誕生日にケーキはない
「ねぇ、どうしてみーなのたんじょうびには、けーきがないの?」
一目で持ち主を富豪と思わせる建物の一室。
庶民の月収を軽く超えそうな豪奢な家具が設えられ、並ぶテーブルの上には籠に積まれた上等な白パンに、これまた上等な容れ物に入った飲料とグラスが並べられている。部屋の隅や家人と思われる人物の背後には使用人が控え、いつでも主人の要望に応えられる姿勢を保っている。
そんな中で部屋に響いた幼い声。
子供ながらのたどたどしい口調に、周囲の空気が和んだのもつかの間、その場に居合わせた人物の内、声を上げた本人を除く全員がその言葉に疑問を抱いた。
「何を言ってるのミーナちゃん。今日はミーナちゃんの誕生日ですからパン以外は食べられませんよ。それにミーナちゃんにはまだケーキは早いだろうし……。どうしてそんなことを聞いたの?」
そう母親に質問で返され、ミーナは返答に窮することとなった。
なぜなら本人にとっては、誕生日にケーキを食べることは当たり前のことであり、それがなぜかと問われても、そうであるからそうだとしか答えようがなかった。
2歳児の、まだ人生の初心者中の初心者であるミーナの稚拙な思考能力では、現状に対する適切な答えを導き出すことはできない。何やら言葉に表しにくい、もやもやとした思考が頭を過るだけで、口から出たのはうぅーといった呻き声だけであった。
「きっとミーナは本か何かで知って、ケーキを食べてみたかっただけなのだろう。後日用意させるから今は我慢しなさい」
ミーナに助け舟を出してくれたのは、父親のエドモンである。
エドモンは一度咳払いをすると、今日の日の意味を娘に対して教え始めた。
「誕生日とは、文字通りその者の誕生を祝う、当人等にとっての祭日だ。貴人の誕生会ともなれば、豪奢な飾り付けに仕立てられたドレス、豪勢な食事が付き物ではあるが、それはお披露目を迎える5歳の誕生日以降の話だ。それまではパンと葡萄酒……子供は果実水だな。それらを口にしてこの世にその者が誕生したこと、そしてその日を無事迎えることができたことを感謝するのが習わしだ。……と言っても大抵はその後に、大人たちがそれぞれ好き勝手に飲み食いすることもしばしばであるが」
誕生日について父親から説明されるミーナであったが、2歳児にしては聡明な知能を持ってしても、出処がよくわからない知識のせいで、いまいち要領を得なかった。
「それで、5さいになれば、たんじょうびにけーきをたべられるの?」
「ああ、そう言えばミーナはケーキを食べたかったのだな。いや、5歳の誕生日では肉や魚の料理に菓子を食べることはあっても、ケーキを食べるということはないと思うんだが。そういう慣習も私が知る限りこの国には特になかった筈だ。もしかして庶民の間ではあったりするのか……?アナは何か知っているか?」
生まれが貴族であるエドモンは、市井の出であるアナベルに問う。
「そうですね。私の家では誕生日にケーキを食べることはありませんでしたが、そういう家庭も中にはあるのではないでしょうか」
「ふむ……それならば使用人から聞いたか、やはり本か何かで知っただけなのか。誕生日にケーキを食べるなどと、私は寡聞にして聞いたこともないが。……近年では東からの文化流入で、東部の国々では日夜既存の価値観に囚われない新しい慣習が誕生している。我々が子供の誕生日にパンと葡萄酒を食するように、他国でも誕生日に決まった物を食するといった文化もあるが、そういう地域では自由に好きなものを食することも珍しい話ではない。だからきっと……」
そんな風に、質問した当人そっちのけで会話をする両親に興味をなくし、手の中のパンを頬張るミーナであった。