第71話 かなたが看病する昇。
翌日、昇に送ったメッセージに既読が付いた。
かなたはそれをみて小さく喜ぶ。
だが、昇からいつまで待っても返事が来ない事を心配する。
ガツガツしたくない気持ちと、また離れてしまう気持ち、下手をしたら今度は昇が引っ越してしまい、2度と会えなくなる不安さからメッセージを送る事にした。
[二日酔いとか大丈夫?]
既読がついてすぐ[二日酔いか、風邪かわかんない…しんどい。買い置きのゼリーとヨーグルトでなんとかする]と入ってきて、かなたは仕事帰りに昇の家に向かった。
ここで仮に「行く」と言えば昇は断ってくる。
我慢と遠慮をする。
なので家の前で電話をかけてドアを開けさせる。
「もしもし?」
「かなた?どしたの?」
「今家の前にいるから開けてよ。補給物資、持ってきたよ」
昇は「マジで?」と言いながら足音が近付いてきてドアが開く。
「かなただ」
「うん。ボロボロだろうから助けに来たよ」
ひと目でボロボロなのはよくわかる。
辛うじて服は部屋着か寝間着のスウェットになっていたが、風呂には入っていないから髪型は昨日の式のままで、飲み屋で浴びたタバコの煙臭い。
かなたは「お邪魔するね」と言って、昇の返事も聞かずにあがると、「おかゆとおじやはどっちがいい?」と声をかける。
「え?」
「お米ある?」
「あるよ」
「じゃあどっち?」
「お粥、酢醤油で食べたい」
かなたは「任せて寝ててね」と言うと、台所を片付けて軽く掃除もするとお粥を作る。
「昇くん、私もご一緒していい?」
「うん。でも一緒に食事してうつらないかな?それにかなたもお粥でいいの?」
「うん。平気だよ。昨日飲みすぎちゃったから、胃がヘトヘトなんだよね。酢醤油ってどうするの?」
「ん、それは俺がやるよ」
昇はフラフラながら、冷蔵庫から高そうな酢と醤油を出して混ぜると「いい感じ」と言ってかなたの分を先に渡す。
「酢がきつかったら教えて。レンチンして酢を飛ばすね」
かなたは味見した酢醤油の美味しさに驚いて「美味しい」と言って喜ぶ。
昇はヘロヘロ顔なのに、信用している生産者さんの作った調味料で、これがやりたかった事なんだと説明をした。
かなたが見惚れてしまわないように気遣う中、昇は涙を流してしまう。
どうしてこの想いが春香には伝わらなかったのだろう。
3ヶ月離れる事も無理だった。
例えあの時無事でも、この一年出張続きの昇の仕事を春香には受け入れられなかったはずだと言って泣いてしまう。
かなたに話を聞いて貰い、目覚めて起きて、体調不良で寝込んでいる間に、より一層その思いが強くなってきていて、昇はもう何も残っていないと言った。
「別に元の仲に戻れるなんて思った事はなかった。でも何も考えていなかっただけで、ただ2年間見ないようにしてただけなんだ」
昇は項垂れていた。
そこまで春香に対して特別な思いがあったのに、あの曖昧な態度で一方的に終わらされて、連絡先も消したのに、突然結婚式に呼ばれて、散々な目に遭わせられた。
本来なら、ゆっくりと心の傷を癒したかったはずなのに無理矢理麻酔なしで治療されるような時間。
その後の寝込んだ時間は、嫌でも昇に現実を突きつけて、考える時間を与えていた。
かなたは、今だけでも考えないで済むようにしてあげたかった。
「食べよう。今は食べようよ。私のお粥は美味しいと嬉しいな。そこに昇くんの酢醤油がある。美味しいうちに食べようよ」
かなたの言葉に昇は泣きながら食べて、「美味しいよかなた。あんがと」と言う。
かなたこそ、お粥の美味しさに驚き、聞いてしまうと、お米も出汁もキチンとしたものを用意していた。
「凄いよ!こんな凄い仕事なんだね!私は応援するよ!」
昇はかなたの言葉を聞いて本当に嬉しそうな顔をした。
それを見たかなたは嬉しさからやる事がわかった気がした。
「昇くん、とりあえずお薬買ってきたから飲んで横になって?洗濯機使っていいよね?洗い物とか片付けちゃうからね」
かなたは昇の返事も待たずに片付けを始めてしまう。
「前回の出張はいつだったの?」
