交差点の死神
わたしが通う大学の近くに、事故が多発する交差点がある。
そこには学生のあいだから「死神」とウワサされている、ホームレスの男性が暮らしている。
髪の毛はのび放題で一年中ボロボロでまっ黒の服を着ているからだけでなく、いつもそこにいる男性が、事故が起こる時に限って必ずいなくなっているらしい。
先輩から後輩へ何年にもわたる複数の学生の証言から、いつしかそう呼ばれるようになったそうだ。
だけどウワサに尾ひれがつくのは当然だから、わたしを含めたほとんどの学生はそんなウワサなんて信じていない。
ただ毎年、男子学生を中心に交代で男性を見張る人たちが現れるそうで、わたしが入学した今年も、やはりいたらしい。けれど話題にあがらないのは、やっぱり何もなかったんだろう。
ある日、授業が終わってから友だちといっしょに買い物へ行く時のこと。一人があの交差点には近づきたくないと言いだした。
わたしたちはてっきり冗談だと思い「また恐がらせようと思って」なんて笑っていたけれど、友だちのまっ青な顔を見て、ただ事じゃないのに気づいた。
わけを尋ねると、彼女の彼が今年男性を見張るグループの一人で、仕方なく見張りを手伝っていると、目の前を歩いていたカップルの女性が突然、道路に飛び出して轢かれるのを目撃したからといった。
「目撃したからって、そんなに怖がることでも…それでやっぱり男性はいなかったの?」
「いなかったよ。もう一人が見張っていたけど、フラッとどこかへ行った直後に事故が起きたの。
だけど、恐いのはそんなことじゃない」
彼女はガタガタ震えていた。
「あれは自分から飛び出したんじゃない。
普通に歩いてた人が、いきなり引っ張られるようにえり首をつかまれて、側転するみたいに道路へ投げ出されたのよ。そんなこと、どうやってできるの?」
結局、気味が悪くなったわたしたちはその交差点を避けて買い物を続けたけれど、今ひとつすっきりせず、帰りのお茶もそこそこに別れた。
しばらくして、どうしても行かなければならない用事があり、わたし一人で交差点の近くを歩いていたときのこと。
一台の車が交差点近くで急に蛇行運転をはじめ、吸い込まれるように対向車線へ向かっていく。
「あぶない!」
だけど、急ハンドルを切った車は対向車ギリギリで止まった。
「危なかったぜ、まったく」
誰かがいったほうを見ると、あの男性が息を切らしながら胸をなでおろしている。
危なかったって、どういうことだろう?
もしあの男性がウワサどおり事故を起こしているのなら「惜しかった」のはずなのに。
どうしても気になって、わたしは休みの日にあまりきれいじゃない服を着て、コンビニのおにぎりと飲み物を持って交差点へ出かけた。
「ちょっと、お話いいですか?」
「ああ、珍しいな。オレに話しかけるなんて」
答えながら嬉しそうにおにぎりを受け取る。
わたしは恐る恐る男性にこの交差点で事故が多発することに、なにか関係あるのか尋ねてみた。
「ああ、あるさ。ここには記憶が残っていてな。放っておくと今以上に事故が頻発するんだ」
「記憶ってなんですか?」
「事故の記憶だ。記録っていったほうがいいかな。データをリプレイするみたいに、同じことを何度も繰り返そうとするんだ。
だから、オレのように記憶を繰り返させない体質の持ち主が近くにいなければ、ここはたちまち事故だらけの場所になる」
「じゃあ、あなたが死神なんて呼ばれながらもここにいる理由は…」
「少なくともオレが近くにいる限り事故は起きない。だからここから離れるわけにはいかないんだ。
おかげで飯を食うにも便所…失礼、トイレに行くにも困る。
目を離したとたん、キキーッドカンだからな。とはいえ、どうしても離れなければならない場合があるからな」
「ずっと逃げられないの?」
「逃げられるさ。もう嫌だって逃げても誰も文句はいわない。事故の記憶なんて話を誰が信じるんだ。
オレが気にしなければ、ここはただの事故多発地帯でしかない」
「じゃあ、これからも一生このままで?」
「そうでもないさ」
男性はそう答えると、よっこらしょと立ち上がった。
「オレがここにいることに興味を持った人間にこの話を聞かせてやれば、次はそいつが体質を受け継ぐそうだ。オレもそうやって受け継いでしまったからな」
「…え?」
「さっきもいったが、逃げてもいいぜ。誰もあんたを責めたりしない。
遠くへ引っ越せばここの事故のニュースも聞こえなくなる。
さて、家に帰るのは何年ぶりだろうな。もう妻とも別れたし、家も売り払われているかもしれないな」
歩き出す男性を追って走り出すと、背後から急ブレーキと悲鳴が聞こえてきた。