大陸の歴史
かつてこの大陸では、魔王と呼ばれる強大な魔物によって、人類は絶滅の危機を迎えた。
そもそも魔物とは、人とも獣とも違う、人類にとっての敵性存在の総称である。その生態系は千差万別でありながら、唯一共通しているのは魔物にとって人類とは魅力的な捕食対象という点だ。人類にとっても魔物とは爪の先から毛の一本まで活用できる上に、食料にもなるというまさに恵みの宝庫だった。すなわち魔物とは、古来より人類にとって最大の敵であると同時に、多大な富と益を齎す存在でもあったのだ。
しかしながら、そんな両者のある種自然の摂理とも言える共栄関係は、ある時を境に唐突に崩れる去ることになる。魔王の出現である。
元来魔物とは、その在り方が個体ごとに大きく異なるのが特徴の生き物だ。種族同士で群れることはあっても、異なる種族が行動を共にするのは稀な生態をしている。
その旧来からの常識を覆し、数多の魔物を従え人類に破滅と絶望を与えたのが、後に魔物の王……すなわち魔王と呼ばれることになった個体である。
魔王の外見は人型でありながら、これまで人類が接触してきた多くの人型の魔物と外見が異なっていた。頭部から生える2本の捻れた角に、前後に存在する縦に裂ける瞳が二対四つ。全身を太く剛毛な毛に覆われた黒い肌と、その表面を波打つ血のように赤い線。腕は肩から前後に2本ずつ突き出しており、両の足の先はまるで馬の蹄のように黒く硬質化している。
そんな邪悪を集めて煮詰めたかのような外見をし、どの魔物ともまるで違う存在でありながら、魔王は多種多様なあらゆる魔物を従えたと言う。そして、人類に対して大規模な攻勢を仕掛けた。
唐突に起きた魔物による大規模侵攻。これに対して、しかし人類は全くと言っていいほど有効な手立てを持たなかった。そうなるのも無理からぬことであった。魔物の狩りは基本的に多対一で行われ、魔物に対して数的有利を保つことが常であったからだ。
ある一つの個体の元に集結し、さながら軍隊のようにあらゆる種族が纏まる。それは未だかつて、人類にとっては古今未曾有の出来事であり、まともな策を講じるにはあまりに時間が足りなすぎた。故に、人類の保有する領土は瞬く間に魔物の大群に蹂躙され、その生存領域を著しく狭めることになった。一時は大陸の全土を支配するまでになった人類は、そのうちの約八割を失うまでに至った。その頃になって、ようやく魔物への有効とも言える対抗策を編み出すことに成功した。
しかしながら、それにより僅かばかりの拮抗を作り上げるに成功するも、時すでに遅く、魔物に食われ減り続けた人類の数と、人類という外敵が減ったことにより、増えに増え続けた魔物の戦力差は覆すに能わず。もはや魔物に怯え、山間や僻地でひっそりと息を殺して暮らすか、あるいは未発達な航行技術を用いて大陸から脱出し新たな陸地を目指すか、そういった決断を迫られるまでの事態に陥っていた。
そんな諦観を、人類全体が共有し始めた頃、彼らに福音が齎された。勇者の誕生である。
魔法に対する全属性の適正を持ち、超常的な身体能力に、比類なき剣の才能をも有する傑士。まさに神の寵愛を余す所無く、一身に受けたと言っても過言ではない、時代が生んだ英雄の中の英雄。
その勇者の登場と活躍は、人類を覆っていた暗雲を斬り払い、頭上を希望で満ちさせた。更に勇者を筆頭に、力を蓄えていた聖女、剣聖、賢者を始めとした英雄たちが後に続き、この時からいよいよ人類の反撃が始まった。
そうしてついに、人類が以前の生存地域の半分相当にまで回復した段階で、その時は訪れた。魔王とその側近とも言える強力な魔物と、勇者を筆頭にした英雄たちの激突である。
