第48話 絶望の時、運命の時。
春香は辛うじて進級して高校3年生になれた。
そしてファミレスのアルバイトはやはり前の世界でも長続きしていたので、性に合っていたのか機嫌も良くなり明るくなった。
昇の目指す仕事にも理解を示すようになり、「お店の食材とかどこから来てるかとか大事だよね」と言うようにもなった。
だが昇は手放しで喜べなかった。
短期バイトだったはずの一木と優雅がもう少しと言って延長したからだった。
最初は心配したが何も無かった。
それは春香からの愚痴で分かったことだが、優雅は相変わらず女たらしの自己中で、その場その場の快楽を優先して女をひっかえとっかえに作っていた。
一木は相変わらずの性格の悪さで、二股三股お構いなしの優雅の状況を利用して、店の前で女同士の修羅場に発展させた事なんかもあったが、優雅は余裕の笑顔でどこ吹く風を決め込んでいた。
これが前の世界同様に店内でやられれば優雅はクビになったが、今回は店の外なのでそれもない。
小岩茂やかなたは昼食の時にそれを聞いて「信じらんねえ」、「あり得ないよね」なんて相槌を打ってくれて、かなたなんかは「春香、キチンと昇くんが居るから、ちょっかい出すなって言いなね」なんて言ってくれる。
春香も「わかってる。私には昇がいるもん」と言ってくれて、昇は少しだけ救われた。
春先の歓送迎会の飲み会では春香はキチンと高校生として、京成学院の生徒としてノンアルコールを守り、一次会で帰ると、昇に「ちゃんと帰ってきたよ」と玄関で母と写る写真を送ってくれた。
だがすれ違いは増えて行く。
春香はアルバイト先のファミレスから土日祝にも働いてくれと言われてしまう。
学校と学業で自信を失いかけている春香は必要とされている事に喜びを見出してしまった上に、元々の性格もあり、強く迫られると断り切れずに働いてしまうと、そのうち断らずに率先して働いてしまうようになった。
必然的に2人の時間が奪われて行く。
一緒に通学なんかを共にしていても、帰りはバイトがあると言われれば別行動になってしまう。
バイト先には一木と優雅がいて、近づいて接点ができる事を何より避けるべきだと判断した昇は、店に近づく事もできず、スマートフォンを通じて連絡を密にする事しかできずにいる。
手出しができない場所でのままならない状況、前の世界の研修生活を彷彿とさせる状況、昇はかつての再来におかしくなり始めていた。
夏休みになると、春香はアルバイトと成績不振による補習で、7月末の昇の誕生日も「後で」なんて言い出してしまう。
去年はあんなに一緒にいて、しっかり祝ってもらったのに。
昇は不安でたまらない気持ちになっていた。
今の昇は、かつてかなたが言った言葉の通りになっていた。
「だって…。昇くんは黙って1人で我慢するタイプだもん」
結局、昇は誰にも相談する事も出来ず黙って我慢をした。
周囲には誕生日を祝ってもらった顔をしたが、実際は春香と会う事もなく、昼頃にメッセージが一つしか来なかった。
時間がない。
それはわかる。
朝も補習で、夜もバイト。
翌朝も補習とバイトがある。
無理をしてほしくない。
だが、それでも何とか時間を作ってこそのパートナーではないのか?
昇はそんな事を考えてしまうと、次の瞬間にかつての自分を思い出し、自分を諫め律する。
あんな最底辺の自分に手を差し伸べてくれた、春香以上の女性は自分にはいない。
あの失った自信を取り戻してくれた春香に報いる事、ふさわしくなる事、今みたいな時だからこそ疑うな。
そう思っていた。
だが、春香は昇の事以外でも曖昧で中途半端だった。
昇が夏の旅行と卒業旅行を企画しても春香の返事は曖昧だったように、学校に夏休みまでに出すように言われた進路希望すら出さない事に、親と教師が強めの注意をした。
これも裏で一木がいいように春香を誘導していた。
春香のペースを慮れない周りが悪いと言い。
自分や優雅も進路希望を提出していないから大丈夫だと言い。
春香のおかげで店は回っていると言い。
周りがキチンとしろと言ったら、その倍は甘やかすような事を言っていた。
これは前の世界で昇が中学生の頃に引っかかった手口だった。
スタートダッシュを間違えた時、必死にリカバーしようとしたのを、「まだ平気」、「皆やっていない」、「皆で遊ぶときに昇がいないと盛り上がらない」と言って成績をこれでもかと落とさせて、後になって笑っていた。
親と教師の注意で、春香はアルバイトを8月いっぱいで辞めさせられる事になった時、春香の送別会が催される事になった。
アルバイトが辞めるくらいで、通常送別会は催されない。
送別会と聞いて昇は嫌な汗が出た。
企画立案は一木幸平。
思い違いだと言い聞かせたかったが、前の世界と同じ空気感が漂っている気がしていた。
