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可能性という名の事実

 黒ずくめさんは左手で縄の塊を、右手で金属の付いた先端付近を持ち、勢いをつけるために右手の縄を回している。あれを投げて当てるつもりだろうか。

〈あれだけの実力を持った奴が、当てて捕まえるだけで終わらせるわけねぇよ。あれは手段の一つにすぎない。上手く嵌まればよし。嵌まらずともよしってとこだろうな〉

 ヴィーノの冷静な分析が終わるやいなや、黒ずくめさんが縄を投げてきた。私は瞬時に飛び退く。縄の先に付いた金属は私がいた根に当たって跳ね返り、私の顔面へ向かってきた。咄嗟に首を反らし、体を捻る。金属の塊は顔の左横ぎりぎりを通り過ぎ、私の背後にある木にぶつかった。鈍い音が鼓膜を震わせ、木片が僅かに飛んでくる。無惨に砕かれた木を確認するために振り向こうとした瞬間、視界の左隅で黒い影が揺れた。反射で体を引き、そのまま斜め後ろに跳躍する。鋭い光沢を放つ銀色が私の眼前を横切っていった。それが刃物だと理解するのにさほど時間はかからない。

〈おい! 素人のくせに敵から意識逸らすな!〉

 ヴィーノの怒鳴り声が脳内で木霊する。無茶を言うなと反論したかったが、黒ずくめさんの追撃はそんな暇すら与えてくれなかった。

 横薙ぎが失敗したと分かった途端に腕を捻り、右脇腹から左肩にかけて袈裟斬り。続けて首を真一文字に裂き、すぐさま心臓付近を突いてくる。ずぶの素人な私ですら本気で殺しに来ていると分かる流れだ。目が動きを追えているお陰で何とか避けられているが、完全に回避できたわけではなく、いくつか浅い切り傷が刻まれた。

「これっ、連行、じゃないっ!」

 右脇に叩き込まれた脚を右肘で防ぎ、地味な振動に顔をしかめつつ距離を取る。黒ずくめさんは布に覆われた口を僅かに動かすと、どこからともなく縄を取り出し、金属の塊が付いた方を回し始めた。一応捕まえる意思はあるということか。

〈言霊から発動の流れを見るかぎりBクラスか。暗殺者アサシンには珍しいな。【偽装ディスグイーズ】や【変幻カレイド】でも使ってんのか? しかし、それにしては歪みがなさすぎる。範囲型は感知してねぇから……〉

 ヴィーノが独り言なのか分析なのか分からないことを呟いている間にも、縄は私目掛けて放たれていた。今度は右横を通り過ぎ、何本かの木に当たって起動を変えたみたいだ。最初より遠い所から重い音が聞こえた。

〈だーっ! 情報が少なすぎるわボケぇ!〉

 突如として響き渡ったヴィーノの叫びに私は面食らってしまった。自然と体が硬直する。それはほんの僅かな間だったはずだが、黒ずくめさんはその隙を見逃すほど親切なわけもなく、気付いた時には前方へ投げ出されていた。背中に走る衝撃から、後ろに回られ、思い切り蹴られたと理解する。だが頭で分かっても体が動かなければどうにもならない。私は二、三度跳ねながら地面を転がり、太い幹に当たって止まった。

〈……って何やられてんだ〉

 ヴィーノのせいだ。そう言おうとしたが、口から出てきたのは苦しげな咳と荒れた吐息だけ。強すぎる衝撃に軽い呼吸困難となったようだ。息を整えつつ上体を起こすと、眼前に黒。避ける前に首根っこを捕まれ、前方に放り投げられた。顔面から着地することは免れたが、左肩を強打してしまう。確実に痣ができただろう。

〈反撃しろよ、反撃。でないと被虐趣味があるって解釈すんぞ〉

「……無茶言わないで」

 理不尽な言葉に返答し、痛む肩を押さえながら立ち上がる。後方を振り返れば、枝の上に立つ黒ずくめさんと目が合った。

「《絡み付き、束縛しろ。【高位捕縛ハイアレスト】》」

 それが合図だったかのように、彼の口から呪文が紡がれる。刹那、周囲の木に残されたままの金属から三本の白い光が放たれ、私の腕と胴体を纏めて縛り上げた。肩を押さえていた手も無理矢理脇に下ろされている。

