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起死回生の一案

キリが良かったので付け加えました

 魔神の爪をスレスレで避ける。

 獲物を逃した一撃は地面を抉り、死肉と化した魔物を切り刻んで血の泥濘を作り上げた。


「ひゃははっ、すげぇ、すげえ、こんなにも避ける奴に出会ったのは初めてだぜ!」


 続く三連撃を全速力で走りながらひたすら回避に専念する。魔神以外の魔物は遠巻きにこちらを見ているだけなので、目の前の敵に集中できるのは幸いだ。

 前世で当たったら即死するタイプのゲームを齧ったことがあったので、感覚的にだがどう対処するべきかどうかは分かる。

 なるべく体力を温存しながら、かつ、有利になれるような場所を選んで敵を引きつけ、余裕を持って回避。反撃は可能かつ確実なタイミングだけを狙う。


 狙い澄ました一閃は、巨大な手の甲の硬化した皮膚に阻まれた。攻撃を防いだ魔神は相変わらずニヤニヤと気味の悪い笑みを顔に浮かべている。


「規格外の化け物め」


 悪態を吐きながら、少しずつ魔神の行動パターンを割り出す。

 『幼ブラ』ではヒロインのアケミ皇女の援護と支援魔術を掛けたレオが何度も魔神と鍔迫り合いを繰り広げ、周囲の地形を変えるほどの凄まじい戦闘の末に勝利を収めていた記憶がある。明確な弱点や隙を生む癖のようなものはなかったはずだ。

 さらに魔神は『奥の手』を隠し持っている。制限時間はあるものの、今よりも素早さや筋力が倍以上に増加する“変身”という切り札がある。

 数を減らしたとはいえゴブリンとオークの大群に魔神の組み合わせは本当に絶望的だ。付け加えるなら、疲労の色すら微塵も見えない魔神の猛攻を避けるのが段々と難しくなってきたことも焦りを加速させている。


「クリスティーナ、冒険者のランクはいくつだ? それほどの腕前ならとっくにBランクにはなれているはずだろ。あの男はCランクで、本当に戦い甲斐がなかった。あの男よりも強いなら、それよりランクはモチロン上だろ?」


 戦闘中に話しかけてきた魔神の蹴りを屈んでやり過ごし、無防備になった胴体を狙って剣を振るう。僅かに浅く切り裂いたのみ。その傷もすぐに治癒してしまう。


「いや、単独ってことは駆け出しか。ん〜、可能性のある新人を潰すって考えると興奮するな」


 舌打ちが出そうになった。

 冒険者ドミニクの荷物を奪ったことからある程度の知能や論理的思考は持っていると分かっていたけれど、冒険者ギルドの定めたランクまで理解しているとは思わなかった。

 冒険者の情報を優先して仕入れては実力者を罠にかけるかもしれない。あるいは経験の浅い新人を狙うか。いずれにせよ冒険者を欠いた街は魔物への対抗手段を失ってしまう。


 大きく振りかぶった魔神が、勢いよく両手を地面に叩きつけた。

 さながら爆発でも起こったかのような衝撃波に襲われながら、地面をゴロゴロと何度も転がる。藪に隠れ、息を潜める。魔神は土煙の中でキョロキョロと見回し、わざと見失ったフリをしている。

 とっさに飛んで威力を軽減したが、それでもあちこちにぶつけた背中や腕が痛い。体力も魔力もそろそろ限界だ。

 疲労困憊な私に比べて、魔神は息の一つも上がっていない。私の攻撃など通用していないようだ。


「はあっ、はあっ、無敵か……!」


 前世の記憶を引っ張り出しながらなにか策はないかと考えているが、確実に勝てるといえる作戦は思い浮かばない。どれも失敗する可能性は高く、死に直結するようなものばかりだ。

 しかし、成功すれば魔神を大幅に弱らせることができる。


 魔神の変身は多大な魔力と生命力を消費する。短時間に限られるが、身体能力が何倍も強化され、大規模な魔術も使えるそうだ。しかし、変身後はかなり弱体化するらしい。失った力を取り戻すには、最低でも一ヶ月はかかるとか。

 つまり、変身さえさせてしまえばこちらの負けは確定するが、魔神の侵攻という最悪の事態を防げるということ。


「……やるしかないみたいね」


 剣の切っ先を見据えて、思いついたばかりの作戦を頭の中で反芻する。

 とにかく魔神を変身させる。そして逃げる。とにかく逃げる。可能なら増援に情報提供もしたいところだが、それは奇跡でも起きない限りちょっと無理そうだ。


「こんな状況でも、前世の知識が役に立つなんてね」


 最悪の事態に陥らせた前世の知識が回り回って最悪を防ぐ手立てになる。皮肉めいた現状を自嘲気味に笑いながら、木の皮を剣で削ぎ落とし、鞄からインク壺を取り出した。




◇ ◆ ◇ ◆




 この世界にとって魔神とは異物である。

 他者と異なっていることを孤独と思うのではなく、むしろ選ばれたと考えるのは知識を持つ生き物ならば当然のことである。特に魔神は『驕り』こそが強者の特権と尊ぶ文化を持っていた。