戦いは熾烈と激烈を極め、多くの英雄が戦場で命を散らした。仲間の屍を踏み越え、血河でその身を浸しながら、順々に強力な魔物を討ち果たしていった。
そして彼らは激闘の末、ついにはそれを討ち取るに至った。魔王は倒れたのだ。
しかして、その戦いで勇者は戦死した。生き残った者たちも、二度と戦場に立つ事は出来ないような重症を負った者ばかりであった。
故に人類は、魔物との戦争とも呼ぶべき生存競争には勝利したものの、魔王という統率者がいなくなり烏合の衆と化した魔物達の追撃、殲滅戦を行うには及ばず、結局人類と魔物は両者の生存領域を大陸の中央で大きく二つに分けることになった。
こうして、後の時代に勇魔大戦と呼ばれることになったこの戦いは、人類に大きな爪痕を残し終結したのだった。
余談であるが、人類が敗北しなかった要因の一つとして、魔物による同士討ちがあったと考えられている。これは魔物の進行に、明らかな遅滞があったことが当時の資料から読み取れるためだ。
本来魔物とは異種族と群れ合わない特性を持っており、同じ魔物という括りであっても出会えば殺し合いを始める生き物だ。これはすでに確認されている事実でもある。
ここからはあくまで筆者の仮説になるが、当時人類の数が大幅に減った際に、魔物は人類という共通の獲物を失いかけ、本来の闘争本能が想起され互いに殺し合いを始めたのではないか、ということが想像される。
たとえ上位者たる魔王と雖も、完全に魔物を支配する事はできず、一時的に魔王の命令が魔物の持つ生来の本能に上書きされることで、上記のような事態が発生したのではないか。あるいはこれも仮説になるが、魔王に人類を滅ぼす気が無かったという可能性も考えられる。
これについては、魔王が人類の数を絶滅寸前にまで追い込んだため荒唐無稽とも取られるが、可能性の一つとして頭の片隅に入れておくことを推奨したい。
最後に魔王の出現について記す。
これは当時、第二の魔王出現を未然に防ぐため、幾度となく交わされた議論でもある。今日では魔王がどこから現れたのかについて、一応の結論は出ている。西方大陸である。
文明の発展により、人類はいよいよ本格的に大陸外へ足を伸ばし、未踏の大地に根を下ろすに至った。中央大陸西岸地域を初めとした、現在における人類の生存領域外を開拓するに連れ発見された新たな大陸。魔王はかの大陸から中央大陸にやって来たのだと、現在では考えられている。
新たな大陸の発見と到達は、人類にとって大きな飛躍と発展に繋がるだろう。
しかしながら、私たちのすぐ側には、決して無視することのできない大きな懸案事項も存在している。大戦により魔物に譲り渡すことになった、大陸西側地域である。
大戦以前と比べ、現在の当該地域に生息する魔物の脅威度は跳ね上がっている。中には先に挙げた魔王と同等、あるいはそれ以上とされる脅威度の魔物の存在も確認されている。人類全体の文明レベルや各国の保有する戦力、そして個々人の地力は大戦以前と比べ大きく飛躍したとされているが、それは魔物も同様ということである。
もちろん魔物の強さが上昇したことにより、素材としての価値も高まったという好意的な意見もある。しかし、もし仮に人類と魔物との間で先の大戦規模の争いが起きた場合、それによって生じたダメージ次第では、二度と人類が陽の目を見る事はないかもしれない。
そして魔王が生まれた大陸には、かつての魔王以上の脅威が複数存在し得る可能性も容易に想像できる。その存在如何によっては、人類は自らの墓穴を掘ることになるかもしれない。
忘れてはならない。我々人類は、魔物と比べて脆弱な生き物であると。
驕ってはならない。なぜならそれは、人類の持つ知恵と勇気という最大の武器を、鈍らに変えてしまうのだから。