想う心はお互いに
「……といった様に、皆様順調に成長されていまして、リシャール家の未来は明るいことを予感させられる毎日です」
あれから更に家宰からの子供たちに関する近況報告は続いていき、その何れもエドモンを満足させるに足るものだった。
「そうか……子供たちの成長は順調か。若くして侯爵家の当主の座に着いたが、隠居するのも早いかもな」
そう笑って言うエドモンであったが、家宰としても冗談に聞こえず、その時にまだ自分が現役で側に仕えていることを想像すると、なんだか無性に可笑しくなってしまい、思わずそれが声に出てしまった。
「なんだ? ギルベルトが声に出して笑うなんて珍しいな。そんなに可笑しかったか?」
「……いえ、失礼しました。ただ未だ十にも満たないお子様に、既に侯爵家を継がせることを期待して引退を考える旦那様と、それを疑問に思わずに次期当主のお側にお仕えしている自分の姿を想像しましたら、なんだか可笑しく思いまして……フフッ」
そう言われてみればそうだなと思い、釣られて笑い出しそうになるエドモン。だがなんとかそれを我慢し、この夜会をお開きにしようとギルベルトに声をかけた。
「そうだな。そうなればいいが、それはまだまだ先の話だ。今には今すべきことがたくさんある。まずは喫緊の問題として、東部との外交政策に力を入れるときだ。正直私の代だけで解決する様な問題ではないが、子供たちの未来に残す禍根は少しでも少ない方がいい。私はもう寝るがお前もすぐに休め。明日からまた忙しくなるからな」
そう言って、隣にある寝室に向かう主人を家宰は見送ろうとしたが、あることを確認しようと呼び止めた。
「アナベル様とミーナ様のことはよろしいのですか?」
その言葉に、エドモンは寝室のドアノブにかけようとした手を硬直させ、ぎこちなくギルベルトの方へ振り向く。
「……やっぱり、どうにかしないとマズいよな?」
「現状では問題ないかもしれませんが、いずれどこからミーナ様の耳に入るかわかりません。その時に母親想いのミーナ様がどのような選択を取ることになろうと、旦那様が後悔なされないならばご自由にとしか、私の立場では申し上げられません。しかし最終的にどうなろうとも、旦那様の口から直接事情をお伝えすることこそが、お二人への最低限の義理立てとなるのではないでしょうか」
「………………わかった。出立する前に二人と話をする。……いつ頃がいいと思う?」
「ミーナ様は旦那様が課した試験を控えておりますから、余計な心労を与えないためにもその翌日が良いでしょう」
ギルベルトのその言葉に「わかった」と頷くと、エドモンは今度こそ寝室への扉を開いた。
そして主人が隣室に移るのを確認すると、その場に一人残されたギルベルトは部屋の明かりを落とし、静かにその場を後にした。
二度目の試験を終えた次の日。いつもの様に母と二人で談笑しながらの食事を楽しんでいると、本館からおそらく侯爵付きと思われる使用人がやって来て要件を告げた。
「侯爵様がアナベル様、ミーナ様の両名をお呼びです。朝食が済んだらで結構ですので、後程侯爵様の執務室にお越し下さい」
それだけ言って扉の外で待機する使用人を尻目に、一体どんな用だろうと母と会話を交わした。
「ミーナちゃん何かやらかしたの? 大丈夫だからね。お母さん一緒に謝ってあげるから」
「なんで私が既に何かやらかしたこと確定なの……。やらかしそうな度合いでは、私なんて母様の足元にも及ばないから」
「まぁ酷い! ミーナちゃんいつからお母さんにそんな酷いことを言う悪い子になっちゃったの? お母さん悲しいわ」
そう言ってシクシクと嘘泣きを始める母を無視し、私は今回の呼び出しの理由について考える。
魔力測定があったあの日から、私が父と会話したのは私と母についての沙汰が下ったときだけだ。そもそも父は昔からよく家を空けていたので、誕生日の様な特別な日を除いて父と言葉を交わしたことはほとんどなかった様に思う。
そんな父が、私と母の両方をわざわざ呼び出すということは、それなりに重要な内容なのだろう。もしかしたら前日の試験の結果が私が思っているよりも悪く、本格的にこの家から追い出すための最後通告か、あるいは既にその意思を決定した後だったりするのか。
そんな風に思考に没頭していると、頬を突っつかれている感触が私の意識を元に戻した。
「もしもーし、そんなに無視されるとお母さん本当に泣いちゃうぞー? お母さんが泣くと面倒くさいよー? だからちゃんと構ってくださーいたたたたたたッ!! ミーナちゃん指痛いから! 折れちゃうから離して!!」
ついイラっとして割と本気で母の指を本来なら曲がらない方向に折ってしまったが、5歳児の私の握力が弱いからなのか、母の指が見た目以上に丈夫なのか、思ったよりも大丈夫そうだった。
「いたたた……酷いよミーナちゃん。もう少しで本当に折れちゃうところだったよ。お母さんはミーナちゃんをそんな暴力的な子に育てた覚えはありません! ちゃんとごめんなさいしなさい!」
