初夏の日(11)
「実は蘭が閃いたって認めたときから、すっごい楽しみだった。でも聞いちゃいけないって、自分を抑えるのに必死だったんだよ。うふふ、どんな話なのかなー」
御伽が目を輝かせて言う。分かったから、そろそろ退いてくれねえかな。重くて動けないし息も苦しい。
「今から話すって。あ、小花とすみれには聞かせちゃダメなのか」
「そうね。私だってすごーく聞きたいのだけど、お役目があるから我慢するわ」と、すみれがスクラムから外れる。
小花は「もうちょっとじゃれてたいけど……」と、渋々拘束を解いた。自由になった腕が痺れている。マジで極めてやがった。
御伽は身体を起こして「私からも一つ校閲を入れるわ」と、俺に乗っかったままで言った。
「二物を与えずの一つ目は、天が与えた物なんかじゃない、蘭が自分で創り出したのよ。その閃きは蘭だけのもの。いちウスの理屈で言えば、その物語世界の創造主は蘭、あなたなの」
ようやく御伽は俺の上から退いて、俺を起こそうと手を差し伸べる。その手を掴む。互いに力を込めて握る。何もないはずの手の中に、朧げな何かがあるような気がする。そのよく分からない何かを、逃がすものかと握っている。
「御伽の解釈に賛成だ。創造主様にはその世界をきちんと形にして育てる責任がある。二つ目だろうが三つ目だろうが自分で手に入れればいいだけの話だよな」
軽く言ってみせたが、きっと道のりは平坦ではないはずだ。それでも御伽の手を握っていると、できる気になってくる。
「そーと決まれば、早速おこもりするわよ! 蘭の部屋で作家名物のカンヅメよっ!」
御伽はハリキリ度マックスだ。テンションを合わせきれない俺は、動物園から逃げ出してお縄になった猿みたいに手を引かれている。
もたつく俺を連行しながら、思い出したように「あ、そうだ」と御伽が振り返る。
「ねえ蘭、決まってたらっていうか、イメージできてたらでいいんだけど、一つだけみんなにお披露目しておこう」
「んだよ、まだ俺ナウローディングの目盛り回転中だよ。ご覧いただけるもんなんてあるかなぁ」
「タイトル。タイトル的なものでもいい。その話をスパっと二言三言で言えちゃう言葉があれば聞かせて」
「ええー、タイトルってもなー。今? ここで?」
御伽の言うことだからないがしろにする気はねえが、ちょっとイキナリ過ぎねえか? 普通後から決めるもんじゃねえの。
「その方が盛り上がるよ。これから読む人も、蘭自身も。(仮)でもいいし」
そんなの考えてるわけねえだろって思ったけど、なんだ? 何かある。湧き上がってくるんじゃなくて、最初からそこにあったみたいな言葉が。それが当然であるかのように、何気なく、口からこぼれ出た。
「魔界転生……サイボーグ」
あら、みなさん反応がない。なんの捻りもないタイトルだしな。だって小花が「ロボットものは漢字四文字プラス片仮名のタイトルが燃える!」とか言ってたんだよ。機動戦士とか。それって昭和のセンスですよね。イマドキなら「転生したらスペック表だけはハイエンドのサイボーグだった件」なんてのがよかった? とか考えてると、にわかに、いちウスが騒ぎ出した。
「おお……おおお!」
いちウスから感嘆の声が漏れる。なんか勝手に想像して勝手に興奮してる。つられてか、皆の顔が色めき立ってきた。
「うんうんうん、なんか本屋で推し作家の新作表紙見つけた時みたいな気分になってきた!」
御伽が鼻息を荒くして煽る。そんな大層なもんじゃねえだろ。
「これはアガるよお! 入り口に平積みなってるやつ! もう期待しかない!」
小花が諸手の拳を振り上げて叫ぶ。そんな大層なもんじゃねえって。
「ええ、アガるわ! 帯の煽りは『この話、ノーパンで思いついた。』よ!」
やかましい。センスねえわ。
すみれも雰囲気に当てられたか、らしくない言葉で騒ぐ。もーいいだろ、俺までソワソワしちゃうだろ。喧嘩じゃねえんだから御伽もあんま煽んなよ。
「もーいいから、部屋に入んぞ」
プイと顔を背けて、気持ち速足で部屋に向かって歩き出した。言っちゃうけど、多分にやけてたツラを、見られたくなかったんだよ。
だって思っちまった。この物語は生まれてくることを望まれていると。それが勘違いなんかじゃないって、俺が悟った瞬間だった。
トキワ寮には、俺にあてがわれた部屋がある。この寮では一番狭い部屋なんだけど、部活のロッカーみたいに私物を持ち込んだりして、結構気に入って使わせてもらってる。でも本来は、俺が作品を執筆するための場所として、いちウスが与えてくれた部屋だ。
今初めて、本当の意味でこの部屋のドアを開ける。ドアノブを握り、扉を押し入れる。部屋の奥の、開け放してた窓から吹き入る風が、頬を撫でてすり抜ける。
風はテーブルに置き放した雑誌のページをバサバサと大袈裟な音でめくり、その音に皆が一斉に振り向いた。最後のページをめくり終えた風は、そのままバルコニーを飛び出していく。風の行方を目で追っていけば、少し丈の伸びた若草の庭と、その向こうの街並みと、遠く海まで見渡して、俺はグイと視線を持ち上げる。ギラつくような青い空に、風は、俺の心も引き連れて吸い込まれていった。
「ああ、今年は、アツくなりそうだ」
独りつぶやいたが、多分皆が同じ思いでその空を眺めた。
ここで空を見るたび、必ず思い出すはずだ、物語を閃いた今日を。
こんな風に吹かれるたび、必ず思い出すんだ、今日誓ったことを。
こんな頼りない俺に期待を寄せて、背中を押して、力をくれる連中がいる。その期待に応えるんだ。絶対に俺が最初の作品を書く。
俺が誓った、ずっと忘れない初夏の日。