「先週、帰ってきてからすぐ結婚式…」
「なら洗濯物、片しちゃうね」
昇は照れるが、かなたは「お父さんのパンツ洗ってるから平気」と言ってスーツケースから着替えを取り出すと全部洗濯機に入れてしまう。
そしてリビングの紙ゴミを集めている時、昇の顔を見ると、昇は泣いていた。
「昇くん?」
「なんでもない。風邪で弱ってるからだよ」
【なんでもない】
それは嘘だ。
中学の時も散々見た。
「うそ」
かなたはそう言って布団を剥ぐと、そこにはスマートフォン、映像はあの結婚式の二次会だった。
「…み…見たくなくてもさ…、気になって…見ちゃったんだ。今も届いていて、中にひとつくらい、いいこととかないかなって…」
その間に流れたムービーは、一木幸平が見ている優雅から届いた新婚旅行に行く前のムービーで、朝一番のアラレもない姿の春香が「もう、なんで撮ってるの?」なんて言っている。
「これから新婚旅行なんだから記念だよ。思い切り楽しませてやるからな」
「うん。楽しみだよ優雅」
この音声の後に、一木が「おやおや、アツアツだね。フフフ」と言って笑っていた。
悪趣味だ。
やり口が酷い。
かなたのスマートフォンにあるグループトークとは別で作られたトークルームに、それ以外にも結婚式のムービーが届いていた。
かなたに届いた倍近い。
これでは、いくら春香を振り切っている。何も残っていないと言った昇でも傷をえぐられて、混乱してしまう。
かなたは自分のスマートフォンを見ても、そのムービーは来ていなかった。
その事に気づき「昇くん、見なくていいよ。見ちゃだめだよ」と声をかけてスマートフォンを奪い取る。
「かなた…」
「ずっと変だったんだよ。一木君に関わってしまってからずっと無茶苦茶で、今だって中学校もアルバイト先も、皆が一木君を知ってるから縁も切れない。だからって、こうやって昇くんが悪く言われることなんてない。傷つけられる事なんてない」
今かなたが言った言葉こそ、昇がずっと思っていて、ずっと欲しかったものだった。
身体を震わせて泣く昇に「嫌だよね。許せないよね」とかなたは声をかけた。
昇は泣きながら、「二次会に行かなかったら、皆の励ましだなんて言ってムービーが届いた。全部観てないけど、観たムービーはずっと笑い物にする奴だった。俺はそんな事を言われる程の事をしたのかな?」とかなたに聞いた。
今昇はかなたに救いを求めていた。
「そんな事ないよ」
その言葉だけで心が軽くなる。
「中学校の時、1年の最初に遊んでしまったのは自分が悪いけどさ、人並みの失敗すら悪く言われてさ。辛かったんだ」
「うん。私も見てて辛かったよ。昇くんは何も悪い事してないのに、散々言われてて見てて辛かったよ」
「見てた…、だから話しかけてくれてたの?」
「そうだよ」
昇の中には西中学校の3年間があった。
大人になって思い返しても碌でもない教師達。
いい教師達は多学年にばかり行ってしまうハズレ年。
周りから避けられている風に感じる中でもかなたは昔のままだった。
「でも俺、かなたに迷惑になるから、あまり近づかなかった」
「うん。一木君がうるさかったからだよね」
かなたはしゃがみ込んでベッドで泣く昇を見上げるような位置で、「昇くん、小学生の頃のように仲良くしようよ。確かにアルバイト先で再会してから、2人で出かけたりご飯も行く仲になったけど、もっと仲良くなろう?」と言った。
「でも…」
「もう、一木君やアルバイト先、地元の友達達も関係ないよ。私達は大人だよ?2人ぼっちでもいいから、私は昇くんを悲しませる人達と縁が切れて構わないよ」
かなたなりの告白。
それは昇には早すぎて届かなかった。
「あんがとかなた」
昇の言葉はそれだけだった。
「うん。またくるから連絡先を勝手に変えたり、私の前からいきなりいなくなったりしないでね」
「また来るの?」
「ボロボロだよ?見てられないよ」
かなたはそう言うと片付けをして帰っていった。
突然の遅い帰りに両親は心配したが、キチンと昇の話をすると、両親はかなたの言葉の意味を理解して応援をしてくれた。




