第65話 かなたの好きな時間。
既定路線に乗せないとすぐに風が吹くルートに入ってしまう。
それはもう経験済みだった。高校2年の時も、春香の成績がギリギリで自身はE組、昇がA組の中、劣等感から癇癪を起こして昇と不仲になりかけた時。
かつてのかなたは試行のひとつとして2人の仲を終わらせてみたが、その直後はあっという間に風が吹いてしまった。
後になってその理由を知った時には納得よりも、現状の最良である、運命の日に必ず春香が昇を裏切る形で酷い振り方をして、調子よく戻ってこれないようにする必要がある事を理解した。
かなたから、昇とかなたを正しい形で結ばせるためには、一度昇と春香を付き合わせないといけない説明を聞いた小岩茂は、「それだ」と言った。
「それだ。山野春香を巻き込まなかったら、お前達はどうなっていたんだ?そんな世界は無いのか?」
「あるよ。それも試したし、私が昇と結ばれない世界も試したよ」
かなたは結婚式場をザっと見て、かつて最初の世界で昇と、春香が持ってきたまま昇の家に置き去りにされたブライダル雑誌を見た日の事、想いが通じて昇が結婚を申し込んでくれた日の事、その先にあると信じて疑わなかった自分と昇の結婚式に思いをはせた事、この筋道の先にある。24歳の結婚式を思い出す。
「だって最初は昇を助けて2人で幸せになりたかったけど、何回試してもうまくいかなくて、疲れた私は綺麗に終わってくれたら…、それで良かったんだよ。勿論両想いになれて、求婚してくれた昇への気持ちは昔からあるし、今もある。でも何回も12歳に戻されて疲れた私が目指したのは終わりだから…」
そう、かなたは一度、挫折をした。
目指すものを昇と自分の幸せな未来ではなく、ただ老人になって死ねる未来を求めた事もあった。
「だから思いついたものは試したよ。私と昇が結ばれずに、昇と春香が結ばれるように見守って、適宜昇の為に手出しをした世界も、私が春香より先に元中央小学校の幼馴染として、昇と結ばれる世界もやってみたよ」
それこそ小岩茂が聞きたい話で、食い気味に「それをするとどうなるんだ?」と相槌を打つ。
「私が裏方で、昇と春香のために奔走する世界は、昇があの夏の比じゃないくらいの再起不能まで、一木幸平と上田優雅と春香に弄ばれるよ。春香に悪気はないけど、一木に色々な疑心暗鬼を植え付けられて不安な中、信じることも耐えることもしないで、目の前の快楽…、強引な上田優雅に転がった。その後は今回みたいに自己保身に走って、悪く言われたくないからって、相変わらず上田優雅が嫌なのにキチンと別れられない。上田優雅には昇を悪く言い、昇にはその全てを赦してもらってトコトン優しさに甘えて昇の心をすり減らす。そして全ての裏側を一木が収集して、それを世間にバラして昇にトドメを刺して壊す。その先があるかは知らないけど、私はそこで戻されたよ」
聞いていてあまりにも救いがない内容に、小岩茂は「桜が先に昇と結ばれる世界は?」と話を先に進めてしまう。
かなたは困り顔で「春香ってさ、悪い女なんだよ」と言う。
あまりかなたは仲間や友人になった相手を悪く言わない。
運命の日から数日は説明の為に言っていたが、普段は言わない。
そのかなたが悪い女と言ってしまえる春香はどうなのかと小岩茂は聞き入ってしまう。
「最初の時なんかで言えばさ、上田優雅と付き合ったのなんて、たまたま高校の席替えで席が隣になったからとかで、ノリと見た目の良さでいいと思ったから。ここまではまだ普通だけど、その先も酷いんだよね。付き合ってくれって言われたから、自分は言っていない。何かあっても告白をしてきた優雅に責任がある状況で付き合う」
この点で言えば、最初の時の春香は、昇に対してもシグナルを出していた。
だが、一木幸平の執拗な攻撃で自信を失っていた昇には届ききらなかった。
だからこそ、歩きながら世間話のように、仮に断られてもダメージがないように、付き合わないかと持ち掛けている。
「その後も、散々優雅が浮気性で仕方のない人間で、女遊びの激しさが聞こえて、何もしていない彼女って、後ろ指をさされても、嫌われて終わりたくないから、聞こえないふりをして、優雅がする見え透いた嘘を鵜呑みにする。最初の時、ファミレスで春香から別れを切り出せたのも、店まで浮気相手の2号さんと3号さんが乗り込んできてくれて、人前で怒鳴ってくれたから、店長が優雅を怒ってクビにするタイミングで、今なら言えるって思って、周りの人間が全員文句を言わないって状況だからフっただけ」
