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初陣

 しばらく木々の合間を縫うように走っていると、左斜め前から冷気を感じた。そちらへ向かおうとした途端、眼前に氷の塊が現れる。私は右足に紫の霧を纏わせながら真上に跳び、空中で一回転しつつ軌道を整えて、落下地点にある塊に右足を叩き落とした。硬いものを砕いた感覚がしたと思ったら、足下の氷が真っ二つに割れた。断面から崩れていく塊を見つつ、地面に下りる。殴った時よりも威力が増しているのは、上から叩き付けたからだろうか。

〈それと耒の感情だな。その霧は精神が昂ると威力が増すようになってるんだ〉

 ヴィーノがのんびりと呟く。彼の声を聞きたくないのに、耳を塞ぐことも無視することもできないなんて不便だ。

〈けどよ、俺がいなかったら今頃死んでるだろ?〉

 何気なく放たれた言葉に唇を噛んだ。その通りだから反論できない。どうしていつもと思ったが止めた。切りがない上に不毛過ぎる。

〈まぁ、そうカリカリすんなよ、相棒〉

 誰のせいだと怒鳴ってやりたかったが、口を開く前に氷が急接近してきた。数は二。恐らく黒ずくめさんがこちらに気付いたのだろう。私を惑わそうとしているのか、塊は絶えず場所を変え、螺旋を描くように動いている。その距離約二メートル。私は両手両足に霧を纏わせ、迎撃の体勢をとる。

〈おいおい、壊すだけじゃ意味ねぇだろ〉

 その時、静かな声が響いた。また混乱させるつもりかと身構えるが、ヴィーノは気にした様子もなく言葉を続ける。

〈『糧にする』行為は相手の力や命を吸収し、自分のものとするために使う能力だって説明したろ? 状況が状況だったから応用から教えちまったが、壊すことが本分じゃあねぇんだ〉

「そう。……それで?」

〈ん?〉

「言うだけ言っておしまいなの?」

 私の挑発気味な言葉に、ヴィーノは笑みを溢した。今更だが、声も何も聞こえてないのに表情が分かるのはどうしてだろう。これも魂が融合したことの副作用なのだろうか。

〈まさか。正式なやり方を教えるに決まってんだろ〉

「あぐっ?!」

 彼がそう言った瞬間、先程まで何も感じなかった左目に激痛が走った。左目を手で押さえ、崩れ落ちるようにしゃがみこむ。鋭く、じくじくとした痛みに自然と呼吸も荒くなる。幸いにも悲鳴を上げる程ではなかったが、簡単に我慢できるようなものでもない。

「な、にを……っ」

〈ちょいと俺の力を込めただけなんだが……、まだ早かったかね? 一応手加減はしたし、あれだけ扱えてんなら大丈夫なはずなんだけどなぁ〉

 少しばかり申し訳なさそうな声を聞いて脱力すると同時に、痛みがすっと引いていった。訪れた時と同じように一瞬で消えていく激痛に首を捻りながらも立ち上がり、正面に視線を向け、そこに広がる光景に愕然とする。

 固定されたように空中で止まっている二つの塊と、それを覆っている紫色の霧。霧は私の両手から伸びており、塊全体をすっぽりと包んでしまっている。何をしても溶けなかった氷は徐々にその形を崩し、霧に吸収されていた。拳や脚で砕いた時と違い、私の中に力が流れ込んでくるのがはっきりと分かった。

〈霧で分断するよりも、霧に触れさせて力を吸い取る方が効率がいいんだ。全体を覆う必要はないが、量が多いし、無生物だからな。生命体や霊体なら手に霧纏わせるだけでいいんだけどよぉ……。本っ当に面倒くせぇ〉

