今夜月の見える館で(2)
「なんだ、こりゃ……」
口から煙草がポロリと落ちる。それを拾う間もなく、今度はまた背後の家の方からドサッと何かが落ちる音がした。見なくても予想がついたが、振り向くと案の定、バルコニーから飛び降りた小花がカエルみたいにしゃがんで佇んでいた。
「おい小花、危ねえから飛び降りんなって前に言ったろ」
小花を見るとしっかりシューズを履いている。バルコニーにシューズを用意してるってことは、普段から飛び降りてやがるな、このクソガキめ。パルクールの動画とか好きだもんな、こいつ。
「うん。言われた通り屋根からは飛び降りないようにしてるもんっ」
ウソだろ。前に叱ったときは俺が一階の食堂にいて、目の前の窓越しに小花が降ってきたのが見えてマジでビビったんだ。てっきり二階から飛び降りたんだと思ったが、あれ屋根からだったのか。ホント信じらんねえことするな。
「それより直さん、あれなんだろ。なんかすごいことが起こってる気がする」
確かに屋根から飛び降りるアホよりもっと信じ難いモンがそこにある。すごいことなら別にいいんだが、ヤバいことだと困っちゃうな。小花には家の中で大人しくしていて欲しかった。
「爆発とかすっかも。お家に入ってなさい」
「やだ。気になる」
コンニャロめ。もう、小花を抱えて家ん中に駆けこもうと思ったとき、鏡の玉はシャボン玉が弾けるみたいに音もなく消え去って、中から膝を抱えた人間が一人現れた。そいつは服というよりは布切れを身体に纏い、金髪で、ガタイと顔つきから性別は男だと見受けられる。現れた男は空中に留まることなく、重力に任せて落下を始める。膝を抱える腕を解き、体操選手が鉄棒で技を決めたあとみたいに、着地の瞬間僅かに膝を屈めて衝撃を殺し、綺麗なフォームで地上に降り立った。
「すっご! 人出てきたよ!」
爆発はしなさそうだが、どっちにしてもこれ超常現象だ。心霊写真みたいに「そんな風に見えないこともない」程度ではなくて、明らかにクッキリハッキリ人が出てきたのが見えている。テレビから女が這い出てくるのと大して変わんねえ異常事態だと思うんだが、小花は怯えるどころかむき出しの好奇心で身を乗り出している。
男は目を瞑ったまま衣をなびかせ悠然と佇んでいる。そして静かに目を開けると、物珍しそうに辺りをキョロキョロと見渡した。こっちは固唾を呑んで見守るしかない。
その後また目を瞑り、耳を澄ますように首をかしげて少しうつむいた。次に地面でつま先を捻ってジャリジャリと音を立てる。何をしているのか。
「ら~~~~~~」
うわっ、突然ラーとか言い出した。小花と二人してビクついてしまった。その声は歌っているでも鳴いているでもなく、楽団のチューニングみたいに一定した音程で長々と続いた。発声を終えると、男は顎を持ち上げキッと目を見開いて、最初の言葉を放った。
「問おう」
うええ、俺に向かって言ってる? めっちゃこっち見てるし。
「あなたが私のマスターか」
何言ってるのか意味分からんが、黙っていたらナメられる。悲しいかなこんなバカな思考回路の持ち主である俺は瞬発的にそう判断し、怯まずに間髪入れず応じてしまう。
「知るか。何いってんだてめえ。てめえこそ何モンだ」
相当の緊張感をもってガラの悪い感じで答えたが、どこ吹く風で小花が押しのけて割って入ってくる。
「ええーーー! 直さんサーバント喚んだの!」
小花の目が輝きまくってる。ワクワクしてアニメ見てる時の目にそっくりで、こんな時はいつも俺に分からん世界の話をしてくる。
「お呼びじゃねえよ、こんなもん。なんだよ、サ……サーバントって」
小花に問い返したはずが、今度は男に割って入られる。
「え、喚んでない? 召喚に応じて参じた体なんだけど」
男はきょとんとして問い直してくる。何で俺が呼び出した体になってるんだ。それと、この男と小花の会話だけ噛み合ってて、俺だけ空気読めてないみたいでなんか腹立つんだけど。
不機嫌を態度に出しつつ、呼んでないことを念押しする。
「てめえの名前も知らねえし、笛を吹いた覚えもねえよっ」
「そういう意味の呼ぶとは違うんだけど。それに僕の恰好、マグマ大使とは似ても似つかないと思うのだが」
笛を吹くだけのワードでよくマグマ大使だと分かったな。言ってから通じないかもってちょっと後悔したんだけど。
「直さん、マグマ大使は金髪だけどボディも金ピカだよ」
小花が男に目配せし、肩をすくめて首を振る。
お前ら二人そろって古いのよく知ってるな。てか、何で俺が呆れられてる感じなの? やれやれ何も知らないんだから、みたいな顔されてるの? 緊張感どこいったの。




