第52話 全員が辛い時間。
昇のスマホのパスワードをかなたは妻として知っていたので、「茂くん、この後昇の所に届くメッセージは毒でしかないの。だからこのスマホを預かって、仕事を頼みたいの。昇から春香を取り除きたいの。お願い。パスワードは※※※※※※だから、他のやつは見ないであげて」と前もって言っておき、車の中で取り上げたスマホを小岩茂に渡していた。
小岩茂は土曜日の朝一番に山野邸にお邪魔していた。
昇の心友として知られている小岩茂は、怪しまれずに玄関まで行けていて、親が対応したが「娘は帰ってきてなくてね。昇くんの所かな?」なんて父親が言った時に、小岩茂は涙ながらに「あんたの娘は浮気中だ。どれだけ昇が春香の為に頑張ったと思ってるんだ」と言うと、事態の深刻さに春香の両親は寝間着のまま小岩茂を家に上げる。
小岩茂は「頼みがあります。靴を隠させてください」と言ってリビングに行くと、「お茶とかは春香にバレると困るのでやめてください。時間がありません。これを見てください」と言って昇のスマホを取り出すとパスワードを解除して中を開く。
昇のスマホが出てきたことを驚く春香の両親に、「今日のことが本当だった時、俺と後日会って話を聞いてください。とりあえず今日を持って春香と昇は絶縁させます。手伝ってください」と言って、昇が送別会に行って連絡のない春香を心配して春香が無視をするメッセージを見せる。
みるみる顔色が悪くなる両親に、一木幸平から届いたラブホテルに入って行く後ろ姿の写真、それに合わせるように届く、高校生なのに飲み会で飲酒をしてはっちゃける春香の写真、昇ではない男とラブホテルに入店する女の子の服が春香と同じだと送ってくる一木のコメント。
そしてアルコールが入って、昇を「心配性の束縛男」と悪く言って優雅が肩に腕を回すと満更ではない顔で笑う春香のムービー。
無理やり口説く優雅を「だめだよ」と拒むが弱い拒み方のムービー。
実況中継として[まだ出てこない]、[お楽しみだね。昇より優雅の方がいいみたいだ]なんてコメントが1時間おきに朝まで入ってくる。
そして小岩茂と春香の両親の話中に、出口から出てきた春香がスマホのカメラを見て真っ青になって慌てる所が入ってくると、数分して一木の送ってきたスクリーンショットが入ってきて、春香が保身しか考えていない事が判明して母は泣いて父は俯いていた。
「まだワンチャンスあるかもと思っているかもしれないから、一つ賭けてください」
それはかなたから言われていた事。
「帰宅した春香が朝帰りを誤魔化して、口裏合わせを頼んできたら、もう昇には関わらせない。いいですね?」
小岩茂の圧力に春香の父は唸るように了承した。
そしてかなたの言った通り30分後に帰宅した春香は、父親が玄関まで来て「お帰り。前もって言わずに朝帰りなんてどうしたんだ?」と聞くと、春香は靴を脱ぎながら「お父さん、ただいま。あのさ、昨日はスマホの電池が切れた事にして、気分が悪くて帰ってきてすぐに寝た事にして欲しいんだよね」と言う。
話が聞こえたリビングで母の泣く声がすると同時に、父親は「春香!!」と怒鳴り上げて春香を殴った。
「痛っ…!?何!?」と言う春香に、「お前は昇くんという素晴らしいパートナーがいるのに裏切っておいて、…保身の為に嘘をつくのか!?恥を知れ!!」と怒鳴り上げてもう一度殴ると、春香は「なんで…知って…」と言って逃げるように部屋に篭る。
音が静かになるのを待って、小岩茂は「すみません。帰ります」と言って山野邸を後にした。
小岩茂が持つ昇のスマホには、春香から[連絡できなくてごめんなさい]、[電話できないかな?]、[話させて]と着ていたが、小岩茂は既読が付かないように操作をして電源を切ると家に帰り、曽房と両親に顛末を話して「最悪の気分だ」と漏らす。
「坊ちゃん、それが大人になるという事ですよ。楠木さんの為です。頑張ってください」
「そうだぞ茂。今1番キツいのは昇君だ」
「そうよ。いくらかなちゃんが未来の奥さんとして支えてくれていても辛いのだから、辛い顔なんてしないで一緒に支えてあげなさい」
