今夜月の見える館で(4)
「ハ、ハラ減ってるだけなのか?」
俺の声は男には届いてないようで、目を回してフラフラとよろめいている。
もうアホらしくなって俺はその場に立ち尽くしていた。その俺の脇を、突然、物凄い勢いで後ろから何かがすり抜けた。それが小花だと分かったのは、今にも倒れようとしている金髪男を、一瞬でその下に潜り込んで受け止めた、小さな女の子の姿を目にした、その後のことだった。
「ぐええ、重いいー。直さん、手伝ってよおおお」
小花は頭の片側と肩から背中で担ぐようにして、気を失った男を支えている。竿から落ちて塀に引っかかった洗濯物みたいに、男は手足をダラリと垂らして小花に乗っかかる格好だ。
「それ、触って大丈夫?」
「見ての通りだよおお。爆発はしないんじゃない? かなあ?」
四の五の言ってられる状況じゃねえか。男の背中から両脇を抱えて持ち上げ、潰れそうになってる小花を開放する。完全に脱力した大の男は顔をしかめるほどに重い。これを一人で支え切るとは……この子よその星から来たんじゃねえのか。惑星ベジータとか。
小花の行動を前に、俺は完全に毒気を抜かれてしまっていた。悪魔だか悪霊じゃないのかとか、爆発すんじゃねえか、俺たちに害をなす存在なんじゃ、触って大丈夫か……あれこれと憂う俺を笑い飛ばすみたいに、小花は男を助ける道を行動で示した。棒立ちになってただけの俺がこの道にとやかく言う筋合いはない。
「とりあえずここに寝かそっか」
小花と二人で男を仰向けに裏返して横たえた。だらしなく口を開けたアホ面を眺め、声に出さずに心の中で語り掛けてみる。
おい、金髪男、お前分かってるか。意識を失って倒れたら、当然受け身は一切取れないんだ。だから簡単に骨折するし、頭を打てば死ぬことだってある。お前、この小っちゃい子に命を救われてるぜ。恩義の一つも感じなきゃバチが当たるってもんだ。
こいつが義理堅い奴であることを願うが、小花はとっくに見抜いてるのかもな。涼しい顔しちゃってまあ。
「ねえ直さん、この人お腹すいてるのかな? すっごい音で、ぐきゅるるるるーって、お腹鳴ってたね」
「そおだな。空中から現れてさえいなければ、だたの腹をすかした行き倒れなんだが」
「あ、お団子取ってこよっか」
とっておきの団子を与えるとは、小花は助ける気満々だな。しゃーねーから何か食わしてやるか。ほんと小花に感謝しろよ。
「それ口にねじ込んだら虫の息のさらに息の根を止めてしまう気がすんだけど。百歳どころか五分でこと切れるだろ。台所にブドウ糖あったろ。あれ取ってきてくれるか」
「おっけー、かち割ったラムネみたいなやつだね」
言うより早く小花は家の中に消えてった。去り際にバヒュンとか聞こえたかも。
さて、どうするか。こいつを助ける流れになっちまったが、こいつがヤバそうな何かってことに変わりはない。だが、だとしたらここまで隙だらけの姿を晒してんのもおかしい。実際のところ、よくわからねえって理由だけで、人の形をしたこの何者かを始末する根性は俺にはない。
とか考えてるうちに、もう小花が勝手口を開ける音が聞こえた。様子を見るしかねえか。
戻ってきた小花は「これだよね」と言いながら俺に小袋を手渡し、男の様子を覗き込む。
「よく見るとエラい男前だね」
「そーか? 目え回して間抜け面だけど」
なんか腹立つから否定しちまったけど、間抜けの分を差し引いてもかなりの男前だ。
むりやり男の口を開けて、舌の裏側にブドウ糖の欠片を押し込む。入れた瞬間、ほんの少し表情がピクリと反応する。暫く間を置いてから、男はカッと目を見開いて、ウソみたいに元気に声を上げた。
「あっまーーーいっ! ナニコレ甘い! てゆうか、これが甘い? 味覚、すごい、スバラシイ! これ、何て食べ物ですか」
「いや、ブドウ糖だよ。ここまで効果てきめんだとは思わなかった」
「人生初めての食事、味覚初体験! これがグルコースか、癖になりそうだ。ここで食べたのがどら焼きだったら、僕はどら焼きが大好物になったりするんだろうねえ。でも、どうやら僕はブドウ糖が大好物として刷り込まれてしまったようだ。巻末のおまけページで『いちウスの秘密』とか図解されて、そこのプロフ欄に『好物:ブドウ糖』とか紹介されちゃうんだ」
起きたら起きたで騒がしい奴だ。気絶してる間に耳でも齧ってやればよかった。
「ナニえもんだよ、おまえ。てか、いちウス?っての? お前の名前か?」
「おお、申し遅れた。僕の名前はいちウス。この世界、いや人の世に興味がありすぎて人の姿で降臨させてもらった。人畜無害なので、そんなに警戒しないで欲しい」




