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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

氷の宰相の寝かしつけ係に任命されました

作者:

「なんだ、この男は」


 そう呟いた白銀の髪にアイスブルーの瞳を持つ、超絶美形の青年が無表情のまま、石畳の床に座っている青年を睨んだ。

 サラサラな髪にキリッとした眉、その下には涼しげで鋭い目。筋が通った鼻に形が良い唇と滑らかな白い肌。しかも、整っているのは顔だけでなく、太い首に適度に鍛えられた体躯に高身長という、モデル顔負けの容姿。

 その隣に立つ、くすんだ黒いフードを被った男の存在感も消すほどの風格。


 だが、そんな威圧にも負けず、睨まれた青年は茶髪を振り乱しながら立ち上がった。


「いや、それはこっちのセリフや。なんやねん、おまえら……っていうか、ここはどこや!?」


 翡翠のような緑の瞳を瞬かせながら周囲を観察していく。ついさっきまで自室のパソコンで次のボイスドラマの配信の準備をしていたのだ。

 それが、突如パソコンの画面が眩しく光ったため目を閉じ、次に目を開けたらこの部屋にいた。


「日本にこんな場所があるんか? なんかの撮影か? ドッキリか?」


 ツンとした薬草の香りと、ムワッと淀んだ空気が漂う石造りの部屋。窓はなく、棚には様々な瓶が並ぶ光景はまるで理科の実験室のような雰囲気。


 青年は大きな目をキョロキョロと世話しなく視線を泳がしていたが、足元を見た瞬間、その動きが止まった。

 足元には魔法陣のような幾何学模様があり、なんとなく嫌な予感が脳裏に浮かぶ。


「まさか……いや、そんな、非現実的すぎるやろ。異世界に召喚なんて漫画の世界やで」


 ブツブツと呟き続ける青年に男が訊ねた。


「おい、男。おまえ、名は?」


 上から目線の言い方に青年がキッと睨み上げる。


「他人に名前を聞く時は自分から名乗るのが礼儀やろ。それとも、礼儀のれの字も知らない人種か? はあ、それはそれは失礼しましたなぁ。そんな底辺な文化の人間に礼儀を問うたオレが悪かった。オレの名は佐倉亮や」


 そんな亮の勢いに押されたのか男が顔を引きつかせながら隣に立つフードの男へ声をかけた。


「本当にコレが問題を解決するのか? この変なイントネーションで無駄に言葉が多い無礼者が」

「変なイントネーションちゃうわ! 関西弁や! そっちの方が無礼やろ! それとも恥ずかしい名前で名乗れないのか? あぁ、それはまたまた失礼したわ。失敬、失敬」


 軽く手を振りながらまったく失礼と思っていない声音に男が眉をひそめる。


「この国の宰相である私にそのような口をきくなど、本来であれば不敬罪で処刑だぞ」

「はっ、何かあればすぐに処刑。人の命が軽い世界やな。ほんま、程度が知れるわ」


 嫌悪混じりの声に男がますます眉間にシワを寄せる。

 それから、アイスブルーの瞳を鋭くしてフードを被った男を睨んだ。


「本当にこいつで間違いないのか?」

「は、はい。魔法では、間違いないはず……です」


 フードの下で萎縮する男。

 その様子に亮が笑顔のまま不機嫌な声音で言った。


「はっ、お偉いさんは言うだけやからな。失敗しても下のせいで、自分は何も悪くないって顔して、ホンマええご身分や。しかも、いまだに説明も何もなし。こんな手際の悪いヤツの下で働かないといけないなんて、同情しかないわ。おっと、失礼、宰相さんやったっけ? それなら、この国の国民に同情せなアカンやったな」


 ペラペラと亮の話が進むにつれて、フードの男の顔がどんどん青くなっていく。

 そこに遮るような低い声が響いた。


「シュラーフェン」

「は?」

「シュラーフェン・ヴァルトフォーゲルだ」


 男の名乗りに亮がフッと笑う。


「これまた、かっこええ名前やな。男前の兄さんにピッタリや」


 その言葉にシュラーフェンの白い頬にほんのりと赤みがさした。それから、逃げるようにアイスブルーの瞳が逸れる。

 まるで生娘のような反応に亮はグッと良心が刺激された。


(今のは嫌味で照れるところとはちゃうねん! それに名前を褒めるなんて、よくあることやろ! ほんま、なんやねんこいつ)


 調子を崩されたが、とにかく話を進めたい亮は一番気になっていた質問をした。


「で、オレは何のために呼ばれたんや? まさか、世界を救え、なんて言わんやろ?」


 そこに妙な沈黙が落ちる。

 フードの男はチラチラと上司の顔色を伺うように視線を飛ばすだけ。一方の上司であるシュラーフェンは顔を背けたまま。

 話が進みそうにない状況に亮が口を開こうとした時、今にも消えそうなほど小さな声がした。


「……寝かしつけるためだ」


 そっぽを向いたまま呟いたシュラーフェンに亮が肩をすくめる。


「なんや、そんなことか。で、寝かしつけるのは赤ん坊か? それとも、わんぱくな子どもか? 赤ん坊や子どもの寝かしつけはしたことがないけど、まあ、何とかなるやろ」


 その説明に白銀の髪がサラリと揺れた。


「おまえは大人の寝かしつけをしたことがあるのか?」

「な、なんでわかったんや?」

「赤ん坊や子どもの寝かしつけはしたことがない、と言った。つまり、赤ん坊や子ども以外の寝かしつけをしたことがある、というころだろ?」


 その指摘に翡翠の瞳がスッと逃げる。


「……意外と鋭いヤツやな」


 愚痴に近い小声を聞き逃さなかったシュラーフェンが頷く。


「なら、寝かしつけをしろ。無理だったら、さっさと元の世界へ還す」

「還れるのか!?」


 亮が読んだ小説や漫画では召喚は一方通行で還れないことが多かった。だから、半分ヤケで拗ねた状態だったのだが。

 翡翠のような瞳を丸くしてパチパチと目を瞬かせている亮を背の高いシュラーフェンが不思議そうに見下ろす。


「当たり前だろ。還すことができないのに召喚をしたら、それは誘拐だ。人権無視も甚だしい」

「いや、簡単に処刑って言うほうが人権無視も甚だしいやろ! まあ、そこはいいわ。寝かしつけても、寝かしつけられなくても、とにかくやることをやったら還れるってことなんやろ?」

