第49話 かなた。
昇の家を出て、曽房の運転する車が首都高に乗る頃に昇は少しだけ落ち着いていた。
そこまでの間に、独りぼっちの誕生日を迎えていた事も知っていたかなたから、「誕生日、独りぼっちで辛かったよね。あの時は助けてあげられなくてごめんね。あの時は助けてあげられないんだ」と謝られた。
たった10日前、周りを誤魔化すように孤独に過ごした誕生日を思い出し、それがまた悲しくて泣いてしまう昇に「アルバイトと補習があるからって、昇の誕生日を後回しにしていい理由にはならない。なんとか時間を作ってこそのパートナーで、昇は間違っていないよ」とかなたは優しく声をかける。
誰も余計なことは言わない。
誰も昇を悪く言わない。春香の事もあえて悪く言わない。
ゆっくりと昇はかなたの言葉を受け止めて、すれ違う中、耐え忍んだ約1年、辛かったここ数か月、それすら裏切られた今を思い出して泣き続けていた。
声を上げて泣く昇。
かなたは昇の肩を抱いて、優しくあやしながら「昇、昇は24歳から来たんだよね?24歳のいつから来たの?」と質問をする。
昇はその言葉に驚いて、泣きながらも「かなた?」と聞くタイミングで、昇のスマートフォンは新たな着信を通知する。
昇がかなたの横に置かれたスマートフォンに向けて手を伸ばそうとしても、かなたは「見ちゃダメ。茂くん、持ってて」と言って小岩茂に渡すと、大号泣の小岩茂が「おう」と言って持ち、中野真由も泣きながら「茂泣いてる」と軽口を叩いて場を和ませようとする。
「昇?いつの日からいつに戻ってきたの?」
再度の質問に昇が答える前に、かなたは「私もだから平気、変な事ないよ」と言って抱きしめて、「頑張ったね。頑張ったよね。頑張ってた。昔から全部見てきたし知ってる」と言うと、また泣いた昇は「24…。4月…、春香と優雅の結婚式の日、一木に散々バカにされて、悲しくて泥酔して、かなたがウチまで俺を連れて行ってくれて寝かせてくれた日。起きたら小6だった」と答えた。
「やっぱりあの日か…。余程心残りだったんだね。私はね。25歳と28歳と33歳…まあ実はもう少し。昇よりも色々と経験済みなんだよ」
「かなた?」
「もう、自分だけだと思ってたの?そもそも昇が食材や料理を大切にするようになったのは高校生から先だよ?食材や料理、食事の為に人前で豹変するのも、新人研修で血気盛んな生産者さん達と本気でぶつかり合う中で、食材の素晴らしさを学んできて、自分を出すことの大事さを知ってから。小学生の頃はやらなかったのに、中学校の運動会で茂くんに怒った時、私もお爺様達も驚かなかったでしょ?」
昇からしたら頭に血が上っていて、昔はしなかった事を平気でしていた事に今気づいたが、祖父母も両親もおかしいとは言わずにいた。
確かにあの当時は人を恫喝するような真似なんてしなかったし、中学生の頃は一木のせいでもっと卑屈だった覚えがある。明るかったのは小学生の頃とアルバイトを始めた後、小学生の頃の明るさを取り戻したのは社会人になってからだった。
「お婆ちゃん達は、先にかなちゃんから聞いていたから家族で共有していたのよ」
「な、立派になったもんだって後で婆さんと喜んだもんだ」
昇が驚く中、かなたが「それに、私の写真を褒めてくれたのは小学校も終わりの方で、カメラを持って出かけても昇が手を繋いでくれたり、荷物係をしてくれたのは高校から先だよ?」と言う。
昇は「え…」と言いながら、ごく当たり前にしていたかなたへの扱いを思い出す。
「あれ…、小6の時とか…」
「うふふ。してないよ?」
昇がそんな頃から失敗していた事に気付き愕然とする中、かなたが「後ね。わかっているのは一木幸平。アイツも戻ってきてる。多分2回目」と言った。
想定外の話の連続に昇が「え?」と聞き返すと、かなたは「今の昇が知らない私の最初の話をするね」と言った。
「待って、そんな突拍子もない話、茂達…」
「大丈夫。私は今度こそうまく行かせる為に、お爺様とお婆様には中学1年の時、曽房さんの協力を得て茂くん達にもさっき全部話したよ。皆信じてくれたよ」
昇が驚きながら前に座る皆を見ると、祖父母は勿論だが、曽房も小岩茂も皆驚かずに「ばーろー、俺たちはとっくに死んでるのに、お前のおかげでここにいるだろ?」と祖父は言い、小岩茂は「お前、俺が京成学院なんて信じるしかねえだろ?」と返してくる。
やり直す前、かなたは昇と婚約をした。
ここでは多くを語れないとして、昇との婚約までのあらましを話す。
「あの後、昇は酷い二日酔いで、心労が祟って風邪まで引いちゃったから、私が通ってお世話してあげたの。あの結婚式を思い出して泣き腫らす昇を慰めて、お互いのお誕生日を祝い合ってお出かけもした。そうして心がほぐれた昇は私に結婚を申し込んでくれたよ」
