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第一話 家出先は大豪邸

「ここ? 本当にここですか?」

「はい。つい先日から大規模に募集をかけてらして、しばらくは研修での仮採用になりますがアネッタさんならきっと上手くやっていけますよ」

「いえ、あの、実は私こう見えて良いとこの子女でしてぇ、端くれすぎて自分で家事一通りはさせられて来ましたけどもぉ」

「アネッタさんなら大丈夫! メイド仲介業一筋! この道三年の私が太鼓判を押します! さあ張り切ってどうぞ!」

「それ入社三年目じゃないですか! 本当に大丈夫なんですか!?」


 アネッタはそびえ立つ高い壁の前に立っていた。

 実際はそこは壁では無く屋敷へ徒歩で出入りするための門らしいのだが、屋敷の余りの大きさに小心のアネッタはただただ大きな壁としか認識出来ずにいる。




 家出をしたアネッタがその足で向かったのは街の人々が集会や役所手続きを行うための公民館だった。

 男爵家令嬢という肩書きこそあれ、アネッタの家は裕福な平民の家と変わらず領地なども持たない、名ばかりの端っぱ貴族だ。

 街の人たちとは以前から知人以上には親しみがあり、現れたアネッタの泣き腫らした顔に人々はからかい慰め、なんだ家出かと受け入れ、同情欲しさにしばらく住むところも無いと零すアネッタを職業斡旋窓口に連れて行くと住み込みのここはどうかやっぱりあっちはとあれよあれよという間に話をまとめてしまった。


 正直、街の人たちにちょっと愚痴って慰めてもらって、数日して気が済んだら帰ろうかしらと思っていたアネッタは怒涛の展開に流されるままだった。

 そして今、家事能力があるのならと紹介され連れて来られたのがここ、この街の誰もが知っている領主である公爵様のお屋敷だったのである。


 ええー……とアネッタは引き攣らせた顔で目の前にそびえる大豪邸を見上げるしかない。

 そのまま隣に立つにこやかな女性、本人曰くメイド仲介業一筋の職員へと視線を戻すが、彼女はニコニコと百点満点の営業スマイルを変える事は無くさあどうぞとアネッタの背を押してくる。

 強い。力が強い。

 

「公爵様のところでは定期的にメイド見習いの募集が出るんですよ。えっと何でしたっけ、行儀見習い? 貴族のお嬢様方はそういう花嫁修業をなさるんでしょう?」


 ああ、とアネッタも腑に落ちる。

 大した戦力にならないだろう自分を紹介して大丈夫かと思ったが、貴族子女の花嫁修業を大貴族が受け入れるのはよくある事だ。

 アネッタの家がそうであるように、この国の貴族階級は名ばかりの末端の数がやたらと多い。

 彼らに本物の貴族との上下関係を叩き込み、貴族とはかくやを見せつけ覚えさせるのは上位者の義務とも言える。

 これだけ大きな屋敷であり、その位は王家とも縁のある公爵なのだ。

 雲の上すぎてよく分からないが、これだけの規模の家門になればそんな貴族子女たちの教育を兼ねつつ人員を入れ替え補充しながら屋敷の運用をやり繰りしているのだろう。

 合理的だ。


 自身も嫁ぎ先によってはどこかでそのような教育を受けねばならなかったが、アネッタの家の男爵家と大して家格の変わらないフリードの家の子爵家に嫁げるとばかり思っていたので気にした事もなかった。


「───いい機会かも」


 ぽつりと。

 アネッタは思ったことを素直に呟いた。

 この不思議な巡り合わせが自分にはとても都合がいいように感じて感謝すら覚える。

 以前から自身に甘えたところがあるのは自覚していて、けれど甘やかしてくる周囲に甘えて自分から厳しい環境に身を置こうとは思えなかった。

 流されやすいアネッタが、こうして流され“修行”と名の付く環境に置かせてもらえたのは、恋心を砕かれたばかりの自分が心機一転して成人を迎えるために必要なプロセスだと思えたのだ。


