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幕間~いちウス雑談~

 小説の指南書などでも語られることだとも思うが、物語というものには物語が動き出す瞬間がある。

 それは、その物語が物語足りうるための重要な分岐点であり、その選択肢が違えただけで物語は始まりすらしない。そういう瞬間があるのだ。

 桃太郎で言えば、おばあさんが川から桃を拾い上げた瞬間がそれだ。ここでもし、おばあさんが流れてくる桃をスルーしてしまったら・・・桃はドンブラコと下流に流れていき、ドンブラコと大海に出て、桃の行方はこれ以上考えないことにして、鬼は退治されず、年寄り夫婦が財宝を手にすることもなく、犬と猿と雉も凡庸な野生の生涯を送ることだろう。ただ日が昇っては沈み、季節は変わり、キビ団子が生産されては消費される。物語は全くもって動かない。


 僕は大きな間違いを犯していたようだ。「神々のラノベ創造」は活動記録だと言及した。それ自体は間違いではないが、同時にサークルメンバーや僕などの登場人物にとっての物語でもあるということを見逃していた。僕たちが出会った瞬間が、僕たちの物語が動き始めた瞬間であり、その瞬間から活動記録は物語となったのだ。現代編の活動記録の執筆を依頼したメンバー、周防(すおう)御伽(おとぎ)にとってもそれは例外ではない。彼女は物語を書こうとしている。

 そして僕は、活動記録は実際に起こったことを記述するだけだから何とかなるだろうとも言った。しかし、起こったことをそのままに誰が何をしたかを記述するだけでは、それはただの議事録だ。これが物語であるなら、誰が何をしたか以外にも、その行動の背景となる情景の描写や心情の描写、さらにはそれらの移り変わりを豊かな言葉で表現しなければならない。なるほど、以前の僕の記述における会話パートがダメ出しされ投稿を見送ったが、今思えばあれは議事録だった。セリフしか書いてなかったからね。つまり、起こったことを記述するだけでは何ともならないことに、物語であるには足りないことに、全く思い至らなかったことが僕の間違いの正体だ。要は活動記録を書くのもワリカシ大変だってことだ。

 そんなわけで御伽ちゃんは執筆に苦労しています。これがひと昔前の話なら、机に向かう彼女の背後には、くしゃくしゃに丸めた原稿用紙が大量に転がっていることだろう。彼女曰く、上手く言葉を操れず苦しんでいるとのことです。僕が思うに、操るのは言葉だけでなく、その言葉でさらに物語を操ろうとしているのだから、ことさら大変なのだろう。例えるなら、操り人形を使って人形に車を運転させようとするようなものだ。この例えで読者諸兄に上手く伝わっているか確信がなくても思いつくままに書いてしまうのが僕の浅はかさであり、このような例えの文一行であっても吟味するのが御伽の真剣さなのだと思う。

 サークルでは締め切りなどは設けず、各自自由に書いてもらっていいのだが、少なくとも僕は彼女の作品を心待ちにしている。

 物語は動き出した。必ずや鬼は退治されると信じている。どうか皆様も紙面の向こうで奮闘する彼女を見守ってあげてほしい。

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