歪な決意
清々しい笑顔と放たれた台詞の差がありすぎて固まる私に気付いていないのか、それとも無視しているのか、ヴィーノは嬉々として言葉を続けた。
〈これぐらいの実力があるなら野外活動用の道具や無属性のアクセサリーは勿論、高価な道具や多少の金品は確実に持ってるだろうからな。追い剥ぎ相手にゃぴったしだ〉
「…………えっと、どこから突っ込めばいいの」
〈突っ込む必要がどこにあんだよ。お前がいた世界にもそんなことするゲームのジャンルあっただろ。ほらあれだあれ。えっと、何つったかな。SF……じゃねぇ。ファンタジー……も違う。んーっと、あれだよ、あれ……、あー、あー……、RPG! そう、RPGだ。うし、すっきりした〉
脳内に響く満足そうなため息に合わせ、私も息を吐く。確かにこの世界は現実味が薄いが、だからといってゲームの世界のように扱うのはいかがなものかと思う。
〈幸せ逃げるぜ?〉
「もう既に逃げてるから問題ないわ」
〈おやおや〉
くつくつと笑う彼を無視し、私は眼前に倒れ伏す黒ずくめさんを見下ろした。霧のせいで気絶している彼はぴくりとも動かない。私はしばしその姿を眺め、拳に力を込めた。
「ねぇ」
〈あん?〉
「彼が私を捕まえようとした理由、予測できる?」
〈こいつの上司から【索敵】におかしな反応があったら連れてこいとか言われてたんじゃねぇ?〉
即座に返ってきた言葉に、私は眉間に皴を寄せた。私の反応を気にすることなく、ヴィーノの説明は続く。
〈攻撃しときながらわざわざ人間かどうか確認したこと。上司の下へ連れていくと言ったこと。捕縛に拘ったこと。これらからどこぞの研究者に頼まれて魔物の生態を観察、あるいは確保していたところ、たまたま俺の気配を察知し、捕まえようとしたとみた〉
ヴィーノの説明は割と信憑性が高そうなものだったが、同時に根拠のないものだった。誰かの命令により動いていたことは確実だろうが、標的を魔物に絞っていたことと、研究していたことははっきりとしない。
〈そうだな。だが【索敵】は奪っといた方がいいぜ。あれは魔力に反応するよう作られてるからな〉
「あの霧にも反応するの?」
〈おう。耒に関する記憶は消したが、こいつがここにいた理由までは手を付けてないからな。断片的な情報からまた同じことをしないとも限らない。殺さないなら少しでも危ない芽を摘まなきゃな〉
ヴィーノの言葉は理にかなっていたが、だからこそ受け入れられなかった。この世界の人なら、もしかしたら当たり前のように行うことなのかもしれないが、現代に生きる私にとっては忌避すべき行動だ。
私の感覚とこちらの感覚、どちらが正しいなんて言えるものではない。場所が変われば習慣や常識も変わる。郷に入っては郷に従えという言葉もあるように、たとえ自身の常識に反していようと、その場に合った振る舞いをしなければならないはずだが、それでも体に染み付いたものは中々消えてくれないのが現実だ。
〈往生際が悪い奴だなぁ、おい。やるかやらないか、どちらかしかないだろうに〉
口調は軽いが、明らかに脅しの混じった口調に、握ったままの拳に力が入る。今後自身に降りかかる危険と、他者を食い物にする罪悪感。天秤が傾いたのは前者だった。
「……何をすれば、いいの」
〈こいつの右袖を捲ってみな〉
私はきつく握りしめていた手を解き、恐る恐る黒ずくめさんの服に触れた。緩慢とした手つきで言われたとおりに右袖を捲る。服の下から出てきたのは肌ではなく、白くて幅広い腕輪だった。手の甲側に二重円と狼とも獅子ともつかない不思議な獣の紋様が描かれた腕輪は、自然と契約の陣を思い起こさせた。
〈そいつが【索敵】だ。その紋様からして対魔物用だな。登録してある魔物の位置と強さが瞬時に分かる便利な代物なのに、安価で大量に出回ってる優良商品だ〉
「誰でも使えるの?」
〈あー、多分な。これは操現術の中でも魔術寄りだから何とかなるんじゃないか?〉
私はまじまじと白い腕輪を眺めた。円と紋様しか描かれていないのに、便利な力を持ってるなんて俄に信じがたい。
〈そう思うなら試してみろよ。それ腕に巻いて、発動の意思と共に術名を唱えりゃすぐだ〉
私はのろのろと手を動かし、腕輪の留め具を外した。壊れ物を扱うかのように持ち上げ、自身の左腕に巻く。瞬間、紋様の獣に睨まれているような錯覚を抱いた。
「……《【索敵】》」
