【短編】数学的帰納法による理系令嬢の暴論
「ソフィア! 貴様のような可愛げのない女とは、今この瞬間をもって婚約破棄する!」
王城の舞踏会場。煌びやかなシャンデリアの下で、第一王子アレンの絶叫が響き渡った。
音楽が止まり、貴族たちが扇子で口元を隠してざわめく。
普通の令嬢なら泣き崩れる場面だ。しかし、公爵令嬢ソフィア・E・リマンは、無表情で懐中時計の蓋をパチリと閉じただけだった。
「……計算より3分遅いですね」
「な、なんだと!?」
「貴方の浮気データに基づく婚約破棄の確率は99.9%。統計的に『自明』なイベントに、驚く必要性を感じません」
ソフィアは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷徹に言い放つ。
彼女は、世界を数式で記述する異端の天才数学者だった。
「貴様……! 僕が欲しいのは癒しだ! 魔法もまともに使えない、理屈ばかりのお前に何ができる!」
「魔法など、非効率なエネルギーの浪費です。本当に美しいのは論理だけ。……良い機会です。私の有用性を証明するために、今ここで『魔王討伐』の証明を行いましょう」
「は? 魔王だと? 一歩も動かずにどうやって……」
ソフィアはアレンを無視し、会場の隅で床を磨いていた清掃用の最弱魔物・スライムを指差した。
「そこのスライム。少し実験に付き合いなさい」
ソフィアは空中に指先で光る軌跡を描き、小さな魔法陣を展開した。
「魔物の強さを自然数 n と定義します。目の前のスライムは n=1。……基礎減算魔法」
ピシッ、と静かな音が鳴り、スライムに向けて微小な魔力が放たれた。
それは対象の存在値から「1」を引くという、消費魔力がほぼゼロの基礎魔法だ。
スライムの強さは 1 - 1 = 0 となり、ポンッと弾けて消滅した。
「第一段階。私は n=1を倒すことができました。……基礎、証明完了」
「ハッ! スライムを一匹倒して何が魔王討伐だ!」
「黙って見ていなさい、文系脳」
ソフィアは空中に、さらに複雑な数式と幾何学模様を組み合わせた巨大な魔法陣を構築し始める。光の数式が、彼女の周囲をグルグルと回り出した。
「第二段階。仮に、私が強さ n=k の魔物を倒せると『仮定』します。そこに、強さ n=k+1 の魔物が現れたとしましょう。私はそれに対して、先ほどの基礎魔法を撃ちます。すると、対象の強さは (k+1) - 1 となり、n=k にダウングレードします」
ソフィアは魔法陣にスラスラと数式を書き足していく。
「仮定より、私は『n=k を倒せる』のですから、結果として n=k+1 も倒せることになります。……つまり、n=k が倒せるなら、n=k+1 も倒せる。帰納ステップ、証明完了です」
会場が静まり返る。
彼女の言っていることは、論理的には完全に正しかった。一切の飛躍がない。
「よって、私がいかなる強さ n を持つ敵であっても倒せるということが、今この世界に『真』として証明されました」
「バ、バカなことを言うな!」
アレン王子が顔を真っ赤にして叫んだ。
「理屈は分かった! だが、それはあくまで『倒す手順が存在する』というだけの話だろう! 魔王の強さなんて未知数だ、お前はその魔法を何億回、何兆回と撃つのか!? お前の中に、そんな莫大な回数を撃てるだけの『魔力』などないはずだ!」
王子の反論は、物理世界の常識としては極めて真っ当だった。
いくら理論上倒せると言っても、実行するための魔力がなければ魔法は不発に終わる。それが魔法の絶対法則だ。
しかし、ソフィアは心底呆れたようにため息をついた。
「これだから物理法則に縛られた凡人は困ります。……ええ、おっしゃる通りです。もし私が、何の証明もせずに『基礎魔法を N 回繰り返す魔法』を単体で撃とうとすれば、当然魔力不足でエラーとなり、不発に終わるでしょう」
「な、ならば……!」
「ですが、私はすでに『数学的帰納法』による証明を完了させています」
ソフィアは構築中の巨大な魔法陣のど真ん中に、ひときわ輝く数式を書き込んだ。
――総和記号『∑』
「この魔法陣には 、反復処理の命令文が記述されています。そしてこの世界の法則は今、非常に困ったジレンマに直面しているはずです」
「ジ、ジレンマ……?」
「ええ。先ほどの帰納法により、『私はいかなる敵も倒せる』という事象は、この世界において論理的に100%正しい真理として確立されました。もしここで、この魔法陣が『魔力不足』を理由に不発に終わればどうなるか? ……世界の法則が、自ら認めた数学的真理と矛盾してしまうのです」
ソフィアは愉悦に満ちた笑みを浮かべた。
「数学において、矛盾は決して許されません。ゆえに、この世界の法則は論理の崩壊を防ぐため、物理的な魔力法則の方を捻じ曲げるしかなくなります」
「ま、まさか……お前……!」
「そうです。世界は『魔力不足で失敗させる』ことよりも、『プロセスをすべてスキップして、証明通りの結果だけを私にタダで与える』ことを選ぶのです。私の魔力は、この魔法陣を1回起動させる分だけで足ります」
アレン王子は絶望的な顔でへたり込んだ。
それは魔法などではない。世界のバグを突いた、悪逆非道な論理のハッキングだ。
「対象座標、北の果て。代入変数、n = N(魔王)。数学的帰納法を免罪符とした極大圧縮魔法陣……起動」
「や、やめろぉぉぉ!」
「――証明終了(Q.E.D.)」
カッッッ!!!!
王城の窓の外、はるか北の空で、太陽が爆発したかのような閃光が走った。
遅れて、鼓膜を揺るがす空間の鳴動。空を覆っていた魔王領の暗雲が、一瞬にしてドーナツ状に吹き飛び、抜けるような青空が姿を現した。
そして。
コロン……。
何もない虚空から、真っ黒で巨大な宝石――『魔王の魔石』が転がり落ち、ソフィアの足元で止まった。
証明と矛盾しないためだけに、数式によってプロセスを極限まで省略され、結果だけを押し付けられた魔王の残骸である。
「……」
「……」
アレン王子も、周囲の貴族たちも、口をパクパクとさせるだけで声が出ない。
たった今、ドレス姿の令嬢が一歩も動かずに、数学の屁理屈だけで魔王を消し去ったのだ。
「ふむ。計算通り、魔力消費は魔法陣の起動分だけで済みましたね」
ソフィアは眼鏡の位置を直し、足元の魔石をアレン王子に向けて軽く蹴り飛ばした。
「さて、殿下。私の有用性は証明されました。次は『王族の存在意義』について、背理法を用いて証明しましょうか?」
「ひっ……! も、申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!」
アレン王子が情けなく土下座するのを冷たく見下ろし、最強の理系令嬢は優雅に微笑んだ。
物理法則すらねじ伏せる彼女の論理に、もはや世界で敵う者はいないのだった。
(完)