〈無属性の【高位捕縛ハイアレスト】を詠唱ねぇ。念には念をってことなんだろうが、素人相手に容赦ねぇなぁ〉

「冷静な分析ありがとう。ちなみに打開策は?」

 刺を孕んだ私の言葉に、ヴィーノがにやりと笑うのが分かった。

〈糧にするイメージだ。さっきのと同じやつでいい〉

 私は目を閉じ、言われるがままに力の奔流を思い浮かべた。今にも溢れてしまいそうな激流ではなく、小川のように緩やかで、けれど確かな流れ。白や赤、茶、緑、青、紫など、様々な色が混じり合い、渦を巻きながら一つの線となってあちこちを駆け巡っていく。その様を描きながら、内心驚いていた。最初に思い描いた時はもっと無骨な、それこそただ在るだけのようなものだったのに。ヴィーノが何かしらの補助をしてくれているのだろうか。それとも私の頭が思い浮かべることに慣れたのか。そんなことを頭の片隅で考えながらイメージを膨らませていった。

 今回は前回のように地面や木々と繋がっている感覚はなく、代わりに私の胴体に纏わり付いている管へと流れ込んでいるような印象が強かった。管は私の体よりも脆く、血管みたいに細い。激流に耐えきれず、今にも破裂してしまいそうだ。

〈そのまま管を壊しちまえ〉

 誘うような囁きに、私は管に流す量を少しだけ増やし、管を押し広げる映像を浮かべる。次の瞬間、私に纏わり付いていた管が呆気なく切れ切れになり、虚空へと消えていくのが感じられた。

〈上出来だ〉

 ヴィーノの言葉と共に目を開けると、驚愕に目を見開いた黒ずくめさんと視線が絡んだ。信じられないものを見たかのような表情に、私は自分の体を観察してみたが、先程絡み付いていた光が消えた以外はどこも変わりがない。

「……力を流し込んで消し飛ばす、だと?」

 異変がないことに首を捻っていると、黒ずくめさんがそんなことを呟いた。あり得ないと言わんばかりの声色に、またも首を傾げる。

〈まぁ、耒にゃあ分からんだろうな〉

 明らかにこの状況を面白がっていると分かる声が響く。茶化すような口調に眉を寄せれば、押し殺した笑い声が発せられた。

〈かけられた術を解除する方法は【無効化インヴァリディティ】か【力の消失ヴァニッシュメント】以外にない。術の限界以上の力を捩じ込んで破壊なんて誰もやらないし、やれないのさ〉

 さらっと紡がれた言葉に唖然とする。あの笑顔にはそんな意味があったのか。確かにゴブリンや黒ずくめさんが使う術を使用できるわけではないけれど、だからって規格外の方法を選ばなくてもいいだろうに。

〈元より人間だと思われてないんだ。規格外な行動を一つや二つやったところで問題ねぇよ〉

 私が人であることを否定するような言葉に胸が痛む。現状からそう見られているだけだと頭では納得していても、心は追い付いてくれないみたいだ。目元がじんわりと滲んでいく。今更になって何を感傷的になっているのだろう。余裕なんてあるはずがない。それに泣いている暇だってないんだ。自らにそう言い聞かせながら手の甲で目尻を拭い、顔を上げた。黒ずくめさんは警戒心を顕にして私を見ている。

「まだ私を捕まえるつもりですか?」

「…………無論だ」

「理由をお聞きしても?」

 私の発言に黒ずくめさんは黙り込んでしまった。どうやら答えることはできないらしい。

〈なら吐かせるまでだな〉

 物騒な提案が嬉々として出される。無理矢理というのは好きではないが、理由も聞かずに捕まる義理もない。かといって黒ずくめさんに勝つ自信もない。

 そうこうしている間に黒ずくめさんは何かの術を発動していだようで、彼の周囲に巨大な氷の塊が五つほど出現している。黒ずくめさんよりも一回りほど大きなそれは、きっと私を押し潰すために使うのだろう。

