ声を上げている男を見下ろし、再び腹部に蹴りを入れた。悲鳴にも似た声にならない音が漏れる。時折、唸り声と荒い呼吸が耳を突くが、少年は執拗に暴力を振った。


 人間というのは結構頑丈な生き物だ。鼻から血を垂らし、頬を痛々しく腫れ上がらせる中年の男。意識を失っていないのが不思議に思えるほどの男に、少年は忌々し気に舌打ちをする。


 午夜にはまだ早い、深い夜の公園。少年は中年の男性を捕まえ金をせびっていた。

 所謂、親父狩りだ。金を出せ、と言われ素直に出したところで、少年は対象を容赦無く蹴るし殴る。砂を浴びせ、機嫌が悪ければ吸っている煙草まで押し付ける始末。その残忍極まりない所業を被害者は皆「鬼!」と言って罵った。

 そうすることで一層、暴力が酷くなるのだが、被害者にとってそれは問題では無かった。年端もいかぬ少年一人に痛めつけられたのが惨めでならなかったのだ。


 通常、親父狩りは複数人で行われる。酷いケースならバットや鉄パイプを持ち込まれるのだが、少年は単独どころか素手だった。いや、いつもは素手だった、とでも言うべきか。

 少年の右手には錆色に染められた鉄パイプが一本。けれど、それが振り下ろされることはない。その代わり少年は額から血を流し荒く肩を揺らしていた。


「おい、何すんだよジジイ? 痛ぇなぁ? ああ!? ざけんなよ!?」


 少年の怪我は男が付けたものだった。繁華街で男を見つけた少年は声を掛ける。男だって馬鹿ではない。すぐに親父狩りだということには気付いた。けれど男は従ったのだ。少年の「ちょっといい?」の一言に。公園まで誘われてやった。


 油断していたのだ。少年は一人。体型は普通。染め直していない根元の黒が目立つ髪の毛は、風に靡く金糸だった。三白眼を覆う長い睫毛。黙っていればモテるだろう顔立ちだ。

 一方の男は堅の良い中年男性。細い腕を捻り上げることなど容易に思えた。事実、腕に自信があったのだ。柔道の経験があるとか、そういったことでは無い。多少の殴り合いになら耐えられるだろうという漠然とした考えだった。

 だから思ったのだ。ちょっと世直しをしてやろう、と。単独の少年など怖くも無かった。


 そうして近くの公園に場所を移した二人。まずは強請られるのだろう。そんな思いで少年を見やれば、すぐさま強烈な拳骨が頬に食い込んだ。

 男の予想は意図も容易く裏切られた。少年の目的は金じゃないのか。いや、金の筈だ。肯定と否定を繰り返し気付くと、どこから見つけてきたのか。己の手にあった鉄パイプで少年を殴りつけていた。

 これは予想していなかった、とばかりに頭を押さえ、たたらを踏む少年。しかし踏ん張った少年の目が男を見据えた時。怒りの色に染まった。

 そこからは独壇場だ。怒気の籠った叫声。激しく振う拳。風を切る蹴り。煙草を吸っていなかったのが幸いだったと言えよう。


「ひぃぃ……ご、ごめ……うっ!?」


「謝る時はちゃんとしろよ!? ああ!?」


 語気を荒げ目を吊り上げると少年は暴行を再開した。

 静かな公園に少年の声と男の痛みを堪える唸り声が響く。肌が肌を打つ乾いた音も響き、観客が居たなら思わず眉を顰めるだろう凄惨な状況は続いた。


「金」


「……ぇ……?」


「金出せって言ってんだよ。聞こえんだろ? 汚ねぇジジイなんか触りたくねぇんだよ」


 朱色に染まった唾を吐き捨て少年は額の血を拭う。


「慰謝料だよクズ。早くしろ」


「そこまでにしたらどうです?」


「ああ?」


 背中を突いた声に呼応するように少年は振り返る。目に留まったのは洒落た濃茶のコートを着こんだ若い男。外灯の下で男は優し気に笑んでいた。

 淡い印象を与える鳶色の丸みを帯びた瞳。夜空に溶けてしまいそうな青み掛かった黒髪。清潔に整えられた髪が風に靡く。背格好を見れば二十代後半だというのに、ふわりと舞い上がった前髪の隙間から覗く顔は童顔そのもの。十五、六と言っても罷り通るくらいだった。


 またか、と柳眉を寄せる。少年は今迄もこういう類の人間に何度か遭遇していた。現場に乗り込んで清さを纏った罵声を浴びせる偽善者に。けれど、そういった連中は脅せば立ち去るか、警察を盾に迫ってくる者が殆どだった。皆、一様に恐怖を浮かべて。


 けれど若人は違った。恐怖の色など一切見せず、ゆっくり距離を詰めてくる。何者だ、と警戒した時には、既に足元に転がる中年男性に声を掛けていた。


「大丈夫ですか?」


「あ……ひゃい……」


「一人で帰れますか?」


 腫れぼったい唇で言葉を紡ぐのは難しいのか、男は頷くと若人に促されるまま、そそくさとその場を去っていった。

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