第59話 春香とかなたと昇。
春香は誰にも伝えていない想いがかなたの口から出てきて慌てる中、さっきよりも怖い声でかなたが言った。
「春香、何回過ごしても…。一応まだ…縁は切っても情は残る。だから言ってあげる。上田優雅君もよく聞いてね」
かなたは再び校舎の方を向き、2人を見ずに話し始める。
「春香、上田優雅君は春香を大事にした?強引なだけだよね。春香は心が弱いから、無理矢理ってシチュエーションに憧れがあって、優しく包んでくれる昇に物足りなさも感じていた。昇は優しいから、少しでも調子が悪かったら我慢してくれた。春香が昇を裏切った理由なんて、【優しくて強引さがないから】、それだけだもんね」
それは別の筋道の時に聞いていた事で、今の春香は誰にも伝えていない。
だが、かなたに言わせれば、【優しくて強引さがないから】は誤解もいい所だ。
昇の想いをくみ取らず、昇の願いを聞こうとも知ろうともせずに、甘え切って理想を押し付けて昇を見ていなかったのは春香で、確かに初恋の呪いのせいで春香を神格化ギリギリまで妄信して守ろうとしている昇にも問題はあるが、昇が小さく主張した時に、キチンと一度でも声を拾えば、あとはキチンと自己主張もする。
かなたは昇しか知らないが、【優しくて強引さがない】なんて春香が評する昇でも、強引に求めてくる日は存在する。
それは1年も2年もいらない。最初の時だって割と早い段階で強引に求められたし、今回も8月16日から約半月しか過ぎていないが、「なんか今日は我慢が辛いんだけど、ダメかな?」と一度求められている。
話を戻せば、ただただ、春香は若干の興味がある行為に対し、責任を自分以外の他人に委ねられる状況を欲していて、性行為の事で言えば、周囲にバレた時やパートナーから、はしたないと思われたくないだけで、自分から言い出さず「私は気乗りしなかったけど仕方なく付き合った」と言いたいだけだった。
それに加えると、A組同士の昇とかなたの方がお似合いだとバイト中も一木から話を聞いた周囲に言われていて自信を失っていた。
それは最初の時も全く同じだった。就活に成功した昇と失敗した春香。
その劣等感を一木にコントロールされていた。
だからこそ上田優雅に無理矢理強引に迫られ、一木の誘導で「桜とお似合いだと言われている昇に少し危機感を持たせた方がいい」、「学校でうまくいかず、折角見つけたアルバイトを辞めさせられる山野春香の気持ちをわかるのは俺達だ」、「だから山野春香は何も悪くない」という言葉でガードが完全に緩み、優雅には「昇がいるから嫌だ」と弱々しく拒み、「んな事言うなって、春香だって昇って奴しか知らないなんて損だって、比べてみて、昇の方が良ければそれでいいんだからさ」、「そうだよ昇の為にもなるかもよ」と言われた春香は「私は断ったけど、優雅があまりに熱心で、一木にも勧められたから仕方なく付き合った」と言う言葉で、状況を受け入れていた。
最初の時、散々上田優雅に浮気をされていた春香は、浮気を嫌悪するだけではなく、浮気をするという事はどういうものかという興味を抱いてしまった。
そして「ご飯くらいなら許されるだろう」という甘えた認識。
ご飯を浮気と捉えるかはパートナーとの話し合い次第だが、春香は昇と話し合いすらしなかった。
話し合わずに、了承も得ずに行くご飯を浮気と定義していた春香。
そして、仮に万一別の男とご飯に行って、バレても昇なら許してくれるという慢心と甘えと過信があった。
更に昇の不在時に守ってくれる人がいなかったから、断り切れなくても“仕方がない”状況。
そこに一木幸平にそそのかされた上田優雅がしつこく迫ってきて、「大丈夫だって、昇には俺からも言ってやるから」と言い、一木幸平が「この後の事は仕方ない事」、「今の山野春香を寂しがらせて悲しませる昇が悪い」、「もしかしたら昇は春香より仕事がいいのかもしれない」、「だから山野春香は何も悪くない」と言ったからだった。
それらを最初の時の事は別だが、8月7日にどういう会話があったかを、別の時に引き出しているかなたは、容赦なく今の春香が“まだ”誰にも言っていない、春香すら知らない事を口にした。
「強引な上田優雅君は春香を大事にしてくれた?無理矢理だったよね?避妊してくれたかな?噂だと、流石の上田優雅君でも最初の彼女には気を使っていたけど、それ以外には気なんて使わない。避妊しないで8月7日の一晩中、8月15日のバイト前、8月20日のバイト後、3回もしたし、最初は一晩中だもんね。ナマで中出し、嫌がって無理矢理されて楽しかった?憧れはどうだった?満たされたかな?普段の春香ならもう生理だよね?でも始まってないね。予兆もないね。【やれば出来る】って素敵な言葉だよね。意味わかるよね?」
一拍置いて、本当に冷酷に「それ、体調不良や心因性の生理不順じゃないよ」とかなたは言った。