育てた覚えがなくても、私の暴力性が解放される原因となったのは母の日頃の言動の所為である。
しかしそれはそれとして、私が母を傷つけてしまったことも事実であるためここは素直に謝罪した。
「ゴメンナサイ」
「うん! もっと心を込めて言おうね! それじゃあただごめんなさいって言葉を声に出しただけだからね! 私はミーナちゃんをちゃんと謝れない子に育てた覚えはありませんよ!」
謝罪を口にしたのにも関わらずガミガミと言ってくる母を無視し、私は残りの朝食をお腹に収めて身支度を整える。
「母様、いくら侯爵様が時間の指定をされておられないからといって、必要以上に待たせては失礼に当たります。早々に身なりを整え参上するのが侯爵様に対する礼儀ですよ」
「そんな風に丁寧な口調で言ったって、お母さん誤魔化されませんからね!」
結局西の別館を出るまで母の説教は続いたのだった。
「エドモン様。アナベル様とミーナ様をお連れしました」
扉の向こうから「入れ」という声が聞こえると、私たちをここまで案内した使用人は扉を開け私たちを中に入れ、自分だけは部屋の中に入らずまた扉の外で待機していた。
「よく来てくれたアナベル、ミーナ。今回呼び出したのは……私が久しぶりにお前たち二人としっかり話をしたかったからだ」
そう口を開いたのは、ソファーに腰掛けているまだ20代かそこらに見える金髪の男性。見間違えるわけもなく、私の実の父であり侯爵家当主のエドモン・リシャールその人である。
そしてその後ろに控える老齢の人物は、確かこの家の家宰だったか。
「立ったままでは話し辛いだろう。とりあえずそちら側に座ってくれ」
そう言って自分の座るソファーの対面を指し示す父に従って、私と母も腰を下ろす。
「ご厚意に感謝致します侯爵閣下」
そう私が口にすると、父は困った様に笑いながら言葉を発した。
「以前の様に父様と呼んでくれて構わないが……私がした仕打ちを考えればそういう訳にもいないか」
その言葉の真意について図りかね、内心で首を捻っていると今度は母が言葉を発する。
「それで、私たちと話がしたいと言いますが、一体何を話したいというのですか? 私はミーナちゃんの扱いに対する謝罪以外、聞く気はありませんよ」
普段の母とは違う若干怒気を感じさせるその態度に、ただ隣にいるだけの私でさえも思わず背筋を伸ばしてしまう。
「いや、そうだな……確かにそこからだ。──アナ、ミーナ。今まですまなかった」
言い終わると同時に私たちに頭を下げる父を見て、しばし私は呆然とした。
「たとえお前達を守る意味もあったとしても、お前達にしたことは父として、夫として許されるものではなかった。本当にすまなかった……」
頭を下げ続ける父の姿を見てようやく私は我に返った。
しかしやはり謝罪されている理由が分からない。なにやら自分が悪いみたいはことを言っているが、悪いのは才能がない私の方であり、父が悪いことなんてなに一つない筈だ。私としてはむしろ、私と母を侯爵家として守ってくれたことを感謝したいくらいだ。
そんなことをポツポツと話す私に、私を除くこの場にいる人物から痛ましいものを見る様な視線を向けられ、私はなんとも言えない気持ちになった。
「すまないミーナ……。お前にそんな風に言わせる対応を取ってしまったことを、今では只々申し訳なく思う」
「本当です! ミーナちゃんは虫も殺さない優しい子だったのに、今日なんて私に手と口の両方で暴力を振るったんですよ! それもこれもあなたのミーナちゃんに対する仕打ちのせいです!」
真面目な話をする空気なのに、アホなことを口にする母を今だけは黙らせたい。
「アナベル様、旦那様にもやむを得ない事情があったのです。どうか旦那様の言い分も聞いてあげて下さい」
父の背後に控える家宰からフォローが入り、母も一応の聞く姿勢を見せる。
そう言って父の口から語られたのは、概ね私が耳にした噂の通りの内容であった。
唯一私を驚愕させたのが、既に私への暗殺者が差し向けられていたという話だ。侯爵家の敷地内に侵入して来たことこそないものの、そういう人物が何人か確認されていて、今も私を狙った暗殺者が数人この都市に潜伏しているらしい。
そこで母は狙われなかったのかと聞いたら、当然狙われており、それを母は返り討ちにしたと言うのだから驚きだ。一瞬自分の耳を疑った。
「アナベル様はリシャール家に嫁ぐまでは、国有数のハンターとしてその名を知られていたのですよ。そんなアナベル様に手を出す暗殺者など、情報収集もまともに行えない三流ですから、当然アナベル様の相手ではございません。他の者もアナベル様がいるとなれば迂闊に手は出せないでしょう。それに例え何かあっても、我々が全力でミーナ様をお守りしますのでどうかご安心ください」
そんな疑問が顔に出ていたのか、家宰から伝えられた新事実に私の頭はパンク寸前だった。
では何か。私はこの国有数の血統の父と、これまた国有数の実力を持つ母から産まれたのにも関わらず、才能らしい才能を全く持たずに生まれたというのだろうか。
