第77話 終わらない日々の始まり。
かなたは両親に事情を打ち明けた。
そして、昇との同棲を一時的なものとして認めてもらう。
昇も子供の頃と違い、かなたと楠木家に顔を出して、これまでの全てをキチンと話した。
母親は自分のひと言から始まってしまった昇の苦難に涙を浮かべて謝る。
そして春香が一木幸平に乗せられて、何をしてくるかわからないことなんかを説明した。
かなたは昇と暮らす事で、昇を春香と一木幸平から守りたいと言ってくれて、6人で備える事になった。
その後すぐ、かなた側の準備を待っていたように一木と春香から連絡が来た。
それは昇とかなたの両方に来た。
昇の方には[桜と婚約って噂が来たんだけど?本当?昇も身の程を知らないよね。皆が話を聞きたがってたよ]という一木と、[昇、久しぶり、少し話聞いて欲しいんだよね。このメッセージIDは一木が作ったトークルームにあったのを使ったんだ]という春香のもの。
かなたの方には一木からの[昇と婚約したんだよね?おめでとう。でも昇でいいの?昇はまだ春香を引きずってない?きっと裏切られると思うな]と、春香からの[かなた?昇と婚約したの?昔、大学生の頃に聞いたけど、かなたは昇の事を特別な目で見てなかったよね?]だった。
かなたは大学生の頃、春香から昇と出かける話から気持ちについて聞かれた時、「特別な気持ちはない。昇にもないのがわかるだろう」と春香に言っていた。それもあったし、昇には本当にかなたに対し何の気持ちもなかったのがわかったし、堂々と報告や連絡をしてくれていたから、春香はかなたに誘われて出かける昇の外出を、ちょうどいい息抜きくらいに思っていた。
それを春香は今更持ち出してきた。
かなたは一木は無視して、春香には[昔は昔、今は今だよ]と送った。
昇の方は既読無視を心がけたが、一木幸平と春香はかえって激化した。
ミュートも行いたかったが、ブロックと変わらず、実家と職場、家に突撃や、駅で待ち伏せされたら困るのでできずにいる。
一木幸平は昇が既読無視をするならと、春香と一木幸平、優雅と一木幸平のスクリーンショットをトークルームに投稿した。
優雅の方に書かれていた浮気の証言と証拠。
春香は今どれだけ孤独なのかを放流という形で送りつけてくる。
だがそれは、かなたからすれば自業自得でしかない。
友達に後ろ指さされるのも、白い目で見られるのも、昇を裏切って優雅に行った事が全てだ。
かなたからすれば、春香ほど意味のわからない女はいなかった。
職場の同僚や学生時代のクラスメイトの言葉を聞いて、想像していた男性像と昇は違いすぎた。
男女の仲になって、昇はかなたを求める日も、かなたの体調を最優先にする。少しでも不調の日なんかは優しく抱きしめて頭を撫でてくれて、お茶を淹れてくれて、すごく大切にしてくれる。
勿論、どうしようもなく我慢が辛い日なんかは強く求めてくるし、ただの草食男子ではない。
出張に行かれて寂しい時でも、昇はキチンとケアを忘れない。
一緒に住む前は、帰ってきた日には駅で一瞬でも顔を見せてくれるし、出張前後の共にいれる日は普段以上に時間を惜しんで共に過ごしてくれる。
どこにも不満はない。
その昇を捨てて、浮気性の優雅とヨリを戻し、あのメッセージの通りなら、一木幸平の根回しがあったのだろうが、結婚までしたのに、浮気性で困ってて孤独だから話を聞いて欲しい、自分の代わりに優雅を悪く言って欲しいなんて、皆に笑われるし、後ろ指だってさされるはずだ。
それを歪ませているのは一木幸平がいるからで、春香はただ転がされていた。
春香と一木の攻勢は続いた。
一木に唆されて優雅と離婚前提で実家に帰る形で別居に踏み切った春香。
その間のスクリーンショットも拡散されていく。
それを見た昇は徐々に病んだ。
元々、一木幸平の手で全ての自信を失い、どん底に落ち込んでいた昇に自信を取り戻すきっかけをくれた春香。
恋人の関係が終わっても、今までの春香がしてくれた、春香からしたら無意識な行為でも、例え不誠実な終わりだったとしても、昇は恩だとして、恩は何が何でも返したいと本音では思っていた。
だが結婚式で散々見せつけられて、寝込む中でキチンと終わった事だと整理をつけた。
かなたから2人ぼっちの言葉も貰い、一木達とは言いがかりの後ろ指を指されても縁を切る事にしていたし、かなたの想いも貰って、交際を始め、幸せな日々を過ごし婚約をした。
その愛しているかなたが居てくれて、かなたを悲しませない為にも、周りや天国の祖父から不義理と言われても春香を断ち切っていた。
それなのに、孤立無援で憔悴している春香の姿、周りから向けられる白い目。それらのスクリーンショットが放流の形で日々襲い掛かってくる。
それらを仮にブロックしても、ブロック越し、まさかと思える第三者経由で、春香の「話を聞いて」というメッセージのスクリーンショットが届き続ける。