かなたが言い終わると、春香は呼吸が荒くなって崩れ落ち、上田優雅は「は?」と聞き返すだけで何も言わない。
「上田優雅君、大橋礼奈さんと谷津綾乃さんは一木君から春香の事も全部聞いてるよ。いつもみたいに笑ってなあなあで済ませられるのは、2人のうちどちらかだけど、それは教えてあげない。考えなさい。早くしないとあなたは二児のパパよ。あ、春香は産まないかな?それでも1人は本気だからね。認知しないと大変よ?」
かなたは歩きながら怖い声で、「信じるも信じないもあなた達次第」と言って校舎に戻る。
我に返った上田優雅は「嘘だろオイ?」と言うと、座り込んでしまった春香に「春香?なあ!お前どうせ楠木って奴ともナマでヤってたんだろ!それだよな!?」と慌てふためき、「くそっ!礼奈と綾乃!?なんであの女が知ってんだ!?幸平!お前がばら撒いたのか!?今回は許さねえぞ!」と言うばかりで話にならない。
春香は呼吸が落ち着くとフラフラと立ち上がって「昇…。昇は私を大事にしてくれたもん。避妊だって完璧にしてくれた、ちょっとでも調子が悪い日は、何もしないで優しく抱きしめてくれてたもん」とうわ言のように言って校舎に戻ろうとする。
その中で異質極まりないのは一木幸平で、「いひひ」と笑って喜ぶと、「そうだよ優雅!やれば出来るんだよ!おめでとう!パパだね!皆に言わなきゃ!皆からお祝い貰おうね!」と言ってスマホを取り出して高笑いしていた。
上田優雅と一木幸平は飛んできた教師達に追い返されて、玄関で大久保がかなたの前に立ち「桜さん?」と声をかけると、かなたは「はい。あの2人です。念入りに壊した楠木くんの心にトドメを刺しに来たんです。前もって周りから来訪の噂を聞いていたから対処しました」と答える。
「何を話したんだい?話せるかな?」
「はい。でも少しお時間もらっていいですか?想像より早い来訪に気付いて、トイレに行けてないのと、楠木くんが心配なんです」
大久保は頷いて「その時間は取るよ」と言うと、フラフラと放心状態で玄関に向けて歩いてくる春香を見て、「山野はどうするかね?」と質問をする。
かなたは一瞬だけ春香を見て、「私がいると冷静になれないでしょうから、個別に聞いてあげてみてください。でも彼女、自己保身の塊みたいな所があるから、この件では嘘をつきます。後日ご両親と一緒に、今日これからする私の話と共にもう一度聞いてあげてください」と答えた。
かなたは言うだけ言ってトイレを目指そうとすると、階段にできた人だかりの中、小岩茂では抑えきれなかった昇が、かなたの後ろで今まさに大久保に話しかけられる春香を見ていて「春香!」と春香の名前を呼んでいた。
約1ヶ月ぶりの昇の声に春香は反応して、昇の方を見て泣きながら「昇!」と返したが、かなたがそれを許さない。
かなたは人だかりをかき分けて昇の前に立つと、「昇、春香はもう前の春香じゃない。私はお願いしたよね?私と茂くんのお願いを聞いてって言ったよね?今がその時だよ。春香を見ないで。時間が過ぎたら忘れられるから、今春香に関わると壊されちゃうよ」といって昇の視界を遮る。
今も大久保の制止を無視して、昇の名を呼ぶ春香の声が聞こえる中、昇はそれでも「春香、守らなきゃ、助けなきゃ、俺の事なんていいんだ。恋人同士なんて関係ない。俺を救ってくれた春香を、優雅と一木から守らないと…。ずっと泣かされてきたんだ。かなたも見てただろ?知ってるだろ?」と言って、羽交締めにするように押さえつける小岩茂を振り払おうとする。
身を乗り出してかなたにしがみつきながらもう一度同じことを言うが、かなたは「見てきた。知ってる。昇が何を思って、何があって春香を幸せにしようとしているのかも聞いたよ。恋人が無理なら友達として助けたい気持ちも知っているよ。でもこの道を選んだのは春香だよ。昇がくれていた優しさや愛、チャンスを全て台無しにしたのは春香なんだよ」と言った。
かなたはそのまま小岩茂を見て「茂くん。お願い。今こそ鬼になって」と言う。
小岩茂は「そういうことかよ、桜が言ってた鬼になれって…そういうことかよ!」と声を荒げると、昇を自分の方に振り向かせて頬を一度殴った。
「俺はお前のダチだ!唯一無二のダチだ!お前の為なら何だってしてやれる!そんなダチからの頼みだ!春香を忘れてくれ!今は他人なんかより自分の事を一番に大事にしてくれ!今はとにかく俺と桜と皆で守るから!今だけは頼む!」
小岩茂の言葉に昇は声を上げて泣いて、「俺が守らないと!春香は!優雅と一木に辛い目に遭わされる!」と声を上げていたが、最後には気絶して力尽きた。
それを泣きながら抱きしめた小岩茂が、「軽すぎるぞお前。そんなになるまで裏切られたのに春香なのかよ」と呟きながら保健室に連れて行ってくれた。
そんな中、春香は大久保に連れて行かれていた。