「そうだ」


 大きく頷いたシュラーフェンに対して、亮がガッツポーズをする。


「よし、それならさっさとやったるわ。で、誰を寝かしつけしたらええんや?」


 再び流れる沈黙。

 まどろっこしい時間に再び亮が口を開こうとした時、今にも消えそうな低い声がした。


「私だ」


 答えたのは神妙な顔をしたシュラーフェン。

 眉目秀麗で女性から黄色い声援をいっせいに浴びるであろう外見。白い肌が見ようによっては青白くも見えるが、逞しい体躯はどこからどう見ても健康優良そのもの。

 とても寝かしつけをするような年齢でもないし、寝かしつけが必要にも見えない。


「また、また、下手な冗談やな。こんな男前の兄さんが……」


 軽く流そうとする亮をアイスブルーの瞳が静かに見つめる。

 その雰囲気は真剣そのもので。


「マジかぁ……」


 亮は額に手を当てて俯いた。


~※~


『亮って軽いっていうかチャラいよね?』

『そうそう。ノリはいいんだけど』

『なんか、ね』

『本命って感じがしないのよ』


 亮の人付き合いは広く、浅かった。そのため、裏ではチャラいとか、軽いと言われることが多々あった。


 亮自身は別に軽い付き合いをしているつもりはない。だが、深くも付き合えなかった。

 彼女を作ろうとしたことも、彼女を作ったこともある。しかし、どうしても長続きしない。


 その原因は物心がついた時にはあった、心の中にポッカリと空いた穴のような虚無感。誰と一緒にいても、どんなに近くにいても、その穴が埋まる感じはなかった。


 だが、その穴が一度だけ塞がったような感覚になったことがある。

 それは、幼い頃に一度だけ会った子。


 どこで、どうやって会ったのか。それが、どんな子だったのかさえ覚えていない。

 ただ、会った時にずっと感じていた虚無感が消えた。心の中にある塞がらない穴が塞がったような、満たされたような感覚。

 それ以後、その感覚になったことはない。


 そして、その時にその子から言われた言葉が幼心に刺さり、抜けないまま楔となって残っている。


(どうすれば、会えるんやろうなぁ)


 その子の顔を覚えていないので、会えても分からないかもしれない。それでも、つい探してしまう。


 だが、どれだけ探しても見つけられず。見つからず。


 いつからか、その虚しさと心の穴を埋めるように亮はいつからか配信ボイスを始めていた。


 みんなに甘い言葉を囁き、みんなが望むセリフを口にする。


 すると、みんなが喜んで反応を返してくれた。全員が喜んでくれたわけではないが、それでも少しずつリスナーは増えていった。


(もしかしたら、リスナーの中に探している子がいるかもしれない。もしかしたら、向こうからオレを見つけてくれるかもしれない)


 そう考えた亮は配信をやめられなくなり、ますます広く浅い交流を続けていった。


 こうして、ますますチャラいキャラと定着していくイメージ。


 本当の自分とは違う。それでも、その子を見つけるためなら、その子に会うためなら……


 心にぽっかりと穴があいたような虚無感と、探している子に会えない焦燥感。そして、周囲にチャラいキャラと扱われ、不協和音のように広がっていく認識。


 こうして亮は気が付いた時には不眠になっていた。


 医者にもかかったが原因を取り除かなければ睡眠は改善しないと言われた。かといって配信ボイスは止められないし、睡眠薬には依存したくない。


 そのため、亮は不眠対策を調べまくり実戦しまくり、どうにか睡眠薬なしで眠れるぐらいにはなった。だが、眠りは浅く熟睡まではできない。


 それでも眠れるだけマシと考え、自分が不眠のためにやった内容を取り入れたボイス配信をしたところ、いつからか安眠ボイスと呼ばれるようになっていた。


『亮ちゃんの声って心地良いよね。おかげで、ぐっすり眠れたよ』

『せやろ。どうせなら、オレの夢みてや』

『もう、調子がいいんだから。ちなみに、亮ちゃんって彼女いないの?』

『オレはみんなの亮ちゃんやからなぁ。ほら、みんなのアイドル? みたいな』

『もー、亮ちゃんたらぁ』


 こうしてチャラいキャラがますます定着しつつ、心地よい声で良眠へ導いてくれると人気はあがったのだが……


「……それが、こんなことに繋がるなんて想像もできへんやろ」


 そうぼやく亮の前にはヨーロッパの宮殿の一室のような部屋があった。


 キラキラと輝くような絢爛豪華な調度品。

 アンティークに詳しくなくても超高価だと分かる応接セット。土足のまま踏むことを躊躇う職人技が光る絨毯。宝石のごとく光り輝く執務机。

 そのど真ん中に置かれた天蓋付きのキングサイズのベッド。


「広くて派手な部屋だから寝られないだけやないか?」


 嫉妬混じりの声が虚しく響く。

 そこに亮を召喚した魔法使いが部屋に入ってきた。


「頼まれた物をお持ちしました」


 魔法使いが持っている物を見て翡翠の瞳が喜々と輝く。


「よくあったな!」

「あったというか、リョウ様が望んだ物を魔法で召喚しただけですので」

「へぇ、望んだ物を召喚できるなんて魔法ってほんまに便利なんやな。魔力とかは大丈夫なん?」

「そこは魔石を使用しますので」

「ますますファンタジーの世界やな」


 感心する亮に魔法使いがおずおずと訊ねる。


「ですが、これでシュラーフェン様を寝かしつけることができるのですか?」

「わからんけど、やってみるしかないやろ。そもそも、そのシュラーフェンが寝るのに必要なモノとしてオレが召喚されたんやろ?」

「そうですが……シュラーフェン様は不眠が酷く、これまでいくつもの薬と魔法を使ってきました。ですが、それも限界となり、これ以上、薬や魔法を使えば永遠の眠りについてしまいます」