 ヴィーノが愚痴なのか説明なのか分からないことを言っている間にも氷はどんどん崩れていき、いまや拳ぐらいの大きさしかない。

〈まぁ、それはさておき、次からはなるべく『糧』にしろよ? でないと俺の力が戻らないどころか減ってって、最悪身動き取れなくなる〉

 彼がそう締め括るか否かというところで塊が消え、大量の霧が私の元に集まってくる。先程よりも深い色味を帯びた紫は、私の中に戻ることも手足に纏わりつくこともなく、体全体を覆うかのように周囲を漂っていた。濃度も密度も段違いなそれに息が詰まりそうだ。

〈あー、やっぱり早かったか〉

 他人事のような言葉が脳裏に響く。実質他人事なのだろうが、原因となったのは彼の行動なのだから少しは心配するなり申し訳なさそうにするなりしてほしい。

〈俺は悪魔だぜ? 無茶言うなっての〉

 苦笑いと共に紡がれた言の葉は妙に説得力があって、納得してはいけないはずなのに納得してしまう。そう思った瞬間に我に返り、思考を消し去るように腕を振るう。霧が僅かに纏わりつき、体内へと消えていった。

〈お、少しは順応してきたか? 人間の適応力って凄ぇなぁ。他の種族だともっとかかるってのに〉

 ヴィーノの言葉に他の種族でも試したことがあるのかと思っていると、不意に霧が動いた。目の前が開けたことに驚きつつ、霧を目で追う。霧はどうやら私の背後に集まっていっているみたいだ。私は体ごと後ろを向き、その光景に目を見開いた。

 先程壊したものと同じ、否、それ以上の大きさの塊が宙に浮かんでいた。絡み付いた霧のせいで、本来なら透き通っているはずの氷は紫へと変色してしまっている。予想外の状況に呆気に取られているうちに塊は縮んでいき、力の流れとなって私の中に入り込んできた。慌てている間に塊は消え、辺りを漂う紫の霧だけが残った。先程よりも量が少なくなっているのは気のせいではないはずだ。

〈魔の紫霧……あの霧な、敵意や殺意のこもった攻撃、そんな感情が乗せられた物体、思念、術、その他危害を与えようとするものに敏感で、半径三メートル以内に入ったものなら殆ど自動で反撃すんのさ。体に霧を纏わせているって条件付きだが、結構便利だぜ。俺も世話になった〉

「悪魔なのに?」

〈悪魔だからさ〉

 ヴィーノの返しに首を捻るが、こうしてはぐらかそうとしているのなら、きっと答えてはくれないのだろうと結論づける。彼と出会ってから諦めというか、我慢というか、そんなのを無駄に覚えた気がする。

 そんな馬鹿なことを考えながら立ち上がり、未だ消える気配のない霧を見やる。刹那、苦無のような刃物が二本飛んできた。それらは私に触れる前に霧に弾かれ、硬い音と共に地面に落ちた。私は足元の刃物をしばし見つめてから、それが飛んできた方向へと視線を移す。少し目をさ迷わせていると、斜め左、三、四メートルほど先にある木の枝にいる黒ずくめさんと目が合った。同時に彼の纏う敵意やら殺意やらといった感情が伝わってきて、瞬時に肌が粟立った。

〈捕縛諦めて殺すつもりみたいだな。遺体だけでも事足りるのか、敵わないまでも一矢報いようとしてるのか。どちらにしろ嫌われたもんだねぇ〉

 黒ずくめさんの感情も、私の反応もどこ吹く風とばかりに、のんきな言葉が紡がれる。それに抗議するかのように苦無もどきが三本投げられた。反射で左腕を振るえば、刃物が霧に絡まり、宙に浮いた。

〈お、ちょうどいいじゃねぇか。そのまま投げ返しちまえ〉

「当たったら危ないよ」

〈素人の投擲に当たるような腕してると思うか? 向こうは腐ってもプロだぜ〉

「……つまりは当てるのが目的ではないと」

〈まぁな〉

 ヴィーノが何を考えているのか分からなかったが、やってみる価値はあるだろうと宙に浮かぶ刃物を手に取った。包丁よりも小さいのにずっしりと重い。私は確かめるように柄を握りしめ、勢いよく腕を振った。

