回想
まさか自分が異世界にトリップするなんて、そんな御伽話みたいなこと信じるはずないのに、今のこの状況にそう納得するしかなかった。
目の前に立つ長身の男たちの険しい表情を見上げながらふと思う。
何をどう間違ってこんなことになってしまったのかと。
思考は昨晩の出来事へと遡った。
その日、私はいつものように仕事から帰ると、テレビを見ながらくつろいでいた。
地元を出て、東京で就職して早2年。最初の一年は初めての一人暮らしに、慣れない仕事に毎日が忙しく一杯いっぱいだった。仕事にも、一人暮らしにも慣れ、後輩ができ、ようやく落ち着いた生活が送れるようになってきた。
今日は金曜。私の職場は土日と休みになる。
「明日にでも帰ってみようかな」
私はカレンダーを眺めながらそうつぶやいた。帰るというのはもちろん実家のことで、私はこうして落ち着いて生活ができるようになったころから、月に一度程度ペースで実家に帰っている。ホームシックだとか全くそういうわけではないのだけど、私には一つ心配の種があるのだ。それが気になって、他所に比べて家に帰るペースが多くなってしまうのだ。
心配の種とはもちろん両親のことではなく、私のたった一人の妹のことだ。
妹が出来たのは私が6歳、小学校1年生の時だった。その時はまだよく妹という存在が理解できていなかったけど、私にもう一人家族ができるということがたまらなく嬉しかったという記憶はある。
初めて見た妹は、毛布にくるまれたちっちゃなちっちゃな赤ん坊で、幼いながらに“これは天使だ!“と思ったほどだった。同じ両親から生まれたのに、私とは似ても似つかないその容姿に私はたちまちメロメロになった。
幼いころの妹は体が弱く、何かと入院することが多かった。両親も病弱な妹につききりになることが多く、私は妹に嫉妬することもあったが、それよりも私が妹を守らなければという感情の方が大きくなっていった。妹は私によくなついてくれて、何かといえばお姉ちゃん、お姉ちゃんと、私の後をついて回った。
小学校に入った後は、体調を崩すこともほとんどなくなり、活発な少女へと成長していった。また、その天使のような容姿もそのまま成長し、周囲の人たちを惹きつけていた。
よく、本当に姉妹?なんて聞かれることがある。それほどに私たちは似ていない。私はザ・日本人といった平凡な顔。そこに華やかさもなければ人を惹きつける魅力的なパーツはない。対して妹は、ハーフと思しきクリッとした目元と長い睫、厚みのある唇、陶器のような滑らかで色白なきれいな肌。薄い色素は髪や瞳にも表れており、その明るい栗色の髪はフワフワしていて思わず触れたくなるほどだ。
そんな妹を心配するというと、変な男に狙われたりだとか、ストーカーがとかそう考えるものだけど、そんな話ではない。
どういうわけだか、昔から妹の周りでは不可解な出来事がよく起こった。
両親が共働きということもあり、幼いころから妹の面倒を見ることが当たり前となっていた。二人で留守番していたある日、妹が家の中を走り回っていて転んでしまった。案の定妹は大泣きし、私はなんとか宥めようと四苦八苦していた。しかし妹は泣き止まず、鳴き声は大きくなるばかり、困り果てているとふと自分の周りで何かが動いている気配がした。振り返ればそこには宙に浮くゴミ箱やら新聞紙、テーブルの上に置かれていたはずのもの、床に置いてあったものがふよふよと宙に浮いていたのだ。
その時私はどの場をどうしたのか分からない。気がつけば妹は落ち着きを取り戻し、涙は止まっていて、周りに浮いていたはずの物もあたりに転がっているだけだった。私は何もなかったと言い聞かせるように、その散らかった物をもとの位置に一つ一つ片づけていった。
それが不可解な現象の始まりだった。それからというもの、妹が感情的になった場面で、同じような現象が幾度も起こった。
子どもは純粋でもあり単純でもある。私は妹の周りで起きるこの不思議な現象は人に見られてはいけないと、幼いながらに判断した。それからというもの、外出する際は妹から目を離さないようにし、危うく周囲の物が動き出しそうになれば、妹を連れてその場を逃げ出す、といったように対処していた。
さすがに年が離れているため、学校でずっと一緒というわけにはいかない。その時ばかりは妹が学校で泣いたりわめいたりしないことを願っていた。