〈初級中の初級である【氷塊アイス】をあんな風に使うとは考えたな。けど、それで力を使い切ってちゃ意味がない〉

「……私を殺したいのかな」

〈いや、あれぐらいしないと動きを封じられないと考えたんだろ。認められたんだとでも思っとけ〉

 何だか違う気がしたが、かといって反論できる材料もないのでとりあえず頷いておき、思考を塊の方に向ける。氷は溶けることなく浮かんでいて、それが何だか異様に見えた。

「…………行くぞ」

 低い声と共に氷が勢いよく放たれる。私はすかさず後ろに飛び退き、一撃目を避けた。低い地響きが耳朶を打つ。氷は地面にめり込んでいたが、壊れてはいないようだった。土を掘り返しながら再び浮き上がる。

〈こら、一つだけに集中してんなよ。四方囲まれてんぞ〉

 ヴィーノの言葉に辺りへ目をやると、私の前後左右を移動する塊が見えた。正面の氷が完全に浮き上がる。それが合図だったかのように、塊は一斉に私へと飛んできた。初撃は何だったのかと思ってしまう速度に、私は咄嗟にしゃがみこみ、右斜め後ろに逃げた。背後で氷同士がぶつかり合う音が派手に鳴り響く。私はすぐに立ち上がり、氷と黒ずくめさんから距離を取るべく走った。

〈この短期間で逃げるのだけは上手くなったよな。レベル上がったんじゃね?〉

「嬉しくない」

〈そう言うなって。生き残るために敵前逃亡は必須だぜ。まぁ、だからといって〉

 彼の言葉はそこで途切れた。不自然な終わり方に疑問を抱いた瞬間、視界が高速で移動した。右半身に痛みと冷気を感じた時には地面を転がっていて、そこでようやくあの塊に吹き飛ばされたのだと分かった。

〈逃げ切れるわけじゃねぇんだけどよ〉

 背中を木の根元に打ち付けるのと、ヴィーノがそんなことを呟くのはほぼ同時だった。無責任な発言に苛立ちながらも、痛む体を叱咤して起き上がる。

〈おー、自力で立ったかー。でも足震えてんなぁ。それじゃ逃げることも、次の一撃を防ぐことも、あの黒ずくめに一撃入れることも無理だろうなぁ〉

 ヴィーノはこちらの神経を逆撫でしたいのか、嘲笑うように言葉を紡いでいく。私はそれを半ば無視し、辺りを警戒する。塊は影も形も見えないが、音からして私の周囲を飛び回っているはずだ。

〈これぐらいじゃ揺れないか。んじゃ次の手だな〉

 ヴィーノは尚ものんきにそんなことを言っている。自分で何とかしろということだろうか。何とかできる気は微塵もしないが、かといって何もせず、ただ助けを求めるのも気が引ける。

〈なぁ、耒〉

「何?」

〈音の話、覚えてるか?〉

 刹那、左右から氷が飛んできた。咄嗟に前方に逃げたが、追い討ちをかけるように目の前に塊が現れる。慌てて左に避けると、足元に影が差した。それが何故か考える前に、私はその場から動いていた。左に二歩、前に二歩。三歩目を踏み出すと同時に私の隣に塊が落下する。

〈で、どうなんだ?〉

「覚えてるけど」

 それを確認することに何の意味があるのか。そう続けようとしたが、背後から迫る氷に遮られた。左に飛び退き、回れ右をして走る。幹を折る嫌な音が追ってきているが、聞かなかったことにする。

〈じゃあ理論値と現状の差がありすぎたのは覚えてるな?〉

「確か、計算が間違ってる可能性が高いって」

〈そ。でも前提とした数字に間違いらしいところは見当たらなかった。そこで言いそびれていた四つ目、『身体能力が劇的に向上した』という可能性、というより事実か。こいつの出番ってわけだ〉