昇は気の休まらない日々に憔悴し、昇は「最後の一人になっても、俺は春香を助けるべきなのか…」と、かなたに漏らすようになってしまった。
春香の話を聞いてという言葉。
仮にブロックしても他人経由で入ってくるし、そもそも会社の場所も一木幸平にバレているので、あまり過度に拒絶する事は下手な刺激になる。
実家に突撃されて両親に迷惑をかけかねない。理由は説明してあるし、親達も気にするなとは言ったが、お互いの両親とも持ち家で、引っ越しなんてそうそうできない。
職場の前や駅で待ち伏せられて、ドロドロの修羅場に見える醜態を晒してしまえば、一木幸平の手で一気に拡散されてしまう。
それ故に今まで通り既読無視で放置すれば、いよいよ[家は前の所だよね?行けば会えるよね?行くからまず会って]と入っている。
そして一木幸平は第三者を使って、かなたと昇のところに、春香を嘲笑するメッセージの一部を送ってきて、本格的に春香が孤立した事を伝えてくる。
段々と周りも一木幸平に乗せられて、[話くらい聞いてやれよ]、[桜と婚約して、邪魔になったからって、昇のあの態度はないよな]なんて無責任なことを言い出す輩まで出てくるし、善意のお節介焼きが、かなたにまで[話くらい許してあげなよ]、[束縛とかよくないよ]なんて言いだしてきた。
かなたにまで害が及ぶようになった事で、昇が春香に返したのは[婚約者のかなたと暮らしているから、来られると困るよ。友達しても、元交際相手としても、もう会えないよ]だった。
これはキチンとした誠実な態度だったと思う。
だが、それすら燃料になった。
一木は春香を笑いものにする。
昇を捨てたのに、昇に捨てられる哀れで滑稽な女という言葉を周囲から引き出して、その周りの嘲笑の言葉をトークルームにばら撒き、春香の居場所を無くしていく。
こうなれば春香は更に燃え上がる。
後がない分、必死になる。
必死になった春香は、昇に対してあのゲリラ豪雨の話をした。
[キチンと話すべきだったの。あの大雨の日みたいに、会って謝って終わりにしないでキチンと話すべきだった。昇に引き留めて貰えたら今は違っていたはずだもん]
かなたはこれには呆れ返った。
勝手に出張に出かけた昇を裏切り、心配でたまらない昇の問いからのらりくらりと逃げて、帰ってきたら泣いて何も言わせずに、一方的にサヨナラを告げて終わらせる。
更に結婚式で散々笑いものにしたのに、昇の元に戻りたいなんて図々しい。
そして今も、昇に引き留めて貰えていたら違っていたなんて言う。
かなたは正気を疑った。
そして春香は[かなたがいてもいい。明日の夜、昇の家に会いに行くから話を聞いて]と言い出した。
昇はかなたと話をした。
「一度キチンと話すべきだったのかな…。俺は不誠実だったのかもしれない」
「そんな事ないよ!悪いのは春香と一木だよ!」
昇は泣きそうな顔で「ごめんかなた。俺といて迷惑かけてる…」と言って項垂れる。
「来られたら困る。一木が後をつけるだろうし、家まで知られたら、その先で何をされるかわからないから、キチンと話してくる。もう俺達は違う道を進んでいるって言うよ。メッセージだと画面が残って拡散されるから…」
「会わないで!行かないで!」
顔を起こすと昇は泣いていてかなたも泣いていた。
昇はかなたの言葉を聞いて、「わかった。じゃあ電話にするよ。スピーカーにして横にかなたもいれば平気だよね」と言った。
かなたも頷いた。
だが、そんなことはなかった。
昇がかなたと文面を考えて、夜のうちに春香に送ったメッセージは[とりあえず、一度話す事はかなたもわかってくれた。でも会うのはないよ。電話ならするから、明日の夜、かけていい時間を教えて]だった。
だが、広範囲に拡散したスクリーンショットは別のものだった。
[わかったよ。俺はキチンとかなたに言って、春香に会いに行くよ。ゲリラ豪雨の続き、俺と春香の未来もあるなら行くよ]
一木幸平が画像を作り替えていた。
そしてその後で春香と一木のタイムラインが公開された。
[昇なら皆に見られて春香が困っているなら会うって言うさ、春香とゲリラ豪雨の続きの話がしたいって言うよ]
[そうかな…会ってくれるかな?謝ってやり直したい。きっと優雅じゃなかったんだよね]
[悲しいけどそうなのかもね。春香を幸せにできるのは優雅じゃなかったのかもね。春香が言ってた通りなら、桜は昇の事が好きじゃなかったんだろ?じゃあ哀れで惨めな昇を見捨てられなかったんだろうな。桜も優しすぎるよ。これじゃあ被害者だよ]
このタイムラインの画像が出たのは仕事中だった。
かなたは卒倒しそうになった。
そして昇に向けて一木幸平はグループトーク内でメッセージを投稿していた。
[昇?桜と結婚なんて無理だって、昔から言ってるだろ?鏡観ろよ。それに桜と婚約したのに春香に行くなんて酷いぞ。これじゃあ桜も被害者だろ?]
