存在痛(藤原)
私は「痛み」を操ることのできる人間だった。超能力者とも言えるだろうし、もしかしたら神のような存在なのかもしれないが、それはわからない。生まれたときから備わっていたもので、誰にも打ち明けたことがなく、ただただ自分が特殊だということだけは意識していた。
朝の通学路で、制服のスカートを翻しながら歩いていると、先に小学生の集団が見えた。何やら様子がおかしい。追いついて見てみると、体の小さな子が他の子たちの荷物を押し付けられていた。
「あなたたち、何しているの」
私は厳しい口調で声をかけた。しかしいじめっ子たちは怖気づくこともなく、むしろ私の周りを囲んでからかいだした。数で勝っていることもあるし、私が年の割に小柄だというのもあったのだろう、完全に舐められていた。
でも私は普通じゃない。
いじめっ子たちの痛覚を大きくしてやった。一人に近づいて軽く肩を叩く。途端にその子は「ぎゃっ」と悲鳴を上げて飛びのいた。その様子がおかしかったのか、笑い声をあげた別の子の頬を軽くはたく。その子はあまりの痛みにしばし呆然とした後、泣きだしてしまった。
いじめっ子たちが一目散に逃げ出すまでに時間はかからなかった。私は満足し、ランドセルを両手いっぱいに抱えている、私が救い出した子を見やった。
「こんなんじゃダメだよ……」
耳に届いた言葉は私の予想とはおおよそ違うものだった。なるほど、と私は合点した。すぐに駆け出す。
少し先の方で、逃げ切ったと安心していたいじめっ子たちを小突いて回った。私を見る目は恐怖に塗り固められていて、今度こそと私は思った。
しかしどっさどっさと大量のランドセルを揺らしながら現れたいじめられっ子は
「これじゃ、僕はもう……」
とだけ呟いて、彼は最後まで私を見ることもせずに校門へ消えていった。
高校生ともなれば、女子高とは言え体育のスポーツでケガというものはそれなりの頻度で起こってしまう。私は、指を捻挫してしまった同級生の付き添いをしていた。
保健室は落ち着くような、それでいてどこか体の底がむかむかとする消毒液の匂いがして、まるで自分が汚い不純物のような気分になる。
氷で冷やした指を包帯で固定しようとしているのだが、中々うまく行かない。痛みがひどく、少しつまむだけでも激痛で手を振りほどいてしまうのだ。いつもは凛としている同級生が目に涙を溜めているのを、私は初めて見た。
これでは埒が明かないと私は一時的に痛みがなくなるよう、同級生をいじった。生まれつきの能力の扱いには慣れたものでそれ自体は完璧だったのだが、タイミングが悪かった。
意を決して思い切り指を掴み、包帯を巻こうとした彼女はそこに本来感じるはずの痛みがないことで勢いがつきすぎてしまった。指は可動な範囲を超えて、ぽくっという無機質な音が白い部屋に響き、吸い込まれていった。
帰り道で、私はひどい光景を目の当たりにしてしまった。道路に面した家の、庭にある犬小屋の前、一匹の飼い犬が殴られ蹴られぼこぼこにされていた。いつも道を行く通行人にけたたましく吠えていたから、その恨みを買ってしまったのだろうか。犬を殴打していた男は私の姿を見るや否や走り去っていった。
私は犬に駆け寄った。体中傷だらけで、口から垂らしたよだれには赤いものが混じっていた。片方の目が腫れ上がっていて、足をしきりにばたつかせているが立つことはできていない。いつも甲高い声を上げているのどからはひゅーひゅーという情けない呼吸が漏れるばかりだった。
私はせめて、と思って犬から痛みを取り除いてやった。陸に打ち上げられた魚のようにもがいていた犬はぴたりと動きを止めて、人間の私にもわかるくらい安らかな顔で、そのまま死んでいった。
私は思った。痛みを操ることができても人間は操れないのだと。冷たい朝の空気の中、一人寂しく登校する小学生をじっと見ながら。
私はこうも思った。痛みを失くしてもケガはなくならないのだと。高校最後の試合をふいにしたテニス部のエースは、利き手と逆の手で鉛筆を持ちながらぼんやりと窓の外を眺めていた。
そして私は思った。痛みを操ったところで誰も救えないじゃないか。静かな帰り道を歩く私はただひたすらに無力だった。
透明な気持ちを抱えたまま、胸にちくりと痛みが走った。
2014/06/20
批評会提出用
藤原
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