「不眠あるあるやな」


 軽く言った亮に魔法使いが頭をさげる。


「あとはリョウ様だけが頼りなのです」

「まあ、やるだけやってみるから、期待せんとう待っといて」


 そう言うと亮は魔法使いが持ってきた物をテーブルに並べた。

 どれも見覚えも使った覚えもある、不眠対策の品々。


「うん、うん。十分やな」


 満足そうに頷く亮に魔法使いが訊ねる。


「あの、何か手伝えることはありますか?」

「んー、いや。手伝ってもらうようなことはしないし、いろいろ召喚してあんたも疲れたやろ? 今日は休んどき」

「ですが……」

「寝れても、寝れんでも、オレを還すのは明日でええから……って、まさか時間の流れが違うとかあらへんよな!? 元の世界に戻ったら一年ぐらい経ってました、とか!? 浦島太郎になるのは嫌やで!」

「うらし……? については存じませんが、時間の流れは同じですから問題ありません」

「なら、安心やな」


 ホッと息を吐いた亮は改めて魔法使いに言った。


「そんじゃあ、あんたは休んどき。疲労でオレを還せないってならないようにな」

「……わかりました。お先に失礼いたします」


 そう言って頭をさげた魔法使いがすまなそうに部屋を出て行く。

 その後ろ姿を見送った亮はテーブルに視線を落とした。


「よし、やるか」


 亮も不眠の辛さはよく知っている。

 だからこそ、効果的な方法も。


「人それぞれやから効くとは限らんけど、まぁ、効いたらええな」


 安眠へ向けてテキパキと環境を整えていく。

 すると、入り口とは違う奥のドアが開いた。


「言われた通り湯に浸かったぞ」


 低い声とともに薄手の寝間着をまとったシュラーフェンが現れる。

 しっとりと濡れた銀髪に艶を帯びたアイスブルーの瞳。そこに、薄手の寝間着のため鍛えられた筋肉が薄っすらと浮き上がり、微かに蒸気した肌が艶めかしさを倍増させている。


(どこぞの男娼か!?)


 亮は喉から出かけたツッコミを根性で堪えるように額に手を当てて俯いた。


「なんで、こんなことに……はぁ……」


 やはり寝かしつけをするような相手には見えない。いや、寝かしつけをするのが自分というのが合わない。

 これが、金髪碧眼でナイスバディな美女なら絵にもなるし、違和感もないだろう。


 ため息とともに亮の茶髪も下がる。

 そこに仁王立ちをしているシュラーフェンが胸の前で腕を組んだ。


「ほら、早く寝かせろ」

「あんた、寝かせてもらう側なのに態度がデカいな」


 翡翠の瞳がジロリと見上げる。

 だが、アイスブルーの瞳は平然としたまま、フンッと鼻を鳴らした。


「おまえに本当に寝かせるだけの技量があるならな。私はこれ以上、睡眠薬も睡眠魔法も使えない体だ。そんな私を寝かしつけることなど、本当にできるのか?」


 その態度にカチンときた亮がシュラーフェンを指さす。


「そっちが勝手に寝かしつけられるヤツとしてオレを召喚したんやろ! 寝られなかったら、さっさとオレを元の世界に返品せえよ!」

「当然だ。無能に用はない」


 指を刺されても眉一つ動かさず、淡々としている。

 そんなシュラーフェンの態度に亮はますます声を荒げた。


「あー、いちいち腹が立つヤツやな! 無駄に顔と声が良い分、よけに腹立つし!」

「御託はいいから、さっさと始めろ」


 感情の見えない声音とともにアイスブルーの瞳が鋭くなる。

 その様子に亮は喚くのを止めて意識を切り替えた。


「わかった、わかった。まずはベッドに座れ」


 そう言いながら亮はテーブルでゴソゴソと作業を始めた。

 一方でシュラーフェンが大人しくベッドへ腰を下ろす。ピンッと張ったシワ一つない白いシーツ。そこに、ふわりと花の香りが舞い上がった。


「……ん? なんだ、この匂いは?」


 軽く周囲を見まわすように白銀の髪が揺れる。

 その様子に亮が作業をしていた手を止めて枕元を指さした。


「ラベンダーの匂い袋や。リラックスと安眠効果がある匂いといえばラベンダーやろ。さっきの魔法使いに取り寄せてもらったんや。あと、寝る前に珈琲とか紅茶とか酒とか飲んでないやろうな?」