一木立案だけで昇は嫌だったが、春香に言わせれば「一木は変で嫌な奴だけど、話したら悪い奴じゃないよ。知らないで言う昇がおかしいよ。受験のストレスじゃない?」だった。
それは元々が極悪人に見えていた人間が少しまともな事を言っていてもよく見えているだけだし、そもそも全ては春香に取り入る為で、昔も春香を悪く言いながらギリギリを保つようにバランスを取っていた姿を見ているので心配でならない。
昇からすれば春香の何倍も一木を知っているからこそ止めていると言いたかった。
だが、明確に止める理由が出せない昇は行かせる他なかった。
8月7日。
この日に春香の送別会が決まった。
その日は金曜日で、その後も31日まで春香は断続的にバイトが決まっているので夏の旅行はない。
代わりに9月になれば遅れていた昇の誕生日をキチンと祝い、卒業が決まれば卒業旅行は必ず行くと言っていて、少しだけ昇は落ち着いていたが、7日の日は何も手につかず、朝から春香と何回もメッセージのやり取りをしてしまう。
行くまで春香は普通だった。
だが一次会が終わる21時を過ぎても返信はない。
前回なら一次会の終わり、帰宅時、帰宅後にメッセージが来ていた。
前回と違う時間、不安な中、夜の22時過ぎなのに祖父が寝間着も着ずに部屋に入ってくると、「おい、こっちに来い」と言い、無理矢理昇を玄関に連れて行く。
訳のわからない昇が「爺ちゃん?」と声をかけると、祖父は遠い目をした後で少し悔しそうに目をつむってから、「運命の時って奴だ。本当に話の通りになるんだな…」と言った。
「何言ってんだよ?」
「山野さんからなら連絡は来ねえよ」
今日の事を伝えていない祖父の口から春香の名前が出て驚く昇の前に、同じく寝間着になっていない祖母が出てきて、「春ちゃんとはこれが運命なのよ昇」と言って昇を抱きしめると、「あんたは我慢強いから頑張った。お婆ちゃんは全部知ってますよ」と涙ながらに言うと玄関が開く。
混乱する昇が玄関を見ると、そこには小岩茂とかなた、中野真由がいて「昇、来たぞ。俺はお前のダチとしてきた」と小岩茂が目を赤くして言い、かなたが「お爺様、お婆様、ありがとうございます」と深々と挨拶をすると、「昇、鎌倉に行こう?そこで説明させて」と言う。
かなたはかなたなのに雰囲気が違う。
昇は混乱を抑え込んで、なんとかしようと「茂?かなた?中野さん?でも俺…」と言って春香を待つ話をしようとした時、「春香なら連絡をくれない。代わりにもうすぐひとつの写真が届くから、その前に車に乗ろう。曽房さんが車を出してくれたよ。お願いしておいたの」とかなたが言うと、「お爺様達はどうしますか?」と聞く。
祖父は「いいのかい?でもコイツが壊れるところなんて見たくねえけどな」と言うが、祖母は「かなちゃん。皆でチームよね。昇を助けてくれる?」と聞く。
かなたは「はい。私達はチームです。だからここにはチームメンバーの茂くんも真由さんも居てくれる。曽房さんもチームです。私1人だと今はまだ無理だから助けてください」と言った。
全員で、何が何だかわからない昇を曽房が運転するワンボックスカーに突っ込むと、後部座席にかなたと昇が座り、その前を祖父母と小岩茂が座る。
運転席の曽房が「楠木さん、私達は皆楠木さんの味方ですよ」と言う。
助手席の中野真由も「そうだよ。辛い事も皆で分け合う。私達が支えるから、悲しい事も恥ずかしい事も何にもないよ」と言って泣いていて、昇がどんどん混乱する中、昇の曽部簿と座った小岩茂が泣きながら「許せねえ。でも今は昇だ。俺が守ってやる。俺は鬼になる」と言っていた。
混乱しながら「何言ってんの?曽房さん?中野さん?茂?」と昇が聞き返した時、昇のスマートフォンは何かを受信した。
「春香!?」と言いながらスマホを開いた昇は「え?」と震える声で言うとスマホを落としてしまう。
拾ったかなたはため息混じりに、「うん。今回もやっぱり来た。曽房さん。私たちを鎌倉へ」と言って昇からスマホを奪い取ると、そのまま昇を力一杯抱きしめて「昇、私がいる。昇には私がいるよ。ずっと一緒だよ。でも…私だけで足りないなら、茂くんも真由さんも曽房さんもお爺様達もいるよ」と言った。
昇は抱きしめられたことも、この車の中の事も頭に入ってこずに、今届いた写真の事が聞きたくて「か…かなた?」と声をかける。
「わかってる。言わなくていい。この後も一木からは、朝まで実況中継みたいにメッセージが届くの。今日、これから春香は上田優雅と朝を迎える。全部の写真を見たら昇が壊れちゃう。今は私たちを見て。全部話すから、昇も全部話して」
かなたの言葉で、今届いたラブホテルに入って行くカップルの後ろ姿の写真が春香だと昇にはわかってしまった。
確信はあったが信じたく無かった。
だが今の言葉で、確実な確信に変わった瞬間、昇は声を上げて泣いていた。




