第97話 大樹珈琲。
大樹珈琲には、曽房さんの運転で私達と華子さんと茂くん達が行く事になった。
「なんか不思議な絵面だよね」
「曽房さんの弟が茂くんで、私たちはその友達って見えるねー」
そんな話をしながら段々と大樹珈琲が近付くと、「大樹珈琲はあるのか?」と漠然とした不安に駆られて、昇にそれを伝えてしまう。
「もう風が吹かないならないって事?」
「なら、ない方がいいってことか?」
「初めてだからわかんないよぉ」
そんな心配を裏腹に大樹珈琲は存在した。
お婆さんは笑顔で私と昇を迎えて、「ご無沙汰してます」と言ってくれる。
「あの…、確かに既定路線から外れたけど、彼が風を吹かせないようにしてみたし、実際吹いた覚えがないのに戻ってきたんです。でも今回は彼もコレまでを全部ではないけど覚えていて、彼には不思議な力もあって…」
「はい。神様からの言伝ですよ。【私が未熟なせいで今まで苦しめてしまってごめんなさい。新しく力を付けて可能な限り手を尽くしたから、今度こそあなたは幸せになりなさい。前回はあのままだと、半月後にまた風が吹いたから、風が吹く前にやり直してもらったの。このまま運動会の朝を4人で迎えて】」
驚いた。
神様なんて本当にいるのだろうか?
いたとしたら、いつか文句の一つも言ってやると思っていた頃もあったが、本当にいて謝ってくれた。
お婆さんは昇を見て「あなたにも言伝があるのよ」と言うと、「【記憶回帰の能力を作ってあなたに渡したのはわかってるわよね?あなたの見立て通り、道標がいれば呼び戻せる。でも戻せる量なんかは、その人達それぞれに依存するから、それはどうやっても埋まらない。戻されてからのことを彼女は全てを覚えているけど、あなたで8割、初恋の彼女は6割。他の人達は心の友の夫婦のところでも7割未満だから】」と神様の言葉を伝えた。
「ありがとうお婆さん」
「いいのよ。もう少し続くわね【それと、これは神としてのこだわりだけど、ギャンブルなんかでは使えなくしてあるし、ギャンブルをしようという気にもならなくしてある。ザッと言えばズルや悪い事には使えなくしてあるから安心しなさい】ですって」
私達は別にギャンブルに使おうなんて思わないから構わない。
お婆さんは息子さんに珈琲を淹れさせると、私達を席に案内してくれて、「今恐らく一番聞きたい事と、私が一番伝えなければならない事。もう、神様からの指示であなた達の風は私が止めたから、もうあなた達は風を吹かせられないわ。それと記憶回帰にしても、あなた達が風を吹かせた約150年の記憶だけ」と言った。
止めた事、止められた事、全部の意味がわからなくて聞き返すと、「私、神様から新しい仕事を頂いたの。新しくやり直しの風をレンタルだったりだけど、授けられるようになったの。だからあなた達の風を止められたし。記憶保護の設定も任されたのよ。だからこの世界であなた達以外の人も風を吹かせられるのよ。それで戻される度に記憶保護されてたら辛いでしょ?」と説明をされた。
「え?他にもやり直した人がいるの?」
「ええ。ほら、鎌倉って県外から学生さんが来るでしょ?神様から暗い顔の子を見かけたら、話を聞いてあげてと言われてるの。この前授けた子はご両親の仲が良くなくて、お父様の人生に救いが欲しい、別の人生を歩んで欲しいと言うもので、風の吹かせ方と記憶保護の力を授けたのよ。その子は自分が生まれるもっと前、20年前に父親を戻したわ」
「え!?それって両親が変わったら生まれてこれない…」
「私も聞いたわ。でもその子は、『それでも』、『それでも父さんの笑顔が見たいんです。俺なら平気です。昔父さんに言ったんです。俺は何があっても父さんのところに生まれてくるって。だから根性でなんとかします!』って言ったから記憶保護の他に神様が縁故固定の力を貸してくださったのよ」
私はたまらず「なら!なら私たちの子は!?」と聞くと、お婆さんは頷いて、顔を戻すとお婆さんの顔とは違っていて、「【安心して。幸せになれる命を台無しにしない。楠木薫と楠木香は必ずあなた達から生まれてくる】」と言ってくれた。
泣いてしまう私に優しく微笑んだお婆さんは、昇を見て「【愛し尽くしたい気持ちもわかるけど、愛されなさい】」と言い、華子さんを見て「【神様からのえこひいきよ。あなたの手術は成功間違いなしにしてあげた】」と言うとそのまま、茂くん達を見て「【わざと変な真似をしなければ、大病もならなくしたから最後の人生、1秒も無駄にせずに幸せになりなさい】」と続けた。
驚く私に、再度「【やっぱり直接言わせて。長い間ごめんなさい。初めはたまたま目に留まった、あなた達に幸せになってもらいたくて、ただ時を越えられる私の権能。風を授けて吹かせたの。昔、別のカップルを助けた時は、適宜私が手を出したけど、そうしないで任せてみたくて、風の範囲を3人に設定し、2人が願えばやり直せるようにした。でも…かつての私では、力不足に加えてあなた達との相性もあって、記憶保護も失敗した。記憶保護の対象はあなたと彼だけにしたかったのに、3人目の彼まで対象になるし、最初だけにしたかったのに、あなたは完璧な記憶保護で、彼は最初、それもあんな中途半端な状態。3人目の彼は最初だけかと思ったら1度目の記憶が残ってしまい、悪い流れが始まってしまった。本当にごめんなさい】」とお婆さんは言った。
私は聞きながら、本当なら神様がどうやって私たちを助けようとしてくれたのかを考えた。
確かに、私と昇が最初の記憶を持って、一木が持たなければ2人で幸せになれた。
中央小学校で再会して、2人で東中学校を選ぶ事も出来たし、西中学校で一木の妨害を完全に無視する事もできていた。
本当に、神様に力不足というものがあるのなら、ちょっとした手違いで長い日々が始まっていた。
お婆さんは昇を見て、少し困り顔で「【身を投げた日までの記憶も、まばらに戻ったのね。急に思い出してうなされるような事にはならなくした。3人目の彼は彼女も知らないその先を知っていて、あなた達のご両親も実はその先も覚えていた。今、戻ってきた日のご両親達の記憶からその部分を消しておいた。ご両親達も彼女が覚えているまで、あなたがアルバムにスマートフォンを忍ばせて消えた後、その夜に、あなたの住まいで彼女とご両親達が話した所までしかないから、ご家族に身を投げた話をするのはやめてあげなさい。3人目の彼は放っておけば平気よね?】」と言った。
私が「あの、私が眠った後、世界はどうなったんですか?」と聞いたが、お婆さんは「【もうない、書き換えられた世界よ。忘れなさい】」と言って教えてくれなかった。
帰り際、「あの、神様からお仕事を頂いたって…、大樹珈琲はどうなるんですか?」と質問をした。
「あなたになら言ってもいいわね。記憶保護なんかの能力の他に、認識阻害という力も神様は授けてくださったのよ。大樹珈琲はずっと中年の息子とお婆さんの私が営む珈琲屋さん。だれも何年も続く事をおかしいと思えない場所。税金とか電気代とかそういうものも何故かきちんと支払われていて、役所も何も気づかないわ」
この言葉を聞いて、笑えない私に「ふふ。神様から仕事をもらえて、終わらせたいと思う気持ちなんて出てこないようにして貰えているから平気よ」と言ってお婆さんは微笑んでくれた。