左腕を僅かに伸ばし、囁くように腕輪の名を紡いだ。だが契約の時みたいに陣が光ることはなく、沈黙が流れるのみ。失敗したことを惜しみつつ、半ば安堵しながら瞼を閉じると、眼前に鮮明な地図と赤い光点が浮かんだ。慌てて目を開けるが、映像は脳裏にこびりついたまま。まるで頭に直接刻み込まれたような状況に、私は思わず後退っていた。
〈無事使えたみてぇだな〉
「これ、が……?」
〈おう。何もしなくても頭に直接流れ込んでくるから便利だろ〉
「気持ち悪い」
〈非道ぇ言い様だな。まぁ、慣れないうちは仕方ねぇか。使っていきゃ気持ち悪さも消えるから、それまで我慢しな〉
私は顔をしかめながら腕輪を見つめた。脳内に広がる地図は未だ魔物の位置を指し示している。絶えず動く光点に目眩がしそうだ。使い続けても慣れる気がしない。そもそも使いたくない。
〈そりゃあ、耒が操現術そのものに順応してねぇからだ。他のも試していけば、すぐ平気になる。ほら、次は【捜検】を付けてみな。こいつの右腕にある、髑髏のやつだ〉
私は黒ずくめさんの右袖を更に捲り、半分程服の下に隠れていた腕輪に触れた。ヴィーノの言う通り、右を向いた頭蓋骨が描かれた腕輪は少し不気味だ。【索敵】の時と同じように留め具を外し、左腕に嵌める。
〈【捜検】は人間が対象な分、条件を指定しないと動かないから、術名の前に何を知りたいか言えよ。そうだな、今回は盗賊とか、追い剥ぎとか、お前に害を為しそうな存在辺りでいいんじゃねぇか?〉
「決まり文句とかは?」
〈んなもんねぇよ。具体的な条件をそれらしく言えばいい〉
決まってないのが一番困るのにと思いつつ、腕輪を眺めた。こんな時に使うべき言葉とは何だろうか。ヴィーノは私に害を与える可能性のある存在と言っていた。それを儀礼的に述べればいいのだろうか。私は一度目を閉じ、深呼吸をしてから再び腕輪を見つめた。
「…………《私に仇為す者を知らせよ。【捜検】》」
試しに契約の時を思い出し、それらしく言ってはみたものの、何だか自分に酔っている人の言葉みたいになってしまった。沈黙が痛い。これで成功しなかったらただの恥ずかしい人じゃないか。そう考えた瞬間、僅かだが頬に熱が集まった気がした。直ぐ様目を閉じて頭を振る。刹那、またも地図が瞼裏に現れた。
〈成功、だな。この様子だと近場にゃいないみたいだ。よかったよかった〉
白々しい声を聞きつつ、地図に意識を集中させる。【索敵】の時とは違い、光点は端の方にしか見当たらない。それも疎らで、移動する気がないのか微動だにしなかった。
〈気持ち悪いか?〉
「……少しだけ」
〈なら後二、三回使うだけでいいな。やー、順応早いって助かるわ〉
ヴィーノは事もなさげにそう言った。森を歩いていた時もそんなことを口にしていたが、そこまで差があるものなのだろうか。よく分からない。
〈無属性が使えると分かったところで、次行こうぜ。そいつの腰元にあるポーチ開けて、中身を半分程頂いちまおう〉
なんということはないとばかりに言われたが、どうしても躊躇いを拭うことはできない。腕輪を奪っておいて今更何をとも思うが、感情は言うことを聞いてくれそうになかった。
〈金品に食糧、寝袋、火種、腕輪の替えや無属性の道具、ついでに刃物数本ってところか。あー、刃物は周りに散らばってるやつでいいかもな。四本ありゃ十分だし。さっさと適当な袋に移しちまおうぜ〉
ヴィーノは変わらぬ口調で語りかけてくる。それは諭しているようにも急かしているようにも聞こえたが、同時に特に何かを思って言っているわけではないことも理解していた。
私はその場に膝をつき、黒ずくめさんのウエストにくくりつけられている十五センチ四方のポーチに手を伸ばした。蓋のボタンを外そうと指をかけた時、自身の手が震えていることに気付いた。自然と自嘲の笑みが溢れる。ここまできて被害者染みた心境でいるなど許されないのに。
〈まったくだ。それにもうお前は奪ってるじゃねぇか、こいつの記憶と腕輪二つ。現代で言う窃盗罪はとうに成立してるぜ〉
彼の言葉が突き刺さる。そうだ、その通りだ。形のないものも、形あるものも、私は既に彼から奪っている。そんなつもりはなかったとか、試すだけだったとか、なんて言葉が脳裏を駆け巡るが、ならすぐに返せるかと問われれば無理だと言うしかない。腕輪はともかく記憶は完全に消し去ってしまっているのだから。もう、私はただの強盗と変わりないのだ。そも腕輪を外した時点で腹をくくったのではなかったか。そう自分に言い聞かせるが、手の震えは未だに止まる素振りを見せずにいた。