 生命維持に栄養素を必要としないが、生き物として優れているので多種多様な食事を『楽しむ』。

 時間を持て余し、暇潰しの娯楽として下等生物の生態を観察しては探究心を『満たす』。

 一つの目標を定めて緻密に計画を練り、創意工夫を凝らして実行に移すという『遊び』を持ち寄って、勝敗をかける。


 長い時をこの世界で過ごしていた魔神は、とあるゲームのルールに夢中になっていた。

 一つの国を滅ぼすというシンプルかつありきたりな目標の他に『魔神の仕業であることが近隣諸国の君主にバレてはいけない』という制約付きだった。

 派閥に別れた魔神たちは、こぞって己の頭脳と魔物に対する研究成果を引っ提げ、制約の範囲内で魔物を操って国を滅ぼそうと画策した。

 とても不思議なもので、制約が強ければ強いほど計画が進むたびに言いようのない興奮を覚えた。魔神たちは時間を忘れてああでもないこうでもないと議論を交わしては計画を調整することに熱中した。


「どこかな、クリスティーナは」


 そして、いつからか魔神たちの間で更なる制約が追加された。暗黙のルールというやつで、勝敗とは別に評価される要素ができたのだ。

 それが、冒険者を捕らえるというもの。

 捕らえた冒険者の数、冒険者の装備している品物、冒険者の種類。特にランクの高い冒険者ほど五体満足で捕らえるのは難しく、より価値があると魔神たちの間で持て囃された。

 捕まえたからといって育てるわけでも、面倒を見るわけでもない。あくまでも捕らえることに価値があるので、捕まえた後のことなど微塵も考えていない。多くの場合は見せびらかした後、食事を与えるのを忘れてしまうか力加減を間違えて潰してしまうかのどちらかだ。


「ん?」


 特徴的なハニーブロンドの髪を探していた魔神の目が、木の幹に括り付けられた木の皮を見つける。

 自然風景の中で異様な雰囲気を放つそれに興味を引かれ、フラフラと近づく。巨大な爪で切り裂かないように気を使いながら捲った魔神の目に規則的な文字が飛び込んだ。

 まるで繊細な水の流れを体現したかのような美しい筆記体でこう記されていた。


『万年ビリの負け犬』

『余裕がないのバレバレですよ、魔神さん(笑)』

『ぶっちゃけ魔物と魔神って同じじゃない?』


 魔神は己の知性に誇りを感じている。人間との取引に応じるのは、多大な犠牲を払って力を求める脆弱な生き物を嘲笑うためだ。つまり、魔神は恐れ、敬われ、畏怖されることに一種の慣れとそれを当然と思う気持ちがあった。

 純粋な力、魔力と術式。生き物としてそもそもの規格が違うのだ。何か特別な感情を向けられて然るべきなのだ。


「あ? なんだ、これは」


 その驕りと誇りに傷をつけられた。同格の魔神ならまだしも、低俗で弱っちい人間という惨めな存在に。

 魔神の脳内を占めるのは憎悪。未だかつてこれほど怒り狂ったことはないというほどに腹を立てた。


「弱々しい人間風情がッ!」


 五体満足で捕らえようという考えはたちまちに失せ、怒りに身を任せて大木を薙ぎ払う。

 猫が鼠を痛ぶるように追い詰めようと画策していたのをやめた魔神は第三の目を開いた。素早く見知った魔力の色を探す。


「魔神であるこの俺から逃げられると思うなッ!」


 余裕は消え失せ、怒号を結界の中に響かせながら魔力の残滓を追いかける。一筋の魔力は木々の隙間へと続いていた。

 一際、色の濃くなった魔力に気づき、ぐちゃぐちゃにする為に四肢に力を入れた瞬間の出来事だった。


 ────ザシュッ!


