006
劣等感。
自分の矮小さを確定させる言葉。こんなみじな気持ちを、先ほどの彼も感じていたのだろうか?
「ここまで説明したら分かるだろ? 本当の天才はエメリヒなんだ」
僕はただの器用貧乏だった。
剣も魔法も高いレベルで安定しているが、だからといってそこから先には踏み込めない。
僕一人だけなら、歴史に名を残す冒険者になれなかっただろう。魔王なんて、もってのほかだ。
なのに僕たちがS級パーティーになれたのは、エメリヒのおかげだ。エメリヒが僕を偽りの天才にしてくれた。周りのみんなも騙されている。
しかし本物の目は騙せない。S級パーティーになって、国王陛下に謁見する時も、近衛騎士の人たちが注目していたのはエメリヒだ。
国内でも選りすぐりの実力者である彼らは、すぐに本物を見抜いた。このパーティーの肝はエメリヒだと。
そんなエメリヒに、いつしか僕は嫉妬していた。ファンクラブなんて出来ようが、本物に認めなければ意味がない。だが、僕一人の力ではどれだけ努力しても、本物の天才には追いつけなかった。
「実はね……王都に行った時、高ランクの冒険者パーティーに言われたんだよ。『エメリヒをうちのパーティーに移籍させてくれ。金ならはずむ』って。当然断ったんだけどね」
「当然ね。エメリヒがいなくなったら、わたしたちのパーティーは終わりだわ」
「だけど今思えば、僕は間違った選択肢をしていた。エメリヒを持っていかれたくないという一心で、彼にはこのことを隠していたんだ。そんなことを言ってしまえば、エメリヒが僕たちを見捨て、別のところに行ってしまうかもしれない。僕はそのことをなによりも恐れた」
「…………」
ブライアンはなにも言葉を返さない。アーダも同様の反応であった。
僕はエメリヒに酷いことをした。しかし二人はそれを弾劾しない。二人だって、エメリヒを他のパーティーに持っていかれることが耐えられないからだ。
「僕はエメリヒになりたかった」
僕は体を椅子の背もたれに預けて、こう続ける。
「エメリヒは劣等感を抱いていたようだが、それは僕も同じだった。彼の隣にいたら、自分の才能のなさに気付いてしまうから」
「だからエメリヒの脱退を認めた……ってわけか?」
ブライアンの声が怒気を帯びる。僕が独りよがりの判断を下したと思っているからだ。そしてそれは、あながち間違っていない。
だが、僕は首を横に振る。
「それもある……でもどちらかというと、罪滅ぼしに近いかな」
「罪滅ぼし?」
「ああ。エメリヒは僕たちのような凡人を、天才にまで押し上げてくれた。ならば思うんだ。エメリヒにふさわしい場所は、もっと他にあるんじゃないか……って」
ハッとした表情になる二人。
エメリヒの補助魔法は超一流だ。彼のおかげで、僕たちはここまで戦い抜くことが出来た。
ならばエメリヒが最初から、強いパーティーにいたなら?
一を十倍にしたら十。それが僕たちだ。だが、補助魔法をかけなくても百の素材に、エメリヒが巡り合ったら? 百の素材は千となり、魔王を討ち倒すための術となるだろう。
「なるほど……な。つまり弱い俺たちは見捨てられたってわけか」
「エメリヒはそんなこと思ってないだろうけどね」
ここまで話して、ブライアンとアーダも諦めの溜め息を吐く。
「でも……確かに、エメリヒの力をもっと活かせる場所があるかもしれないわね」
「そうだろ? まあエメリヒにそのことを言っても信じてもらえないし、彼の脱退は僕だって思うところがある。これくらいの意地悪は許して欲しい」
と重苦しい雰囲気を変えるように、笑ってみる。二人は笑わなかった。
「……とはいえ、エメリヒに罪滅ぼしがしたいと思う気持ちは本当だ。いずれ、こうなることもなんとなく予想出来ていた。だから僕はそのために動いていた」
「さすが幼馴染だな。俺とアーダが気付かなかったエメリヒの劣等感も、お前にはお見通しってわけか」
「大したことないさ。実際、エメリヒの心の闇を払うことは出来なかったからね」
エメリヒにはもっとふさわしい場所がある。
しかし彼は規格外の補助魔法使いでありながら──いや、世の天才がそうであることが多いのか──いまいち、世渡りが下手なところがある。それもあって、本物以外はエメリヒの才能に気付けなかった。
だからエメリヒがどれだけ優れていようが、ふさわしい場所を見つけられるとは限らない。なんなら、騙される可能性の方が高い。
僕は信頼の置ける受付嬢に「この先、もしかしたらエメリヒがパーティーから抜けてしまうかもしれない」と伝えていた。彼女は最初驚いていたが、僕の言っていることを冗談だと思わず、耳を傾けてくれた。
そして僕は彼女に頼んだ。
『その時、もし彼がまだ冒険者を続けようとしているなら……良い人を紹介してやってほしい。出来れば、才能が開花する前の天才とかだったら、なおさらいいね』
僕の抽象的な頼みを聞いて、彼女は神妙に頷いていた。
「とはいえ、僕はまだエメリヒのことを諦めていない」
僕は真剣な声音で、話をこう続ける。
「僕自身の劣等感にけりをつけ、エメリヒと並び立てるような男になったら……彼を勧誘してみるつもりさ。『もう一度、僕たちと一緒にやらないか』……って」
「ふっ、そんなこと言っても断られるだけだと思うがな。今更もう遅い! って」
「だけどハンスらしい顔になったわね。やっぱり、ハンスは常に前向きじゃないとハンスじゃないわ」
二人の表情も少し柔らかくなった。
しかし……本当にそんな日が来るだろうか?
今までエメリヒの補助魔法に甘えず、必死に努力し続けてきたんだ。ブライアンとアーダも同じだ。
それでも彼の足元にも及ばなかった。魔王を倒すより難易度が高いとすら感じた。
「エメリヒ……君には僕たちの気持ちは分からないだろうね。本物の天才の君には」