 さらりと放たれた言葉に思わず意識を飛ばしかけてしまうが、気力で何とか繋ぎ止める。彼の理論は今までのどの言葉よりも現実味に溢れていて、どんな理由よりも非現実的なものだった。

〈確かに非現実的な話だわな。でも薄々気付いてんだろ? 自分の体が人間離れしてるって〉

 私は反論することができず、俯いた。刹那、背後を冷気が襲う。私は進路を右へ変え、頭上に伸びる太目の枝に飛び付いた。反動を利用して逆上がりのように体を押し上げ、覚束ないながらも枝の上に着地する。私の両足が枝に触れた一瞬後に、足下を氷の塊が二つほど過ぎ去っていった。

〈随分と曲芸染みた動きだな。以前からこういうことしてたのか?〉

 愉快だと言わんばかりの声色に、首を横に振る。人並みに体を動かすことはできたが、こんなアクロバティックな動きなどしたことがない。できるとも思わない。

〈火事場の馬鹿力……にしちゃあキレがよすぎる。咄嗟の行動は、そう何度も続かない。体を酷使してるのに体力が残ってる。これらから判断するに〉

「ヴィーノと関わったから、私の身体能力が上がった。それこそ人外と呼ばれるような領域まで」

〈そういうこった。まぁ、人外かどうかは微妙だけどよ〉

 幼い子どもを相手にした時のような口調に、私は自然と眉間に皺を寄せていた。

〈そう怒るなよ。不可抗力ってやつなんだから〉

「私が異世界に渡ったのも、私とヴィーノの魂が融合したのも、ヴィーノと契約しなくちゃならなくなったのも、体の造りがおかしくなったのも、こうして追いかけられているのも、何もかも全部不可抗力だと言うの?」

 知らず詰ってしまったというのに、ヴィーノは静かに笑っていた。いつもの猫みたいな、嘲笑っているのではと思わせる笑い声が木霊する。

〈うんうん、いい切り返し。愉しいなぁ。最高だ。そう、不可抗力。それと幾ばくかの偶然で、俺もお前もこんな状況に追い込まれてる。理不尽だと思うだろ? ふざけるなと思うだろ? 人生なんてそんなもんさ。世界は絶望に泣き叫ぶ奴のことなんざ考えてくれないんだよ〉

 悪魔ヴィーノはけたけたと嗤う。その声は滑稽だと、愚かだと、無言のうちに伝えていて、それを理解した瞬間、私の中の何かが切れた。

 私はゆっくりと立ち上がり、足下を行き来していた氷の上に飛び乗った。右手をゆっくりと握り、左目に熱を集める。紫の霧が渦となって拳を覆っていく。初めて見た時よりも色の濃いそれを叩きつけるように、腕を思い切り降り下ろした。分厚いガラスが割れた時にも似た音が響き、拳がめり込む。大きなヒビが氷の表面に広がったが、塊を割るところまではいかなかった。私は右手に力を込め、全体に行き渡るよう、紫の霧を霧散させる。ヒビから流れ込んだ煙は氷を染めていき、底まで紫色になった途端、呆気なく崩れ去った。

 足場が消え、私の体は重力のままに地面へ落ちる。二メートル以上の場所から落下したにもかかわらず、私は両足で綺麗に着地していた。地面の感触を確かめ、右手を開いたり閉じたりしてみる。痛みも違和感もなく滑らかに動く手は、巨大な塊を殴ったと思えない程綺麗なままだった。

〈なーんか掴んだみたいだな。経過や理由が何であろうと、強くなるのはいいことだぜ〉

 茶化した声が聞こえたが、気にせず進む。何かを掴んだかどうかなんて知らない。自分が強くなったという実感もない。私が分かるのは、残り四つとなった塊を全部砕くか、操ってる黒ずくめさんを倒せばこの不毛な鬼ごっこは終わるということだけ。

「世界が理不尽だなんて分かってる。でも抵抗しない理由にはならない。そうでしょ?」

 誰にともなく呟いた声は風によって掻き消される。耳にこびりついた笑い声を飛ばすように頭を振り、力一杯地面を蹴った。

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