「俺が…かなたに…」
話を聞いていて照れてしまう昇に、かなたは「照れないでいいよ」と言って微笑みかける。
「そうしたら一木が邪魔をした。理由ややられた事はここでは言わないけど、昇をまた壊した。結婚がなくなってしまった時、私は12歳に戻っていた。それが1度目。でもそこに居た昇が戻ってきていた昇だって気付かなかった。1人で戻ったと思っていた私は前と同じ西中に行って、昇を一木から助けたかったの。そうして、昇が私の事を異性だと思えるように、私の気持ちに気付いて貰おうとした。でも昇は東中に行っていた」
昇は驚いてかなたを見ると、かなたは優しく頷いてまた昇を抱きしめる。
「そこで昇も戻っていた事を知ったの。でももう違う中学で助けようがなかった…。それから数か月して、また12歳に戻った。そして東中を選んだら入学式に一木がいいた。そして一木は夏休み明けに茂くんを焚き付けて昇を痛めつけた」
昇だけでなく小岩茂まで驚きでかなたを見ると、かなたは「もう済んだこと、こっちでは起きてないことだよ」と言った。
「茂くんは昇をコレでもかと痛めつけて、全裸にして土下座の映像を撮って金銭を要求した。これで昇は壊れてしまうの。理由は茂くんからムービーを貰った一木が全校生徒にばら撒いたから。当然春香にも見られて、一木のネガティブキャンペーンもあって、1年の時はそれっきり。それでも頑張って立ち直ったのに、2年になった時、また一木が手を下して昇を壊した。それを知った私は朝起きたらまた12歳になっていた。だから今度はお爺様達に正体を明かして仲間にしてもらったの」
祖父が「まあな。昇がやり直してるって言うんだから、もう1人いても信じるしかねえし」と言うと、祖母は「かなちゃんは私のおはぎのレシピまで言っちゃうんだもの。信じるしかないわ」と言って微笑む。
「それが…今?」
「ううん。違うよ。もう少し…ううん。もっとずっと前」
「かなたは何回も?」
「うん。今度こそ終わりだと思ったのに、また来たから今度こそ終わらせたいんだよ」
かなたは再び話し始める。
「私はなんでか細かなことまで忘れないから、うまく行った事を何回も準える事にした。お爺様達の協力を得て茂くんに間違いを起こさせないようにした。そうしたら昇と茂くんは心友になって、京成学院への道がひらけた。私が本屋さんの仕事がいきなり出来たり、バレンタインのチョコが上手に作れたのも、全部何回もやってるから。あのチョコプリンとチョコプリンのパフェは、私と婚約してくれた時の昇の好物だよ」
「でもまたここに居る…」
「うん。でも今度こそ大丈夫だと思う。昇は壊させない。皆で一木から守るからね」
「かなた?かなたは俺の為に頑張ってくれてたのに俺は何も知らなかった…」
かなたは昇の目を見て優しく微笑んで頷く。
「仕方ないよ。西中学校で沢山の失敗と挫折、執拗な一木の嫌がらせで自信を失っていた昇は微劣高校で燻っていた」
微劣高校は決して悪い学校ではない。
だが、昇の性格には合っていなかった。
そのせいで、もっとやりようがあったはずだ。
スタートダッシュを失敗したのは自分だが、一木幸平と小岩茂に関わらなければ、もっと違う可能性があったはずだと常々思って生きていた。
だからこそ微劣高校には同級生はいても外で遊ぶ友達は作れなかった。
「そんな昇の…。無意識でも昇の心の深い所に触れて、自信を取り戻すきっかけになった春香。その自信を取り戻した昇の心に深い傷を付けたのは一木と春香だもん。春香への心残りを持って戻った昇は春香しか見えなくて仕方ない。あの結婚式の日から戻ってきてしまった昇は、まだ私と婚約をしていない時で、私の事は散々一木に言われて友達としか思えていなかったから仕方ない」
これが昇がかなたの優しさに触れて、もう一度自信を取り戻し、自身のかなたへの気持ち、かなたが今まで向けてくれた気持ちに気付いて交際と婚約をした後なら別だったが、昇は前の世界だと、あの結婚式の時までの記憶しか持たない。
春香の事を振り切れていない。
「昇がどれだけ頑張って、いろんな筋道で春香と付き合っても、でもどうやってもこの流れ、一木に誘導された春香が優雅に寝取られて昇は壊れてしまう。それでも最後に昇は私と幸せになる。それを一木に邪魔させなければ今度こそ終わるよ」
昇は混乱しながらも、春香の名前を聞くと胸が抉られそうになる。
今まさにラブホテルにいて、上田優雅と肌を重ねる春香を思うと涙が溢れてきて、胸が締め付けられて、堪えようとしても嗚咽が漏れ出てしまう。
