初めての魔物討伐
「今度の日曜に街の外に出て魔物討伐に行くんだが、クリスティーナも行くか?」
「行く行く〜!」
父エランドとそんなやりとりをしたのは数日前。
月に一度の魔物討伐に参加する許可を貰えた私は、この日のために父が買ってきた武器防具を身につけて正門に立っている。
周囲には私と同じ年頃の子供が知り合いの騎士を同伴としてこの場に集まっていた。
「鎧と武器のサイズはどうだ?」
「ピッタリだよ、父さん」
十三の誕生日を迎えた私は、貯めたお小遣いで魔術教本を買い漁っては訓練を続けていた。たまにレオに魔術を教えてもらっている。
努力の甲斐あってか、最近は父の書斎にある魔物図鑑や地図を見せてもらえた。さらに街の状況なども教えてもらえた。
安全と知られている街であっても、常に堅牢というわけではない。
月に一度、結界はメンテナンスと補修の為に効力を失う。
魔物を退ける結界の素材は、魔物の体内に宿る魔石が欠かせない。
街の防衛を担う自警騎士団と魔石を持ち帰る冒険者はそれぞれ役割を分担し、円滑な関係を築いているのだ。
「心配しなくていいよ、お父さん。僕は大丈夫だから」
聞き覚えのある声に視線を向けると、そこにはレオがいた。
『幼ブラ』の過去エピソード、レオがクリスティーナに惚れるきっかけとなった魔物討伐での騒動がこれから起きる。
この辺りで一般的なウルフを討伐する為に出発した討伐隊は、突然変異で進化したロックウルフの群れに襲撃を受けるのだが、これをクリスティーナが華麗に撃破するのだ。
レオとの関係はまだ良好とは言い難い。
惚れるとまではいかなくても、嫌われない程度の好感度ぐらいは稼いでおきたい。
ふふ、適性が低くとも努力すれば回復系の魔術も使えるようになるのだよ。……半年ぐらいで使えるはずなのに、二年もかかるとは思わなかったけど。
「みんな、準備は整ったな。それじゃあ出発するぞ」
討伐隊のリーダーを任された父エランドの号令を合図に、私たちは街を守る結界の外へ踏み出した。
私たちが住む街の名前はクインベル。
歴史書が記すよりも遥か昔から存在する巨大な城塞都市であり、グレニア独立国の王都には及ばないまでも交易で栄えている。
都市を結ぶ轍の他には草原や森があるばかりで、建築物は何もない。
魔物の猛攻が激しく、建物を建てようものならすぐさま集中攻撃を食らってしまうのだ。
「たしかこの近くにはウルフが住んでいるんだよね。冒険者ギルドの発表によれば、突然変異することもあって、その場合は毛皮が鉱石類と同じ構造になる『ロックウルフ』になるとか?」
「ああ。よく調べているだけあって詳しいな」
経験者である父エランドが手際よくウルフの痕跡を見つけ、指示を飛ばしてウルフの群れを追い詰めていく。
「必ず集団で叩け! 決して、一対一になるな!」
ウルフの討伐難易度は、一般的にはDランク。
魔物のなかでも弱い部類に位置されているが、能力は大型の狼のそれ。いかに成人男性でも首に噛みつかれたら大怪我を負う。
……ましてや、相手は毛皮が鉱石化したロックウルフ。手こずっていた間に囲まれてしまえば、猛反撃を食らうのは必至。
「レオ、危ないっ! 『豪炎招来』!」
剣を片手にスキルを発動させる。身体を魔力で具現化した炎が取り巻いて、剣を覆う。攻撃力を底上げするシンプルかつ強力なスキルだ。
さらに『身体強化』を使い、レオに噛みつこうとしていたロックウルフに駆け寄り、その首を両断。
飛びかかろうとしていたもう一匹に投げつけて、牽制しておく。
その間に水系回復魔術『ヒールウォーター』でかすり傷を治して好感度稼ぎ。
「ロックウルフだ。みんな、無理せずに防御を固めて!」
周囲に注意を促しつつ、窮地に陥った人を優先的に助けていく。怪我をしていれば魔術で治し、次々とロックウルフを仕留めていった。
さすがは一巻の悪役クリスティーナのスペック。百年に一人の逸材と言われるだけある。
ロックウルフはほどなくして散り散りとなり、やがて全て討伐された。
「一時はどうなることかと思ったが、クリスティーナのおかげでなんとかなった。みんな、街に戻るまでが討伐だ。気を引き締めて警戒を続けろ!」
父エランドの鋭い声に、私は緩みかけた頬を引き締める。
たしか、街に戻ったクリスティーナは単独で行動したとして説教されるんだ。そこでレオが仲裁に入って、それから二人はちょくちょく会話をするような仲に……
街に戻り、ロックウルフの解体を待つ間。
レオのいる方から視線を感じたが、特に話しかけられることもなく。
「さあ、帰ろうかクリスティーナ」
「えっ?」
「なんだ、やり残したことでもあるのか?」
「いや、何もないけど……」
公開説教は起きず、レオが仲裁することもなく、私は父エランドに連れられるままに家に帰ったのだった。
あれ? あれれ?
好感度さん、もしや変わってない????
◇ ◆ ◇ ◆
ダイニングテーブルを囲みながら、すっかり夜も更けた頃。
母ユミルがにこにこしながら機嫌良く紅茶を淹れているのを横目に、向かいに座る父エランドが神妙な顔をしていた。
「今日は、君のおかげで誰一人として欠けることなく街へ帰還することができた。討伐隊のリーダーとして感謝している」
「えっと、はい。こちらこそ、良い経験を積めました。ありがとうございました」
いつもと口調の違う父エランドの雰囲気に首を傾げながらも、もしかしたら公私は分ける性格なのだろうかと思って対応する。
そんな私に、父エランドは静かに疑問をぶつけてきた。
「それで、君はどこの誰なんだい?」
びしり、と自分の顔が固まる感覚がした。
湯の沸く音も聞こえず、ただ心臓が跳ね、呼吸が乱れるのを自覚するほど張り詰めた空気があった。
「俺たちの娘のクリスティーナは、今の君のように何かに取り憑かれたように訓練したり、苦手な魔術の練習に励むような性格の子じゃなかった」
淡々とエランドが告げる。その表情はあまりにも寂しそうだった。
それを見た私は、ああこれはもう誤魔化しても無駄だなと悟る。
「……クリスティーナは、どこにいるんだい?」
何もいえなかった。
前世の記憶はクリスティーナを乗っ取ったと言ってもおかしくないぐらい、大きな影響を与えてしまった。
傲慢で、慢心しがちなクリスティーナ。
彼女は前世の記憶を思い出したあの日に消えてしまったのだ。
誰よりもクリスティーナの身近にいた家族がその変化に気がつかないわけがない。
三年間、強さだけを追い求めたから起こった痛恨のミスだった。
「そうか。妖精の取り替え子なら取り返せるかと思ったが、その様子だと無理なんだな」
「クリスティーナ……」
落胆したエランドにユミルが寄り添う。
クリスティーナの喪失を嘆く二人の姿はあまりにも痛々しい。
これならいっそ、面と向かって罵られた方が気持ちは楽になれたのに。
二人は私を責めることなく、ただ静かに涙を流していた。
「すまない、しばらく席を外してくれないか」
すっかり他人行儀となったエランドの言葉に、私は黙って頷くことしかできなかった。