そんな生活をつづけ、どうにか高校まで何事もなく卒業することができた。そんな妹が芸能プロダクションにスカウトされ、今年の春からモデルとして働き始めている。さすがに泣いたりすることは滅多にない年だけど、その奔放な性格ゆえに何かしでかさないかと心配になってしまうのだ。
過保護と言えば過保護なのかもしれない。
「何かお土産でも買っていくかな」
そう考えながら、お風呂に入る支度をしていると、突然家のチャイムが鳴った。時刻は夜9時半。宅配便が来るには遅い時間だし、この時間に何の連絡もなく友人が訪ねてくることもない。なんとなくわかっていたものの、私はドアののぞき穴を確認する。
やっぱり。
そこには妹・歩がいた。
ドアを開け私の姿を確認した妹は満面の笑みで抱きつき、その可愛らしい甘えた声で訴えた。
「おねえちゃん、泊めてっ!」
と、いうわけで突然押しかけてきた妹に一晩泊めてと頼まれ、一緒にテレビを見ている。
「さっきまでモデル仲間とご飯食べてきててさ。あ、今日こっちで仕事があって、お姉ちゃんち近いし、家まで今から帰るのめんどくさいじゃん?」
「まあ、ここからだとちょっと遠いからね」
「でしょ?やー、よかった!おねえちゃんがいてくれて。ほんとありがと!」
嬉しそうに笑って見せる可愛い歩。自分が男の子だったら間違いなく好きになる。いや、私は別にシスコンじゃない。けど、世間一般の意見で言えば私の思ったことは間違っていない。それくらい私の妹は可愛い。ただ…、
「それにしてもさ、おねえちゃん。せっかくの金曜の夜なのに、合コンとかいかないの?」
「あんた、またそれ…」
最近顔を合わせると出る話題。
「だってもうすぐ25になるのに、いまだに彼氏いないとか心配になっちゃうじゃん」
「う…」
確かに年齢=彼氏いない歴だけども、気にはしてるけど別にあせっているつもりもない。なんて構えていたら、あっというまに20も過ぎてしまったわけだけど。
「おねえちゃん性格いいし、家事もできるし家庭的なんだからさ、モテると思うんだけどなー。ただちょっと地味だけどねー」
持ち上げといて突き落とす、可愛い妹よ。思ったことはなんでもズバズバ言ってくれる。
「おねえちゃんて頼まれたら断れないし、お人よし過ぎるし、人より前に出てどんどん攻めてくって感じでもないからねー。まあ、確かに合コンに行っても周りにいいように使われちゃいそう」
「…っ」
す、鋭い。
大学生時代、同じ講義に出ていた女子から合コンの誘いがあった。その当時、合コンに行ったことのなかった私は、正直怖気づいていた。だけど、『ご飯食べるだけだよ、私らもそのつもりで行くから、適当な格好で全然いいし。男の方がどうしても開いてってうるさいだけだからさ。ただ飯食べれると思って、ね』なんて言われて、ただ飯の言葉に惹かれて、しぶしぶ出席することになった。そして、待ち合わせに現れた女性陣のバリバリの戦闘服を見て、私は完全に出し抜かれたことに気付いた。私は本当に普段着で来たというのに、ほかの女子は皆華やかに着飾っていた。まさに私だけ異質だ。
テーブルで向かい合わせに座った時の男性陣の、『え、なにこいつ』感の突き刺さる視線が痛くてしょうがなかった。その日は、食べることにひたすら専念した。そんな出来事もあってそれ以来合コンには行ったことがない。
そして、告白することもされることもなく大学生活が終了し、今に至る。
「おねえちゃんは絶対いい女なんだから!もっと自分を磨いて、男を引き寄せるのよ!」
「あ、ありがと…」
「恋したことないわけじゃないんでしょ?」
「まあ、それなりには」
「だったら好きなタイプだってあるわけだ!よーし、こうなったらおねえちゃんの片思い歴を洗いざらい聞き出して、私がそれに近い男友達を紹介する!」
「いや、別にいい…」
「もー!そんなこと言ってるからいつまでたっても彼氏出来ないんだってば!今日はとことん話聞くからね。あ、なんかお菓子とかジュースほしいな。おねえちゃん私ちょっと苅ってくる」
一人でどんどん話を進める歩。そうして徐に立ち上がり部屋を出ていこうとした。時刻はすでに11時を回ろうとしている。
「ちょっと、こんな時間に何か食べたら太るでしょ」
「私は食べても太らないから大丈夫」
うらやましい限りで。
「でももう遅いから今外に出るのは危ないって」
