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15の春

 家出娘の気分だった。

 夢を追うために両親と離れて暮らす道を選び家を出た。1日分の着替えと大事なものを詰め込んだ旅行カバンを握って独り。早朝から半日ほど電車を乗り継いで、やっと目的の町に降り立った。この町で私の新しい生活が始まる。と言っても最寄りの駅に降りただけで、お世話になる寮は町外れの山の中腹にあるので、まだまだ道のりは遠い。

 と、状況だけ口にすると家出のように聞こえるど、実際は両親と相談して決めたことだし、高校の学費も寮費も出してくれているし、お小遣いも支給され、しかもそれは増額されていたりする。だから家出はあくまで気分だけ。

 夢を追うために家を出た。そういう体だけど、夢を追おうが追うまいが家を出ることはもともと確定事項で、夢を追うことを選んだ結果、行き先が寮になったというのが正確なところだ。しかし本心としては、もう一つの行き先が嫌で、それから逃げたいという気持ちが先にあり、その言い訳に大事な夢を利用したという後ろめたさがそれに続く。この中途半端な後ろめたさが、私を家出娘のような気分にさせている。


 電車から乗り換えたバスは、わりと開けた駅前の商業ビルの街並みを早々に抜けて、川と住宅とを左と右に眺めながら、堤に続く並木の木漏れ日を受けてのんびりと進んでいく。有名な花見スポットらしいけど、まだ蕾がほころんでもいなさそう。今年の3月は春のような冬のようなどっちつかずな気候で、きっと桜もどうしたものか決めかねているんだろう。踏切と小さな橋を続けて渡ると、辺りの住宅街はその向こうにそびえる山裾に溶け込むようにかすれて見えた。

 懸命にエンジンを回してバスは坂道を登っていく。カーブを曲がるたびに、体は窓に、肘掛けに、繰り返し押し付けられながら、時折意表をついて、前の座席に額をぶつけそうな勢いで急停車する。そしてまた思い出したように、全力で走り出しては容赦なく私を振り回す。


 こんなふうに抗えない力で、親の都合で子供が振り回されるってことがあると思う。私の場合はお父さんの転勤という都合で、転校しなければならないことが何度かあった。

 去年中3に上がって少ししたころ、またしてもお父さんの転勤が決まった。イギリスへの海外転勤だった。転勤となると「えー、またあ?」と、うんざりしたようなしかめ面を隠さないお母さんが、この時はいつになく乗り気になっていた。というのはお母さんはヨーロッパでデザインの勉強をしたいと常々思っていたから、この転勤は文字通り渡りに船だったのだ。

 私も最初は海外という響きに気持ちが浮き立ってしまった。自分がグローバルでヨーロピアンでブリティッシュな人間になったような気がしたけど、行くだけで自分がすごい何者かに変わるわけじゃない。冷静になるにつれ、知っている人が誰もいないこととか、友達にはもう会えないこととか、言葉が通じないこととかの現実が見えてきて次第に不安の方が大きくなった。でもお母さんの望みも知っていたし、一時でも家族3人そろって歓迎ムードになってしまった後で、やっぱり行きたくないですとは言い出せなくなっていた。

 そして転勤話とは別に、ちょうどこの頃から物語を書いてみたいという願いが、ぼんやりとした思いながらも私の中に芽生え始めていた。だから私はこんな風に考えてしまった。

 「小説家になりたいって言ったら、日本に残る理由になるかな」

 決して嘘じゃない。嘘じゃないけど、想いの強さとしてはへなちょこに弱い。覚悟もない。でも小説を書くためには、これまで慣れ親しんだ日本語に日常のなかで触れていたい。だから日本に残りたい。何日悩んでもこんな考えが頭の中でループするだけで、もう自分でも海外に行きたくないのが先か小説を書きたいのが先かわからなくなってしまい、思い悩んで何をやっても上の空で、この頃の1か月くらいの出来事が全く思い出せないほどだった。まるで記憶が頭から抜け落ちたようだった。頭から抜け落ちたのが記憶だけで済んだのは不幸中の幸いと考えておこう。

 今となっては思い出せないのだけど、何だろう、この空白の1か月に起こった何かが、その後の私を突き動かしたような気がする。記憶はなくなったけど、気持ちが残っていたという感じ。へなちょこだった想いが強い気持ちに変わっていると自覚できた。まだ迷いはある。悩んでもいる。後ろめたい気持ちが消えたわけじゃない。でも、どっちの気持ちが先にあってもいい、日本に残りたいという気持ちがあるなら、それをぶつけてみようと思えるようになった。

 お父さんとお母さんには日本に残りたいことだけ伝えた。理由は聞かれるまで言うつもりはなかったけど、お父さんは私の引き結んだ口元を見て、理由を聞かずに分かったと言ってくれた。

 予想外にお母さんの方が手強かった。賛成してくれないのではなくて、お母さんも日本に残ると言い出したのだ。もちろんそんなのダメだ。私のためにお母さんが自分の望みを手放すとかありえない。頑なに断ったが、お母さんも一歩も退かず、ついには「御伽が好きにするんだから私も好きにする」とか子供みたいなことを言いだす始末。いよいよ困り果てたところを助けてくれたのはお父さんだった。私の言ってることの方が正しいと、お母さんを説得してくれて、ついにお母さんは陥落した。

 認めてもらえて気が大きくなったからか、言うつもりのなかった理由を自分から言ってしまった。でも小説家というのが気恥ずかしかったので、物書きになりたいといった。それを最初に言いなさいとお母さんに言われたが、言っても多分揉めたと思うヨ。(との意見は言わなかった)


 そんなこんなで生まれて初めて自分の思いを通した結果、遠い地で今、バスに揺られている。家出娘でもなんでもいい、自由になれた気がした、15の春だ。

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