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プロローグ

 しがない男爵家の次女、アネッタ・クワイエットはこの度、十五歳の誕生日を明日に控えて、人生最大の失恋をいたしました。


「信じられない……、信じられない……」


 さめざめと、目から次々涙を零しながら恨めし気に何事かを呟き徘徊するアネッタの姿は周囲には幽鬼のように映るかもしれない。

 しかし、今のアネッタにそんな事を気にする余裕など無かった。

 つい先ほど、物心ついてよりの幼馴染であり淡い恋心を抱いていた相手、フリード子爵令息に振られてしまったのだから。


 振られた、というのは正確では無いかもしれない。

 アネッタは告白をしたわけでは無く、恋の相手である幼馴染フリードもまたアネッタの恋心を拒否したわけでは無いのだから。

 あれは、そう。


「眼中にも無かったって……」


 恋どころか、女の子としてすら見られていなかった。


 ふら、ふら、と。

 垂らした腕を振り子のように左右に振りながら覚束ない足取りで歩む。

 庭木を手入れしていたお手伝いさんたちが作業の手を止め、そんなアネッタを心配しているような、いや、不審なものを見るような目で見ているが、いつにも増して挙動のおかしなアネッタへ声をかけることが出来る猛者は居ないようだった。


 そうっとしておいて。

 虚ろな瞳で彼らへ視線を流すも、見ていた全員に顔ごと逸らされた。

 それでいい。アネッタは内心で独り言ちる。

 それでいいの、今は。

 後でちょっとだけ慰めては欲しいけれど。

 後で甘くて温かいものを持ってみんなで部屋まで来てちょうだい。

 出来るだけ大勢で来てワイワイしてちょうだい。

 私の願いはそれだけ。


 アネッタには兄が二人と姉が一人。

 幼い頃から優しいお手伝いさんたちに囲まれ、たいがい末っ子体質の甘やかされたがりだった。




 さして広くはない庭を抜け、室内へと続く廊下を進んで自室へ向かう。

 普段であれば外部の者の目の無い屋敷であるが、本日に限っては親しい家の者を招いたささやかなガーデンパーティーが開かれている。

 まさかこんなボロ泣きの幽鬼状態を見せるわけにもいかず、そっと静かにフェードアウトさせていただこうとアネッタは覚束ない足取りのまま歩を進める。


 ああ、覗きになんていかなければ良かった。

 後悔先に立たず。

 明日に誕生日を控えて浮かれ気分だったアネッタは、幼馴染で片思いの相手であるフリードの子爵家一家も参加していると聞いてスキップ混じりに庭へと直行した。

 そして姿を見せる前にと直前の物陰で立ち止まって髪や服を整えていた折、間が悪い事に自身の父とフリードの話を立ち聞きしてしまったのだ。


『フリード君、良ければ今度ドゥーム男爵令息を紹介いただきたいんだ。アネッタの婚約者にぜひにと思っていてね』


 お父様のはしゃいだような声。

 その話題に、半ばフリーズするようにその場から動けなくなったアネッタに、けれど彼女の存在に気付かない彼らの話は続く。

 怪訝そうなフリードの声。


『ドゥーム・ドランを、アネッタの?』

『そう、あの子も明日の誕生日で十五歳だ。そして来年は十六で成人だろう。ドゥーム男爵に正式に話を通す前に、友人を通して互いの印象をまずはと思うのだけどね』


 お父様ったら、何てことを何て人に相談してるの!

 アネッタは叫び出しそうだった。

 ドゥーム男爵令息であるドランはフリードとは遠戚にあたり、アネッタやフリードより五歳年上で甘やかで中性的な魅力があると令嬢たちの間で人気がある。

 フリードもまたそんなドランに劣らない大人びた雰囲気と外見で、ドランと友人同士、整った見目の二人が仲良く過ごす姿に憧憬を抱く女性も多いとか何とか。


 アネッタは思いがけない自身の話題にカッと頬に熱が灯るのを感じつつ内心で悶えた。

 お父様。

 令嬢方に人気の令息を私の婚約者候補にと考えてくださるのは嬉しいです。

 それを決める前にまず本人たちの意思を鑑みようとしてくださることも。

 けれど! 目の前のフリードだって! 優良物件ですよ!

 というか、物心ついた時から家族ぐるみの付き合いで仲が良いフリードに私が片思いしていることなんて、フリードの家族から我が家のお手伝いさんたちまでみーんなにバレていると思っていたのに!


そうしてその場から離れる事も姿を現す事も出来ずに居たアネッタの耳に、ややあってからフリードの言葉が届いた。


『ドランは』

『ん?』

『ドゥーム・ドランは面食いでして』

『うむ』

『女性らしい見目、女性らしい体付きの同世代が好みかと』


 その声は、言い難い事を口にしているような、どこか後ろめたさを感じさせる声色だった。

 聞こえてしまった言葉に、言われてしまった言葉に、アネッタの目が大きく見開かれていく。


『ならば、五つも年下は埒外と?』

『と言いますか、アネッタは、ちょっと……』

『……』

『……』

『……』

『……』


 沈黙は長かった。

 言葉の意味を正確に読み取ったアネッタは瞬間ぶわりと涙を溢れさせ、なんとか声は押し殺したままその場をうわんと泣きながら走り去り、今に至る。


 アネッタはさほど広くは無い庭を持ち前の俊足で走り抜けながら心の中で叫んだ。

 つまり、つまりこういう事だ!

