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ウツロヤミ  作者: ミーン
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ひと口

 彼と食事へいくといつも私と違うものを注文して、必ず私のを「ひと口ちょうだい」と言って食べていた。

「じゃあ、私にも」と言うと、ニコニコしながら自分のお皿を差しだしてくれた。

 そうして、美味しかったか、美味しくなかったかをたずねるのだった。

 私は、この彼の癖が好きじゃなかった。これ以外は私にはもったいないくらい、優しくて思いやりがある彼だったし、私のことを一番好きでいてくれたし、私も彼のことが大好きだった。

 彼とつき合い始めてから初めての私の誕生日のこと。どうして彼がそんなことをしていたのか、やっとわかった。


 夜の食事は予約してあるからと、迎えにきて連れていってくれた先は、彼のマンションだった。

 え? え? と思いながら部屋へ招待されると、いつもの2DKの部屋は、ほの温かいあかりでうす暗くしてあり、まるでどこかのレストランのように模様替えしてあった。

 うやうやしくエスコートされながらテーブルにつくと、「それでは、ごゆっくりお食事をお楽しみください」と言って、キッチンからスープを運んできた。


「オードブルの冷製スープです」

 それから彼は、次々料理をだしてくれて、そのどれもが私の味の好みにピッタリはまっている。


「これまでたくさん一緒に食事できたからね」


 彼はああやって私の好みを探っていたんだ。違う料理を頼んでいたのも、私にできるだけたくさんの料理を食べさせて感想を聞きだしたかったからだったんだ。よく見ると部屋の演出も、薄暗くしてあるからわかりづらかったけれど、それほど高価なものは使わずに高級な雰囲気がでるよう工夫してある。

 これほどまでして私の誕生日を……生まれてきた日を大切に思っててくれたんだね。

 誤解が解けたのと、嬉しさのあまり、せっかくの料理が少ししょっぱくなってしまった。



 彼から「別れよう」と告げられたのは、その1年後のこと。訳がわからなくて彼を責めたてて、返ってきた答えは「私に飽きたから」だった。

 その後はもう、なにがなんだかわからずに、泣き叫んでいた。そして自分の部屋に戻ってからは、大声で笑っていたように思う。


 結局それ以来、彼とは会ってないし、会いたいとも思わない。

 ショックから立ち直るのはずいぶん時間がかかったけれど、今の私には新しい彼ができて、幸せな日々を過ごしてる。もちろん新しい彼は私が注文した料理を「ひと口ちょうだい」なんてことは言ったりしない。



 そんな元彼の死亡通知が届けられたのは、先週の金曜日。

 正直、今さらと思ったけれど、どうしても心に引っかかって、ハガキに書かれていた彼の実家に連絡すると、元彼のお姉さんが出た。

 私の名前を名のると、迷惑だったのはわかっていたけれど……と、こちらが恐縮するほど謝罪されて、元彼の話を教えられた。


 彼が別れを切り出したあの当時、彼はすでに体をガンに侵されていたらしい。

 若いから逆に進行が早く、見つかった時にはもう手の打ちようがなかったそうだ。

 日に日に衰弱していく彼は家族でさえ見るに耐えない状態だったのに、最後まで気丈に振る舞ってた彼の姿は、お医者さんや看護師さんですら驚いてたらしい。

 だけど、激し過ぎる痛みを抑えるため、“それを使うと死ぬまで目を覚まさない麻酔薬”を使うことを了承した彼の最期の言葉は、私の名前と「ごめん。本当にごめん」だった。

 お姉さんはその言葉を理解して、彼の携帯を調べて私に死亡通知を送ってくれたそうだ。




 今、私は新しい彼と結婚して幸せな家庭をきずいてる。

 元彼のことはショックだけれど、いつまでも引きずっているのは、元彼に申し訳ない。

 夫は長男なので先祖から伝わる仏壇があり、それほど煩わしくない頻度でお寺さんの供養があり、私はここにそっと元彼の名前を書いた紙をしまってある。

 今の夫は本当に愛してるし、元彼のことは未練というよりも、義務感のようなもの。

 だから時々、お仏壇のお供えが誰かがひと口かじったようになっているのも、娘の小学校の運動会で食中毒が発生した時に、配られたお弁当のほとんどが誰かに食べられていたのも気にしない。


「今も私を、私たち家族を守ってくれてるんだよね?」

 空に向けての問いかけには誰も答えなかったけれど、「当たり前だよ」というように、私の頭を風がなでていった。


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