第74話 かなたが祝う昇の誕生日。
昇の誕生日は7月末。
昔からお祝いをしにくい時期で、昇は一木の妨害もあり、中学校時代は誰からも祝われなかった。
アルバイト先でも一木がいて、昇の誕生日を口実に集まったが、あくまで口実でプレゼントもなければお祝いの言葉も簡素なものだった。
だからこそ、春香とやった2人きりの誕生日は昇の心を癒し、昇の心に初恋の呪いを与えていた。
かなたは昇に額装したシャチの写真を渡した後で「お誕生日会をしようよ」と誘っていた。
「俺の?」
「うん。たまには外に行く?昇くんのおすすめのお店がいいかな?」
「えぇ…、自分で自分のお祝いとか恥ずかしいよ…」
かなたはここの会話を読んでいたので、「昇くんが改善策を出したお店の料理とか、お祝いで食べてみたかったのになぁ…」と言うと、仕事スイッチが入った昇。
「かなた、何が食べたい?」
「私が決めるの?」
「それもそうか…。なら話し合おう」
話し合いの結果、昇は鳥料理のお店を指定する。
かなたとしては正直なんでもいい。
昇の誕生日を祝いたかった。
どうしてこの店なのかと思って聞くと、「伸び代が1番あるお店で、美味しい鶏肉を卸したからどうなってるか興味があるんだ」と昇が答えてソワソワしたので、かなたも協力をして、かなた名義で昇の誕生日後の土曜日にお店の予約をした。
予約時間は混雑前、開店と同時にして「誕生日のお祝い」と伝えて個室を予約した。
かなたは誕生日当日、驚きの連続だった。
店は「楠木」ではなく「桜」で予約していて、混雑前の来訪とあって、少し舐めてかかっていた。
昇はかなたに「ごめんかなた」と言ってお願いをひとつした。
「一緒に入らないで少し遅れて入りたいんだ」
「なんで?」
かなたからすればカップル入店に憧れはあった。
だが昇は「俺の顔を見てメニューを変えられたら困るから、最初のメニューがテーブルに出てから店に入りたいんだよね」と言って、かなたに手を合わせてお願いをする。
「もう、仕方ないなぁ。私、待ちぼうけの子に見えちゃうからすぐ来てね」
それでもかなたはウキウキと店に行き、「予約した桜です。連れの人は遅れてきますけど、もう来るのでコース料理を出し始めてもらっていいですか?」と言うと、個室に通されてすぐに料理が出てきたので昇を呼んだ。
店のドアが開き、店員さんの「いらっしゃいませ」の声の後、昇は「どうも!こんばんは!予約の桜です」と言う。
かなたからすれば、昇が桜を名乗るだけで胸が甘酸っぱくなる。
だがそれ以上に、個室の外から聞こえてくる、悲痛な「く…楠木さん!?」の声に驚いた。
昇は「俺、今週誕生日で24歳になったんですよ。そのお祝いで友達が呼んでくれて、友達は飲み物選びました?まだなら最初はビールでお願いしますね」と言って、一方的にかなたの元にやってくる。
店の奥は騒然としていて、昇はかなたには「あんがと」と言って笑顔なのだが、置かれたオードブルとサラダを見て顔を険しくすると、「あの野朗」と言った。
それは昇を知るかなたも初めて見る顔と声。
そして何をしているのか、ビールもこないので乾杯もできない。
昇は「逃げてないで早くこっち来い!この野郎!」と怒鳴り上げると個室から飛び出した。
「えぇ!?昇くん!?」
かなたが慌てて個室から出ると、昇は鬼のような顔に豹変していて、「出てこい!何やってやがる!みっともない時間稼ぎなんてすんじゃねぇよ!」と怒鳴っている。
店長とシェフだろうか、奥から出てくると、昇は「お前ら!よくも重三さんの鶏肉を穢したな!鳥神様に謝れェェッ!」と怒鳴りつける。
そのまま一度戻ると、オードブルの梅肉と大葉のささみ和えと粒マスタードと刻み生姜のささみ和えの2種類が入った小鉢を持ってくる。
「何分前に作った?冷蔵し過ぎると身が固くなるから、提供時間の30分前に仕込んで冷蔵する話だったよな?これ、パッと見で30分じゃないよな?」
そして戻ると棒棒鶏を持ってきて、「このサラダも、ゴマだれすら面倒がって冷蔵前にかけたろ?この色艶と染み方は提供直前じゃないよな?」と言って昇は迫る。
ガクガクと震える店長とシェフ、周りで心配そうに見ている従業員。
「美味しいものをつくりたい、食べて貰いたいって言ったのは誰だ!よくもこんな真似ができたな!」
店長とシェフが「はい!すみません!」と声をそろえると、ようやく昇は落ち着きを取り戻す。
「スープから先はキチンとやりなよ。勿論、俺たち用に仕込んだのをなかった事にしたらどうなるかわかるよね?食材を無駄にしたら怒るよ?」
怖い顔の昇は一気に消えて、ニコニコ顔になると従業員にビールを催促して席に戻る。