「……酒も飲んだらいけないのか?」


 思わぬ質問に茶髪が逆立つ。


「アホか! 酒は眠りが浅くなるし、夜中に目覚めやすくなるんや! 良眠したいなら、酒や珈琲は飲むな! ノンカフェインのハーブティーを飲め! ほら!」


 テーブルでゴソゴソと作業をしていた亮がティーカップを差し出した。

 カップの中からほわんと湯気があがり、花の香りがシュラーフェンの鼻をくすぐる。


「……これは?」

「カモミールとスペアミントをブレンドしたハーブティーや。これも魔法使いに茶葉を取り寄せてもらってな。淹れたてやで」


 説明を聞きながらシュラーフェンは大人しくティーカップを受け取った。

 だが、そこから硬直したように動かない。淡い黄金色の水面に映ったアイスブルーの瞳が揺れるのみ。


「……なんや、変な顔して。毒なんか入ってないから、さっさと飲めや。これも、寝かしつけの一つやで」


 その言葉に押されるように薄い唇がゆっくりとティーカップに口をつけた。

 珈琲のような苦みも、紅茶のような渋みもない。ほどよい温もりと落ち着く風味が喉から体の芯へと落ちていく。


「…………ふむ。青りんごのような甘く爽やかな香りだが、後味はスッキリしているな」

「よし。全部、飲んだら次は手を出せ」


 亮の指示にシュラーフェンは空になったカップをサイドテーブルに置いて大人しく右手を出した。


「何をするつもりだ?」

「ツボ押しや。体が寝やすくなるように誘導する」


 そう言いながら亮がシュラーフェンの大きな右手を両手で包んだ。

 同じ男のはずなのに、自分より少し小さく細い指が右手の親指と人差し指の付け根が交差する辺りをグイグイと押していく。若干の痛みがある程度で眠気も何も感じない。


「……そんな指の付け根を押すだけで眠くなるのか?」


 左手のツボ押しもした亮がフッと意味深に口角をあげた。


「ツボはここだけじゃあらへん。ほら、次は頭のてっぺんをマッサージするで。そのまま、ジッとしとき。ちょっと後ろに行くで」


 ギシリとベッドがしなり、茶髪が背後へと移動する。


「なにをする!?」


 職業柄、命を狙われることも少なくないシュラーフェンは護衛がいない時に背後に人が立つことを良しとしない。

 だが、そんなことを知るはずもない亮は不思議そうに首を傾げた。


「だから、ツボ押しやって。後ろからやないと押しにくいからな。ほら、頭のてっぺんから押していくで」


 ベッドの端に座るシュラーフェンの後ろで亮が膝立ちになる。さすがに、この姿勢なら亮の方が頭の位置は高い。


 見下されるのは癪だが、これも寝るため、と己に言い聞かせながらシュラーフェンは前を向いた。


(なんや、素直なところもあるやん)


 あれだけ態度が大きかったシュラーフェンが自分の指示に大人しく従ったことに軽い優越感を覚えつつ、亮は白銀の髪の中へ自分の指を埋めた。それから、ぐいーっとゆっくり頭頂部を押しては、ゆっくりと離すを数回、繰り返す。

 それが終わると、次は白銀の頭をボールのように掴み、頭皮全体を揉むように指に力を入れた。


「……っ、くっ、ふっ」


 気持ち良さを堪えるような声がシュラーフェンの薄い唇から漏れる。

 そのことに気分が良くなった亮が指を頭から首へと滑らせた。


「なかなか気持ちええやろ。あとは耳の後ろにも安眠のツボがあるんやで」


 白銀の髪がかかる形の良い耳。その後ろから下にむかってマッサージをするように指を滑らせながらツボも押していく。


 一方のシュラーフェンは、亮が施術する不思議な気持ち良さに流されないように耐えるだけで精一杯になっていた。


「こ、これは、初めての感覚だな」

「なんや、マッサージされたことないんか? こんなに体がガチガチに固まってたら、そりゃあ寝れんわ。ついでだから、肩と背中も軽くもんでストレッチしといたる」


 ガッシリと肩を掴まれたかと思えば、そのまま指が食い込んできた。


「は? んっ、ふっ……お、ぅん!」


 強い力で押されているはずなのに、痛みはなく気持ちいい。しかも、親指が背中の中心を押すのだが、それがまた丁度いい。

 亮の親指が固まった筋肉を揉みほぐすように少しずつ移動しながら気持ちがいいところを的確に押していく。


「気持ちええなら我慢せずに声だしや」


 そう言われて、はい、そうします。と言える性格のシュラーフェンではない。

 とにかく無言のまま初めて感じる快楽を耐え忍んでいると、背中から手が離れた。


「よし、ええ感じにほぐれてきたな。ほな、最後の仕上げや。ほら、ベッドに転がれ。あ、うつ伏せでな」


 ベッドがギシリと揺れ、亮が後ろへと下がる。

 シュラーフェンは快楽に耐えるため、微妙に疲労していたので、これ幸いと体を倒した。


「これで、いいのか? なっ、足に何をする!?」


 うつ伏せになったところで、足元へ移動した亮がシュラーフェンの右足首をガッシリと掴んだ。


「なにって、足裏のマッサージや。足裏には、いろんなツボがあるからな。痛すぎたら言うんやで。痛気持ちいいぐらいなら、我慢しいや」


 足の裏を触られればくすぐったい。それなのに、痛気持ちいいとはどういうことなのか?

 そんな疑問がシュラーフェンの脳裏に過ったところで、亮が足裏にグリグリと拳を押し付けた。


「痛気持ちいい? はっ!? なっ! んぅ、くっ! あっ、んっ……こっ、これが、痛気持ちい、い、か……グッ!」


 確かに痛いが気持ちがいい。

 シュラーフェンはこれまた初めての感覚に声が漏れそうになったが、どうにか唇の端を噛んで誤魔化した。声を我慢しなくていいと言われたが、そこは山脈より高いプライドが許さない。

