一節 森、少女に犬モドキ
意識が戻り、黒い靄が掛かったような視界から明るい光が目の前に広がって、体を動かす感覚が戻る。
「……う」
ジャリっとした音をしながら立ち上がる。
服や肌の所々に砂が付いていたが、特に怪我などはないようだ。
砂を振り落としながら回りを見渡す。
「ここ……どこだよ」
3から7メートルはある木々が囲むようにならんでいて、草花は自分の腹くらいまで、空は木のせいでほとんど見えないが木漏れ日ができるくらいには隙間はある。
自分がいる所だけ砂の地面で、他は草や花が地面を覆って底が見えない。
知らない場所だ。確か、さっきまでは町の展望台に居たはず。こんな草木が鬱蒼とした場所になんか居た憶えはない。
「……たく。何がどうなって」
「──キャーっ!?」
「!?」
記憶を手繰っていると、堰を切ったような金切り声の悲鳴が耳に突然に響いて驚く。
身体が勝手に動いて悲鳴がした方向に素早く駆けつける。
草木を掻き分け木を避け、たどり着くとそこには──女の子が犬に襲われていた。
「……は、はう……」
『グルルルルゥ』
犬側の威圧感に怖じ気づく女の子は腰が低く、逃げの体勢に入っている。
あれでは逃げた瞬間に噛みつかれて終わるぞ。
「……あ、あっちに……いい行ってくださいぃっ」
怯えて噛み噛みになってる。
これは助けないといけない。
そんな気持ちになりながら何かいい武器はないかと辺りを見る。
「ん?」
良く見ると、女の子はゴツい何かを抱えている。
逆十字のような大きな……て、どう見ても剣じゃないか。
「借りるぞ」
「は、はぃ……ぃ??」
僕が急に現れて剣を奪い取るものだから、すごく動揺しているが……今は気にしてる場合ではない。
彩色のない石みたいな鞘のままに柄を手に取り、剣先を犬(これまた良く見たら、犬ではなくハイエナに近い獣だった)に向ける。
「……あ、あの」
「黙って」
「はいっ!」
語気を強くしたわけでもないのに、一喝しただけで怖がるように縮こまる。
……やりづらいな。
だが今は目の前の牙を尖らせる犬っころの相手だ。
ここがどこかわからずにいたが、女の子が襲われているのを黙って見ているなんてことはできない。例えそれがどんな相手だろうが困ってる人は助ける。それが祖父からの教えだ。
それに、ちょうど剣(勝手に借りた物だが)もあるし、ここなら日があって申し分ない。──あれを試そう。
『グルルルルゥ……ヴァウッ』
こちらの様子を窺いながら唸り、勢い良く歯を剥き出しにして襲いかかってきた犬モドキを剣で受け止める。
──ガキンッ
鞘と牙がぶつかり鈍い音がした。
「ひぃぃっ」
女の子がそれに対して小さな悲鳴を上げる。
『グルルゥグルルゥ……グルルルル』
「……──ふんっ」
左右に少しずつ揺らしても離れない犬モドキを叩きつけるように一回転回して振り落とす。
犬モドキは地面を跳ね、転がりながらもどうにか体勢を整えて、息を乱しながらこちらを威嚇する。
「……識咲剣術」
ここが試し時だな。
剣を水平に持って足は肩幅に開く。目線は目標に定めながら固定して離さない。
『グァルルルゥ、ヴァウヴァウッ』
犬モドキが吠え僕に向かって駆けて来る。
良く見定め、肩の力を抜く。
距離は短くなってゆき、わずか十数センチのところで攻撃を避け──そこだ。
「二ノ質・影流し」
相手の動きに合わせて、相手の体を乗せるようにして剣先を下側に忍ばせてそのまま水平に投げる。
「きゃっ?!」
『グァルルッ──ギャイン』
いきなりで小さな悲鳴あげる女の子の横を通り過ぎて木にぶつかる犬モドキ。
呻いて僕の方を睨みつけ、剣先を向けて戦う気あるぞと見せつけて睨み返す。
『……グルルルル…』
背を向け惜しげに去ってゆく。
「……ふぅ。大丈夫だった?」
「…………」
一息吐いて安全の確認を取るが、女の子は呆然としてボケーッと突っ立って反応がない。
「あ、これ。返すね」
「……」
無言で受け取り、まだ呆けている。
なんだか不安になる構図だな。
ここがどこだかわからないし、なんで女の子一人剣なんか持ってこんな所に居るのか問い正したいけど、この状態では無理そうだ。
それに、さっきの犬モドキ、見たこともない種類だった。それも訊きたい所だ。
けど、聞かれる態勢が整っていない様子だからここは残念だが、他を当たるしかないみたいだ。
「じゃ、僕行くね」
背中を向けても微動だにしない彼女を残して立ち去ろうした所で──
「……ま、待ってください!」
呼び止められて足を止めた。
「?」
「あ、あの……」
言いたいことがまとまってないみたいで、しどろもどろに目を伏せたりこっちを見たりとあからさまに何か言いたそうにしている。
ならばこっちから出るべし。
「僕は毀頭英司。君は?」
「──へ?」
