第67話 春の運動会とかなたの涙。
恐らく榎取高校でも同じことになっただろう。
かなたの最初や同じ高校に通ってしまった時の記憶通りなら、一木幸平は優雅に安物だが、夏用のパーカーや冬物のパーカーを上田優雅に買い与えていて、駅のコインロッカーで先に着替えさせてホテル街で待たせておく。女の子達の中には制服だから大丈夫くらいにタカを括るが、連れていかれた段階でアウトで、女の子達にも上着を用意してあって、制服の上から着せてしまう。
これがやりすぎで、周りが笑わなくても一木幸平は「やっぱり昇じゃないと駄目なんだ」と思うくらいにしかならない。
中には東の京高校の時のように逆上して攻撃してくる生徒も出てくるが、一木幸平はかつて西中学校で野球部の同級生を不登校寸前に追い込んだ時と同じように、更に年齢を重ねた分だけエゲつない攻撃で退けてしまう。
それでもやりすぎて大けがを負わされて、スパイから昇と春香の近況を聞き、春香や優雅をコントロールしたいのにできない時には風を吹かせる。
それが、かなた達が高校二年の時、昇と春香の仲に丁度亀裂が走った時で、一木は勝手に榎取高校でトラブルを起こして、昇と春香の不仲に介入できない後悔、人気者になる機会をふいにした後悔で風を吹かせ、昇も春香とうまく行かずに「まだやりようがあったのではないか」と思って風を吹かせてしまう。
かなたはあの時風が吹いた理由をその時知り、以降は高校二年で昇と春香を別れさせることは諦めるようになっていた。
小岩茂はここでようやく本質にある話の酷さに「じゃあ…」と言った。
「一木の暗躍で壊された昇は、結婚式までの記憶しかないから春香を求めてやり直しを願い、一木は思った結果と違っていてやり直しを願う。負の永久機関だよね」
小岩茂は聞いていて怖くなる。
聞きながら友として終わりを思案したが、到底不可能な事に震えてしまう。
「だから私は風を吹かせない方法を考える事にしたんだよ。今日、この会場なんかを指定したのはキューピッドの私」
「意味があるのか?」
「あるよ。曽房さんに既定路線に乗せるために式場を指定させてもらい始めたのは数回前から、それに今回は一木とスパイのお陰で情報管理も楽ちんだもん」
かなたは小さな鞄から2台目のスマホを取り出すが、見た目はほぼ同じで見抜けない。知っていないと騙される。昇に悟らせない為にもかなたは徹底していた。
「今日は春香が両親と和解するきっかけの日。父親の勧めで、父親が勤める職場の部下の人とのお見合いをするの。お見合いなんて言ってもドラマみたいな奴じゃなくて、待ち合わせして、挨拶をして、喫茶店でお話しして、水族館をデートするだけ。ちょっと年上だけど、それ位の方が春香にピッタリだと思う」
かなたは少し自慢げに2台目のスマホを鞄に戻して話を再開させる。
「勿論その情報は一木が2台目のスマホにくれてたよ。あ、今回は成人式の赤紫の振袖の写真もあるよ。昇と選んだ思い出の振袖。春香の[昇にひと目見て貰いたい]って願いに、一木が悪ノリをして、[俺がアドレスを教えて山野が送って、それが万一親御さんの耳に入ったりしたら、親御さんとの仲直りが遅れるから、俺が山野から貰って楠木に送るよ。俺も楠木と仲直りしたいからきっかけ欲しいしさ、東中の皆で再会できるようにしよう]とか言っちゃって、春香はホイホイ騙されて送ってた。前はお見合いの日付も知らなかったから、この先で一木の介入を許して戻された事もあったんだよね」
一木幸平の愚かな所は、自分は二度目だから無双が可能だと信じて疑わない事。
後はかなたを最初の記憶だけで、無害、手玉に取れると思っている事で、かなたは一木幸平の妨害により、昇が失踪したタイミングで戻されてきた訳で、本来なら一木幸平を怨み憎むはずだが、それを感じさせないかなたの忍耐力に騙されている。
