第55話 かなたが願う終わり。
昇とかなたの住まいにはテレビがない。
ネットもない。
それは仮にテレビで不倫や浮気の話が出ると昇がおかしくなるからで、トコトン外的要因を切り離していて、日中は窓の外の暑い陽射しを見ながら、昇はかなたと夏の課題を進めていく。
昇はいまだに気が抜けると春香のことを考えて、「この問題、春香1人で解けるかな?」と口にしてしまう。
「大丈夫。A組とE組じゃ課題は違うよ」
その落差こそが春香が昇に不満を抱いた理由の一つだったりする。
だが、迫られると拒めずにズルズルとしてしまう春香に、遠距離恋愛や別の高校との恋愛はあり得ない。分相応に東の京高校と京成学院なんかで離れてたら1ヶ月ともたない。
昇は食事以外はなんとかなっていた。
睡眠は一度に沢山は眠れないが、なんとかこまめに眠くなると寝るようにしていて、かなたも連絡を取る時以外は、昇と同じ布団で一緒に眠る。
何回やっても眠りの浅い昇に合わせて、寝て起きてをするのは辛い。
だから眠れる時は一緒に眠り昇を抱きしめていた。
暫く無音で問題を解いた後、昇が口を開いた。
「ねえかなた」
「何、昇?」
「俺とかなたは結婚するの?」
「うん。前の前とその前とかはしたよ。更にその前は式の前に一木の邪魔が入って無くなったりしたよ」
「かなたは何度も俺と結婚してくれて嫌にならない?」
「ならないよ。それなら昇は、何度やっても1度目だけど、次があってこの事を覚えていたら、春香を諦めてくれる?最初から茂くんを助けて私と結婚してくれる?」
昇はまだ心のどこかで正解の筋道や春香を守れる筋道があるのかもと思っていて、それを見抜いているかなたはあえて春香の名前を出す。
次があれば、本来ならかなたを選ぶべきで、それは間違っていない。
すでに数日暮らしていて、かなたの存在は確かなものになり始めていた。
だが、今昇の中にあるのは中学1年の時から付き合ってしまえば、今と違っていたのではないかという思いと、それ以上に最初からかなたを選んだ時、春香はどうなるのか、昇が助けたくなるように一木幸平と上田優雅の手で、今まで以上にボロボロにされてしまうのではないか。
そんな事を考えていた。
かなたは昇の答えを待たずに立ち上がると、フローリングに座って勉強をしている昇の膝に座り「愛してるよ昇」と言ってキスをする。
それは昇好みのキスで、初めてと思えないかなたの上手さにいつも驚かされる。
「最初の時も私はモテなかったし、彼氏なしで生きてきたから、全部初めては昇とだったよ。このキスも昇が喜んでくれるから、その顔が見たくて練習したんだよ」
「かなた…」
「付き合うようになって、春香には頼めなかったけど、って言って恥ずかしい格好を頼まれた時には目を白黒させたけど、昇が本当に興奮して喜んでくれて、私はそれをもっと見たくて受け入れたんだよ。見たい?」
「…正直見てみたいけど、初めてのかなたに頼むのはハードすぎるかなと…」
「ふふ。いつもそれを言う」
かなたは最初の時間を思い出す。
かなたが昇の心を解きほぐして、かなたの想いに気付いた昇。かなたへの想いに気付いた昇。
昇がキチンと告白してくれて、かなたは感涙して、「うん。私も好きです。これからもよろしくね昇くん」と言った。
2人のペースで始めた恋人同士の関係。
昇はかなたを大切に扱い、記念日ではないが一緒に過ごしたクリスマスに結ばれた。
年越しを2人で過ごして、キスも結ばれるのも馴染んできた頃、真っ赤な顔で「かなたごめん」と言い出す昇。
何事かと思えば、して貰いたいポーズとプレイがあると頼まれた。
今思えば、あれ一つ頼めない春香との関係。
果たしてそれは正常なものなのだろうか。
チョコプリンにしても、母親に言わせると甘さが足りないが、昇には最高だと言われた。それは何度やり直しても昇好みで喜んでくれる。