 両手でシーツを握り、どうにか声が出ないように堪える。


「せやで。意外とクセになる痛みやろ?」

「ま、まぁまぁだな……っく!」

「じゃあ、反対の足やな」


 亮の無情な声にシュラーフェンは思わず上半身をのけ反らせて声をあげた。


「反対もするのか!?」

「当然や。まぁまぁなら問題ないやろ」


 そう言ってニヤリと笑う翡翠の瞳。まるで、これで降参か? と挑発するような亮の顔にカチンときたシュラーフェンが、フンッとうつ伏せた。


「好きにしろ」

「へい、へい。じゃあ、好きにさせてもらうで」


 再び始まる足裏マッサージ。やはり先程と同じ痛気持ちいい感覚がシュラーフェンを襲う。

 とにかく声が漏れないように我慢しつつ、顔をシーツに埋める。それでも我慢しきれない声はシーツに吸い込まれ……


「クッ……ぁ、ふっ! っう、ンぅ……ック」


 徐々に声が増えてきたところで亮がシュラーフェンの足を解放した。


「……よし。これで、寝る前の準備は終わりやな」

「はぁ、はぁ、はぁ……って、これは準備だったのか!?」


 脱力してベッドに伏せていた白銀の髪が跳ね上がる。

 唖然とした目をむけるシュラーフェンに亮は胸の前で腕を組んで大きく頷いた。


「当然やろ。体にこれから寝るぞって準備をさせないで、なんで寝られると思ってるんや」

「こんなに準備が必要なのか。知らなかった」


 上半身を起こしたまま項垂れるシュラーフェンに軽い声がかかる。


「そこは人それぞれやからな。慣れてきたら、もっと簡単な準備だけで眠くなるから安心しいや。今日は初めてやから念入りにしているだけや。ほら、仰向けになり」

「……今度は何をする気だ?」


 ジロリと見上げてくる警戒心に染まったアイスブルーの瞳。

 その様子に亮が思わず苦笑いを浮かべた。


「ええかげん、その不審者を見るような目はやめや。こっちは、そちらさんの都合で勝手に召喚された身なんやから」


 そう言われてシュラーフェンはハッとした。

 散々体を弄ばれたような感覚になってはいたが、これもすべては自分を寝かしつけるため。無理を言っているのは、こちらの方なのだ。

 そのことを思い出し、気まずい気持ちとともに視線を逸らす。


「……すまん、そんな目をしているつもりはなかったんだが」

「なんや、謝れるんか。偉いやん」

「……えらい?」


 思わぬ言葉に白銀の髪がピクリと動く。

 だが、そのことに気づいていない亮はいつもの軽いノリで言った。


「そうや。ちゃんと謝れるのは偉いで。あと、あんたは体がこんなにカチコチになるぐらい頑張ってきて、偉いな。あ、そうか。お偉いさんだから、常に気を張ってるから、そんな目になるんやな。それなら、安心しい。オレに気を張る必要なないからな」


 ペラペラとしゃべる口を封じるようにギロッとアイスブルーの瞳が睨む。


「おまえに私の何が分かる?」


 怒りを堪えた、淡々とした声音。この声を聞いた者は失礼をした、とすぐに頭をさげて謝ってきた。

 だが、亮は翡翠の瞳が柔らかくしてニコッと笑った。


「分からんから、何も気にせんでええって言うことや。ほら、横になって、そのまま目を閉じて。ゆっくり大きく深呼吸してみい」


 どこまでもマイペースで軽いノリ。

 暖簾に腕押しのような手ごたえのなさにシュラーフェンは肩の力を抜いて諦めた。


(所詮は異世界の人間。思考も常識も違う相手だ)


 そう考えて己を納得させたシュラーフェンは言われた通りに深呼吸をした。


「……すぅ、はぁ」

「そうそう、上手やで」


 呼吸に合わせてベッドの端に腰かけた亮が白銀の頭を撫でる。

 柔らかく温かな手のひらの感触に毛羽立っていた心が落ちついていく。


「そのまま、何も考えずにオレの声だけを聴くんや。ほら、何も考えずに、大きく息を吸って……吐いて……息を吐く度に顔の力を抜いて……そうや、上手いで」


 私欲や裏のない純粋な褒め言葉。

 そんな言葉をむけられたのは、いつ以来か。人から向けられる言葉には常に警戒して、緊張していた。どこまで信じていいのか、何が真実なのか。

 常に考え、正しい判断を求められていた。


 でも、今はそんなことを考えなくていい。言われるまま、何も考えなくていい……


「そのまま、大きく息を吸って、吐いて……次は首から肩の力を抜いて……そう、そのまま次は腕の力も抜いて……大きく息を吸って、吐いて……胸の力も抜いて……」


 少しずつ全身の力が抜け、体が重くなっていく。


「息を吐くたびに力を抜いたところがベッドに沈み込ませて……そう、そう、少しずつ上から全身の力を抜いていくんや」


 すべての感覚が遠のいていく中で、亮の心地良い声が全身に沁み込んでいく。

 まるで水の中で浮かんでいるような、不思議な浮遊感と解放感が心と体を満たしていく。


「ほら、余計なことは何も考えんでええ。オレの声だけを聴いて……そのまま、ベッドに体を沈み込ませて……そう、そのまま何も考えずに、ゆっくりと意識を落として……ええ子や……」


 ずっと、この声を聞いていたいのに、意識が沈んでいく。

 もっと聞いていたいのに……


「……すぅ」


 穏やかな寝息が寝室に響いた。


「ほんまに寝てもうた……」


 自分の手の下でスヤスヤと眠る寝顔。

 その姿に亮は唖然となっていた。

 ここまで上手くいくとは思っておらず、この後のことをまったく考えていなかったのだ。


「すぅ……」


 手の下でサラリと流れる白銀の髪。見た目通りにサラサラでツヤツヤなのだが、意外と柔らかく触り心地はいい。

 眉目秀麗で絶世の美男。だが、性格は横柄で表情筋は死んでいるのかというほど不愛想。


 それなのに、自分の声でこんなに簡単に寝てしまうとは。


「寝顔は案外、可愛いんやな。仕方ない、もう少し居てやるか」


 どこか愛らしさを感じてしまった亮はしばらくその寝顔を眺めていた。


~※~


『おまえの声は心地良いな』


 子どもにしてはマセた言葉遣いだと思った。

 だが、その子どもは出会ったとたん、ずっと抱えていた虚無感を打ち消した。自分より少し年上の子ども。ずっと失くしていた半身に会えたような、こうして隣にいることが当たり前のような安堵感。


 同時に声を褒められたことが嬉しくて、そこから自分の声に自信を持ち、宝物となった。


 そんな亮の虚無感を埋めた子どもは、その言葉とともに心の楔となって残り続けた――――――


~※~


 柔らかな陽射しが室内を照らす。


「……朝、か?」


 いつもと違う全身を包む温もりと、いつもと違う枕の感触に違和感を覚えながら亮は瞼をあけた。


「なんか、久しぶりに熟睡したな……」


 スヤスヤと気持ちよさそうに寝るシュラーフェンを見ていたら、いつの間にか眠っていたらしい。

 ただ、どれだけベッドのマットを変えても、どれだけ枕を変えても、ここまで心地よく眠れたことはなかった。


「やっぱり豪華なベッドと枕だと違うんやな」


 そう呟きながら顔を動かすと、すぐ真横には厚い胸板。そして、頭の下には逞しい腕があり……


「!?!?!?!?!?!?」


 声にならない叫びとともに亮の体が硬直した。

 少し視線をあげればスヤスヤと眠る眉目秀麗な美男。白銀の髪が閉じられた瞼の上をサラリと流れる。形が良い唇は薄っすらと開き、白い歯が覗く。


(はぁ、こんな間近で見ても美形は美形なんやなぁ。しかも、睫毛がごっつぅ長いし。うわっ、睫毛まで白銀でキラキラやん……って、現実逃避してる場合やあらへん!)


