6話
「レイラ!こっち来て!早く!早く!みせたいものがあるの!」
10歳のマーシャが、しきりに私を呼ぶ声が聞こえる。
「こっちはもう終わりだから行って来ていいわよ」
エスタはにこやかな笑顔を浮かべながら私にそう言った。
「うん、これが終わったら行くよ」
いつものように母とエスタおばさんとで昼食の後片付けをしていた。ノラ叔母さんは少し前に畑へ出ている。テーブルを拭いて食器を棚に戻すと声のする裏庭へと歩いていく。
ここに来てもう4年がたっていた。
毎日、エスタとノラを手伝いながら覚えた家事や畑仕事は、もうすっかりこなす事が出来た。
特に裁縫は得意だった。
その頃には服でさえ自分で作る事が出来たし、服のサイズ直しやリメイクだって難なく仕上げる事ができた。
以前、小さい子達に、自分の小さくなって着られなくなった服を作り直してあげたところ、とてもいい笑顔で喜んでくれた事があった。自分の作ったものが誰かにこんなにも喜んでもらえた。その事に心の奥が暖かくなるような、そんな感動を覚えた。その後も大切に着ていてくれている事がまた嬉しかった。
料理に至っては、エスタやノラの二人が作る味にはまだまだ到底及ばなかったが、パン作りはかなり上達した。10日に一度、竈に火を入れて、まとめてパンを作る日があった。保存がきくようにいつも硬めに焼くのだ。
パンを作る工程はとても興味深くて面白い。サラサラした粉があんなにふっくらとした生地になる事が不思議で仕方かった。
子供達も一緒になって、みんなでワイワイ言いながら作ったあのパンの味は何年経っても忘れる事は出来ない。
マーシャに呼ばれて裏庭に出てみると子供達は草むらにしゃがみこんで、なにやら探しものをしている。
「みんな、何をさがしているの?」
マーシャに近寄って私も一緒にしゃがみ込むと彼女の目線の先を追う。
「あったよ!あった!」
手に持っている小さなピンク色の花を私にみせると、彼女は嬉しそうにはしゃいでいる。
「そんなに大好きなお花なの?」
「えーっ。知らないの?これは見つけたら幸せになれるお花なんだよ。ほらこのお花だけ他のお花と少し色が違うでしょ?それに花びらの数も違うのよ」
「あっ!ほんとだ。同じ種類の花なのに不思議だね」
「沢山見つけてみんなで押し花を作るの。出来上がったらローラさんにあげるのよ。もうすぐ誕生日だって聞いたから。私達はローラさんが大好きだから、これからもたくさん笑っていてほしいの」
そう言ってマーシャは、再び地面に視線を落として夢中になって探し始めた。
そこに母がやってきて子供達が真剣になにやら探し物をしている光景を不思議そうに見ていた。
「あら?みんな何を探しているの?」
「あー…。うん。そのうちきっと分かるよ!」
私はみんなのサプライズプレゼントが母にばれないように急いでその場から母を連れ出した。
気持ちがいい風が吹いている午後だった。
私達は庭にあるベンチに腰掛けながら暖かい陽気を浴びていた。
心地よい風がサアーっと吹き抜けて目の前にある紫色の花をつけたミントの群生を揺らしていく。
「ここに来て良かったね」
私は母にそう言った。
「ええ。そうね。エスタやノラ、それにあの子達に出会えて私達はとても幸運だわ」
そう母はほほ笑む。
「母さんね、ここで子供達の先生になれて嬉しいのよ。小さい頃の夢が叶ったわ」
「え!?お母さんの夢は先生だったの?」
「私ね、小さい頃から本の主人公みたいに冒険の旅に本気で憧れてたの。でもね…結局は旅に出るなんて許されなくて父に猛反対されたのよ。でね、本を読むのが大好きだったからそこで知った知識を使って誰かの役に立ちたいと思って、次は先生になりたいと思ってたのよ。そのために勉強だって沢山したわ。でもね、それもまたダメになってしまったの…」」
「夢だったんでしょう?どうしてダメになったの?頑張っていたんでしょう?」
「そうね。あの時の生きがいだったわ。でも…。父さんとの結婚が決まってしまったのよ」
「父さんとの?」
「ええ。そうよ」
「前から不思議だったの。どうしてあんな人と結婚したの?父さんはいつも母さんに冷たかった」
「そうね…。お互いの家同士で無理やり決められた結婚に納得していなかったんでしょうね。話をした事も少なかったからあの人の心の中は分からないけど。自分の夫だったのにね…あの人の事を何も分からなかった自分が情けないわ…。私はもっと歩み寄る努力をするべきだった」
「そんな!母さんはいつも努力していたよ。私はちゃんと見ていた。情けなくなんかない!それに…。母さんだって父さんと結婚するために夢をあきらめたじゃない!それなのに父さんは…!お互い様のはずでしょう?最初からそんな結婚、やめてしまえばよかったのよ!」
「そうね…。でもね、私達が結婚することで救われる人達が沢山いたのよ。もし、私が逃げていたら食べる事に困る人達がいたのよ。私達の結婚はそういうものだった」
「そんな…」
「でもね、私はあなたに出会えた事を人生最大の幸運だと思っているわ。父さんがいなかったらあなたにも出会えなかった。だから感謝しないといけないわね」
そう言って母は穏やかに笑っていた。
母だってもっと別の人生があったのに。街でよく見かける男女の二人組はみな互いを優しい顔で見つめている。少なくとも父は母にそんな顔を見せた事が一度もなかった。誰かに大切に想われる。母だってそんなふうに幸せになる権利はあったはずなのに。私達はなぜ愛されないのか物心ついたころからずっと考えていた。父は自分だけが不幸だと言わんばかりに私達につらく当たっていたのだ。今更になってその事に気が付いた私は父に対して怒りと苛立ちが混じったような嫌悪感を抱いた。
あの人の血が半分も入っている私は、自分が疎ましい存在に感じてならなかった。
「あなたは私のようになってはダメよ。貴方の人生はあなただけのものよ。貴方の未来は他の誰にも奪えないわ。あなたの生きる道をしっかり生きて行きなさい」
そう言った母の顔は真剣だった。
「ねぇ、あれ、いつか見たネモフィラの花じゃない!?」
ふと、母は視線の先にあった青い花を見つけて嬉しそうな声を出した。
「ここにもあったのね。やっぱり綺麗ね。いつかネモフィラの群生を見てみたいわ」
母はどこか遠くを見るようにそう呟く。
「いつかきっと、あの花屋が言っていたネモフィラの群生が咲く丘を見に行こうよ」
「えぇそうね。いつか必ず。一緒に見に行きましょう」
母はそう言って柔らかく笑った。そんなふうに穏やかな午後のひと時は過ぎて行った。