苦し気に唸って天を仰いで、「…わかってる。部屋を貸してもらえた事とか感謝してる」と言うと、両親は「馬鹿野郎。金なら気にすんな。そのスマホの機種変だってウチが出すって言ってやれ」、「かなちゃんが、この日のためにお金を貯めたって言っても大変なんだから、甘えさせてやりなさい」と言ってくれる。
小岩茂は深く頷きながら、「桜の奴、中学に入る前からずっと今日の為に準備してたって言ってたけど辛いよな」と納得をした時、途中から聞いていた三津下が、やり直しているという部分を理解せずに、「坊ちゃん、ムービーとか写真を送ってきた奴をわからせましょうよ」と言った。
正直、小岩茂にも夏休みに入り、話を聞いてから何度もその考えがあったし、曽房達も同じ気持ちだった。
だが、運命の日の前に打ち合わせた時に提案すると、かなたから制止されていた。
「アイツは関われない。関わってはいけないの」
かなたは本当なら、最初の時も昇を苦しめ、自分と昇の婚約を台無しにした一木をどうにかしたかったが、一木は最初の時、散々やらかしてキレた相手が不登校になるまで追い詰めていた。
被害者は野球部の男の子で、好意を抱いていたマネージャーの子と偽ってラブレターを送り、呼び出すと、待ちぼうけする様を撮影し、学校中に貼り出した。
西中学校の1年教師たちは、問題にすることを忌避し、おふざけとして済ませてしまう。
その結果で一木が増長した時、男の子は暴力を使っても解決しようとしたが、こんな事で怒るなんて人間ができていないと言われ、仮に殴れば一生を無茶苦茶にすると言い、具体的に進学先、就職先、結婚相手に今日の日の事を話す。世界中の何処にいても必ず話すと言い、相手が絶望して泣き崩れる様を撮影し、今度は通学路にある町会の掲示板にその事を貼り出した。
これにより相手は不登校寸前まで行ったが教師は口頭注意のみで済ませてしまい、西中学校で一木に関わりたいと思う者がいなくなった事を説明する。
「相手の個人情報や失敗を収集して楽しむ一木は危険な存在で、何かあったら徹底的にばら撒いて楽しむの。それがあるから昇は最初の時も、春香に裏切られた事が街中の人間が知る事になって一度は地元にいられなくなって縁を切ったけど、また近寄られて嫌々春香の結婚式に参列をした。断ると悪い噂を勤め先や取引先に流されそうで我慢をしたの」
かなたは辛そうな顔で過去を思い出して話すと、横にいる中野真由が手を握って「かなちゃん」と声をかけてくれる。
一瞬微笑んで「真由さん、いつもありがとう」と言ったかなたは苦しそうに、「そして一木を倒そうとしても、昇が完全に春香を断ち切るまではダメなの」と続けた。
それは、一木もやり直しの風を吹かせられる存在で、かつて中学校生活で、単純な終わりを目指した時のかなたが、可能性に賭けて今と全く別の筋道を選択し続けた時、東の京高校に昇、かなた、春香、小岩茂、一木幸平、上田優雅が行ってしまった。
かなたからすれば気の休まらない緊張の日々。だが、もしかしたらこれこそが終わりの筋道なのかもしれないと思って歯を食いしばる中、一木幸平はつまみ食い感覚で、そこにいたカップルになりたての初々しい同級生カップルを片っ端からターゲットにした。
毎度のようにネガティブキャンペーンで出鼻を挫き、それでも両想いになれたカップルには見た目とノリに全振りしている上田優雅を誘導して寝取らせる。
ひと組のカップルもネガティブキャンペーンに屈しず両思いになると、一木幸平は嬉しそうに上田優雅を誘導した。
女子生徒を寝取らせた後、初めての彼女でとても大切にしていたのに、こらから仲を育もうとしていたのに、一晩経ったら上田優雅に寝取られていた。
キスも何もかも先に奪われた彼氏が公衆の面前で笑い者にされた時の事だった。
泣いて謝る彼女から話を聞くよりも先にクラスメイト達が全てを知っていて、哀れみの目を向けられた彼氏。
突然の事で困惑する彼氏に、泣いて謝る彼女が「一木と話しているうちに、よくわからなくなって、嫌なのにあっという間にホテル街に連れていかれて、そこに上田優雅がいて、断れなくなって…」と証言をした。