 抱き枕のように抱きしめられているが、このままというわけにはいかない。

 どうにか抜け出そうと動くが逆に強く抱きしめられる始末。


(このバカ力が! どないせぇっつうねん!)


 ただ、不思議なことに嫌悪感はない。

 それどころか、ずっとポッカリと空いていた穴が少しだけ満たされたような安堵感がある。何をしても、誰といても満たされたことがないのに。


(なんで……)


 そこにふわりと甘い花のような香りがした。安眠のために用意をしたラベンダーとは違う、甘くて、もっと嗅ぎたくなるような匂い。


 その匂いの元を探すように視線をあげると、瞼が動いてアイスブルーの瞳が薄っすらと覗いていた。

 ただ、まだ寝ぼけているらしく、ぼんやりとしていて焦点があっていない。


 それでも、亮と目があった瞬間、ふわりと柔らかい笑みが浮かんだ。

 これまでの冷淡な無表情との落差にドキリと胸が跳ねる。


(な、なんや、そんな顔もできるんやん!)


 あわあわする気持ちを誤魔化すように心の中でツッコミをしていると、逞しい腕がギュッと亮を抱きしめた。


「え? えぇ!?」


 パニックになっていると、スヤスヤと気持ちよさそうな寝息が耳にかかった。

 そのことに、亮の中で何かがプチンと切れる。


「なんで、二度寝するんや! ええ加減、起きや! 朝やで!」


 その声でようやく亮を抱きしめていた腕の力が緩んだ。


「……あぁ、朝か……………………朝だと!?」


 それまで微睡んでいたアイスブルーの瞳に力が入り、ガバッと上半身が起き上がる。それから、白銀の髪を振り乱しながらキョロキョロと室内を見回した後、朝日が差し込む窓を見て動きを止めた。


「……本当に、朝なのか。夜中に目覚めることなく、朝まで眠れたとは」


 呆然としたままシュラーフェンが呟く。

 その様子に体を起こした亮がフフンと胸を張って腰に手を当てた。


「オレの寝かしつけが上手くいったってことで、ええかな?」

「あぁ」


 シュラーフェンは頷いたものの、信じられないとばかりに目を見開いたまま硬直している。

 その様子に亮は思わず吹き出した。


「まあ、しっかり寝られたなら良かったな」

「……本当に驚きだ。還る前に昨日したことを紙に書いて残してほしいのだが、いいか?」


 シュラーフェンのしおらしい様子に翡翠の目が丸くなる。


「別にええけど……なんか変なもんでも喰ったか?」

「普段とは違う口にしたものと言えば、おまえが淹れたハーブティーぐらいだが?」

「いや、真面目に答えんでええから」


 反射的にツッコミを入れた亮がはぁ、とため息を吐く。

 その様子にコテンと白銀の髪が揺れた。


「どうした、何か問題があるのか? 報酬なら用意するが」

「そうじゃなくて、昨日の偉そうな態度! 最初っから今みたいな態度なら快く協力してやったのに!」


 その訴えにアイスブルーの瞳がスッと逃げた。


「いや、まさか、ここまで効果があると思わなくてな」


 どこかバツが悪そうな顔。まるで悪戯をした子どもが怒られたような表情に亮はプッと吹き出した。


「まあ、ええわ。ちゃんと昨日したことは全部紙に書いてやるから。それにしても、よく効いたんやなぁ。しかも、起きたら抱きしめられとるし。誰と間違えたんが知らんけど、美人のお姉ちゃんじゃなくて、すまんかったなぁ」


 実際はかなり恥ずかしかったのだが、そのことを誤魔化すように軽く話していく。

 すると、アイスブルーの瞳がチラリと亮を見たあと、サッと逃げるように顔を背けた。


「……間違えたつもりはない」

「へ?」


 ボソッと聞こえた声。

 どうゆうことや!? と確認する前に咳払いをしたシュラーフェンが亮と正面から向きあうように姿勢を変えた。その顔は初めて会った時と同じ無表情。


「朝食を準備させる。食べ終わってから書き残せ」

「い、いや、朝飯はいらんから、先に紙とペンだけ貸してや」

「……朝は食べないのか?」


 シュラーフェンが少しだけ眉間のシワを深くする。

 その様子に亮は慌てて手を横に振った。


「朝はその、スープとか軽いもんで済ますんや。パンとか米だと、ずっと胃にもたれて気持ち悪いんや」


 本当は経口栄養ゼリーなのだが、ゼリーがこの世界にあるか分からないのでスープということにした。

 そんな亮の説明にアイスブルーの瞳が鋭くなり、太い腕が伸びる。


「そんな食事だからこんなに細いのか。もう少しまともなものを喰え。すぐに倒れるぞ」


 そう言いながら大きな手が細い腰に触れた。


「っ!?」


 驚く亮を無視してシュラーフェンが腰を挟むように両手で掴み、そのまま確認するようにサワサワと手を動かしていく。


「細すぎだろ。女でもここまで細いのは、なかなかいないぞ」


 服の上から触られているのに太い指の感触が伝わる。自分の手よりもずっと大きく、しっかりした手。

 しかも、アイスブルーの瞳がまじまじと真剣な表情で自分の腰を観察している。


 その真っ直ぐな眼差しに亮の胸がドキドキと早鐘を打ち始めた。


(な、なんや!? いままでだって他のヤツに触られたことぐらいあるのに、その時と全然違う!?)


 誰がどれだけ近くに来ても、触られても何も感じなかった。むしろ、嫌悪感の方が強かったかもしれない。


 それなのにシュラーフェンは違う。


 くすぐったいような、気持ちいいような、どこか嬉しい感じさえする。それどころか、もっと近くに、体を寄せて温もりと匂いを……


(って、オレは何を考えとんねん!)