[桜、こんな昇とじゃ幸せにならないって、桜ならもっといい相手がいるから昇みたいな浮気者はやめろって]
かなたはハラワタが煮えくりかえる思いだった。
だがそれよりも次の投稿が非常識極まりなかった。
一木幸平が上田優雅に[優雅、春香が昇と会うって言ってるから、謝って帰ってきてもらいなよ]と送り、上田優雅は憤りを見せながら、浮気性の癖に独占欲を滲ませて、春香を昇に戻らせないと言っていて、[幸平、こんな事になる前に言えよ。まあ連絡してくれて感謝してる。仕事休んで春香と話してくる]と言ってメッセージが途切れていて、もう一枚は春香と一木のメッセージだった。
[一木、一木が言ってくれたんだね。朝一番に優雅がウチまで来て、お父さんとお母さんに事情を説明してくれて、私にも謝ってくれて、今後は私を不安にさせないって言ってくれたから家に帰るよ]
そんな始まりの春香のトーク内容だった。
一木に言われるままに[昇に謝らないとね。やっぱり私は上田春香になったんだし、もう少し頑張ってみるよ]と答えていてトークは終わっていた。
一木幸平は昇に向けて[昇、春香と優雅の仲を取り持って偉いぞ。でもお前には会えないってさ。お前は桜を弄ぶやつだし、今後も調子に乗るのはやめろよな]と送っていた。
かなたはここまでするのかと呆れ、怒り、そして怖くなった。
そして何より不安なのは、かなたがいくら昇に連絡をしても既読はつかないし、電話にも出ない。
熱心に仕事をしている日は、身内の着信を無視する事がある昇なら、そういう事もあると自分に言い聞かせたかなたは、仕事を片付けて定時帰りをして昇の部屋に戻ったが、昇はいなかった。
夕飯を作って待っていても昇は帰ってこない。
普段の残業でもここまで遅くならない時間になって、不安に潰されそうなかなたが初めて電話をした時、あり得ないところから着信音がした。
それはかなたと昇が作ったアルバムの間だった。
かなたは嫌な予感に襲われた。
そのアルバムはかなたと昇の婚約した時の写真のページで、その次のページ、かなたが昇の祖母のおはぎを再現した時の写真の所にメモ紙があった。
メモ紙は涙で滲んでいた。
[俺がやっていなくても、世間は一木の方を信じる。かなたを裏切ってしまった事になった。かなたが後ろ指をさされるような、許されない事を世間に向けてしてしまった事になった。かなた、ごめんなさい。俺を忘れて幸せになってください]
そのメモを読んだかなたは卒倒して親を呼び、昇の親にも来てもらい、泣きながら経緯を話した。
昇の両親はいい加減一木と話をすると言い、かなたはかなたの両親の勧めで、帰ってくるかもしれないから夜はここで待って、明日の朝一番に警察に行こうと言われて頷く。
かなたは夜中に昇が帰ってくる事を考えて、風呂にも入らずにアルバムを見ながら泣いて過ごした。
「昇、いなくならないでよ」
「寂しいよ」
「ずっといてよ」
「一緒だって、いなくならないでって、私は言ったよ」
「私は後ろ指なんて気にしないよ」
「あんな嘘に騙される人達とは縁なんて切るよ」
「2人ぼっちで生きていこうよ」
かなたは「会いたい」、「昇」と何遍も呼んで泣いていた。
かなたは途中から、どこで道を間違えたのか、そればかりを考えるようになった。
大学生、春香と付き合う前に気持ちを伝えて彼女になれていたら。
高校生、周りの目を恐れずに昇の元に会いに行けていたら。
中学生、一木に壊される前に昇を助けられていたら。
かなたは戻りたい、やり直したいと思っている間に眠りについていた。
目覚めたかなたは少し熱っぽい。
昇が心配で布団に入らなかったから、お化粧を落とさなかったから、風邪を引いたかと思ったが何かがおかしい。
昇の部屋のカーテンはかなたと模様替えをしてグリーンのカーテンにしたのに、目の前のカーテンは水色だ。
これは実家でも子供の頃に使っていたカーテンの色だ。
これは夢だと思ったが、いつまで待っても目が覚めない。
そして母が「かなた?今日はどうしたの?寝坊なんて珍しい」と言って現れると顔が若々しい。
「え?お母さん?」
そう言ったかなたの声は若い。
飛び起きると、部屋は子供の頃の内装で、ランドセルまである。
「お母さん!?私いくつ!?」
「どうしたの?寝ぼけているの?6年生でしょ?」
かなたは唖然としながらも奇跡が起きたと思い、即座に順応した。
今なら昇を助けられる。
そう思ってかなたは「お父さんはまだいるよね?お母さん、お父さんと一緒に私を助けて」と言った。
こうして、桜かなたは終わりの見えない戦いに身を投じた。




