第51話 有毒なスマートフォン。
昇は家には帰れなかった。
「家はダメ。一木が待ち伏せしたりするから、夏休み中は茂くんと曽房さんにお願いしてアパートを借りたの。お金なら心配いらないよ。私がアルバイトで貯めたお金なんかもあるからね?」
「空き物件です。家賃は結構ですよ?」
「ああ、オヤジもオフクロも昇の為ならって喜んで貸してくれた」
これに昇の祖父母が頭を下げて礼を言うと、曽房が「やめてください。我々はチームです。今度こそ桜さんと楠木さんを幸せな終わりに導きましょう」と言った。
車から降りてごく普通にアパートの部屋を目指すかなたは曽房のやや前を歩いている。
「なあ桜、桜は部屋の内容とか知ってるのか?」
「うん。あの部屋だよね?いつもと同じ。素敵なお部屋。本当に茂くん達には感謝してるよ」
「お前、そんなに経験しているのに、毎回初めての顔してたのか?」
「うん。それが大好きな旦那様の為だからね」
かなたが小岩茂と談笑する中、少し後ろにいる昇は、どこか現実味がなくて、今も呆然と立ち尽くしていて、中野真由が腕を掴んでいる。
今も自分が家に帰れない事を、キチンと理解できていなかった。
それは大樹珈琲での話を聞いていて、自分がどこかまだやり残したことがあって、本気だったが春香に届ききっていないかもしれない後悔から、その中でも春香とやり直せる未来を意識して模索していたのに、どれをやっても一木に妨害され、結果春香に裏切られ、失敗に終わるとかなたから言われたからで、かなたが嘘をついた所を見た事ない昇は、帰りの車中で徐々に手詰まりだと理解して放心してしまっていた。
やり直しはうまく行っていたはずなのに、そう思ったのは後ろを歩く祖父母が居て、やや前を歩く小岩茂がいるから。
死の未来を回避した祖父母、噂すら聞かない不良道を究めただろう小岩茂と微劣高校にしか行けなかった自分が京成学院に行って、過去を塗り替えたのに、肝心の春香の事でどうする事も出来なかったと気づいてしまったからだった。
そんな中、かなたが申し訳なさそうに「茂くん、明日はお願いね」と言っている。
「ああ。やってくる。見届ければいいんだな?」
かなたは「うん。何回もこの流れになったから、今回も同じになるはず。よろしくね」と言うと昇と部屋に入る。
部屋の中には最低限の家具や洋服が揃っていて、呆けながら昇が驚いていると、「これ、茂くんや真由さんが、私のお願いを聞いて今日までに揃えてくれていたんだよ。お礼言って」とかなたが言う。
昇はなんとかかなたの言葉を理解して、「茂、中野さん、ありがとう」と言うが、もう廃人寸前にしか見えない。
小岩茂は涙ながらに昇を抱きしめて、「お前には俺たちがいる。幸せにしてやるからな!」と言葉を送ると、昇はカタコトで「ありがとう茂」とだけ答えていて、それがまた怒りと悲しみを助長させていた。
かなたは「それじゃあ。お爺様、お婆様、昇さんの事はお任せください」と挨拶をして、曽房達には「まだまだ助けてもらいます。ごめんなさい」と言うと、昇の手を引いて「今日から2人で住むんだよ、お風呂入って眠ろうね」と言って扉を閉めた。
かなたはそのまま少しだけ照れる昇に、「もう何回も夫婦なんだよ?平気だよ。全部見せたし全部見たよ」と言って2人で風呂に入る。
手詰まりだと理解していても、まだ昇の中には春香がいて、「春香とも入った。春香…、優雅と風呂?」と言って急に泣き出すが、かなたは慌てずに抱きしめて「昇は私とお風呂入ってるよ?私を見て」と言うとそっとキスをする。
「浮気…。ダメだよかなた」と昇が泣きながら言うが、かなたは気にせずに「身体洗おう。洗ってあげる」とリードをして、寝間着を着させると布団に連れて行く。
同衾して昇を抱きしめると、昇は照れたり春香の名前を出したりするが、全部黙殺をして「いいの。今だけヨリが戻ったり、友達に戻っても、その先はうまく行かないから、今から縁を切るんだよ」と言って優しく頭を撫でると昇はすぐに眠りについた。
だが昇は夜中に急に「春香!」と言って飛び起きる。その度にかなたは優しく抱き寄せて、「昇、私がいるよ。私を見て」と言ってあやすと、最初は春香を思って拒んでいたが、すぐに落ち着いて明け方にはかなたを抱きしめて泣きながら眠っていた。
翌日の昼になって昇は自身のスマホがない事に気づき慌てると、かなたが「あれは毒だから今はダメ。後で機種変するから待っててね」と言った時、かなたのスマホに連絡が来る。
かなたがトイレで念のために確認すると、相手はわかっていたが茂で、[全部桜の言った通りになった。スマホは昇の爺さんと機種変してくればいいんだな?]と書かれていた。
[うん。届いた画像なんかは残しておきたいから、本体は壊さないでね。落ち着いたら呼ぶから4人で会って。ごめんね。嫌な仕事を頼んじゃったよね。でも茂くんに頼らせて貰えないと、この先が大変なんだ]
かなたは送りながら春香に思いを馳せる。
春香は後悔している。
やり直して以来、春香が昇を裏切って満足や、納得のいく結果を迎えた事はない。
でも保身が最優先で、なんとか誤魔化そうとしていた。
一木幸平にコントロールされて、優雅を拒みきれずに寝取られた春香は、ラブホテルの前で帰らずに朝まで待ち構えていた一木幸平に写真を撮られて青くなるが、もう手遅れで、一木は「いひひひ。もう入店から今まで1時間おきに実況中継したから手遅れだよ。優雅と付き合えばいいじゃん。昇なんて束縛だらけのダメ男だって言ってただろ?」と言って、春香を絶望のどん底に突き落とす。
春香は心配して待っていた昇のメッセージになんと返すか悩みながら、愚かにも一木に[昇には言わないで。昨日の事は気の迷い、断れなかっただけ]と送ると、一木は[優雅から春香は乱れて悦んでいた。昇って奴より俺のが上手いって事だよなって聞いたよ。気の迷い?今までみたいに断れたのに?]と届く。
[やめてよ!言わないで!]と春香が送るメッセージに、一木は[スマホの電源が切れていた。泥酔したから家に帰って寝てた事にして親に口裏あわせて貰えば?心が痛むかな?]と送っていた。
だが、一木がそこで終わるわけがない。
一木はそのスクリーンショットを即座に昇のスマホに転送していた。