かなたは「大丈夫。今は忘れられなくても、過去の昇は立ち直れたよ。私が居るよ。お爺様達も居るよ」と言うと、「俺も居る!」、「私もだよ!」、「私も微力ですが支えます」と皆が言ってくれる。
それでも心が辛くてかなたの胸で泣きながら、「春香、春香」と名前をなんべんも呼びながら春香の顔と言葉を思い出す。
こんな自分に声をかけてくれた春香。
一生恋愛なんてありえないと思っていた。
ずっと、西中学校の女子は最底辺まで堕ちて、蔑まれている自分に見向きもしないと思っていたし、微劣高校の女子とは考え方が合わないと思って男女の仲の可能性を考えもしなかった。
そんな昇は、例え良いなと思う人が現れても、一木の言葉が胸に突き刺さっていて、釣り合わないと思って声すらかけられない。
そんな中、嫌な過去なんてひとつもない風に見える、自分のような目にも遭ってこなかったであろう、春香に声をかけられた事は奇跡のようだった。
共に出かけた日、最後まで一木幸平のドッキリを疑ってしまった。
それでもまた次も誘われた。
二度目、三度目と出かけて、食事をシェアした日、キチンとした告白とも違っていたが、付き合おうと言われた時、それでも人並みになれたと嬉しかった。
本気で好きになった。
愛していた。
春香以上の女性は自分にはいない、それどころか春香だけが自分に手を差し伸べてくれると思っていた。
あの失った自信を取り戻してくれた春香に報いる事、ふさわしくなる事ばかりを昇は考えていた。
春香と共にいる時間、唇を重ねて肌を重ねた時の顔と声、繋いだ手のぬくもり。
それすらも凌駕する「ごめんね昇」、「早く昇に会えていたら違っていたのに」の言葉。
あれはなんだったのか?
優雅より先に会った。
優雅より先に付き合った。
優雅より先にキスをした。
優雅より先に結ばれた。
違っていたはずではないのか?
そう思った時、かなたが口を開いた。
「夏の午後、ゲリラ豪雨、傘もささずにずぶ濡れの春香、泣いているのか雨なのか、泣き顔でごめんね昇、早く昇に会えていたら違っていたのにって春香は言ったんだ。早く…高校1年の優雅と会う前に会えていたら俺たちは違っていたのかな?」
昇は驚いてかなたを見ると、かなたは「私は昇の奥さんになるんだよ?昇の心を支えた時に聞かせてもらったよ」と言って微笑みながら、涙が止まらない昇をまた胸に抱き寄せるともう一度口を開いた。
「ブライダル雑誌を春香は持ってきた。2人で読んだ。春香にはお色直しに青色のドレスがいいなと言った。そうしたら優雅との結婚式でその色のドレスを着たんだ。辛かった。俺の思った通り似合っていたことが辛かった」
「俺はそもそも行かないつもりだったのに春香から電話が来た。優雅から電話が来た。出て欲しいと言われた。そもそも電話番号は変えておいたのに、調べて手に入れていた一木が春香と優雅にバラしていた。ふざけるなと思ったよ。アイツ、会社を調べて、同期の奴らを調べて、同期の奴ら経由で連絡先を手に入れてたんだ。昇にどうしても会いたい友達がいるから教えてくれなんて言ってた。行かなかったり断ったら、会社に噂を流されると思ったし、会社の皆に迷惑がかかると思ったんだ」
「結婚式でも散々一木にバカにされた。ウェディングドレス姿の春香の感想、誓いのキスの感想、お色直しの感想、キャンドルサービスの感想、どれも鬱陶しかった。二次会に行かなかったら、皆の励ましだなんて言ってムービーが届いた。全部観てないけど、観たムービーはずっと笑い物にする奴だった。俺はそんな事を言われる程の事をしたのかな?」
「でも、一番辛かったのは、式の合間に春香のお父さんが、心の底から申し訳なさそうに謝ってくれた事だった」
二次会以降の事は知らないが、どれも昇が胸にしまってきた事だった。
本当にかなたは知っているのだと思うと、驚きと共にかなたのシャツは涙で濡れてしまっていて、夏なので素肌が近いことに気付いて離れなければと思ったが「夫婦なんだから照れないんだよ昇」と言って力を込められて離れられなかった。
「本当に頑張ったんだ。優雅に会わせないため、何より春香やかなた、茂に堀切や町屋、会田達が悲しまない為にも、皆が辛い顔をしない為にも、一木に負けない為にもクラスのムードメーカーも頑張った。皆で遊びに行けるようにも頑張ったし、勉強も頑張った。何がいけなかったのかな?」
昇は今思っている事までかなたが口にすると、驚きと共に「え?」と言ってしまう。
「少し前の時、8月7日に同じ事になったの。でも昇は我慢して隠していた。新学期、壊れていた昇を見て私はすぐに支えた。その時昇は一晩中泣きながらそう言っていたんだよ」
昇はさっきからかなたの言う壊れるがわからずに聞き返そうとした時、カーナビが「目的地周辺です」とアナウンスしていた。