結局、春香には仕方のない理由が必要で、石橋を人に叩いてもらって、安全の保障がついて、賠償の確約までないと先に進めない性格をしている。知らないふり、わからないふりで手に負えなくなっても、知らないふりを貫くのが山野春香だった。
「昇の事が好きでも、全然覚悟が足りないの。結局は昇に甘えていいように使うの。それなのに、私の影が見えたら牽制もするし、昇に気づかれないように束縛もする。私から昇を略奪だってする」
これは大概の筋道で起きている現象で、通常であれば春香はシグナルを出すだけで待ちに入るが、やり直した昇にシグナルを出そうにも、移動教室で一木幸平が言っていた、「奴には桜かなたがいるから難しいだろうな。俺は知っているんだ」という言葉があり、これは最初の世界の結末を知っている一木幸平が、最後にはかなたと婚約をしている事を言っているのだが、それを知らない春香は、同じ小学校出身のかなたを警戒して、待ちに入ることなく告白をしている。
「そこまでしても昇が春香に振り向いたら満足してしまって、その先はいつも通り、昇と歩幅を合わせる努力もしないで、一木に踊らされて上田優雅と浮気する。私と昇が先に結ばれるルートは分岐があるんじゃないかと思って、何回もやり直してみたよ。前にも言ったけど、それとは別ルートだと昇が春香に告白される前に、2人でデートに行って私が告白をするの。その日に昇の初めてを春香より先に貰った時もあるけど、あの時なんて本当に酷かった。私はそれから、それらを初恋の呪いって呼んでいる。だから昇の最初は春香にするしかないんだよ」
聞いていた小岩茂は、友人としてなんとか可能性を提示したくなり、「なあ、こうなる前に春香に事情を説明したり、説得して一木のやつから春香と昇を守る形で昇を救う世界はないのか?」と聞くと、即座に「それは試さなかったんだよね。早い段階で気付けていたら良かったんだけどね」と言うかなた。
小岩茂は聞いていて背筋が凍ってしまう。
それくらいかなたの顔と声は怖かった。
「もう、そこに気付いた時には、その前の世界では昇との間に息子と娘が居たの。だからその頃から、私は何がなんでもあの子達と再会して、今度こそあの子達といる世界で終わらせる事を目的にしているの。だからもう単純な終わりに興味なんてないよ」
淡々とした言い方に怖くなった小岩茂は、かなたに「なあ、昇の事、好きなんだよな?愛してるんだよな?」と聞いてしまう。
かなたは呆れ笑いをした後で、「うん」と言って、「変なこと聞くなぁ。最初は遠回りする羽目になったけど、私に振り向いてくれたこと。真面目で優しくて我慢強くて、一生懸命な所が好きだったよ」と言って皆と話す昇を見る。
視線の先を追って「だった?桜?」と小岩茂は聞き返す。
「でも…何度やり直しても、昇は呪いのせいと戻されたタイミングのせいもあるけど、私と春香だと、一木幸平のせいで異性の存在ではなく、友達としてしか見れない私と、あのドン底から救い上げて自信を取り戻してくれた春香だと、ゲリラ豪雨の言葉だけが残っているから春香を選ぶ。上田優雅より先に行って、一木幸平の妨害から春香を守る世界を求め願うんだよ。酷いよね」
ここが言いたくてかなたはこの時間がやり直す中では好きだったりする。
これを言う事で今回の9年の苦労を水に流す気持ちでいる。
かなたの言い方が怖くて、小岩茂が言葉に困っていると、かなたは「凄い顔。大丈夫。昇の事は大好きだし愛してるよ。だって私に息子と娘に会わせてくれるんだよ?家族4人の幸せな時間をくれるんだよ」と言った。
かなたの愛が、自分の知っているモノ、思っているモノと違うことに気付いて、小岩茂は怖くなってしまう。
話を少し戻して子供に固執していたら選択肢が狭まる事を出して、「だが、それだと一木がまた春香をけしかけて、風を吹かした時に昇が心残りを感じたら、意味がないんだぞ?」と言った。
ここでかなたは更に怖い顔と声で「前の時はね『うん。わかってる。やってみるしかないから何か考えてみるよ。ありがとう茂くん。一木には気をつけるね』って言ったんだけどね……」と呟くように説明をする。
再び背筋が凍る小岩茂に、「ここに来るまでに、風を吹かせられなくする方法を、今回は考えたんだ」とかなたは言った。
それこそ寝耳に水で、小岩茂は「何?そんな事が出来るのか?どうするんだ?」と食い入るように聞いてしまう。
かなたはニコリと笑うと「まずは春香には、悪い噂が私達の所に聞こえてこない程度に、幸せに過ごしてもらう事」と言った。