僕の問いがいきなりだったのだろう。間抜けな声を出した女の子は目を丸くする。
「僕は名前を名乗った。君も名乗るべきだと思うけどな」
「え、あ、はいっ。わたしはハスキュール・ローレ=ライ・トレーンスと言います!」
髪は白銀で眼の色はコバルトブルーという欧米系ジミた容姿だからまさかとは思ったけど、名前長いな……。ミドルネームまであるぞ。
オマケに背がちっこい。僕より頭一個分低く、胸辺りが頭の天辺がくる感じだ。
というか、服装がまず見たこともない衣装だ。
民族衣装みたいな、そんな風な恰好。
「そうか。ハスキュールが下の名か?」
「?どういう意味ですか?」
「……」
語学力が散漫なのかな?英語でもないし、日本語は流暢だ。だけど下の名の意味を訊くなんて……。
「下の名は下の名だよ。僕は英司が名だ。君はハスキュールが名じゃないのか?」
「あ、はい。ハスキュールも、名前です」
「……も?」
「わたしの名前はハスキュール・ローレ=ライ・トレーンス。それ以上でも以下でもありません」
「……そ、そか」
なんてやりにくいのだろうか。
日本語知りたての外国人ですらこれくらいはできそうなものなのに。
まぁ、人はそれぞれだ。こんなことザラにある。
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「キスイからは、キューって呼ばれてます」
知らない人の名前を言われてもピンとこないが、ここは話を合わせておこう。
「そうか。じゃあ、キュー。ここはどこだ?」
「ここは神領区8番地帯、〝黄昏の森〟です」
「……はい?」
なんだ……ここは日本だよな?
間違えて異次元の扉でも開いてしまったか?
いやいや、彼女の言う所がもしかしたらあるかも知れ──ねーよ。
「どこ、そこ」
「ここですよ?」
──何当たり前のことを言っているのですか?
そんな風に首を傾げられては、僕の常識的な一般知識の範疇を越える。
「間違いってことは?」
「ないです。入る前に確かめました。エルスラント王国の外れにある神領区12番地帯の内、4つを越えてここまで来ました。間違えることなどありません」
「……えっと、ここは地球……だよね?」
「何を言ってるんですか?」
良かった。もしここが地球ではないどこかと言われた日にはどうすればいいことか──
「地球なんて星は遠い昔の人の絵空事に過ぎませんよ。ここは東ヘルシナにある神領区12番地帯が一つ、8番地帯〝黄昏の森〟です」
なんだか良くわからない単語ばかり並べ立てられ、それにくわえて地球なんて星は遠い昔の人の絵空事?なんだそれ。
これは罰か?祖父に対して色々と想い馳せ過ぎてしまったか?悪い意味で。
エロ本をバカにした罰ってか?
ねーよ!ありえねーよ!
なんなのこのシチュエーション!
もうわけわからんよ……。
「大丈夫ですか?」
「……あ、あぁ……大丈夫」
「そうですか……あ!そうでした」
頭の上にハテナからビックリマークに変わって、女の子、キューは剣を両手で僕の方に突き出してきた。
「これ、あなたに貸します!」
「……ん?」
「さっきの剣技、お見事でしたっ。だから……使える人に使って欲しいのです。わたし、剣は一切使えませんから……」
残念そうに苦笑しているキューを見ていると、なんだか少し悲しくなるが。
女の子の悲しい顔など見たくない。
「わかった。それで、僕はどうすればいい」
「……え?」
「君はくれるではなく、貸すって言ったから。何か代わりを要求するのかと思ってね」
「……わぁ、わぁ……エイジさんは話が早いですね!」
「そうでもないよ」
「いえ、謙遜はなさらず!先程の剣技もさることながら、わたしのすることもいち早く理解しておられるのですね!」
なんだか過大評価されてるのだけど……まぁ、好きにさせておこう。ここは流れに身を任せて、早く買える帰る方法を見つけ出さないとな。
「とりあえず、僕はここから出たい。だから君をこの剣で支援しながら出口を目指す。そんな所でいいかな?」
「……はい、わたしもそう言おうと思ってました!さすが、剣技に流通するお方なだけありますねっ。尊敬します!」
自分より年下だと思われる女の子に慕われ、その女の子を僕はお守りをしながらこの森を出ようとしているけど、女の子、キューが居なければ僕は道がわからないから出口を見付けるのもままならない。
……なんて皮肉な話なのだろうか。
「じゃ、早速行こうか」
「はい、エイジ様!」
さんから様へと階級が上がり、良くわからない旅みたいな物語が始まった。
すぐに帰る方法を見つけて帰りたいけどね。こんな行き当たりばったりな旅、早々に終わってほしい。
「では、行きましょう」
「うん」
不思議な女の子キューを先頭に、僕達は歩き出した。