第二話 新米メイド始めました
男爵家の次女からタダの人、一人の新米メイドになってから、二ヶ月。
アネッタは順調に公爵の屋敷で勤めていた。
「『だから心配しないでお父様、みなさん私より高位の方ばかりだけれどとっても良い人ばかりよ。立派な淑女になって戻るから、そうしたら生まれ変わった私の為に婚約者を考えてちょうだい。』っと」
アネッタは与えられた使用人用の私室で書き終えた手紙にさっと目を通す。
問題ないことを確認してインクが乾くよう窓に近い位置へ移動させて支給品のペーパーウェイトを置いた。
衝動的に家出をして二ヶ月。
衝動的に家を出たとはいえ、公民館の職業斡旋窓口を通して実家にはアネッタがメイドを始めた事は伝わっており、未成年であるアネッタは親の許可もあってここにいる事になる。
週に何度かやり取りをしているのでこうして少し気恥ずかしい気持ちになりながら家族に手紙を書くのももう慣れた。
何故か毎回のようにフリードから何か話がしたいらしい遠回しな言葉遣いの手紙も同封されていたが、アネッタがそれに返事を書いたことは無い。
アネッタは失恋の痛みが一周回って完全に拗ねていた。
幼馴染への慈悲はないのだ。
家出初日に公爵家で新米メイドとして勤めることになって以降、アネッタは上手くやれていた。
初めての労働であり、特別精通していたわけでもない家事仕事だ、メイドとして有能とはいえないだろうが慣れてきた今となっては少しの戦力にはなれているのではないかと思う。
アネッタは五人兄弟の末っ子らしく、愛嬌があり立ち回りが上手かった。
「ま、その分舐められたけど」
フゥとため息をついて簡素な部屋の簡素なベッドにゴロンと横になる。
本日の業務は終えたものの未だ仕事着のままなので皺にならないようにだけ気を配る。
豪華なお屋敷に住み込みで働くため部屋を用意されると聞いて当初慄いたアネッタだったが、実家とさして変わらない質素さで想像よりずっと落ち着く環境だった。
シンプルな部屋は決して貧相では無く、仮にも公爵家に属する場所である以上いつでも清潔に保たねばならない為に自身でせっせと整えている部屋は実家の自室よりむしろ居心地が良い気すらした。
豪華すぎる屋敷での住み込み、その上お仕えするのは富も権力も美貌もお持ちの若き公爵様とあっては使用人希望者など後を絶たないだろうと思えたが、どうやら人手不足だというのは本当のようだった。
屋敷を訪れ公爵であるリオル・ザッカーバーグ様と初遭遇(初対面と言える状態では無かった)してから二ヶ月、新米メイドとなったアネッタの日々は何事も無く平和とはいかなかった。
新人いびり、というよりもむしろあれは───。
「ライバルの蹴落とし」
アネッタは童顔な彼女には似合わない悪い顔で笑った。
ニヒルに笑えているかは分からないが、アネッタもここ二か月で少しは鍛えられたのだ。
足の引っ張り合い、汚い大人たちのやり口も体験して一つ大人の階段を上ったアネッタの精神はもう夢見るだけの少女のものではないと自負している。
ここ、リオル・ザッカーバーグ公爵の屋敷ではまさに大婚活時代を迎えていた。
そうとしか言いようがない。
公爵家ともなれば人の目に触れる場所で働く使用人たちは全て貴族家の子息子女。
アネッタのような男爵程度の者も居るには居るが、主だって動いている者たちは高位の令嬢たちや有力貴族の次男三男も珍しくはなかった。
そんな彼らが公爵家へ出仕している理由の一つは公爵家やそれに連なる有力貴族へのパイプ、そして一つが将来の嫁婿探しだ。
きっと各貴族家でそんな婚活を兼ねた行儀見習い花嫁修業が行われているのだろうが、このリオル・ザッカーバーグ公爵の屋敷に至っては女性陣の本気度が桁違いであった。
富も名誉も権力も容姿も、まるでこの世の全てをお持ちかのような公爵様、御年二十一歳が婚約者すらお持ちでない独り身で君臨されているのだから。
蹴落とし、出し抜き、裏をかいて回り込む。
本気の令嬢たちは権謀術数を巡らせ、知略縦横、持ち得るポテンシャルを遺憾なく発揮して公爵へと迫り寄り───。