〈まぁ、こうなるのは当然だろうけどよ。そんな気持ちのまま盗みなんてやったら相手に失礼だぜ。何故盗るのか、盗ったものを何に使うのか、どうしてこいつじゃなきゃいけないのか考えて、その上で奪い取れ。そうすりゃ罪悪感だって減るだろ〉
続くヴィーノの言葉は妙にすんなりと私の中へ入ってきた。正しいとは到底言えない持論なのに説得力に溢れていて、従ってしまいそうになる。私は何かを言おうと口を開き、息すら出すことなく閉じた。今の私では彼に言い返すことはおろか、彼の持論を否定することすらできない。そもそもここまで自分を肯定することすらできそうにない。一貫した姿勢が羨ましいとすら思ってしまう。
〈同じことを思えとまでは言わねぇが、これぐらい考えられないとそのうち潰れちまうぜ。どうせなら開き直っちまえ。そうでねぇとそこらの外道以下になっちまうぜ?〉
私の心を読んでか、ヴィーノはそんなことを言ってきた。突き放しているはずなのに慰められているように思えて、気付けば体の力が抜けていた。どうしてだろうか。納得も同意も、ましてや肯定もしていないはずなのに。それどころか、そんなこと考えなくてもいいかなんて思ってしまっているのに。
「……何でだろう、同意したらいけない気がする」
〈失礼だな、おい。善意からの言動にけちつける気か〉
「悪魔なのに善意と言っている時点で、既に怪しいのだけれど」
〈そうかもしれねぇが、ここは素直に受け取っておけっつの〉
混乱を誤魔化すように軽口を叩けば、彼はそれに乗ってくれた。嬉しいのか悲しいのか、はたまたおかしいのか分からず、頭がごちゃごちゃになっていることは筒抜けのはずだが、何も言わずにいるのは見ないふりをしてくれるつもりなのだろうか。それとも言う必要がないからだろうか。
私は瞼を下ろし、暗闇を見つめた。術はとうに解けている。思えばヴィーノの姿を確認してからこれまで、こうして暗がりを見ていなかった。自身を落ち着けるために呼吸を繰り返し、瞼を上げる。手の震えはいつの間にか止まっていた。それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。
奪うのは生きるため、奪ったものはそのために使う。黒ずくめさんから奪うのは、そうしないと私が死んでしまう確率が跳ね上がるから。ヴィーノが言っていたように考えてみたが、それでも罪悪感は消えなかった。生きる意思は薄いし、確率だってはっきりしない。この行為が正しいのか、流されて間違ったことをしようとしているのかすら定かではない。けれど何故か、この理由だけは忘れてはいけないと、忘れたら私ではなくなってしまうと思ってしまった。
「…………謝ることすらおこがましいけれど、それでも言いたい。……ごめんなさい。身勝手な話ですが、私は、私のために、貴方から色々なものを奪います」
意味の無い宣言をし、私はそっとポーチの蓋を開けた。ヴィーノは何も言ってこない。渦を巻いているような漆黒が静かにこちらを眺めているような気分を抱きつつ、ポーチの中に手を入れる。しかし何かに触れた感覚はない。もしかして何も入っていないのかと覗き込んでみると、真っ暗な空間がぽっかりとあるのが見えた。空っぽと判断するには違和感を覚える状態に動きを止めてしまう。
〈どうした……って、あぁ、そういや知らないんだっけか。そいつは無属性の道具で【底無し袋】ってんだ。生き物以外なら何でも無尽蔵に入るうえに、中に入れたものは朽ちないから、【索敵】とこいつは旅の必需品と言われてる〉
「どうやって中の物を取り出すの?」
〈出したい物を思い浮かべながら手を突っ込めばいい〉
あまりに都合のよすぎる話だが、嘘か本当かは試してみれば分かる。半信半疑ながらも、まずは空の袋をと思って手を入れた。やはり何もない所で手を動かしている感覚を抱いたが、少ししてざらりとした何かに触れた。こうもあっさりといくものかと驚きつつそれを手繰り寄せ、引っ張り出す。それは巾着程度の大きさをしていて、布と言うのもおこがましいような生地で作られた袋だった。
〈それも【底無し袋】だな。大方変装用か何かだろ。見た目はぼろいが機能は変わらないから問題ない。ほら、次だ次〉
私は急かされながらポーチに手を入れた。次は食糧。なるべく栄養価が高くて、そこそこ日持ちのするものがいい。この袋に入れたものは朽ちないと言っていたが、それでも心配なものは心配なのだ。