 亮は傾きかけた思考を振り切るように怒鳴った。


「いつまで人の腰を触ってるんや! 同性でもセクハラやで、セクハラ!」


 その言葉にスッと手が離れる。


「セクハラとは何だ?」


 キョトンとしたシュラーフェンの顔に亮が額を押さえて俯いた。


「すぐに処刑とか言う世界にセクハラなんて概念ないわな。すまんかった、忘れてくれ」


 すると、先程まで好き放題に腰を触っていた手が亮の右手を掴んだ。


「いや、教えてくれ。もし不愉快な気持ちにさせたなら、謝る。すまない」


 無表情なのに、どこか必死な様相で迫るシュラーフェン。

 その姿に圧倒されつつ亮は自分が掴まれている手首を指さした。


「勝手に人の体に触るなっていうことや」


 その指摘にパッと手が離れる。


「そういうことか。悪かった」


 そう言うとシュラーフェンはベッドから立ち上がり宝石のように輝く机の引き出しから紙とペンを出した。


「これを自由に使うといい。私は身支度をしてくる」


 サッと白銀の髪をなびかせて部屋から出て行く。


 パタン、とドアが閉まったところで亮はベッドの上に座ったまま盛大にため息と肩を落とした。


「なんやねん……ごっつぅ調子が狂うんやけど」


 とはいえ、このままこの世界にいるわけにもいかない。

 さっさと元の世界に戻ってやることをやらねば。


「今日が日曜日でよかったわ」


 立ち上がった亮は座るのを躊躇うほど煌びやかな椅子に座り、準備された紙とペンを見た。


「……なんか、意外としっかりしているな」


 てっきりゴワゴワの紙にインクをペン先につけて書くタイプのペンだと思っていたが、机の上に置かれたのはサラッとした薄い紙にインクが入ったペンだった。


「魔法とかでこういうところの文明は進んでいるのかもしれへんな」


 そう納得した亮は寝かしつけの方法と注意点を書いていった。


~※~


 仕事着なのか普段着なのかキチッとした貴族服に着替えて部屋に戻ってきたシュラーフェンに亮は寝かしつけについて要点をまとめて書いた紙を渡した。


「もう書いたのか」

「オレは仕事が早いできる男やからな」


 フン、と胸を張る亮の前でシュラーフェンが懐から出した眼鏡をかけて紙に書かれた内容を読み始めた。


(美形の眼鏡姿! これまた、カッコよすぎるやろ!)


 胸の内で悶えながらも、亮はそれを表に出さずに軽いノリで言った。


「宰相っていうのは、眼鏡をかけても様になるんやなぁ。眼鏡が似合う男って羨ましいわ。そういえば、オレの国の言葉で書いたけど大丈夫か?」


 その問いに眼鏡の下のアイスブルーの瞳がチラッと動く。それから、すぐに視線が紙へと戻った。


「眼鏡に関してはおまえも似合うと思うがな。あと、この眼鏡は翻訳機能があるから問題ない」

「なんや、その超高性能な眼鏡! 凄い技術やん!」

「そのぶん、超高額になる。宰相の仕事で必要だから持っているだけだ。で、寝かしつけの報酬は何がいい?」


 読み終わったシュラーフェンが眼鏡を外しながら訊ねる。


 視線をずらせば、いつの間に入ってきたのか部屋の入り口に昨日、亮をこの世界に召喚した魔法使いが控えていた。その光景に元の世界に還るという実感が湧き出る。


(本当に還れるんやな)


 ほんの少しの名残惜しさと寂しさを感じながら亮は茶色の髪をかいた。


「報酬って言われてもなぁ……特にほしいものも浮かばへんし」

「そうなのか?」

「せやで。オレって無欲やからな」


 そう笑いながら、ふと探している子のことが浮かんだ。


(望むものを召喚できる魔法……それを使ったら、あの子を召喚できるんやろうけど……)