普通にしていて、相手もそれを喜んでくれる。
それこそが正常で、イニシアチブを取ったり、不必要に機嫌を伺ったり、春香に合わせて我慢をしている昇は正常とは言い難かった。
笑顔のかなたを見て、昇は驚いてしまう。
自分よりも自分に詳しいかなた。
だが不快感なんてものは一つもなかった。
「え?この会話も?」
「うん。きっと世界のどこかには記されていて、私たちはそれを準えてる。この会話もだよ」
「じゃあ俺がこれから話す事も?」
穏やかに微笑んだかなたは「お見通しだよ」 と言うと、昇にディープキスをしながらフローリングに押し倒す。
唇が離れて見つめ合った後、かなたが「私は早く楠木かなたになりたいよ」と言ってから、「まずはお話から。なんでも言って。なんでも聞いて」と言った。
かなたは昇の横に寝転がり見つめ合うと昇は気になっている事を聞き始めた。
「今日は8月何日?」
「16日。寝て起きてで時間の感覚が狂ったよね?それが目的だよ。焦らないで治して」
「かなたのお父さん達…、かなたの外泊を怒らない?」
「私は戻ってきてすぐにキチンと全部を話したの。私は嘘なんてつかないから、お父さん達は6年生の言葉でも信じてくれるの。お父さん達も協力者だよ。だから運動会で昇が豹変しても普通にしてたよね?今だってウチに住めばいいのにって言ってるよ。断ったけどねー」
「え!?振袖の時とか…」
「うん。全部知ってたよ」
「知らなかったのは俺だけ?」
「まあ、そうなるかな。でも茂くんは演技できないから、曽房さんとこの前まで内緒にしちゃった。後は中央小学校の子達が豹変した昇を見た時に根回しはしたから、色々おかしくならなかったんだよー」
改めてやり切れていると思っても抜けがあったことに気づく昇。
それよりもかなたはだいぶ前から裏側で根回しを行っていてくれていた。
早い段階で昇の祖父母に、「全て信じられなくても」と添えながら、祖母のレシピノートのおはぎの作り方と、昇と見つけたノートに加筆し忘れている問題点を伝えて自分が未来の楠木家の嫁である事を明かす。
知る限りの初回の昇の人生とその結末を伝え、ここに来るまでの様々な道のりとその結末を伝えていた。
今思えば、食べ物の嗜好が変わった以外にも色々と変わったものがあったのに、それが受け入れられていたのは、かなたの努力のおかげだった事を知った昇は、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちになっていた。
かなたは昇の顔を見て優しく微笑む。
その笑顔を見ていると昇は許された気持ちになって癒されていた。
「ねえ、かなたは俺のこと好き?」
「うん。優しくて努力家で、頑張り屋さんで、我慢強くて好きだよ」
「なら俺が春香と付き合ったのって、嫌じゃなかったの?」
「嫌だけど既定路線。この筋道に入らないと一木の妨害が酷いから仕方ないの。なんか春香といて一喜一憂する昇が見たいのか、一木がこれでもかって私の邪魔をして春香の事を売り込んでくるんだよ」
ようやく春香の名前を出しても昇の顔が8月7日以降ほど曇らなくなっていく。
かなたは順調に昇の心が癒されている事にホッとする。
これは毎回わかっていても本当にホッとしてしまう。
「かなたの願う終わりって何?」
「楠木かなたになって、家族で笑顔で暮らすの。昇は頑張って大学に入って、食品バイヤーになって、大変だけど夢を叶えるの。私はそれを支える。家で子供達に『パパはいつも頑張ってくれてるんだよ』って説明をする。子供達は昇に遊んで貰いたいから寂しいって言うけど、キチンと納得してくれて、『パパって凄いね』、『ママはパパが好きなの?』、『うん。ママはパパが大好きだよ』なんて話しながらご飯を作って、帰りが遅い昇を待って尽くして、大きな休みには沢山出かけるの。まだそこまでしか行けてないから、子供達が大人になって孫を連れてきて、孫に囲まれて素敵な老後を過ごしたいかな?」