彼氏の方も、ただ勝ち誇る上田優雅よりも、言葉巧みに彼女を誘導して全身全霊で笑い者にしてくる一木幸平が諸悪だと気づき、逆上して一木幸平を病院送りにしてしまう。
正直、かなたは、後から知った1度目の失敗で一木幸平を排除する事をやめていたので、これがどのように作用するかを見届けたい気持ちになっていた。
最悪、この状況ならまた12歳に戻っても構わない気持ちで事態を見守ると、翌週には一木幸平という手綱を握る存在が居なくなった上田優雅は暴走を始め、学年中の女子達に無理矢理迫るようになる。
それは一木幸平の言葉で誘導され続けた上田優雅のブレーキが壊れ切っていて、「女はきっかけを待っている」、「無理矢理って事にして抱かれたがっている」という言葉と、これまでの成功率、自分の容姿と自信からコレクション魂のような、ただ学年の女子をコンプリートしたいだけの、目的が狂ってしまっていた。
最初の世界で一木幸平が上田優雅をコントロールしていた事はアルバイト先でかなたも聞き及んでいた。
今と同じように浮ついた噂のあるカップルを台無しにして喜び、「百人斬りいっちまうか?幸平!」、「いひひ、凄いじゃん優雅。学年の女子がほぼ全部じゃん」と盛り上がっていた事も聞いていて、なんでそんなのと付き合えるのか春香の神経を疑った事もあった。
かなたも当然、女子の1人として強く迫られたが、頑として断れば「チツ、ノリの悪い女」、「スカしやがって」、「減るもんじゃなし」、「折角やらせてやるってのによ」、「後から来たって抱いてやらねえからな」くらいの捨て台詞が吐かれる程度で済む。
断り切れなかったのは春香で、春香が優雅に寝取られたと昇が知った瞬間に風は吹いてしまった。
かなたはその時の説明をして、「昇が完全に春香を断ち切るまではダメ。一木が入院したりすると、一木が常にやり直しを願い始めて、そこで昇も何かのきっかけでやり直しを願うと、風が吹くから手出しできないの」と悔しそうな顔で言った。
「だから私は上手く立ち回って、昇や茂くんの助けもあったけど、暴力事件に発展しないようにしていたの」
かなたは本当に辛そうな顔で言った。
かなたは多くは話せないと言いながら、本当に昇の心を癒して相思相愛になれた日から、一木に壊される日までの幸せな日々を、幸せのお裾分けのように話した。
「昇、中学生の頃は一木にトコトン心を壊されて自信なんて無くなっていて、あの眩しい笑顔が、卑屈な笑顔でずっと曇っていた。私は一木が何度も言った呪いのような言葉を、言われた回数だけ「そんな事ない」って言い続けて、昇を癒して、昇と付き合えた」
「毎日が楽しかった。逢える日が待ち遠しかった。昇が食に真剣で、生産者さんが丹精込めた食材を美味しく調理する人たちに顔を真っ赤にして感謝をして敬意を払い、逆に手を抜いたり台無しにする人に怒鳴りつける姿は、中学校の昇に欠けていたもので、何回見ても惚れ惚れするの」
「2人で楽しい事をした時の写真でアルバムを作っていく中でも、決してアルバムを作るために楽しい事をしないようにしようって言ってくれた」
「楠木家の嫁になりたくて、最初の時は亡くなっていたお婆様のおはぎのレシピを再現するの。昇と2人で試行錯誤して美味しいおはぎが作れた日は本当に嬉しかった。お父さん達とお父様達、仏壇のお祖父様達と8人でおはぎを食べた日は私の宝物」
聞いているだけで胸の奥がムズムズしてきて、涙があふれてしまう気持ちになる話。
聞いている中野真由だけではなく曽房も目を赤くして聞き入ってしまう。
直後に「それなのに一木が昇を追い詰めて壊した」と言った時のかなたの声と殺意のようなものは本当に身震いした。
深呼吸をしたかなたは一度小岩茂達全員の目を見た。
「お願いします曽房さん、茂くん。一木に関わらないで、一木が風を吹かせないように挑発されていても無視をしてください」
小岩茂はその時のかなたの辛そうな顔を思い出して、自分がしっかりとして、昇とかなたを幸せな終わりに導くと、決意してからかなたにメッセージを送っていた。




