第一話 見誤った選択
鑑の事件があって、一か月が経過した。
学校の夏休みが済んで、心なしか朝晩がヒンヤリしてきた時分だった。
高等部の一年一組の教室に登校してきた我輩は、自席でカバンを下していた。
「露世、おはよう!」
隣の席で眠そうに机に突っ伏していた露世は、ようやく体を起こした。アッシュ系のショートヘアに寝癖が付いていたので、思わず笑みがこぼれた。
「はよー、月野原。あふ……」
「昨日ね、変な人が来たのだ」
「変な人?」
それは、昨日の夕刻の頃だ。我輩の自宅に来客があった。インターホンが鳴ったので出ていくと、見慣れない青年が突っ立っていた。我輩より五つぐらい年上だ。
「こんにちは、写影子」
「え? どちら様ですか?」
誰だろう? このひと?
名前でなれなれしく呼ばれたことで、我輩の警戒心はマックスになった。
「俺は、写影彦」
「写影彦?」
写影彦。聞いたことのない名前だった。
父方の親戚の名前には『写』が付いてるらしいが、聞いたことのない名前だった。
「だ、だから! 俺は写影子のお兄さんだよ!」
「えええええええええ!?」
我輩は、驚倒しそうになった。お兄さんということは、血がつながっているのだろう。そして、両親かもしくは父に所縁があるのだろう。
まさか、我輩に兄がいただなんて……!
瞠目したまま固まっていると、兄はカバンの中をごそごそと探り始めた。
「写影子に渡したいものがあって……」
「は、はぁ……」
渡したいもの……?
「これなんだけど」
「……?」
手渡されたのは、何かの鍵だった。
ま、まさか……!
「これね、大魔王の秘宝の鍵だから」
「えええええええええ!?」
「ちなみに本物だから」
「ほ、ホントに? ですか……?」
「うん。一応、写影子に渡しておこうと思って」
「そ、それは、ご丁寧にどうもなのだ……」
いきなり現れた兄。手渡された大魔王の秘宝の鍵。
兄の帰っていった後もしばらく街路を唖然と眺めていた。
「というわけなのだ」
「ふーん、月野原のお兄さんかァ……」
露世は、何か言いたそうに我輩の一挙一動をうかがっている。
「隠し子なんてびっくりするのだ」
「……そうだな」
「でも、兄が来てくれたので、うれしかったのだ」
「……それで、大魔王の秘宝の鍵は本物だっていうのは?」
「これらしいけど……」
露世の前にそれを提示した。すると、いきなり我輩の目の前で露世はパンッと手を合わせた。
びっくりした我輩は、思わず鍵を落としそうになった。
「月野原! お願いがある!」
「え、ええ? な、なんなのだ?」
なんとなく、クラスメイトの目が気になって。周囲を見回したが、みんなは全然気にも留めてない。我輩は安堵して、露世に視線を戻す。
「大魔王の秘宝の鍵、俺にくれないか?」
「えっ?」
露世は手を合わせて懇願のポーズのままだ。
我輩の額から冷汗が流れた。
そんなに、大魔王の秘宝の鍵がほしいのか。
そういえば、鑑の事件の時も欲しそうにしていたような……。
「どうしても必要なんだ!」
そんなに必要なのか、この鍵が!
我輩は、動揺してしまい返答に困った。
我輩もこの鍵が手に入ったことで、一獲千金を夢見ていた。
けれど、露世は何らかの事情で、この鍵がほしいのだろう。
うーん。我輩にはこの鍵は露世ほど必要ないか……。
「う、うん。良いよ。露世にあげるよ」
露世はバッと顔を上げた。
「サンキュ!」
「……!」
大魔王の秘宝の鍵を受け取った露世は、すごくうれしそうに微笑んだ。
露世が、喜んでくれたので我輩もうれしかった。
けれど、なんなのだろう。この、選択が間違ってしまったような感覚は――。
この時、我輩は自分の嫌な予感が正解を告げていたことを見誤っていた。
我輩は、この選択を一生後悔することになる。