 私の手から離れた刃物は黒ずくめさん目掛け飛んでいく。枝に当たって軌道が逸れるか、黒ずくめさんに避けられるだろうと思っていたが、予想に反し、刃物は真っ直ぐ飛んでいき、黒ずくめさんの右頬を切り裂いた。

〈Nice shot!〉

「ゴルフでも射的でもないのに」

〈固いこと言うなっつの。こういうのは雰囲気だ、雰囲気〉

 漫才のようなやり取りをしつつも、黒ずくめさんから目は離さない。次に何をされても避けられるとは思うけど、油断は禁物。蹴られたりぶつかったりした時の痛みは忘れない。

〈いい心掛けだ。反省を次に生かすのは大事だぜ〉

「……ずっと思っていたのだけれど」

〈何だ?〉

「どうしていつも上から目線で話すの?」

〈そりゃあ、俺の方が年上だからに決まって……っと、効き目が出たみたいだな〉

 彼の言葉に意識を黒ずくめさんの方に戻すが、枝の上にあったはずの姿はどこにもなかった。慌てて枝付近を見るが、影どころか片鱗すら見当たらない。またも意識を逸らしてしまったことに内心舌打ちを溢す。反省しても実行できないのでは意味がないと自分を叱咤しながらその場を離れ、黒ずくめさんがいた所へと向かった。

 跳ねるように移動しているからか、耳元で風がざわめく。風に流されたのか、視界を遮っていた霧は消えていた。割と開いていると感じていた距離はすぐに縮まり、気が付けば目的の場所に着いていた。木の根元を見るが黒ずくめさんの姿はない。

〈裏だ、裏〉

 ぐるりと辺りを見回そうとした時にそう言われ、私はそっと裏手に回った。そこには大の字で倒れ伏している黒ずくめさんがいて、思わず目を丸くしてしまった。

〈あの霧にゃあ毒性があってな。ほんの僅か体内に入っただけで気を失う。本人以外に有効な麻痺毒みたいなもんだ。といっても、こうなるのは人間と低級の魔物だけだけどよ〉

 ヴィーノの事後説明に頷きながら、慎重に黒ずくめさんを観察する。口元を布で隠しているために表情は分からなかったが、瞼が閉じているのは見えた。胸元が微かに動いているから死んではいないのだろう。そう確信し、やっと肩の力を抜いた。

〈おい、気絶するだけだっつったよな〉

「信憑性にかける」

〈俺の情報を信じるんじゃなかったのか?〉

「事が終わってからじゃ意味ないもの」

〈仕方ねぇだろ。そっちの方が面白ぇんだから〉

 あまりにもな言葉に突っ込みたくなるのを必死で堪え、今後どうするかを考える。このまま彼の前から姿を消したところで、必ず追いつかれてしまうだろう。なら足止めをすればいいのだろうか。でも何を使って? 手っ取り早いのは四肢を使い物にならなくすることだが、骨を折る感覚はなるべく味わいたくない。かといって縄なんて持っていないし、この周囲には蔦もない。

〈んな面倒くせぇこと考えるぐらいなら、殺しちまえばいいだろうが〉

 私の思考を遮るようにヴィーノがそんなことを言った。先程絡め取った刃物が二本、そそのかすように目の前に浮かぶ。そのうちの一つを取って、黒ずくめさんの喉元にでも刺せと言いたいのだろう。

〈契約の時に言ったよな。俺のために行動してもらうって。心も体も、魂すらも俺のものになり、俺が望むままに生き、望むままに死ぬってよ。その延長線上にお前の願いがあるんだ。こんな所で止まってんじゃねぇぞ〉

 冷静に紡がれる言葉は私の心に刺さっていった。彼の言葉に間違いはない。私はその条件の下、元いた場所に帰るために契約を結んだ。そして私の記憶が正しいのなら、彼はこうも言ったはずだ。