かなたの目標は最初と同じ、昇との結婚だと決めつけ、やり直している癖に、うまく立ち回れずに春香に先を越される愚鈍くらいにしか思っていないし、仮にもうまく行っても、面白みはないが最初と同じ手を使って、昇を壊せばどうとでもなると思っている事。
また別の話になるが、最初に使えた手は最初だから使えた事、今の筋道では一切通用しない事に一木幸平は気づいていない。
そんな一木幸平は2回線目と気付かずに春香とのメッセージのスクリーンショットを送りつけてきたりして、無視しても春香には[喜んでたよ。会えたら謝りなよ。楠木なら優しいから許してくれるよ]なんて送っていて、春香も[うん。ありがとう一木]なんて返しているスクリーンショットが届く。
昇ならこれを見たら「春香が信じてるなら演じなきゃ」と言って自分の心身を削る。
一木幸平はそれを見越していた。
だが、その方法は最初の時に既にやられているのでかなたには通用しなかった。
今回のお見合いも、昇を揺さぶりたい一木幸平が春香に手を回して情報収集に勤しみ、春香が一木幸平やスパイにお見合いが決まった事を報告して[昇に安心して貰いたい]と一木幸平の口車に乗せられて発言した時のスクリーンショットを送りつけてきていた。
話を聞いた小岩茂が「んだよそれ…。山野春香も被害者じゃねぇか」と言うと、かなたは「そうだよ。春香の人間性にも問題はあるけど、悪化しているのは間違いなく一木がいるから。だから私はこれ以上の風を吹かせない為にも一つの事を試すの。トライエラーって知ってる?コツはね、一つずつ試すこと。一度にアレコレやってしまって、失敗の原因が探れないなんてダメなんだよ」と言う。
小岩茂も耳にした事はあるが、かなたが言うととても怖い言葉に聞こえてしまい、「トライ…エラー…」と呟くようにオウム返しする事しか出来ない。
かなたは頷くと「今回ね、曽房さんの結婚式の話を伝えなかったのは、2人いるんだ。あ、2人で1人みたいな扱いだからね」と言って昇達の方に視線を向ける。
「誰だよ?聞いていいのか?」
「うん。人選と連絡は私がして、曽房さんに出席者を伝えて、来れる人にだけって事にして招待状を出してもらったの、曽房さんにお願いして茂くんには内緒にしてもらったしね。外したのは関谷優斗と姫宮明日香。あの2人は結局同じ高校に行って、そのまま付き合ってるよね?明日香は中2の時から私の友達だし、私と昇の交際を誰よりも喜んでくれてて、春香の不貞を心底怒ってくれた。関谷君は育ちが良すぎるんだよね。お人好しなの。たから一木の言葉に何度も騙される」
確かに、京成学院に入学した時、関谷優斗から[一木から来て「皆に見せてよ」って来たんだ]と言って一木幸平と肩を組む上田優雅の写真が届いた。
中学3年の夏前にあれだけされたのに、あの後も一木幸平を拒めず、あのままいいように使われて、関谷優斗は気づかないうちに一木幸平のスパイにされていた。
「じゃあ…スパイは関谷優斗?」
「うん。今回は明日香に、一木と関谷優斗の事を証拠付きで伝えて、もう会えない。皆でお祝いをする曽房さんの結婚式にも呼べないって言ったんだ。明日香は知らなかったって言って、電話先で泣いて謝ってきた。私に自分と関谷君の結婚式に来て欲しい。私と昇の仲みたいになりたい。子供には自分たちみたいな、心の弱い人じゃなくて、私と昇みたいになってもらうんだって言ってたよ」
聞いていて気持ち悪くなる小岩茂。
否定しようとしても脳内には怖い考えが出てきてしまう。
「まさか…桜?」
「何?私は一木と関谷君が完全に縁を切ってくれないと会えないって言っただけ。メッセージも送ってこないでほしい、仮にメッセージを受信しても返信もできない。勿論会えないから私と昇の結婚式にも呼べない。写真も見せられない。結婚した事も伝えられないって言ったよ」
小岩茂は聞いていて、脳内にはあの気弱な姫宮明日香と、人が良すぎて心配になる関谷優斗がいた。あの2人は思い込んだら何をするかわからない。