そう考えながら手を動かしていると、膨らんだ何かに触れた。掴もうと思ったが予想以上に大きく、端を探すことも難しい。せめて纏めている紐でもと思った瞬間、手元に編みこまれた細い何かが当たるのが分かった。すぐさまそれを掴み、引き上げると、紐で十字に縛られた四角い塊がごっそり出てきた。
〈お、ハイブレーヌだな。耒の世界でいう乾パンか。それ一枚食べるだけで一日分の栄養素が取れる携帯食だ。まぁ、それだけ食べてりゃいいってわけでもないけどな。その量だと切り分けりゃ一月は持つぜ〉
麻袋といい、乾パンもどきといい、この世界のものはどれもこれも便利すぎる気がする。ここの生活に慣れてしまったら、戻った時に苦労しそうだ。そう思いながらハイブレーヌを麻袋に入れる。大きさからして入るはずもないのだが、どこかに突っかかることも、袋が破けたり変形したりすることもなく、すんなりと収まってくれた。
〈次は道具だな。その次に金品か。同時に出せりゃいいけど、優先順位が高い方から出てくるから難しいしなー〉
ぼやくような声を聞きながら三度ポーチに手を入れる。左手には腕輪の替えや野宿に役立つ道具を、右手にはどこで使っても問題のない金品をと思いつつ探っていると、ほぼ同じタイミングで両手に紐が触れた。すぐ手を引き出すと、最初に取り出したものと同じだが、見ただけで何かが詰まっていると分かるほど膨れた袋が二つ現れた。
〈へぇ、そうするのか。確かにそれなら二つ以上同時に取り出すのは可能だが、並列思考できないと無理だったはずなんだがな。この世界の常識がないからか、どちらも同じぐらい欲していたからか、はたまた俺がいるからか…………。んー……、どれも大して変わらねぇな〉
何かあったかと彼の言葉に集中していたが、あっけらかんとした結論にに思わずこけかけてしまった。言うだけ言っておきながら放り投げるなんて無責任な気もするが、今までの言動からして何か言っても無駄だろう。私はもやもやする気持ちを追いやりながら、中身を確認するべく袋を開いた。
左手の袋には私が嵌めた腕輪と同じものに加え、それに似たような紋章が付けられたネックレスや指輪などが、右手の袋には小さな宝石やら金属やらが入っていた。右手の袋はともかく、左の袋のアクセサリーは役に立つのかさっぱりだ。試しに指輪を一つ手に取って観察する。ルビーのような宝石の中に何かが刻み込まれているのは分かったが、それが何を意味するかまでは分からない。
〈そいつは炎の指輪だな。ゴブリンの【炎球】ほどじゃねぇが、火を点すことのできる道具だぜ。他のは分からんが、それだけあれば十分だろ。あ、だからといって残りを戻すんじゃねぇぞ。今は役に立たなくても売れば金になるんだからしまっとけ〉
私はそれぞれの袋の口を元通りに閉め、【底無し袋】の中に入れる。これで残りは刃物だけだ。私は周りに落ちているナイフを二本拾い、傍らにあった蔦で纏めて袋の中に入れた。時間が経って薄くなったが、未だ存在感を示す霧に絡め取られたままの二本も同じように袋に入れる。こちらは蔦で纏めることはしない。こうすれば出す時に区別できる。黒ずくめさん目掛けて投げたものも回収しようかと思ったが、思ったより高い場所に刺さっていたので抜くのを諦めた。
〈これで大体は揃ったことだし、そろそろ行こうぜ。ここに長居してても仕方ない〉
「彼はどうするの?」
〈そのままにしとけ。あと数時間もすりゃ目を覚ますだろ〉
その言葉に私はゆっくりと立ち上がり、黒ずくめさんに背を向けて歩き出そうとしたが、どうしても気になり、振り返ってしまう。変わらず大の字で寝転がる黒ずくめさんは無防備で、このままにしておくのは忍びない。
〈そこまで気になるなら幹にでももたれかけとけっての。ったく……、面倒な奴だな、お前も〉
苛立っていると分かる口調に、私は慌てて黒ずくめさんに近寄り、彼の脇に手を入れて持ち上げた。気絶した成人男性とあってとても重かったが、何とか近くの木の根元まで引きずっていくことに成功する。頭をぶつけないようにそっともたれかけさせ、恐る恐る手を抜いた。黒ずくめさんが目覚める気配はない。
私は彼をしばし見つめてから、勢いよく一礼する。ほんの数秒頭を下げただけなのに沈黙が突き刺さる感覚を抱いた。そっと頭を上げ、その場を離れる。黒ずくめさんの顔を見ることは最後までできなかったと思いながら、逃げるように、追われるように走った。