「あの子、ある程度の幸せなら一木の誘惑や誘導に負けないの。でも昇が与えるような十分な幸せや、上田優雅に弄ばれて捨てられるような不幸だとだめ。誘惑に負けたら昇の耳にも届くけど、違ったら昇の耳には春香の噂は入らないよね?仮に死なれていたり、苦しんでいると聞けば、昇は無意識でも心配して風を吹かせてしまう。だから高三の秋に、上田優雅には私たちの前から消えてもらったんだ。あそこで春香の妊娠を告げないと、春香ってば親にも言わずに、一木の伝手で上田優雅の親を頼って、隠れて堕胎して、現実を受け入れられずに昇と関係を引きずるんだ。一木に昇用の新しい手札を渡す事になるし…。それ以外だと、目に見えて身体の調子も悪くなるから見てられない」
確かに、成人式の日、春香はいなかった。
年越し前の前撮りシーズンの頃に、街で春香を見たと、小岩茂の耳にも噂が聞こえてきた事があったが、それだけで一木も優雅の話もなかったし、かなたはその時に自身の誕生日を理由に昇と2人で旅行に行って地元にはいなかった。
小岩茂は、改めてかなたの行動の全ては最良を目指す行動なんだと納得してしまう。
「だがそれだとまだ一木がいるぞ?」
「うん。邪魔だよね。最初の時もさ、地元で昇に逃げ場や心休まる場所なんて与えないように、知人友人の輪を広げて、その親やその近所の人の目まで使って追い詰めたんだよね」
昇は春香にふられた時、一木が女癖が悪くて春香が振った優雅が戻ってきて、その優雅に春香を寝取られた事まで含めて地元に広めた。
昇は同年代の元同級生以外の親たちや、近所の人間にまでその事を知られると、針のムシロで生きる道ではなく、連絡先を変えて、地元と縁を切って2年間を過ごしていた。
縁を切った昇は2年の間、職場の同僚、食材の生産者達、飲食店のシェフやオーナー達との良好な関係が気づけて、自分をキチンと表現でき、結果も残せる環境で伸び伸びと生きていた。
春香の結婚式で再会したかなたは、昇と2人で会う中でそれを知り惚れ惚れとしていた。
だが、執念で昇の勤め先を調べた一木の手で、連絡先が職場から流出してしまった昇はまた逃げ場を失っていた。
かなたからすれば、それのお陰で再会できたとも言えなくはないが、そもそもそれがなければ、一木がいなければ、もっと早い段階で昇と両想いになれていた自覚がある。
やはり一木幸平は邪魔でしかない。
「今回なんかの筋道なら、仲良くなれた梅子達は一木に惑わされないけど、最初の時は酷かった。西中には美咲達みたいに北小学校の子も居なかったからだけど、皆して、一木のことを嫌っているのに、自分が嫌な思いをしなければいいくらいに思っていて、地元で昇に心休まる場所は何処にもなかったの。下手をしたら私達すら知らないお婆さんまで、昇の事を悪い意味で知っていた。だから私は春香の結婚式で憔悴して、風邪を引いた昇に『地元の友達達も関係ないよ。私達は大人だよ?2人ぼっちでもいいから、私は昇くんを悲しませる人達と縁が切れて構わないよ』って言葉を贈った」
あの日、春香の結婚式の心労で風邪まで引いた昇の看病中、目を離した隙に昇は泣いていた。かなたが優しく問いかけると、一木がこれでもかと昇を笑い者にするムービーや、春香と優雅の新婚旅行のムービーを送りつけていた。
見たくない昇でも[これは友達からの励ましだ]とタイムラインに書かれていると、今度こそ救いがあるんじゃないかと一縷の望みにかけて再生して、絶望に叩き落される。
それを知ったかなたは、泣きながら「俺はそんな事を言われる程の事をしたのかな?」と言う昇に「そんな事ないよ」と言い、どこかで昇がずっと求めていた「ずっと変だったんだよ。一木君に関わってしまってからずっと無茶苦茶で、今だって中学校もアルバイト先も、皆が一木君を知ってるから縁も切れない。だからって、こうやって昇くんが悪く言われることなんてない。傷つけられる事なんてない」という言葉を贈った。
ここからかなたと昇の仲は始まっていた。
一木に言われた言葉を思い出して不安になる昇に、何べんも言葉を贈ったかなた。
仲睦まじく、切り捨てるものを切り捨て、かなたがいれば孤独なんて関係ないと気づいた昇。
そんな中で本当に幸せな時間を過ごした昇とかなたは交際を開始し婚約をした。
その事を思い出すかなたは、苛立ちなんていう言葉では表現できない気持ちを言葉に乗せて「だからね?風を吹かせる存在が消えてくれれば、…私は無事に終われるよね?」と言った。