「『多少はお前の意見も尊重してやるから心配すんな』……。この言葉は覚えてる?」

〈だとしたら、どうすんだ?〉

「私は人殺しなんてしたくないの。誰かの命を奪ってまで生きたくない」

〈でも元いた場所には戻りたいってか。我が儘な話だなぁ、おい〉

 呆れたような声に私はそっと唇を噛んだ。どうしてこう、反論を許さない言の葉ばかりがくるのだろうか。そう仕向けたのは自分だけど、文句の一つも言いたくなる。けれどそんなことを言う権利などないことも知っていて、結局は黙るしかない。そうして俯いたまま身動きせずにいれば、諦めとも呆れともつかぬため息が聞こえた。

〈傷付けることは平気なくせに、殺すことは嫌うってんだからおかしな話だよな。大体の人間がそうだから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけどよぉ〉

 そんな言葉と共にがりがりと頭を掻く音が聞こえた。そしてまたため息が一つ。

〈ここらで慣れさせとこうと思ったが、しょーがねぇから次の機会にしといてやる〉

 苦笑混じりに放たれた言葉に私はゆっくりと顔を上げた。眼前にはまだ刃物が浮いているが、急かされているような感覚を抱くことはなかった。

〈けどこいつをこのままにしとくわけにもいかねぇしな。…………魂でも削るか〉

 ぽつりと呟かれた言葉に目を見張る。命の次は魂だなんて。この悪魔はまともな思考ができないのか。それとも悪魔にとっては普通のことなのだろうか。どちらだとしてもあまりいい話じゃない。

〈あー、魂つっても一部な、一部。耒に関する記憶だけ消しちまうだけだ〉

「後遺症はないの?」

〈記憶の混同や一時的な情緒不安定ぐらいだな〉

 私は刃物を見、黒ずくめさんを見た。正直、ヴィーノの言葉がどこまで本当か怪しんでいるけれど、私の我が儘とこの状況の打開とを考えた際、最良な選択が他に浮かばないのもまた事実。私は手をきつく握りしめ、一度深呼吸をした。

「どうすればいい?」

〈そいつの傷口に触れて、吸い出したいものを浮かべりゃあいい。後は勝手に流れてくるさ〉

 私は黒ずくめさんの隣にしゃがみ、血がうっすらと滲む頬に触れた。痛みが走ったのか、黒ずくめさんの眉間に皺が寄る。だが目を覚ます気配はない。目を閉じ、今までの戦闘を脳裏に描く。百近い矢を放たれ、二言三言話した後に捕縛され、挙げ句氷の塊に追いかけ回されて……。

〈そこまで〉

 端的な声に我に返る。脳内にあった光景が霧散すると同時に、自然と黒ずくめさんの頬から手が離れた。

「本当にこれだけ?」

〈あぁ〉

「何も流れてこなかったのに」

〈元より量が少ねぇからいいんだよ。これ以上やったら糧になっちまう〉

 彼の言葉は少し納得いかなかったが、魂に関して右に出るものはいないであろう悪魔なら大丈夫だろうと自身に言い聞かせた。

「それじゃあ、後はこの場を離れるだけだね」

〈いんや。まだ一仕事残ってる〉

 予想外の言葉に私は首を捻った。黒ずくめさんの記憶は消えた。彼が目覚めるまでまだ時間もかかるはずだが、いつ起きるか分からないのなら一刻も早く移動すべきではないのだろうか。

〈敵を倒して、経験値も稼ぎ、新しい技術も手に入った。ここまできて大人しく去ったら笑いものにされちまう〉

 そう言ってヴィーノは片頬を僅かに上げた。どうしても悪どいとしか思えない笑みは、嫌な予感ばかり誘う。そんな私を余所に彼はゆっくりと口を開いて。

〈さぁ、アイテム搾取と洒落込もうぜ、相棒〉

 これまたいい笑顔で、妙に格好つけながら物騒なことを言う悪魔に、私は言葉を失うしかなかった。

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