「頑張れそうですか?」

「頑張って、みます」


 優しく微笑む職員にアネッタはひとつ頷き返して押された背のまま一歩踏み出す。

 未だ未成年である内にしか体験出来ないことは多いだろう。

 家を離れ、自分の手で働き暮らすのはどんな気分だろう。




 その時、アネッタは冷静では無かった。

 片思いに浮かれ、誕生日に浮かれ、そうしてフワフワ生きて浮かれポンチの有頂天だったのが突然、思い人からの鋭い右フック、そして信じていた父の裏切りアッパーカットを食らってしまった。

 アネッタの、決して利口では無いがお利口さんな脳みそは、哀れペチャンコになりそうな柔らかいハートを守るために、考えなければならない様々なことを棚上げして目の前に置かれた大きなケーキに飛びついた。


 フリードと婚約が出来ないなら、成人までに他の誰と?

 状況が変わるのなら、成人するまでに学ばねばならない事が広めなければならない交友関係が必要な知識が。

 フリードとは今後どうなるの。

 これまでみたいにはもう会えない。

 告白すら出来なかった。

 お父様の馬鹿。

 未来が怖い。


 自身で『いい機会かも』なんて一歩踏み出した気になっているがその実、色々な、十五歳になったばかりのアネッタにとって辛すぎる現実すべてを忘却してただ楽な選択肢に流されただけだった。

 そして流された先、開かれていく大きくて分厚くて豪華な扉の向こうに広がる非現実的な光景に、アネッタの思考回路は完全にショートした。

 もう、正しく考えを巡らす事すら出来ない。




「新人か」




 低い声が静かに、けれど深く響くように届く。

 思いがけず、前方から強い風を当てられたような圧を感じて身動きが出来ない。

 見上げるような体躯。

 黒を基調とした豪奢な服に、黒く艶やかな波打つ長い髪は今まで見たどんな高級な布よりも光沢を放っている。

 肉食獣を思わせる鋭く怜悧な視線が何の感情も乗せずにこちらを見ている光景に現実味が無い。


 この世のものとは思えない美貌の男がそこに居た。


「おそらくそうでしょう。斡旋所の方もいらっしゃいますし、新しいメイド見習いのようです」

「お目にかかれて光栄です公爵様」


 アネッタは固まったままで、聞こえる女性たちの声も耳を通り過ぎる。

 一人は男の傍に立ち控えていた秘書らしき女性のもの。

 そしてもう一人、斡旋所の職員は慌ててアネッタの隣まで来ると相変わらず強い力でアネッタの背に手を当て腰を折らせ頭を下げさせた。


 公爵様……?


 バクバクと鳴る心臓を押さえて軋む首を動かし上目で確認すれば、圧を感じるほどだった美貌の男、公爵本人らしいその男は思ったよりも離れた場所に立って居た。

 扉が開いてその姿が見えた瞬間、聞こえた声に仰け反ってしまいそうな程の圧迫感を感じたというのに、それはただ男の放つあまりの存在感に圧倒され気圧されてしまったせいだったようだ。

 改めて見ればまだ二十代に差し掛かったばかりだろうことが分かった。

 しかし、オーラと言えばいいのか、放つ貫禄が若輩のそれでは決してない。


 おそらく出かける間際だったのだろう。

 手荷物を持ち、上着を持たせた秘書らしき女性を連れて広い玄関ホールの中ほどに立ってこちらを見ていた。


「そうか。頼んだ」


 一言、そう秘書らしき女性へ視線を戻して告げる彼の意識も興味もこちらには既に一ミリたりとも向けられておらず、そのまま一言二言本日の予定を告げられながら慣れた動作で上着を着てこちらへ歩いてくる。

 扉を開いていた衛兵が一人、その進路とアネッタたちを遮るように立ち位置を変え、アネッタは職員に首根っこを掴まれるようにして端へと下がらされた。

 貴族子女ぞ。我、貴族子女ぞ。

 猫の子のように扱われながらそう思うものの、目の前の“本物”を見てしまった後では公務員も下っ端貴族も何も差の無いタダの人だ。


 立派な馬が引く馬車に乗り込み出掛けて行った存在を見送り様々な価値観すらひっくり返され立ち尽くしていたアネッタに、そこで声がかかった。

 凛とした声だった。


「さて、まずはノックを教えねばならないようですね。新人さん」

「はいすみません」

 

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