「子供…何人いるの?」
「私が産んだことがあるのは2人だけ。毎回同じ子。双子なんだよ。昇は自分の名前が漢字一文字だから同じにしたいって言うの。それで私の名前から[か]の字を使うって言ってくれて、お爺様達には『呼びにきい』なんて言われるけど、薫と香という名前の男の子と女の子を産むの」
名前の事を聞くと、確かに自分ならかなたの事を想って「か」の字を使おうとする。
薫と香、確かに少し呼びにくい気もするが字の意味からいえば素敵な名前だと思う。
祖父は「おーい、か…」で子供達が2人とも反応したら確かに「おい…、呼びにきいって」と自分に呆れ笑いをしながら言うだろう。
昇はその姿を想像して小さく笑ってしまう。
「結婚と出産は何歳?」
「結婚は24歳。出産は26歳。双子って大変なんだけど、まだ私たちは若いから2人で奮闘するんだよ」
双子は大変だと聞くが、かなたがいれば平気くらいに思ってしまう昇。
だが、そのかなたが大変と言うのだから相当だろう。
「大変なの?」
「もうすご〜く!薫が寝ると香が起きて泣いて、今度はその逆でって感じで2人でへとへとになるの。あの時はお婆様とお爺様に沢山助けてもらったんだよ。そのお陰で薫なんてね、お婆様に懐いちゃって、お正月に『大婆ちゃんのお汁粉でお餅を10個食べるんだ!』なんて言ってね?昇は『言うな。本気にするからやめてくれ。残されて片付けるのは俺になる』なんてぼやいて、結局香と薫が大口をたたいて残したお餅を食べたら、茂くん達とたこ焼きが食べれなくなって、昇はふてくされるんだよ」
ここで昇が「じゃあ」と言うのだが、奪い取るようにかなたが、「じゃあ、結ばれるのはまだ早いかな?それともそれまで子供ができないなら避妊具はいらないかな?」と言った。
中野真由との言葉を真剣に考えていた昇はこの会話中に、一歩先に進むことを決心していたが、それすらかなたにはお見通しだった。
昇は顔を真っ赤にして「えぇ!?お見通し!?」と聞くと、かなたは涙を流して昇にキスをする。
涙を流したままのかなたは唇が離れると「会いたいよ薫、香。早く会いたい」と絞り出すように言った。
深呼吸して微笑んだかなたが「でもまだ早いから今は素敵な夫婦でいさせて?私を抱いて?馴染んできたら昇の好きなのしてあげるよ」と言うと、昇は「かなた…。ありがとうかなた」と言ってかなたを抱いた。
昇が取り出してきた中野真由の避妊具を見て、かなたは「それ、開けて手前の一個は不良品の穴あきで…2人で初めての時に真っ青になったんだよね」と言って笑うと、それから先は明るくて楽しい時間だった。
こんな営みでいいのかと不思議に思う昇に、「明るくしないとご飯食べてないせいか、昇は勃たなくて責任感じて落ち込むんだよ」とかなたは笑顔で説明をする。
「え?じゃあかなたの好みはもっと違うの?」
「私はワンパターンなのが嫌いだよ。まだこの身体だと始めたてで痛いから痛みがなくなったら色々してね」
照れながら言うかなたを愛おしく思える昇は顔を赤くして頷く。
「うん。こんな始まりでごめん。後はずっとありがとう」
「ううん。いいんだよ。後は茂くんや私のお願いは聞いてね」
かなたは昇にキスをしてから、「もう一つ、今晩からぐっすり眠れるよ。でも夜中に目を覚ましたらいつでも求めてね」と言うと、「いいの?」と昇は鼻の下を少しだけ伸ばして聞いてしまう。それくらいかなたとの時間は素晴らしいものだった。
「私の求める回数は昇の回数だもん。全然平気だよ。この家にいる間は好きなだけ求めて。私も昇を求めるし応えるよ」
「…うん。俺も求めるし応える」
かなたは「よろしい」と言うと、昇に再度キスをして、「少し寝よう。初めてはいつもだけど、今回も筋肉痛になりそう」と言って笑っていた。