 魔神の後頭部に生えていた角が根元からポキリと折れる。ゴロゴロと三角錐の角が地面を転がった。

 その角を足で蹴り飛ばす存在がいた。


 クリスティーナ。


 ハニーブロンドの髪は泥で汚れ、整った顔にはいくつもの小さな傷がある。冷酷な印象を与える翡翠の瞳は、絶望ではなくある種の覚悟を決めた野心に輝いていた。


「魔神も大したことないわね。ほら、変身でもしてみたらどう?」


 嘲るような笑みを口に浮かべ、剣で肩を叩く。

 魔神であってもその所作が意味していることは理解できた。侮辱と冷笑だ。


「……は?」


 魔神の怒りが頂点に達する。

 低俗で弱い人間が、魔神にとって誇りを象徴する角を折ったのだ。


「この、糞餓鬼が!」


 魔神が全身に力を込める。

 折れた角は再生を始め、牙はより鋭く、魔力は禍々しさを帯びた。

 爆風を生み出しながら、魔神は変身を終える。


「殺す。確実に殺して、その死体を村に投げ込んでやるぞ!」


 渾身の力を込め、魔法を駆使しながらクリスティーナを殺すための一撃を放った。




◇ ◆ ◇ ◆




 爆発。

 魔神の放った一撃は、まさしく爆発だった。


 とっさに水魔術で防御をしたから致命傷は免れたものの、愛用していたカッツバルケルはポッキリと折れてしまった。これでは攻撃を受け流すことも難しいだろう。


「いや、そもそも受け流す以前の問題だわ」


 『掠っただけでも即死』から『余波だけでも即死』に変化した攻撃は苛烈だった。

 全身全霊で距離を取って逃げるしかない。


 けれど、即席の作戦は上手くいった。

 『幼ブラ』でもかなりキレやすい性格だったけど、まさかちょっとした小細工で簡単に誘導されるなんて。おまけに挑発に乗って変身までしてみせたのだ。


 振り返って魔神の様子を確かめる。

 振りかぶった巨大な爪の中にある炎の塊を見て、さあっと顔から血の気が失せる。


「〈水盾(アクアシールド)〉!」


 『身体強化』でできる限り距離を取って木の後ろに隠れ、水魔術にありったけの魔力を注ぎ込む。

 荒れ狂う熱風が木をへし折り、地面を溶かし、茂みを燃やした。


「げほっ、ごほっ……」


 流石にこれ以上の時間稼ぎは出来なかった。

 魔力はすっからかん、余波で骨が折れているし、脇腹には折れた木の枝が深く突き刺さっている。スキルがあったとしても、所詮は人間だ。怪我をすれば血が流れるし、出血量が多ければ死ぬ。

 どうやら第二の人生も、それほど長生きできないらしい。


 眩暈の酷い視界の中で、魔神が私を殺すべく爪を振り上げるのが見えた。

 変身が解けるまであと五分といったところか。


「何を笑っている? 自分の死を自覚して気でも狂ったか?」

「終わるのは、私だけじゃない……」


 血を吐きながら、せめてもの抵抗として笑みを浮かべる。引き攣った歪な笑いでも、見せかけだけでも構わない。この最悪な魔神に少しでも勝っていたかった。

 前世の記憶を思い出してから今日になるまで、ずっと努力してきた。間違いなく『クリスティーナ』より遥かに強くなっていたはずだった。

 それが蓋を開けてみれば、レオが苦戦して勝利を収めた魔神を相手に時間稼ぎすら碌に出来なかった。きっと今のプロメテウスのリーダーでもある成長したレオなら圧勝するだろう。


「お前も、私も、これでお終いだよ」


 吐き捨てるように呪詛を吐いて、結界の外に視線を向ける。

 Dランクでしかない私でさえ名前を知っているような、冒険者ギルドの精鋭たちが結界の外にいた。ダンジョン産の魔道具が結界越しからでも分かるほどに力を放っている。


「……何故、人間どもがここに?」


 魔神の狼狽えた声が聞こえると同時に、結界が爆ぜた。その瞬間、Sランクを冠する冒険者のパーティーがなだれ込む。魔力を帯びた剣が、槍が、魔神の首を狙う。

 動けずにいた私の襟首を誰かが引っ張った。


「何やってんだよ」


 魔術と魔法の応酬のなか、黒髪の少年が怒りに顔を歪ませて私を見下ろしていた。


「なんでこんな所で死にかけているんだよ、クリスティーナッ!」

「……はは、レオこそ────うっ、げほっ、ごほっ」


 『なんでここにいる』と聞こうとしたら、肺に血が入り込んで思いっきり咽せた。鮮血を口から吐き出しながら呼吸できずに苦しむ私の胸ぐらをレオが掴む。


「ルチア、何をボサっとしているんだ。早く治せ!」


 レオの命令にルチアは慌てて癒やしの祈りを捧げ始めた。

 シリウスにいた頃よりルチアの腕は上がっているようだが、それでもやはり失った血の量が多すぎた。段々と意識がぼやけてくる。


「ふざけるなっ! こんな所で死んだら殺すからな!」


 意識を失う直前に聞こえたのは、どこか悲鳴のような叫び声だった。

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