その全てが、返り討ちになっていた。
リオル公爵の守りは固い。
言い寄る女性使用人はバッサバッサと切って捨てられ、それは社交界の令嬢方も変わらないらしかった。
公爵家当主であり国の政にも関わるリオルだがしかし、公私共に傍に置くのはごく少数の限られた者だけなのだ。
リオル・ザッカーバーグはやんごとない生まれではあるもののその生い立ちは辛く厳しいものであったらしい。
自称“リオル様に二番目に近いメイド”こと今年二十六歳の立派な行き遅れな先輩メイドによれば、リオルは先代公爵の三男であったがリオルを産み落とすと同時にご母堂が逝去、それが原因か父である先代公爵からは冷遇されて幼少期を淋しく過ごしたとか。
物心つく頃に年の離れた長男が事故で亡くなると、素行の良く無かった次男に代わり次の公爵とするべく一転して厳しい教育が施されたらしい。
次男はそれに反発してリオルの暗殺を企みあわやお家騒動、その時のアレコレでリオルは親族であっても信用することが出来ず、ごく少数の人間しか傍に置かなくなったとか。
そんな話が外に出れば醜聞以外の何物でもないのだから公にされているはずもなく、自称“リオル様に二番目に近いメイド”の話す話がどこまでが本当か怪しいものだったが、仕えるお家の内情を新人にべらべらと喋って迂闊ではないかしらとアネッタが思っていると翌日には解雇されたのか姿を見せなくなっていた。
「貴族って……」
アネッタは寝転んだままげんなりしてベッドから落ちかけていた枕を引き寄せる。
アネッタ自身も貴族ではあるが公爵家となるとスケールが違った。
これまでアネッタはどうせ貴族に生まれるならもっとお金持ちな家だったならなどと思う事もあったが今となっては父と母の間に生まれる事が出来て幸せだったのだなと分かる。
けれど、そうして身の程を知ったばかりのアネッタはこの屋敷の中で妙な立ち位置になってしまっていた。
───コン コン コン
薄いドアを叩く音が高く鳴る。
いつも同じ高さ、いつも同じ調子、早くも遅くもない間隔で鳴らされるノックをアネッタは知っていた。
慌てて起き上がるなり最低限の身だしなみを整えるが早いかすぐさま返事を返した。
「在室しております! どうぞ!」
「失礼するわね」
一つの音も立てずドアを開き現れたのは長身の女性だった。
アネッタは直立して背筋を伸ばした。
この屋敷を束ねる使用人筆頭でありアネッタの上司である女性、エマという名の秘書然とした彼女に対して、アネッタは初日に正座させられみっちりお説教をされて以来、完全服従の姿勢を取っていた。
銀の髪をぴっちりと後ろに撫でつけ一つに結んだエマは三十路に差し掛かろうかという年齢で、就業時間は終わっているはずのこの時間でも上級使用人を示すお仕着せ、しかも男性執事が着るようなそれを身に着けている。
綻びどころか皺ひとつ無いそれが、いかにも几帳面という雰囲気を漂わせる彼女によく似合っていた。
アネッタもまた着替えることなく使用人服のままだったがそれでも風格の違いが明らかだ。
完全無欠の使用人の鑑であり身分も伯爵家と高位の生まれらしいエマに、けれどアネッタは必要以上に緊張する事も、威圧感を感じる事も無かった。
「エマさん、いらっしゃいませ」
まるで飼い主の帰宅でも喜ぶようにアネッタは控え目ながらも喜びを隠しきれない声でエマを迎えた。
振っている尾が幻視されそうな様子だ。
それにほんのわずか片眉を困らせる事で困惑を示したエマはしかし早速本題とばかりにアネッタの部屋へとやって来た用件を述べる。
「今日もお付き合い願えるかしら」
「……はい」
ですよね。と、アネッタは分かっていた事だがとは思いつつ苦笑を隠さず返し、すぐ退室しようとするエマに付いて部屋を出た。
行き先も用件も分かっている。
夜間勤務の者を除いて使用人たちは各々自室へ戻るこの時間、アネッタはここ毎日こうしてエマに連れられているのだから。
行き先は、この屋敷の主人、リオル・ザッカーバーグ公爵様の執務室。
アネッタはなぜか公爵であり殿上人であるリオルに日々呼び出しを受けていた。