 『女性らしい見目』が私には、無い!

 『女性らしい体付き』が私には、無い!

 『同世代』でも無ければそもそも『私』が『ちょっと』!?

 『ちょっと』って、『ちょっと』って何ですか!?

 ていうかお父様もそこで黙るの酷くないですか!?

 

 アネッタの脳内に生まれてから今日までの父と子の仲良し親子メモリーが過ぎ去っていく。


『可愛いアネたん世界一』

『んもう可愛い! よっ! 世界一』

『愛しい愛しい私のアネッタ、世界一可愛いいい!』


 アネッタは思った。

 身長が低めな事がコンプレックスないかつい見た目のお父様はくっきりした二重にまつ毛がバチバチで、娘を甘やかす時のヤニ崩れた笑顔はちょっと気持ち悪い。

 時々しゃべり方がオネエさんぽくなるのはどうしてだろう。

 というか、語彙力が低めですわお父様。ボキャブラリーが『可愛い』と『世界一』だけでは社交界は乗り切れませんでしてよ。


 けれど、そんないつだってアネッタの味方であった大好きな父の裏切りより、アネッタがショックを受けていたのはフリードの言葉で。


「可愛いって、言ったくせに」


 やっとたどり着いた自室。

 白いシーツを見下ろし立ち尽くした後、アネッタはベッドに力無くダイブした。

 お手伝いさんが洗い整えてくれた布団はふかふかでアネッタを優しく包み込んだ。


「かわいいってぇ、いっだぐぜに゛ぃ……」


 小さい頃から一緒だったフリード。

 アネッタが気付いた時には男の子になってしまっていた彼は、アネッタに異性を意識させた。

 そうしてそれからはほんの瞬きのあいだ。

 アネッタの視界も心も、滑り落ちるようにフリードばかりになった。

 不意に見せるフリードの大人びた一面に、男性的な魅力に、そして幼い頃からの信頼と安心感に、いちいちドキドキとしてはそれが他に代えがたい相手に向ける感情なのだと自覚した。


 昔からちょっと意地悪なフリードは外面は良いくせにアネッタだけには明け透けで。

 幼馴染だから腐れ縁だからと言うくせに、学園行事でも親の付き合いのパーティーでもアネッタとペアを組まされる事を自然と受け入れてくれていた。

 ちょっと見た目が良いからって女子にチヤホヤされて、まんざらでも無いようにアネッタに話して聞かせる癖に誰とも付き合わないし、それに、それにこの間、他の男子に心無い言葉をかけられたと落ち込むアネッタに言ったのだ。


『ブスって言ったのよ! どけブス、ですって!』

『アネッタが可愛いからちょっかい出したかったんだろ、馬鹿だから』

『かわっ!?』


 それがつい一週間前。

 スイと視線を逸らし何でもないように言ったフリードの赤くなった耳は付き合いの長いアネッタには一目瞭然で、彼それに気付かれるだろう事は分かるだろうに隠そうともしなかった。

 これまでも、地味で爵位も低く軽視されがちなアネッタをさり気なく庇ってくれる事は何度もあった。

 慰めてくれたことも、励ましてくれたことも何度も何度も。

 アネッタとて器用な性質では無いからフリードへの恋心は周囲に隠しきれていないだろうと思っていたし、最近はフリードもアネッタを意識したような言葉や行動も多くて、それはまるでアネッタへの想いを匂わせるようで、だから結婚できる成人まであと一年という十五歳の誕生日にきっと想いを通じ合わせて恋人同士になれると半ば確信めいた予感があったのに。




『アネッタは、ちょっと……』




 そもそも! 女子として見られてなかったという! ね!

 アネッタは叫んだ。


「とんだ道化ですわ! んあ゛ああああああああああああああああ」


 叫び、変な声を出してベッドを転がる。

 抱きしめた掛け布団がアネッタのトルネードについて行けず引き絞られていく。

 恥ずかしい。


「全部全部! 私の一人芝居で! 妄想で! 勘違い゛いいいいいいい」


 恥ずかしすぎて埋まってしまいたい。

 貝になりたい。


 んふー、んふーと、しばらく鼻息荒く悶えていたアネッタは、乾いた涙と鼻水でガビガビになった顔を布団から持ち上げると窓へと顔を向けた。

 既に日は暮れきり空は暗い。

 黒い空にぽかりと開いた穴のようにまあるい月を見ながらアネッタは決めた。



「家出、しよ」






 しがない男爵家の次女、アネッタ・クワイエットは家出した。

 彼女の十五歳の誕生日の事であり、残されていたのは置手紙とも言えないメモがひとつだけ。



 “しばらく そっとしておいてください”



 それは彼女の心からの願いであり、その文章から滲む哀愁に、屋敷中すべての人々の涙を誘ったとか。


「アネッタ? アネたんどうしちゃったの? え? え?」


 彼女の父である男爵一人を除いて。


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