ありがとう
幼いころ家族で旅行へ行った帰り、車が暗いトンネルにさしかかった時。
半分くらい通過したあたりでトントンと誰かがわたしの肩を叩いた。
お母さんに言うと「そんなことあるはずないでしょ。気のせいよ」と信じてくれない。
でもお父さんは「ビックリしただろう、お父さんのいたずらだぞ」と笑った。
わたしも幼かったので、なんだそうかと一緒に笑った。
わたしはたまに思い出すけど、どうしても納得いかない。
後部座席に座っていたわたしの肩を、運転しているお父さんが叩けるはずがない。
あの日、家に帰ったわたしはお母さんとお風呂に入った。
背中を流そうとしてくれた時、後ろから「キャッ!!」と声がした。
お母さんが足を滑らせて壁に背中をぶつけたらしい。
「大丈夫?」とたずねると、お母さんは「大丈夫だからちょっと待ってて」と言ってお風呂から出ていく。
そうしてお父さんを呼んで「背中を見せて」と言われ、見せたら息をのんでいた。
小さく「手形が」と聞こえ、100数えなくてもお風呂から出てもよくなった。
「明日お医者さんに行くよ」と言ってたのに、次の日背中を見せると行かなくてもよくなったから幼稚園に行けて嬉しかった。
だけどその話のことも、お母さんとお父さんはすっかり忘れてしまっている。
わたしはたまに思い出すけれど、どうしても納得がいかない。
両親には言ってないけれど、わたしの肩は今でもたまにトントンと叩かれるのだ。
トンネルでわたしの肩を叩いたものは、まだずっとわたしの背後にいるらしい。
だって、叩かれたあと、ひと晩肩に残る手のひらのサイズも、わたしと一緒にだんだん成長しているもの。
だから、ねえ。
誰か引き取ってくれない?
そうだ、これ読んでるあなたが引き取ってくれないかな?
そうよ、これもなにかの縁よ。あなたが引き取ってくれれば良かったんだわ。
うん。今からあなたのところに送るから、ちゃんともらってね。
ほら、もうそこに行きかけてるでしょう?
いま、あなたの手に触れてる。
あなたの顔の正面に、大きな口を開けて顔を近づけてるけど、あなたには見えてないよね?
首に腕をまわしたから、後頭部や背中がゾクゾクしてるのわかる?
耳と鼻からあなたの体の中に入っていくよ。
うふふ。息を止めても、吐き出してもだめ。
ほら、もうすっかりあなたの中に入っちゃった。
わたし、こんなにすっきりしたのトンネルの時以来だよ。
これからは、あなたがそれと付きあってね。
時々肩をトントンってしてくるだけで、たぶん死ぬことはないと思う。
もらってくれて、ありがとう。
そいつがそれ以上成長したら、トントンじゃなく、グシャになるところだったよ。
本当に、ありがとうね。