「ごめんねかなた。あんがとね」
「あれが昇くんの仕事なの?」
かなたと昇は乾杯した後で、オードブルとサラダを食べる。
おいしさにかなたは感動する中、昇は新人研修で生産者達と仕事をして、血の気の多い連中とキチンとぶつかり合う事の大切さ、自分を誤魔化したりせずに想いを伝える事の大切さを知ったと言う。
それは昇に欠けていたもので、かなたは惚れ惚れしてしまう。
「凄いよ昇くん!」
「えへへ。あんがと。照れるよ。でも凄いのはこんな美味しい鶏肉を育成してくれる人と、料理してくれる人。ここのシェフは少し怠け癖がある人だったから、コッソリ来たかったんだ」
かなたは感動していた。
一木幸平に付き纏われてからは弱々しく卑屈な笑顔ばかりだった昇が、キラキラとした笑顔と鬼のような顔を行き来して、夢を叶えてる事で堪らなく愛おしさが込み上げていた。
その日食べた料理はかなたにとって忘れられないもので、提供にきた店長に頼んで写真も撮ってもらう。
お酒も美味しく、その後続いたチキンスープ、焼き鳥、ささみフライ、メインのチキンステーキ、シメの鶏飯も相まって、かなたは珍しく泥酔ギリギリまで飲んでしまった。
「うわ、かなたが酔った。どうすっかなぁ」
心配する昇をよそに、かなたは昇に誕生日プレゼントでネクタイとアルバムを渡して、「お仕事が不安な日とかは私のネクタイで願掛けして頑張ってね。アルバムは沢山撮って増やそうね。カメラ貸してあげるから撮影にも行こう」と言った。
そして帰り、かなたは少しだけ勇気を出した。
「今日は帰らないで昇くんのウチに泊まらせてね」
そう言ったかなたは昇の返事も聞かずに、スマートフォンを取り出して親の所に電話をすると「お母さん?ごめんね。昇くんに教えてもらったお店がすごく美味しくて飲みすぎちゃったから、昇くんのウチに泊まるね」と言ってしまう。
「え!?かなたぁ!?」
驚く昇を無視して、かなたは「はい。お母さんだよー」と言ってスマートフォンを昇に渡す。
内心は酔いなんてどこかに行っている。
昇に断られたくない。
それだけだったし、かなたは母に頭を下げて、昇の所に泊まりたいと言っていた。
「えぇ…、ご無沙汰してます楠木です」
「あらぁ。いつもかなたをありがとう。楠木くんのおかげで料理上手になってくれていつも助かってるのよ。今日はごめんなさいね。ウチの子、お願いしていい?」
「…あー…、はい。キチンとうちで休ませます。何も変な事はしませんからご安心ください」
かなたの母は「楠木くんは昔から真面目だから信じてますよ。キチンとそういうのはお付き合いをしてからよね?じゃあかなたをよろしくね」と言って電話を切ってしまう。
昇はウキウキフラフラと横を歩くかなたを見て「危ないなぁ。相手が変な奴だと襲われるよ?かなたは綺麗なんだから気をつけなよ」と声をかけて、「仕方ない。フラフラだから肩を貸すから寄りかかりなよ。俺が泥酔した時のお返し」と言った。
着替えを買って帰ると、今更かなたはとんでもない事をしてしまったと慌てた。
だが、昇はキチンと紳士的にかなたを優先して風呂に入らせてベッドを差し出す。
「昇くんは?」
「俺は床で寝るよ。夏だから風邪ひかないし」
「一緒に寝ようよ」
「えぇ?」
かなたは甘えた素振りで昇をベッドに入れると、昇の誘導で壁側の右側に来たが、なんとなく昇の居心地の悪さに左側がいいと言った。
「危ないよ?」
「じゃあ落ちないようにくっつくね」
昇は照れていたものの、キチンとかなたを近づかせると「俺だって勘違いしちゃうって」と呟きながら眠りにつく。
かなたも緊張しながら眠り、夜中に目が開くと「昇くん、ギュッとして」と声をかけてみた。
昇は寝ながらも反応して抱きしめると少しして春香の名を呼んだ。
かなたは嬉しさの中に辛さもあった。
だが、直後に目覚めた昇が「かなた…、かなたなのに、かなたに悪いことしちゃった。呼び間違えるなんて最低だ…。しかも抱きついてくれてる。かなたは優しいなぁ」と呟いて、「ごめんかなた」と言ってかなたを優しく抱きしめた。
かなたにはなんの「ごめん」なのかわからなかった。
だが昇はかなたを抱きしめて「かなた」とかなたの名前を何度も呼んでいた。
かなたは呼ばれる度に胸の奥が熱くなり、その気持ちのまま眠りについた。
かなたが朝起きた時、昇は眠っていた。
起こさないように慎重に動いて、昇とのツーショットを撮ってみた。
それはとても幸せそうな1枚だった。
かなたは密かにその写真を宝物にして、スマートフォンをしまうと昇を抱きしめてもう一度眠りについた。