 そこまで考えた亮はフッと軽く頭を横に振った。


「オレは元の世界に還れるだけで十分や」

「……そうか」


 そう言って頷いたシュラーフェンがフードを深く被った魔法使いに小声で指示を出す。

 すると、前に出て来た魔法使いが大理石の床に膝をついて何かを描き始めた。


「なにをしとんや?」


 黙々と手を動かしている魔法使いの代わりにシュラーフェンが答える。


「おまえを元の世界に還す魔法陣を描いている」

「昨日、オレを召喚した魔法陣は使えへんのか?」

「…………あれとは別物だ」


 妙な間に亮が首を捻る。

 そこに魔法陣を描いていた魔法使いが立ち上がりシュラーフェンへ耳打ちをした。


「わかった」


 返事とともにアイスブルーの瞳が亮を見下ろす。


「なんや?」

「もうらうぞ」


 スッと大きな手が近づく。


「は? なにを……痛っ!?」


 チクッとした痛みとともに太い指には一本だけ抜かれた茶色の髪の毛があった。


「なんで、オレの髪がいるんや? いや、その前にいるって言ってくれたらオレが自分で抜いたで」


 人に抜かれるより自分で抜いた方が痛みはマシなのに、とブツブツと文句を言う亮を無視してシュラーフェンが自分の髪の毛も抜く。

 そして、白銀と茶色の髪を揃えて魔法使いへ渡した。


「いや、なんでおまえの髪もいるんや? オレのは還るために必要とか言うなら分かるけど、おまえはここにいるから必要ないやろ」

「……細かいことは気にするな」

「たぶん気にしないといけないヤツやろ」


 亮の疑問にアイスブルーの瞳がスッと逃げる。


「……気にするな」

「おまえ、実は嘘つくのが下手やな?」


 その問いに答えはない。

 視線を合わさないシュラーフェンに対して亮が体を寄せて下から覗き見ていると、魔法使いが声をかけてきた。


「帰還の魔法陣が描けました。リョウ様、魔法陣の上にお立ちください」

「……あ、そうか」


 なんとなく後ろ髪を引かれるような感覚を覚えながらシュラーフェンから離れる。


 立派な大理石の床に描かれた幾何学模様を組み合わせた魔法陣。この世界に来た時と若干違うようにも見えるが、還るためのものだからかもしれない。


 そんなことを考えながら亮は魔法陣の上に立った。


 自分を追いかけるように響く足音がやけに耳につく。


 俯いていると背後から影がかかった。導かれるように振り返ると、無表情のまま立つ眉目秀麗な男と目があった。

 どこかしょぼんとしたような、元気のない子犬のような姿になぜか笑みが漏れる。


「男前なんやから、オレを見習ってもう少し愛想よくせえよ」

「必要な時はしている」

「宰相だし、それぐらいは朝飯前か。いらん心配やったな」


 フワッと足元の魔法陣が輝き出した。この世界に召喚された時と同じ光に亮の胸がざわつく。

 何か伝え忘れたことがないかと言葉を探して、必死にしゃべった。


「ちゃんとオレが書いたことをして、しっかり寝るんやで! あと寝る前に酒は飲むなや! それと……」


 誰かと別れる時、こんなに焦ったことはなかった。

 どうして、こんな気持ちになるのか。たった一晩、寝かしつけをしただけなのに……


 そんな亮の気持ちとは反対に魔法陣の光が視界を埋め尽くした。


 次に目を開けた時、そこは見慣れた部屋だった。


「はぁ、戻ったんやな」


 夢のような時間。いや、異世界に転移していたなんて、夢としか思われない。


「配信のネタにもならないし、誰にも言えへんな。とりあえず、シャワーでも浴びて……」

「……どこだ、ここは?」


 突如、背後から聞こえた声に慌てて振り返る。

 そこには、ついさっき別れたはずの眉目秀麗な男が白銀の髪を揺らしながらキョロキョロと訝しげに室内を観察していた。


「ちょっ、いや、なんで、おまえがここに!?」


 指さして口をパクパクと動かす亮にシュラーフェンが軽く首を傾げた。


「おまえがほしいモノを言わなかったから、一番欲しいと思っているモノが召喚されるようにしたのだが……間違って私が召喚されたのか?」


 その言葉に翡翠の瞳が丸くなる。


「オレが一番欲しいモノ……まさか!? いや、そんなはずは……」

「心当たりがあるのか?」


 たしかに会いたいと願っている子の召喚を望んだ。ならば、幼い頃に会ったのは……


 半信半疑のままシュラーフェンを見上げる亮。

 一方のシュラーフェンは何事もなかったように淡々と頷いた。


「まあ、いい。還るだけなら、私の魔法でも還れる」

「そ、そうなのか?」


 ホッとしつつ、寂しいと感じた気持ちに蓋をする。


「これでルートは完全に覚えた」

「ルート?」


 亮が首を傾げると、薄い唇がフッと笑った。


「細かいことは気にするな」

「それ、絶対に気にしないといけないやつだろ!」

「気にするな」


 そう言うと大きな手が伸びてきて優しく茶髪を撫でた。

 穏やかなアイスブルーの瞳がふわりと見つめる。


「な、なんや?」

「おまえの声は心地良いな」


 その言葉に翡翠の瞳が大きくなり、朧気だった記憶の底が叫ぶように激しく波打つ。


「……」


 あまりの衝撃に声が出せない亮に綺麗な眉が残念そうにさがった。


「この後の予定が詰まっていてな。長居できないのだ」


 言葉とともにフワッと蜃気楼のようにシュラーフェンの姿が揺れる。


「あ……え?」


 思わず手を伸ばした亮にアイスブルーの瞳が柔らかく微笑んだ。


「また会おう」


 白銀の髪が粉雪ように消え、甘い花のような香りだけが残る。

 何も掴めなかった手がダランと落ちた。


「いや、まさか、嘘だろ……」


 亮は両手で頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。


(ずっと探していた子が、まさか……いや……)


 考えれば考えるほど認めたくないと思ってしまう。だが、心は素直で寂しいという気持ちとともにシュラーフェンを求めていて……


「また会おうって言っていたし、気が向いたら会いに来るかもしれへんな」


 微かな希望と願いのこもった声が小さな部屋に落ちた。


~※~


 三日後。

 亮は再び見覚えがある絢爛豪華な部屋に召喚されていた。


 まさか、こんなに早くまた召喚されるとは思っていなかったため、唖然としたまま室内を眺める。何一つ変わっていない部屋。ただ、肝心のシュラーフェンの姿がない。


 そのことに亮は残念のような、少しホッとしたような複雑な気持ちになった。


(三日とはいえ、どんな顔をして会えばいいか分からなかったしな)


 シュラーフェンがずっと探していた子のような気がするが、確実な証拠がない。この三日間、自分にそう言い聞かせることで感情を誤魔化してきた。


「ってか、なんでまた突然、召喚や!? 前もって連絡ぐらいしろや!」


 嬉しさを誤魔化すために怒っていると、フードを深く被った魔法使いがおずおずと出てきた。


「あ、あの、突然召喚をして、誠に申し訳ありません。その……リョウ様が書き残された安眠方法をすべておこなったのですがシュラーフェン様は眠ることができず……その、不眠のままでして……」

「え?」


 目を丸くした亮に魔法使いが説明を続ける。


「人を変えて何度もおこなったのですが、それでも無理でして……」


 少しの間を置いた後、言いにくそうに魔法使いが口を動かした。


「その結果、リョウ様がシュラーフェン様の寝かしつけ係に任命されました」


 予想外すぎる展開に亮が盛大にツッコミを入れた。


「寝かしつけ係ってなんやねん! そのために召喚って、魔力の無駄使いやないんか!? そもそも、あいつも少しは寝る努力とかしとんか!? 人に頼り過ぎやろ!」


 そこに聞き覚えのある足音が近づいてきた。


「ほら、寝かしつけろ。湯には浸かってきたぞ」


 薄い寝間着を着て仁王立ちのシュラーフェン。相変わらず色気やら何やらが凄い。

 その姿に亮は再会を喜ぶより先に怒鳴っていた。


「まずは、そのでかい態度をどうにかせえ!」


 こうして、宰相の寝かしつけ係に任命された亮は夜な夜な召喚されることになるのだが、それはまた別のお話。





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