「私はね、明日香には[関谷君と明日香はお似合いだし、愛し合ってるから別れられないし、別れて欲しくない。幸せになって欲しい。いいんだよ。一木がいるから会えないだけ。関谷君は優しいから、一木と縁が切れないだけ。関谷君と一木が今も春香と繋がっていて、一木が関谷君に黙って関谷君から手に入れた昇のアドレスに嫌がらせをしてきてるだけ。でも昇はようやく元気になってくれた。私は愛する昇にもう壊れて欲しくない。だから一木に関わる人間には会えないんだ]ってメッセージで伝えただけだよ」
それは暗に関谷優斗と姫宮明日香を鉄砲玉にする意味に捉えられる。
あの2人は確かにお似合いだが共依存に近い。心の弱さをお互いで補っていた。
その関谷優斗なら、姫宮明日香に別れを切り出されたら昇より酷い事になる。
姫宮明日香はパートナーとして関谷優斗に依存していて、友として憧れの存在として、母性溢れるかなたに依存していた。
かなたに会えなくなる姫宮明日香は卒倒して、関谷優斗に別れられないのに別れを切り出すだろう。理由を聞けば証拠付きで全てがさらけ出される。証拠の中には関谷優斗が一木と話していて、一木が関谷優斗から聞き出したアドレスを使って昇相手にあれこれやっている。
関谷優斗と言えど姫宮明日香が関われば一木と戦うが、いままで戦ったことのない関谷優斗に力加減は出来ない。どれだけ殴ったら人間が死ぬかなんて絶対に知らない。
それ以外でも関谷優斗は一木幸平に負けるかもしれない。その時に姫宮明日香が手を貸すかもしれない。
小岩茂は歯がカチカチとなってしまう中、「なあ桜?お前、アイツらを…」となんとか言葉を絞り出して質問をしていた。
かなたは「何の話?」と聞き返すと、清々しい表情になって「私は、例え明日香が犯罪者になっても、関谷君と2人で犯罪者になっても、一木と縁さえ切ってくれれば友達に戻れるし、結婚式にも呼ぶし、結婚式にも行かせてもらうし、心から祝福するよ」と言う。
清々しい笑顔のかなたは春の空に映えていた。
小岩茂はようやく震えがおさまってきていた。
そのタイミングでかなたが「ねえ茂くん。不思議だね」と呟いた。
「何がだよ?」
「小学校の運動会って、なんで秋じゃなくて春になったんだろう?」
「桜?」
「33歳の私は、愛する人との間に生まれてきてくれた、双子の息子と娘の小学校で初めての運動会。前の日に私はお弁当を作っていた。子供達からは前の週からたくさんのリクエスト、大変だけど嬉しくて沢山作るの」
かなたは小岩茂の相槌も待たずに「子供達は巌さんのたこ焼きも好きで、おねだりしてしまって、房子さんも肩が痛いのにうちの子達が喜ぶからってベビーカステラを焼いてくれるって言っていた。皆応援に来てくれるって言っていた。楽しみにする子供達を昇が寝かしつける」と話を続けていく。
そこには口なんかをはさめられない空気があった。
「昇はイベントになると前の日や当日には、なんでか私を強く求めるの。ようやくお弁当の準備が終わってヘトヘトなのに、私は求められて、普段ならちょっとでも不調を訴えると、『無理ならいいんだ、無理しないで休んで』って優しく言ってくれる昇が、『なんか今日は我慢が辛いんだけど、ダメかな?』って言って、求められることすら幸せで、昇は『2人の明日の朝ごはんは俺が用意するからダメかな?お願い!』って言ってもう一度求めてくれる。私は嬉しさを隠すように『それならいいよ』って応じて、気怠さの中、昇の腕の中で優しくあやされて眠るの」
かなたの目にはうっすらと涙が見える。
「朝起きたら、後は仕上げるだけのお弁当を見て、子供達はどんな顔で喜んでくれるだろう。昇は誇らしげに子供に朝食を食べさせながら『ママにありがとうだぞ』って言うだろうと思って、夢の中でもニコニコする。でも起きた私は楠木かなたではなく、12歳の桜かなた。茂くん、私ね、戻らされる度に泣いてしまうの。悲しくてたまらなくて声を上げて一日中泣いてしまうの」
その言葉は小岩茂にではなく、虚空に向けて放たれていた。