「大丈夫だよー、だってコンビニすぐそこじゃん」
あんただから心配なのよ。この可愛い妹は、あまり危機感というものがない。私なんかが外を歩いても誰も気にも留めないが、歩が外を歩いていれば自然と人目を惹いてしまうのだ。こんな時間だ、酔っ払いや変な男に絡まれたら一大事だ。
妹の出かける気は変わらないらしく、靴を履いて玄関を出ようとしていた。私はため息をついて仕方なく一緒にコンビニに行くことにした。
そして、それはその道中に突然起こった。
私のアパートから最寄りのコンビニまで歩いて3分ほどの距離だ。目と鼻の先にあり、外に出ればすぐ見える場所にある。たったそれだけの距離だったのに、突然電柱の柱の陰から現れた男は、一目散に歩に抱き付いてきた。私は一瞬驚いてその場に固まったが、一拍おいて発せられた歩の悲鳴に我に返った。歩のあまりの大きな悲鳴に、驚いた男は慌てて体を離し走って逃げた。
私はその男を追うか一瞬迷い、その場にへたり込んで泣き出した歩に慌てて近寄り抱きしめた。その背中をさすりながら落ち着かせようとするも、歩はなかなか泣き止まない。歩の悲鳴と鳴き声に、コンビニや近所に家々から人が顔を出してきている。
まずい。
早く警察に被害届を出しに行かなきゃとか、歩が落ち着くように一度家に連れ帰らなきゃとか、こんな時間に大声出して近所の人に心配かけちゃったとかいろいろ頭の中で考えが渦巻きながら、周囲の空気の変化を感じ、思考がそちらに集中する。
まずい。
「歩、落ち着いて、ね、もう大丈夫だから」
「うぇえええ、ひぃっ、ひうっ…!」
一向に泣き止む気配はない。男に襲われればそれは誰だって怖い。仕方のないことだとは分かっているが、今はどうしても落ち着いてほしかった。
「歩、ね、大丈夫、大丈夫」
歩の背を撫でながら、私は周囲に目を配らせる。コンビニから出てきて近づいてくる人がちらほら、民家から何事かと顔をのぞかせる人もいる。
まずいまずいまずい。
歩の周りで無風だったはずの空間に風が生まれ始めた。
周囲の木々がカサカサと音を立て始めた。
まずいまずいまずいまずい。
「歩、お願い、落ち着いて」
「うううう、うわあああ、っこわ、怖かった…!」
「うん、うん」
「うえええええん、ひぅっ、ひっ、うあああああん!」
落ち着くどころか激しくなっていく歩の泣き声。
そしてついに周りの木々が大きく揺れだす。
もうだめだ。
そう思ったとき、今までにないことが起こった。
目の前に、真っ黒な空間が生まれたのだ。
「え?」
私が驚いてそれを見つめる。
歩はそれに気づかず泣き続けた。
周りで吹いていた風は、その黒い空間に吸い込まれはじめ、ついにその空間は私たちをも飲み込もうとしてきた。
「う、嘘でしょ!?何なのこれ!」
「お、おねえちゃん!」
なんとか踏ん張るも地面から足が離れ、私と歩はその黒い空間に飲み込まれてしまった。
虫の泣き声と緑の香りに目を覚ませば、見知らぬ深い森の中で倒れていた。すぐそばに歩も同じように倒れている。
私は慌てて歩に駆け寄り、その体を揺り起した。それに気がついた歩が目を覚ましほっとしたのも束の間、自分たちの周りにいくつもの足音が聞こえた。
「何ここ!?どこ?なんで突然こんなところにいるの!?」
歩がパニックになり慌てふためく、落ち着かせようにも私も訳の分からない状況に混乱するばかりだった。
足音は徐々に近づいてきて、ついに私たちの周りで止まった。そして現れた人影達に一期に血の気が引いていく。その人影は甲胄を身に着け、槍や剣を手にしていたのだ。
悪い夢だ。
「おねえちゃん…、やだ、怖い」
隣では同じく顔を真っ青にした歩が固まっている。
私たちが何もできずに固まっていると、その人物たちから声がかけられた。
「――――――、―――」
だけど、全くなんて言っているのか分からない。どこか異国の言葉のようで、私はただ怯えるばかりだった。
「え?」
そんな時、固まっていたはずの歩が何かに気づいたように目を見開いた。私はどうしたのかと歩を見返す。だけど歩はやっぱり驚いた表情のまま、甲胄の人たちを見上げているだけだった。
その時、突然後頭部に強い痛みが走った。
殴られた。そう気づいたのは意識が途切れる直前だった。
そうして気をやり気がついたときには、冷たい地下牢に居たのだった。
回想終了。
本筋へ戻ります