第63話 かなたのウインク。
かなたのウインクは【意味のある行為】の合図。
これは昇が壊れた後、かなたから「既定路線に乗せるためにも必要な時、適宜昇に怪しまれないようにウインクするから、話を合わせてほしいの」とお願いされていて、かなたから2人でいればいいのにと思う日でもウインクされると素直に従っていた。
何の変哲もない日を過ごし、ウインクに意味なんてなかったのではないかと思った小岩茂が一度、「なあ、今日のって意味あるのか?」と聞いたことがある。
「2人でいると、なんでか上田優雅が妊娠させてしまった大橋礼奈に遭遇するんだよね。私たちはお互いに顔とか知らないから、その場は問題ないんだけど、大橋礼奈の電話相手が問題で、親だと思うんだけどさ、親に『優雅は私に本気だって言ってた!だからしたんだもん!絶対認知してくれるよ!今だって私と優雅の仲を応援してくれる奴が、色々教えてくれたけど、山野って女が死ぬ死ぬ言ってしがみついてて困ってるだけ!やだよ産むよ!』って言うんだよね。それに出くわすと昇が心配しちゃうんだ」
小岩茂自身はそれ以降、かなたが頼む事を拒む気はない。
「俺がやる」と言った小岩茂は、中野真由を抱き寄せて、「こんなボンクラ相手に、ガキの頃からずっと見捨てないでくれて感謝してる。本音はずっといて欲しい。でも俺は…やっぱり根はボンクラだから、いてくれとは言えない」と言うと、中野真由は「バカ。私みたいな奴じゃなきゃ、茂の相手は務まらないんだから、ずっといろでいいんだよ。やっと肩を抱いてくれたね茂」と言って顔を赤くして照れる。
いい雰囲気の中、二曲目が終わり、パーソナリティーがコメントを読み上げるタイミングでラジオを止めると、「真由さん、私が2人を撮るから、真由さんが私たちを撮って」と言う。
写真を撮り合った時、昇が「かなた…」と言う。
優しい笑顔で「どうしたの?言って?」とかなたが言うと、昇は「そのカプレーゼ、ひと口食べてみていい?なんか今なら食べられる気がする」と言った。
小岩茂が誰よりも喜ぶ中、かなたは「うん。この雰囲気で心が落ち着いたんだよ。癒されたの。茂くんと真由さんの幸せな姿でお腹減ったんだね」と言って、嬉しそうにカプレーゼをフォークで昇の口に運ぶと「おいしい。吐きたくならないよかなた」と昇は言った。
「だって、それは昇の為に私が作る料理だもん。私の味付けは昇の好みだよ」
「ありがとうかなた」
「ううん。ありがとうは茂くんと真由さんだよ。茂くん達がもっと仲良くなったら色々食べられるよ」
「そっか、じゃあ茂、中野さんとチューして」
「何ぃ!?」
「おお、そうだね茂。これは昇君の為にやるしかないね!」
この流れは散々喰らっていて、嫌な予感しかない小岩茂は脂汗を流してしまい、かなたは笑うと「昇、少し外で星を見よう。戻ってきた時に茂くんに聞いてみて。見てたら出来ないよ」と言う。
「おお、それもそっか。じゃああとは若いお二人に任せますかね」
小岩茂が「同い年だろうが!」と突っ込むと、かなたは「もう数えてないけどお婆ちゃんだよ?」と言い、昇は「俺は三十路だな」と言って笑いながら外に出る。
外は曇っていて星なんてない。
でも出ることに意味がある。
かなたは目を瞑って昇を待って、昇はそれに応えるようにキスをする。
恋心は無くなっても未だに頭の片隅に春香がいる。
キスから春香を気にしてしまうが、かなたは「まだ仕方ないよ」と言って優しく抱きしめて、「前より薄れてきていればいい」と言う。
20分程して戻ると、真っ赤な顔の小岩茂は「したよ!しました!」と言っていて、中野真由が目に涙を浮かべて「かなちゃんありがとう」と言っていた。
翌日、まだ多くを食べられない昇はかなたとシェアしながら食べ歩きを楽しみ、家に帰ってそれを告げると、祖父母も両親も心から喜んでかなたに感謝を告げた。
そして11月。
かなたの誕生日。
昇が「お見通し?」と聞くと「それでも嬉しいよ」と言って、小岩茂と中野真由を連れて指輪売り場に行く。
まだ若いのに婚約をして、親の許可まで得てる話をして店員は目を丸くしたが、昇がキチンとした金額の指輪を買ってかなたに渡した事で子供扱いはされなかった。
選んだ指輪はサイズ調整の為に、一度預けることになるが、それでも昇が「はい、かなた。試着してくれる?前もこのデザイン?」と聞くと、かなたは「うん。もういつもこれ。やっと会えたねって感じ」と言って喜びの笑顔を見せた。
この頃にはようやくキチンと食べられるようになった昇は、かなたが作ってくれるお弁当を楽しみにして、夕飯をお互いの家で食べ合うようになる。
1月になると、小岩茂は、かなたからウインク付きで頼まれて、「久しぶりにオヤジと店に立つんだ。食べに来てくれよ」と誘って、店の軒先で昇が自分が手伝ったたこ焼きを美味しそうに食べる姿に泣いて喜んでしまう。
「泣くほど?そんなに?」
「馬鹿野郎、そんなにだ!よかった…。本当によかった。これからも食ってくれ!」
小岩茂は油くさい体でも遠慮なく昇に抱き着いて喜んでくれた。
「茂、あんがとね。すごく美味しいから元気出るよ」と言った昇は、帰りにかなたから「春香のご両親が昇にお礼を言ってくれって、大久保先生に聞いていたんだよね」と言われる。
「そっか…春香…、学校でもあんまり見ないや」
「うん。でも春香がキチンと卒業して、大学進学できないと、昇が元気になれないからって、大久保先生に頼んであったんだよ」
「安心したよ。あんがとかなた」
かなたが「いえいえ、これからも一緒に頑張ろうね昇。最良の終わりを目指そう」と言うと、昇も「うん、一緒に頑張ろう」と返事をした。
大学進学は、昇は無事に第一希望の学校の推薦に合格し、かなたも後を追う。
小岩茂は頑張って後を追う事も考えたが、中野真由がいる大学に進んで「昇抜きでやってみる」と言っていた。
あっという間の卒業式。
昇はキチンと大久保に頭を下げて3年間の厚意に感謝をする。
大久保は「君のように夢をモノにする生徒は珍しい。私は君のサポートができて本当に嬉しいよ。今後の躍進に期待している。何かあれば遠慮なく言うんだ。いつでも連絡を待っています」と言って昇と握手をした。
かなたにも「君の覚悟を見させてもらいました。我々よりも余程君の方が大人でした。君が支える事で、楠木がどこまで行けるか楽しみにしています」と言葉を贈っていた。
それはかなたが大久保と昇に挨拶の時間を作らせていたからで、この間に春香は誰とも卒業を祝い合う事もなく、母親と校門の前で白い眼が向く中、一枚だけ写真を撮って帰っていっている。
入学式が陽なら間違いなく卒業式は陰だ。
春香の父は娘に関して落胆と軽蔑の気持ちを抱き、親の責務だけで生きていて、卒業式には顔を出さずに現実から逃げるように仕事をしていた。