ここまで来ると私自身に問題があるというよりは、前世の知識という謎の存在に原因があると考えた方が自然かもしれない。
「はぁ……暗殺の可能性についてはミーナちゃんから聞いていましたし、ギルベルトさんからも忠告を受けていましたから、それについてはもういいです。問題はどうして今更になってその話を私たちに伝え、謝罪したのかということです。事前に私たちに何か言うことはできなかったのですか? それにまだ5歳のミーナちゃにあんな難しい試験を課して、その結果次第でこの家に残れるかどうか決めるなんて。一体どういうつもりだったんですか」
「……それらについてもすまないと思っている。私としても判断に迷っていたんだ。確かに二人を守るために、侯爵家の庇護下に入れたままにする必要があったという言葉に偽りは無い。この屋敷にいる内は、ミーナを害そうと考える者も容易に手を出せない筈だからだ。そして試験の難易度についてだが、ミーナなら十分解ける範疇と判断していた。どうせやるなら、ある程度緊張感と難易度があった方が本人のためなるだろうから。……それに試験の結果程度ならいくらでも改竄できるからな」
そんな裏事情まで聞かされて、私は思わず微妙な気持ちになる。あの試験が、私と母の今後に大きく影響を与えるとそれなりの決意を持って臨んでいたのに、私の両親は片や試験結果を改竄すればなどと考えていて、片やこの家を出てもどうとでもなるくらいの実力を持っていた。この二人は私の決意と覚悟をなんだと思っているのか。
私の内心の不満に気付かず父は言葉を続ける。
「……だが、それと同時にいっそ二人を国外へ脱出させ、この国からの影響を物理的に断ってしまった方が二人の為になるかもしれない。そう思ったのも事実だ。それならばと、家族としての情を抱かせることなく、自然と二人の気持ちがこの家から離れるようになれば、お互いのためになると考えた。もっとも……二人のためと言いながらそんなものは建前で、夫として父として、二人を自分の元から引き離したくないという私の我儘が、二人を苦しめる結果になったのもまた事実なんだがな……」
そう言って自嘲気味に笑みを浮かべる父を見て、私は今まで考えていた思考が吹き飛んでいた。
私は今までずっと父を失望させてしまっていたと、父は私になんの愛情も抱いていないのだと、そう考えていた。初めてそれを自覚したときの夜は、母の胸の中で泣き続けたのを覚えている。
それから私は唯一の家族となった母を守るためだけに生きようと決心した。勉強も魔力の訓練もそんな母を守るために頑張った。内心ではいつか私と母を見捨てた父や侯爵家の縁者を見返してやろうとも考えていた。
しかし実際は違った。
私の家族は私が勝手にそう思っていただけで、ちゃんともう一人存在した。家族を守ろうしていたのは私も父も同じだった。
そのことに気づいた私は、胸の奥が温かくなるのを感じ自然と涙を流していた。
「ミ、ミーナ大丈夫か? どこか気分でも悪くなったか?」
「ミーナちゃん!? ……きっと今の言葉に傷ついたのね! 大丈夫よ任せてミーナちゃん。お母さんがすぐに仇を取ってあげるからね!」
そう言って暴れようとする母を慌てて落ち着くよう宥める父と家宰を見て、私は思わず吹き出してしまった。
「ふっ……ふふふ、母様少し落ち着いてください。私はなんともないですから。……父様たちが困っていますよ」
その言葉で平静さを取り戻し笑みを浮かべる母を見て、この母は本当にいつも通りだなと思った。
「ミ、ミーナ……? また私のことを、父様と呼んでくれるのか……?」
「はい、父様さえよければまた私にそう呼ばせてください」
「そ、そうか……! いや、ミーナが呼びたいならいくらでもそう呼んでくれていいぞ!」
嬉しそうな表情を見せる父を見て、自然と私の顔にも笑みが浮かんでしまう。
「はいはい、そういうのは後にしましょう。それで結局私たちと仲直りするということは、私とミーナちゃんは正式にこの家の一員に戻ると考えていいのですか?」
私と父が楽しそうに会話する側で、除け者にされ微妙に不機嫌になった母が今回の話をまとめようとする。
「いや……二人には悪いが、それを今すぐにというのは無理だ。今回のこれはあくまで私がお前達を守るという個人的な意思表明に過ぎない。いずれなんらかの形でこの家の一員に戻したいとは考えているが、それがいつになるかは正直分からない。……こんな頼りない夫で父の私だが、もう一度だけ家族として受け入れてくれないだろうか?」
今の話を聞いてもはや私には断るという選択肢はないのだが、母も同じ意見とは限らない。
そう思って母の方に顔を向けると、母も同じように考えたようで私たちは数秒間見つめ合った。
「…………はぁ、ミーナちゃんさえいいのなら、私から言うことは特にありません。ですがこれだけは覚えておいてください。また同じようなことがあれば、あなたやミーナちゃんの意思に関わらず、ミーナちゃんを連れて強引にでもこの家から出て行きますからね」
その母の言葉に真剣な顔で頷く父を見て、私はまた少し嬉しくなった。